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ソランのブログ一覧

2009年09月07日 イイね!

「フェアレディZの父」ファン祝う

「フェアレディZの父」ファン祝う今回は長く語るよぉ~♪(^0^)V

最後まで付いて来れなかったら・・・(><)

悲しいけど構いません(^0^)

興味が有れば最後までヨロシクです(*≧∀≦)(≧∀≦*)♪


日産のスポーツカー「フェアレディZ」の生みの親で静岡県浜松市天竜区春野町出身の片山豊さん(東京都)の

100歳を祝うイベント「K’z meeting2009HAMAMATSU」が6日同市西区村櫛町の浜名湖ガーデンパークで開かれた。

片山さんは1909年9月15日生まれ。1952年にフェアレディの源流となる「ダットサン・スポーツDC―3」を開発。

60年代には米国日産の初代社長を務め、北米市場でのさらなる販路拡大のため、初代Zの開発を主導。

日米で100万台以上を販売し、「Zの父」などと呼ばれ、日米で自動車殿堂入りしている。


車いすで登壇した片山さんは「スポーツカーは常に自動車界の花形であり、技術をリードしていた。

電気自動車が普及してもスポーツカーは存在しうる。車を楽しむことを忘れないで」と話し花束やプレゼントを受け取った。

この日は全国からZのファンら約700人が愛車で駆け付け、片山さんを祝福。片山さんにサインや記念撮影を求めた。


ちなみにダットサン・スポーツDC―3のスペックは・・・^^

エンジン



種 類 :ガソリン 4サイクル ボディ
冷却方式 :水冷
シリンダー配置 :直列 構造 :フレーム付
気筒数 :4
バルブ形式 :SV ドア数 :2

排気量(cc) :860 ボディ形状 :オープン
最高出力(PS/rpm) :20/3600 全長(mm) :3510
最大トルク(kgm/rpm) :4.9/2000 全幅(mm) :1360
燃料供給装置 :キャブレター 全幅(mm) :1360
キャブレター数 :1 ホイールベース(mm) :2150
トレッド前後(mm) :1048/1180
過給装置 :─ 車両重量(kg) :750
乗車定員(名) :4

駆動系統 性能

エンジン搭載位置 :フロント縦置 最高速度(km/h) :80
駆動方式 :FR
変速機 :3速MT フロア

シャシー

サスペンション 前 :固定 横置半楕円リーフ
サスペンション 後 :固定 半楕円リーフ
ブレーキ 前 :ドラム
ブレーキ 後 :ドラム
ステアリング :ウォーム・セクター
タイヤ :5.50-15

と軽自動車が360ccだった頃のスペックより情けない仕様だが当時の国産かしてみれば

フェラー?ポルシェ?ランボルギーニ?だったのかもしれない(*≧∀≦)(≧∀≦*)ネ~♪


1952年 ダットサン スポーツDC-3 の誕生の生い立ち

第二次大戦後間もない1947年、ようやくGHQから乗用車生産が許可されたものの

まだ寒々しい時代にあって異色の存在だったのがこのDC-3。

戦前からの旧式な実用車シャシーに、ワイドフィールド・モーターズの太田祐一氏がデザインした、MG風の4座オープンボディを載せたもの。

当時の日産自動車宣伝課にいた片山豊氏らの強い働きかけで実現したというが、まだ日本においては時期尚早というべきだろう

わずか50台ほどが生産されたに過ぎない。

1952年1月、当時のスタンダードセダンが94万円に対しDC-3は83.5万円と、かえって安価で発売されたにもかかわらず

その大半が売れ残ってしまった、やむなくオープンボディを取り去り、トラックボディに架装し直して売られたそうだ。

後日その取り外したボディは、戦前型を含めたシャシー上に、DC-3として再び蘇ったともいう。

いまのフェアレディZに至る、ニッサン・スポーツカーの先祖といってもよい意欲作だが、

外観から想像されるスポーティーさにはほど遠い中身だったのも事実。

エンジンはサイドバルブ860cc・20psのままだし、サスペンションは前後リーフによるリジッド、ブレーキはロッド式という具合である。

1954年頃まで細々と造られたようで、数年の空白の後

1958年に誕生したFRP製ボディのダットサン・スポーツ(すぐにフェアレディへ改名)へと続く。


まだまだみんなが知ってる「Z」には程遠いよね(^0^)


