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とよたつ お~りすのブログ一覧

2013年09月20日 イイね!

今日の・・・とよタマ的「自動車考古学」~♪ (その⑨)(^-^)/

明日からまたまた3連休~♪(^-^)/「洗車祭り」できるかな?

はてさて、不定期営業中の「とよタマ的・自動車考古学」~♪」(^-^)/
今回もざっくりまとめて見ようかと思いますので、興味が有りましたら最後までご覧くださいましm(__)m

と・言う事で、前回の「おさらい」として↓

「企業組織になって車を作って成功した1台」として紹介した1924年(大正13年)に発売された「白楊社のオートモ号」しかも「輸出国産自動車第1号」にもなった1台を紹介しました。
んで・今回は、「日本で初めて開発・運用された4輪駆動車(4WD)」についてざっくりまとめてみたいと、思います。

実は、とよタマ・・・↓

4輪駆動車の先駆けは、戦後アメリカの「ウィリスオーバーランド社」製ジープを「中日本重工業(後の新三菱重工業)」がノックダウン生産を行い、防衛庁(後の防衛省)や民間向けに生産・販売したのが、「日本初」と思ってました。
が・しかし・・・色々調べると・・・アメリカが4輪駆動車を運用する以前に「日本で開発・運用されていた1台が有る」とは、知りませんでしたm(__)m
色々調べてみると・・・。

1934年(昭和9年)帝国陸軍が「不整地走行可能」な「偵察」・「伝令」・「人員輸送可能な車両開発」の検討を開始。
開発依頼を出したメーカーは、「日本内燃機(後の日産工機)」・「発動機製造(後のダイハツ)」・「豊田織機自動車部(後のトヨタ自動車)」等のメーカー。
評価の結果「日本内燃機(後の日産工機)の車両」に決定。1936年(昭和11年)から量産が開始された。
採用された車両は↓

「日本内燃機(後の日産工機)」が開発した「くろがね4輪起動車(陸軍名称・九五式小型乗用車)」アニメ「ガールズ&パンツァー」(ピックアップトラックタイプ)にも登場。

開発者は、「蒔田鉄司(まきたてつじ)」と言う人物で「白楊社のオートモ号の開発」や「戦後に活躍したオート3輪の開発」等に携わった一人。

駆動方式は、副変速機による「パートタイム」式でエンジンは、1400ccV型2気筒OHV強制空冷エンジン。満州などの「寒冷地」において強制空冷エンジンの為、「不凍液の問題が生じない」のが特徴。
量産開始後、「日中戦争」・「ノモンハン事件」・「太平洋戦争」において「偵察」・「伝令」・「人員輸送」活動に活躍し、1944年(昭和19年)までに「4800台」が生産された。

生産台数が少ない理由として、「航空兵器」・「トラック」等の生産が最優先だったのと、「国内生産能力の低さもあった」と言われている。

現在この車両は、石川県小松市の「日本自動車博物館」に常設展示。

てな感じに「ホントざっくり」ですが、まとめてみました~♪

とよタマ的に感じた事として・・・副変速機における「パートタイム4WD」がこ時代からあったのには、驚き。その後、「三菱・ジープ」・「トヨタ・ジープ」・「日産・パトロール」「ズズキ・ジムニー」・「スバル・レオーネ」等に発展し現在は、乗用車でも電子デバイスを活用して「4輪を駆動させている」流れになっているのかな?と。
この先・・・どんなシステムを使って「4輪を駆動させていくのか?」興味深々の今日この頃です。

と・言う事で今回は、「日本で初めて開発・運用された4輪駆動車(4WD)」についてについてまとめてみました。

最後まで閲覧頂き有難うございました。
次回も「興味が有りましたら」お楽しみに~♪(^-^)/

でわでわm(__)m
Posted at 2013/09/20 22:41:56 | トラックバック(0) | クルマ
2013年09月19日 イイね!

