
機械遺産認定の「アロー号」が記念走行(^0^)V
動く国産車としては最も古い
「アロー号」を走らせるイベントが9日
保存・展示している福岡市博物館で行われた
エンジンをかけるのは20年ぶりという
アロー号は、1916(大正5)年、福岡のエンジニア故矢野倖一氏が23歳の時に完成
↑故矢野倖一氏
↑※博多の街を走るアロー号・矢野倖一運転学習研究社刊「二年生の学習」(昭和37年11月号)に掲載
今月、日本機械学会から機械遺産に認定されたことを受け、同博物館が記念走行させた。
↑快走アロー号 運転 矢野倖一(傘を差しているのはお孫さん)
手回しエンジンがなかなかかからず、集まった観衆がじっと息をのんで見守る中ようやく「ブルブルッ」と
大きな音がして排気口から白い煙が上がると、観衆からは大きな拍手が起きた
↑ハンガリーの切手にも登場(1975年)
↑矢野
ド・ディオン・ブートンの改造を踏み台にして、翌年、福岡工業を卒業し、アロー号の製作に取り掛かったらしい
大正二年(一九一三)の八月、倖一が二十歳の夏からのスタートだったらしい!
矢野
タイヤと、プラグと、マグネットだけは、外国製品に頼っていますが、そのほかは、全部工夫しての国産車です
溶接技術もまだ不十分だったので半田付(づ)けで丁寧に仕上げています。
三年の苦心の末に、やっと出来上がりましたが、どうしてもエンジンがかからない
頭を抱えましたが、ちょうど第一次世界大戦の青島(ちんたお)作戦で捕虜になったドイツ人が
福岡に収容されていて、その中にベンツの技師、ハルティン・ブッシュさんがいたのです。
陸軍の許可を得て見てもらうと、キャブレターがおかしい。上海(しゃんはい)で売っているから紹介しようとのこと。
それで倖一が上海まで行って、英国製のゼニスのキャブレターを買って来て
代金が四二円六〇銭。往復船賃が十六円だったそうです。
取り替えると、快調なエンジン音で、手作りのアロー号が走りだしました
↑アロー号のシャーシーを前に、村上義太郎翁と矢野倖一青年(大正4年)
フランス車ド・ディオン・ブートンの改造に取りかかったのが、福岡工業四年生の明治四十五年(一九一二)、十九歳。
完成が同年、(大正元年)暮れの十二月(明治四十五年七月三十日、大正に改元)
工業学校を卒業して、アロー号に着手したのが、大正二年八月で二十歳
完成が大正五年(一九一六)八月二十四日で二十三歳
アロー号は、・四人乗りの水冷直列二気筒・一〇五四cc・一五馬力・ギアボックスは前進三段
後進一段・時速約五十キロの性能
全長二五九センチ・幅一一六センチ・重量二七二キロのコンパクトカー・・・^^
93年前の車ですよ・・・しかも23歳の矢野倖一氏が製作したらしいんですが凄くない?
Posted at 2009/08/09 20:21:42 | |
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