
何せ15~16日の大雨から 内容を前後させていたのがあって 後回しにしていた徘徊様子となりますのお詫び一つ。
富士フイルムのフィルムシミュレーションなる技術にすっかりハマっており フィルム写真の色合いをより体感したくウズウズしていた我 7月10日早朝 それであらばココでしょ~のヒラメキを思い付く♪

やって来たは 県北に位置する栗原市栗駒岩ケ崎の六日町。
1987年の閉山まで 約1200年続いたという細倉鉱山にほど近い商店街で 昭和時代は貨物・旅客の栗原電鉄も走っており 相当栄えた商店街だったという。
閉山後は街が廃れていき 1995年には「くりはら田園鉄道」なるディーゼル仕様に改めて立て直しを図るも 利用者の減少は一途をたどり 2007年には廃止になったという歴史。
ただ 最近では「昭和レトロな街並み」として人気が沸いてきており 続々と閉まっていたシャッターを開ける 明るい光が見えてきた六日町。

いや~絵になるなぁ~♪
本当に70年代当時の写真のようにも見えてしまうは フィルムシミュレーションで正にこういったのを求めておりました♪

ボンネット仕様まであるには驚かされた!

にしても タイムスリップ感がハンパない!

場所を移動してきて かつてあった細倉鉱山の目の前まで向かってみた!
で ここは1934年頃に建てられた木造家屋の旧佐野社宅の跡地で 元々は細倉鉱山の従業員用の社宅だったという。
最近ではというか2007年の映画 「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」のロケ地としても使われたが 3.11の大震災で耐震性を考慮の結果 全て解体されて今に至る流れ。
思えば オカン役であった樹木希林さんも もうこの世には存在しない人物に・・・

2013年まではこの様子だったというから 行っておけばよかったも後の祭り。
2013年当時はフィルム写真など 面倒なものを今さら?のただ単に古いものとしか思っておらず 今の我の様にレトロに「美」を感じてはいませんでした・・・
2004年頃までは 実際に住民も居たというから驚いた!

2007年まで使われた廃駅 細倉マインパーク前駅 着。
君の心へ続く 長い一本道は いつも僕を 勇気づけた
とてもとても険しく 細い道だったけど 今 君を迎えにゆこう~・・・
廃駅ではあるが しんみりしてくる歌詞とメロディーが こんなロケーションには・・・

今でこそ 栗原市の観光施設として細倉鉱山を伝えているが 1940年以降の戦時中の徴兵絡みでは 朝鮮人を連行させて(963人) 死亡者も出る超過酷な労働を強いられたという。
その頃は朝鮮人用の長屋もあったらしいが 配給される食事も非常に粗末で とにかく逃亡が後を絶たず 戦後も含め600人近くが消えていったという凄まじい時代背景。
それらを踏まえて 実際の場所のマインパークへの入場も・・・
この後のスケジュールから 今回は見送りの流れ。

昼食では 開店チョイ前に特別入店させていただきの 終始お客さんは我のみの昭和40年代?にタイムスリップ♪
可愛いおばあちゃん店員さんと 色々と今日の出来事も含めお話をさせていただいた流れ。
天井を見て あれっ!?の剥がれた部分は 今年3月の地震で剥がれたのだという。
ボロボロで申し訳ないですぅ~♪も 我からしたら むしろ味があってそれも美しく見えるポイントという変態な返答。
同時期に始めたライバルたちは とっくに店を閉じてるとの事で 聞けば なんと創業から半世紀の50年程はお店に立ち続けているとの事。
我 さすがに大の付くリアクションは言うまでもない!
すっっ凄すぎる!!

食べ盛りの学生たちで賑わった 昭和時代の名残で ついつい多めに作ってしまうのだとか♪
この焼きそばは ずっとこの味であってくださいの進化なんぞは要りません!

もはや
お店自体が極めつけの隠し味になってると言える絶品もので 作ってくださったおばあちゃんには本当に感謝なのです♪
尚 ご高齢の2人で切り盛りをされていて 今となっては大勢のお客さんが来ると疲れてしまうとの事で ネットにはガッツリ紹介されているも 我はあえて場所と名前を伏せる事とします。
まぁ~ロクな事言わない我の知名度なんか 全く無いのですが・・・
ただ ご当地の某所にはこういった素晴らしい所もあるんだぞ~♪のご紹介として おばあちゃんも「いいとも!」の経緯。
ごちそうさまでした また来ますねぇ~♪の二重に堪能したお店を後にしてからは帰宅の流れ。
にしても 富士フイルムのフィルムシミュレーションなるフィルムを忠実に再現した色味には 本当に感動している。
今まで知らなかった世界をどんどん知りたくなる 改めて撮ってて楽しいカメラだと 我ながらのレビューで〆とします♪
Posted at 2022/07/19 20:09:21 | |
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