今日の・・・とよタマ的「自動車考古学」~♪ (その⑧)(^-^)/

今日で・・・「おいらの寿命が1年短くなりました」~♪しかも・・・キリ番年齢・・・(爆)
少しずつ・・・「体力」と「あっち」が低下して行くのかなぁ~(T_T;)

はてさて、不定期営業中の「とよタマ的・自動車考古学」~♪」(^-^)/
今回もざっくりまとめて見ようかと思いますので、興味が有りましたら最後までご覧くださいましm(__)m

と・言う事で、前回の「おさらい」として↓

日本で初めて作られた「国産量産型トラック第1号」の「東京瓦斯電気工業(後の日野自動車」の「TGE-A型トラック」(画像車両はレプリカ)」
「軍用自動車補助法」施工のお陰で、不平な面が有りながらも「日本の自動車産業発展のきっかけ」になった「法律」と「車両」。
これをきっかけとして、大正時代末期に「企業組織的になった車両作り」が始まった時代になったかと・・・。

んで・今回は、その先駆けとなった「企業組織になって車を作って成功した1台」についてざっくりまとめて見たいと思います。

その1台とは↓

1924年(大正13年)に発売された「白楊社のオートモ号」
そのエンジン↓

空冷直列4気筒OHVエンジンを搭載し、総排気量943cc、最高時速60キロ

この1台を製作した「白楊社」は、1912年(大正元年)に↓

「旋盤」などを製作する「工作機械メーカー」として設立。

創業者の「豊川順彌」は、1921年(大正10年)に「空冷」・「水冷」エンジンタイプの乗用車「アレス号S型(空冷)・M型(水冷)2台」の試作に成功。
その設計図↓

市販するにあたり「東京~大阪」の実走行試験を含め日本各地を周り問題点を解決。
「空冷エンジン」採用の理由として「日本にあった小型自動車は、空冷エンジンが好ましい」と言う判断で実用化。欧米でもほとんど例の無いとの事。
空冷エンジンを採用した車両が「オートモ号」と命名された。
その後、1925年(大正15年)日本で開催された自動車レースで欧米車(カーチス160馬力)や(キャデラック32馬力)を相手にオートモ号は、「9馬力」でありながらも優勝。その後もモーター雑誌主催の「東京~大阪間耐久レース」にも優勝し、その知名度が上がる。
販売広告も↓

有名女優を使ったり、走行テスト実施を行い実用性をアピールして注文が増えていった。ちなみに・・・表記されている「2586」とは、「皇紀」を表す。
この頃は、まだ「文字が右読み」だったんですねぇ~♪
そして・・・1924年(大正15年)↓

中国上海にも輸出し日本車「初の輸出自動車第1号」にもなりました。

これをきっかけとして、「白楊社」は、国内最大規模の「自動車製造工場」を建設したものの、1923年(大正14年)に「アメリカ・フォード」が日本への進出を皮切りに、1927年(昭和2年)に「ゼネラルモータス(GM)」も進出。
アメリカメーカの「製造力・宣伝力・販売力」の力に押され、他の国内メーカーが太刀打ち出来ない事もあり、残念ながら1927年(昭和2年)に、約300台を作りながらも「企業解散」となった。
その後、創業者の「豊川順彌」は、自宅に研究所を作り「自動車」・「歯車」の研究を続行しつつも、78歳で没した。

そして現在・・・「オートモ号(復元車)」は、「トヨタ博物館」に保存・展示されてます。

てな感じに「ホントざっくり」ですが、まとめてみました~♪

とよタマ的に感じた事として・・・この時代に、これだけの1台を作り上げた事には、創業者の車に対する「熱意と情熱」を感じさせられた1台だったんだなぁと(^-^)/
「300台」と生産台数は、少ないですが、「自動車メーカーとして成功した1台」でもありかつ、「企業組織としての自動車製造」の先駆けなったのでは、ないかと。
そして戦後、現在の自動車メーカーも「白楊社」の成功をベースとして現在に至っているのかな?と、まとめて見て感じました。

と・言う事で今回は、「企業組織になって車を作って成功した1台」についてまとめてみました。
これで・・・「日本初の車シリーズ」終わりかな?いいえ。まだまだありますよぉ~♪(笑)

最後まで閲覧頂き有難うございました。
次回も「興味が有りましたら」お楽しみに~♪(^-^)/

でわでわm(__)m
Posted at 2013/09/19 23:47:02 | トラックバック(0) | クルマ
2013年09月18日 イイね!