3年後・・・1957年に初代フェアレデー/SPL212 が誕生♪^^



2代目ダットサン・スポーツが発表されたのは、1957年11月の自動車展示会でのことです。

FRPボディのオープン4シーターは、翌年10月の東京モーター・ショーでは生産型として発表され

1959年6月から市販に移されました。新しいダットサン・スポーツ、S211型のデビューです。


ダットサン210系セダンのシャシー、エンジンに、FRPのボディを組み合わせたS211型は

DC-3型に比べると遙かにスポーツカーらしい内容を持つものでした

OHV988ccのC型エンジンは34馬力の出力を発揮し、最高速度115km/hの性能を発揮した

デザインはDC-3型と同じく、戦前のオオタ号などで知られる太田祐一氏の手によるもので

丸味を持ったボディは2トーン・カラーに塗られていた。

S211型は、わずか20台生産されただけで、1960年1月、モデルチェンジをして、SPL212型となり

残念なことに、このSPL212型は全てが左ハンドルの輸出専用モデルで国産は無かったのです

当時、国内ではスポーツカーに対する需要がまだまだ低いことが原因だったんですね~!

型式SPLのLはLeft-Handerの意味らしい(*≧∀≦)(≧∀≦*)♪

国内販売が中止となったこのSPL211型には”フェアレディ”という、なんとも美しい名称が与えられた。

ミュージカル”My Fairlady”に由来するもので、前年渡米した日産自動車・川又克二社長の命名らしい。
当時は”フェアレデー”であったが、記念すべき、”フェアレディ”最初のモデルです。

SPL212型は、その後1960年10月にモデルチェンジをし、1962年にSP310型がデビューするまで生産された

★SP310誕生

3シーターだよ♪^^


SP310(1963年)

”フェアレディ”の名が広く知られるようになったのは、1962年10月SP310型のデビューによってである。

その前の年、1961年10月の東京モーターショーに展示された新型のダットサン・フェアレディ1500は

1年の後には早くも具体的な形となって市販化に移された

SPL210とは対照的な直線を基調としたボディデザインで形の上ではSPL213型のモデルチェンジだが

国内向けも生産され、このSP310型が実質的な”フェアレディ”の誕生だといっても良い

初期のSP310は、特徴的ともいえる3シーターで(上写真参照)

この3シーターは2回目のマイナーチェンジ(1964年)の時に廃止され、2シーターとなった。

この3シーター310は残存台数も少なく、オリジナルの3座を備えた個体は特に少なく貴重な存在だよ

知ってた?(^0^)

◆シルビア(CSP311)



