2009年05月08日
舘ひろしCOOLS時代からソロ、俳優への生い立ち!!^^
結成(バイクチーム「クールス」)
↑この語ってるお兄さん岩城 滉一だよ^^
東京原宿において1974年12月、舘ひろしをリーダー(チーム内での呼称は「ボス」。
ただし水口晴幸のみ「大将」と呼んでいた)に、
岩城滉一(同じく、チーム内での呼称は「コーちゃん」)を
サブリーダーに結成されたモーターサイクルチーム(暴走族)が原点。
「暴走族」とはいっても、日本のいわゆる暴走族のように特攻服や竹やりマフラーではなく
アメリカの「ヘルズ・エンジェルス」を手本としたお洒落とかっこよさを追求したチームであった。
その事は当時リーダーの舘ひろしが語った
「どうすればかっこよくなれるか、それだけしか考えていなかった。」という言葉にも
表れている(とはいっても不良集団だった事には変わりない)。
結成に際して「このチームはリーダー(舘ひろし)の独裁により運営される」という
血判状を作成したという。
今でこそクールスといえばハーレーダビッドソンというイメージがあるが、
当時は国産車も多かった(事実、舘ひろしはカワサキのZⅡに乗っていた)。
チーム結成当時の人数は21人で、全員リーゼント・黒の革ジャン・黒のジーンズまたは
ブルージーンズ・黒のオートバイで統一される
(「黒」にこだわったのは、舘ひろしが学生時代に、ラグビー部の主将をしていて、チーム「オールブラックス」が好きだったから)。
矢沢永吉率いる「キャロル」の解散コンサートでは親衛隊をつとめ
(キャロルの解散コンサートを収録したDVDにはバイクチーム時代のクールスの走行場面が
映っており、また、岩城滉一がキャロルとの思い出を語ったり、
舘ひろしがキャロルメンバーにインタビューする場面等が収録されている。)
一躍脚光を浴びた。
(キャロルよりクールスを観ていたという客がいたほど当時は芸能人ではなかったにも
かかわらず、注目されていた)。
そのため、「クールスはキャロルの弟分バンド」と見る人もいるが、決してそうではない。
確かにメンバー個々の交友や接触はあったが、両者は対等な関係であり、
また当時はあくまでロックバンドとそれを支持するバイクチームの関係であった。
よって「クールスはキャロルの弟分バンド」「矢沢永吉は舘ひろしの兄貴分」という意見は
間違いである。またその後のクールスの音楽性もキャロルとは違うものである。
舘ひろし(ボーカル/ボス)
水口晴幸(ボーカル/ピッピ)
村山一海(ボーカル/ムラ)
ジェームス藤木(リードギター/ジェームス)
飯田和男(サイドギター/フランク)
大久保喜市(ベースギター/キイチ)
佐藤秀光(ドラム/ヒデミツ)
梅村光男(ギター/社長) ※結成後、すぐに脱退した
舘ひろしと、岩城滉一の出会い
飲食店で食事をしていた岩城滉一に舘ひろしが歩み寄り、
身構えた岩城に「あのバイク、君の?」と話しかけ、バイクの話題で意気投合する。
(現在は「舘ひろし=大型バイク」のイメージがあるが、
当時、舘ひろしはバイクの免許を持っておらず、岩城滉一に勧められ、
岩城のバイクに二人乗りして教習所に通ったと言う。
舘=ハーレーのイメージがあるけど↑コレを知っちゃうと・・・
以外とダサイよね~^^
現在 クールス
クールスは30年の時を経てなお、村山、佐藤、ジェームスを中心に活動中である
(最近は濱野もライブに参加しており、結成時のメンバーでもあることから
メンバーと同格として活動しているようである)。
30年以上の長い歴史で若干あいまいになった点もあるが、
現在のクールスの正式メンバーはあくまでも村山一海.佐藤秀光.ジェームス藤木の3人であり
(30周年記念のライブDVDでもコメントしているのは3人である)、
ライブでは濱野和男、後藤直樹、和田ジョージ(ギター)の3人が参加しているようである。
以前のような大会場でのライブは無くなったが、
現在もライブハウスや地方の会場で積極的に活動中である
↑やっぱり歌い方って変わらないんすネ~♪^^
長~い記事を最後まで見てくれてアリガト(*≧∀≦)(≧∀≦*)ネ~♪
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Posted at
2009/05/08 13:34:56
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