今日の・・・とよタマ的「自動車考古学」~♪ (その⑦)(^-^)/

今日も涼しく過ごしやすい一日だったオイラの活動地~♪(^-^)/
しかし・・・朝は、ちょいと寒くなってきている気が・・・(ーー;)

はてさて、不定期営業中の「とよタマ的・自動車考古学」~♪」(^-^)/
今回もざっくりまとめて見ようかと思いますので、興味が有りましたら最後までご覧くださいましm(__)m
(ホントに不定期でわ無くなってきている・・・(ーー;)ネタ切れないように注意せねば・・・)

と・言う事で、前回の「おさらい」として↓

明治40年(1907年)有栖川宮威仁親王殿下(自動車普及に尽力を尽くした宮様)が依頼して「吉田真太郎」が製作した「日本で初めて作られた国産ガソリン自動車第1号車」の「タクリー号」を紹介しました。

んで・今回は、「日本で初めて作られた量産型トラック」について、ざっくりまとめて見たいと思います。

1908年(明治41年)日本の陸軍においてフランスから「ノーム式トラック」を2台購入し、試験を開始。1911年(明治44年)までに6台購入。
それと同時期に大阪砲兵工廠にて「国産甲号トラック」を2台試作。
1917年(大正6年)のシベリア出兵で自動車の必要性を認識し「パッカード製トラックを20台」購入。
その仕様を1918年(大正7年)試作した「国産甲号トラック」をベースに「軍・民が共有出来き」それを、製造する為の「メーカー」及び「購入者」に対して補助金を国が出す「軍用自動車補助法」と言う法律が出来る。
この法律は、「有事の際、民間で使用しているトラックを徴用して運用する」為の「製造」・「購入」・「維持」と民間での「国産自動車推進の為」に制定された。
この頃の自動車メーカーでは、「軍用車両でしか需要を見いだせない」状況で「撤退するか?」・「前に進むか?」と言う、「究極の選択」を迫られていた。
そこで、名乗りの上げたメーカーは、「東京瓦斯電気工業(後の日野自動車」)」・「東京石川造船所(後のいすゞ自動車)」・「快進社(後の日産自動車の源流)」
この3社が参加し、「国産甲号トラックの規格」に合わせて完成したトラックは?↓

「東京瓦斯電気工業(後の日野自動車」の「TGE-A型トラック」(画像車両はレプリカ)」ちなみに「TGE」とは、「Tokyo Gas & Electric Inc.」のイニシャルをとったもの。
「軍用保護自動車第1号」が誕生。
この1台が、日本で初めて作られた「国産量産型トラック第1号」になります。現在、東京八王子にある「日野オートプラザ」にて展示。
ちなみに、「軍用自動車補助法」施工前の1917年(大正6年)に輸入・架装・販売して居たアメリカのリパブリックを参考に独自設計を行い完成させていたとの事。

それから4年後の1922年(大正12年)に↓

「東京石川造船所(後のいすゞ自動車)」が製作した「ウーズレーCP型トラック」が完成。
イギリスの「ウーズーレー社」と多額の資金を支払い技術提携を結び製作。
しかし・・・原価が「1万数千円(当時の金額)」に。当時の欧米車の価格が「6千円~7千円」から、このトラック・・・「ウーズレー」ならぬ「ウリズレー」と言われたとか?。
現在このトラックは、「いすゞ自動車のエントランスホール」にて実働可能状態で展示。