1964年9月、第11回の東京モーターショーに1台の流麗なクーペが展示された。

メタリック・グリーンのボディ・カラーも美しい”彼女”は、ダットサン・クーペ1500と呼ばれ人々の熱い視線を浴びた。

彼女はSP310型のシャーシ、エンジンまわりをそっくりもらい、まさにお転婆”フェアレディ”の淑女であった。

実際、頑丈なフレームを持つフェアレディにとって、そのオープンのボディを取り去り

自由な別のボディに換装することは、それほど難しいことではなかった。

 こうして生まれたダットサン・クーペ1500は、翌1965年3月、ニッサン・シルビアの名で発売された。

このシルビアCSP311型は各部に新しい試みが盛り込まれていた。

その美しいスタイルは、ニューヨーク在住のドイツ人デザイナー、A・ゲルツを加えた日産造形課が初めて

クレイ・モデルとモック・アップの併用によってデザインしたものであった。


 機構的にも目覚ましい発展がみられエンジンは、G型を基本として、ショート・ストローク化したR型エンジンを搭載。

その他、ポルシェタイプの4段フルシンクロのミッション、ダイアフラム式を採用したクラッチ、無給油化を計った

プロペラ・シャフト、フロントのディスク・ブレーキ等々、珠玉ともいえる豪華な装備がおごられた。

手作りのセミ・カスタムは120万円(セドリックが80万円)で市場に出され

さすがに高嶺の花で、生産台数はわずか554台なってしまった。


◆SP311





1965年5月、SP310型の後継モデルSP311型が発売された。

このSP311型は、シルビアからその中身をことごとくフィードバックされ

エンジン、ミッション、クラッチ、ブレーキ等シルビアゆずりの装備を貰い、SP310型に比べSP311型は一段と進歩した性能を有し

最高速度165km/hはもう、どこに出しても決して遜色のない立派な国際レベルのスポーツカー

1960年代後半に入って1965年度5388台1966年度6125台と飛躍的にその生産実績を伸ばした

SP311型は、デビュー以来2年にして初めてのマイナー・チェンジを受けることになる。

このマイナー・チェンジと同時にフェアレディの歴史上最もエキサイティングな出来事がおきた


◆SR311(ローウインドウ)




SR311(1967年)

1967年3月15日・・・・その日は、”フェアレディ”にとって忘れ得ぬ日となった。

SP311型のマイナー・チェンジに加えて

”フェアレディ”のひとつの完成した姿ともいうべきダットサン・フェアレディ2000/SR311型の発表が行われたのである。

 910kgのボディに、新設計OHC1982cc

145馬力のU20型エンジンとポルシェタイプのフルシンクロ5段ミッションとを組み合わせたSR311型は

あらゆる点で、日本の歴史の中で最も硬派のスポーツカーらしいスポーツカーだった。

単にエンジンや動力性能の向上というだけでなく、その内外の充実ぶりは目覚ましくすべてのトータルバランスから見ても

SR311型は”フェアレディ”の完成型と言って良い

 SP時代からのレース等での健闘振りも、SRに至っては、国内では戦う敵はない、という状態にまでなってしまっていた。

それほどまでに速い車になってしまった(*≧∀≦)(≧∀≦*)♪

 サスペンションはあくまでも硬く、ソレックス2基を備えたU20型エンジンはラフで豪快

スポーツに徹したスポーツカーSR311型は、最高速205km/hの性能を誇った。


★SR311(最終型)



SR311(1969年)

1967年11月、SP311型・SR311型はそろってマイナー・チェンジを受ける。

主として、米国の自動車安全基準(M.V.S.S;Motor Vehicle Safty Standard)に照らしての安全対策の充実であった。

具体的にはヘッド・レストの新設、ドアノブの形状変更、コラプシブル・ステアリングの採用(国産車初)

ミラーの位置変更とフロント・グラスの大型化などが知られるところだが、その他にもスイッチ類や

ブレーキ・オイルの故障警告灯の設置、脱落式のルーム・ミラーなど細かい部分にまで対策が施された。

 1968年7月には、SP・SRともソフト・トップなしのハード・トップ車が発売され

11月には、ワイパー・テール・ランプ、ライセンス・ランプ・マフラー・ステアリング・ギア・ボックスなど細部にマイナー・チェンジが施され

それがSRの(オープン・フェアレディ)の最終型となった。

 1970年にはSR311型は・・・(><)

日本のスポーツカーの歴史に輝かしい1ページを書き込みその生涯を終え

フェアレディZ S30型にシフトされ・・・いよいよみんなが知ってる「Z」が誕生した訳です(^0^)





2.4㍑の240Zジーノーズオバフェン・Z432・S20搭載の怪物君(^0^)





「フェアレディZ」はこの頃の「Z」がソランは一番好きです(´艸`;)





ここまで語って何で?と思われちゃうかも知れませんが・・・・

「Z」以上に「スカイライン」の方がも~っと好きです♪^^

↑アート引越しセンター風に(きりんさんが好きです!ぞうさんの方がもっと好きです!


長々と最後までお付き合いあざ~す♪(`・д・´)ゞデシ!

たま~に超大作?を作りたくなっちゃうソランでした(*≧∀≦)(≧∀≦*)♪







Posted at 2009/09/07 22:10:46 | コメント(9) | トラックバック(0) | 長寿 | 日記

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