この「軍用自動車補助法」施工のお陰で、不平な面が有りながらも「日本の自動車産業発展のきっかけ」になった「法律」と「車両」である事が判りました。
この法律は、敗戦直後の「軍事関連法の廃止措置の一環」として廃止された。

てな感じに「ホントざっくり」ですが、まとめてみました~♪

とよタマ的に感じた事として・・・「軍用自動車補助法」と言う法律のお陰で「自動車メーカーが新規で立ち上がり」かつ、「企業組織的になった車両作り」が出来て発展しだしたのかなと・・・。
今回も大変勉強になりました~♪(^-^)/

と・言う事で今回は、国産初製造の「トラック」についてまとめてみました。
これで、国産初の「蒸気」・「ガソリン自動車」が出揃いかつ「国産トラック」も「日本の街」に走り出しましたね~♪(^-^)/
こーやってざっくりまとめると・・・「明治」・「大正」時代が「自動車の基盤作りの時代」なんだなぁーと実感しつつある今日この頃です。

最後まで閲覧頂き有難うございました。
次回も「興味が有りましたら」お楽しみに~♪(^-^)/

でわでわm(__)m
Posted at 2013/09/18 22:41:29 | トラックバック(0) | クルマ
2013年09月17日 イイね!

今日の・・・とよタマ的「自動車考古学」~♪ (その⑥)(^-^)/

今日の・・・とよタマ的「自動車考古学」~♪ (その⑥)(^-^)/←今日も「ネタ」の~(爆)

はてさて、不定期営業中の「とよタマ的・自動車考古学」~♪」(^-^)/
今回もざっくりまとめて見ようかと思いますので、興味が有りましたら最後までご覧くださいましm(__)m


と・言う事で、前回の「おさらい」として↓

1904年(明治37年)に完成した「山羽式蒸気自動車」。
「日本で初めて制作された蒸気自動車」で試運転は、成功したが、「未舗装の路面に耐え切れず破損して実用化されなかった」一台。

んで・今回は、「国産初のガソリン自動車」について、ざっくりまとめたいと思います。

明治38年(1905年)・・・↓

当時、「自動車の宮様」と言われていた「有栖川宮威仁親王殿下(自動車普及に尽力を尽くした宮様)」がフランス製ガソリン乗用車「ダラック号」を購入し日本に持ち帰る。(運転席に座っていのが、有栖川宮威仁親王殿下)
しかし、この「ダラック号」・・・日本の道では、「狭い道が多くかつ、車体が大きく不都合」と判断。
そこで、「有栖川宮威仁親王殿下」が日本の道路事情に合った自動車製作を依頼した人物が、「吉田真太郎」。
ちなみにこの「吉田真太郎」・・・ロシア公使館員からフランス製グラジェーターを譲り受け「日本人最初のオーナードライバー」になった人物(驚)

その2年後の明治40年(1907年)↓

日本初のガソリン自動車「吉田式タクリー号 1号車」
この「タクリー号」の語源は、「ガタクリ・ガタクリ走る」と言う所から。
但し、正式名称無しとの事。
エンジンスペックは、「ホリゾンタル・水冷水平対向2気筒SV(サイドバルブ)12馬力」。クラッチの無い「遊星ギヤミッションで前進2段・後退1段」。
ちなみにエンジンは、「吉田真太郎」が渡米の際に、12馬力・18馬力エンジンを購入したものを使用。製造3台目以降は、自家製に変更。最高速度16キロ。

この1台が、「日本で初めて作られた国産ガソリン自動車第1号」になります。

その後、明治41年(1908年)末までに、11台製作されたが、「自動車購入者の欧米者崇拝志向」が高まり売れなくなり販売終了となってしました。

この時期に警視庁管轄内自動車総数は、「46台」製造国別で見ると、「フランス製18台(内13台がトラック)」・「英国製12台」・「アメリカ製4台」・「イタリア・ドイツ製各2台」・「国産吉田式8台」と、国産吉田式も人気のあった1台だったようです。

ちなみに、この「タクリー号」・・・そのレプリカが、東京都国立市谷保にある「谷保天満宮(交通安全発祥の地でもあり、日本初のドライブツアーの目的地)」に保存してあるようです?(某・番組の(〇ヤ〇ヤ)で紹介されてた気が・・・)。

てな感じに「ホントざっくり」ですが、まとめてみました~♪

とよタマ的に感じた事として・・・この「タクリー号」全て手造りで造り上げられたには、驚き。しかも、「有栖川宮威仁親王殿下(皇族)」が依頼主(驚)
自動車普及させる為に、この時代の「皇族(依頼)」・「技術者(開発)」・「実業家(出資)」が尽力を尽くしココまで造り上げてきたんだなぁーと。
とよタマ的に、大変勉強になりました~♪(^-^)/

と・言う事で今回は、国産初製造の「ガソリン自動車」についてまとめてみました。
これで、国産初の「蒸気」・「ガソリン自動車」が出揃い「日本の街」に走り出しましたね~♪(^-^)/

最後まで閲覧頂き有難うございました。
次回も「興味が有りましたら」お楽しみに~♪(^-^)/

でわでわm(__)m

Posted at 2013/09/17 23:44:09 | トラックバック(0) | クルマ
2013年09月16日 イイね!

今日の・・・とよタマ的「自動車考古学」~♪ (その⑤)(^-^)/

今日の・・・とよタマ的「自動車考古学」~♪ (その⑤)(^-^)/←今日も「ネタ」の~(爆)になるのかな?




はてさて、不定期営業中の「とよタマ的・自動車考古学」~♪」(^-^)/
今回もざっくりまとめて見ようかと思いますので、興味が有りましたら最後までご覧くださいましm(__)m (ココ来て不定期でわ無くなってきている気が・・・(ーー;))

と・言う事で、前回の「おさらい」として↓

フランスのド・ヂヨン・ブトン社製「クレメント」と言う、ガソリン商用自動車。
1903年(明治36年)に日本で2番目に輸入自動車代理店として設立した「モーター商会」が日本に輸入し、「三井呉服店(後の三越)」が購入。
この「トラック」が日本で初めて走ったと言われている一台。

これで、「乗用車」・「商業車」(海外製)であるが、日本の街を走り始めした事になります。
そこで今回は、国産初製造の「車」について、ざっくりまとめて見たいと思います。

1903年(明治36年)この頃、大阪で「第5回内国勧業博覧会」が開催。
この時代・・・日本では、まだ10台前後しか車が走ってなかった状況。
「内国勧業博覧会を見物する人達」に対して、輸入自動車による「乗合自動車営業」を申請する方が出始めていた。
しかし・・・輸入自動車は、高価な品物。輸入車を使ってのでの乗合自動車は、
これ↓

1903年(明治36年)仮営業を開始した「京都市内乗合自動車会社」の乗合自動車。
二人乗り蒸気自動車を改造して運用。
残念ながら・・・「資本不足・社会情勢」もあって1年足らずで廃業。

そこで、「国産化を目指そうそう」と制作を依頼。依頼を受け制作した人物は、岡山県に住む海軍出身の技術者「山羽虎夫」。
蒸気自動車の利点を教えて貰い制作して完成した車両が↓

1904年(明治37年)に完成した「山羽式蒸気自動車」。
これが、「日本で初めて制作された自動車」になります。
しかし・・・試運転は、成功したもののゴムタイヤが、「未舗装の路面に耐え切れず破損して実用化されなかった」一台。しかも現物は、残っていない。
てな感じに「ホントざっくり」ですが、まとめてみました~♪

とよタマ的に感じた事として・・・当時精密な工作機械「旋盤」などの機械が少ない中、しかも「個人」で制作して「実用化したと」言う事で、当時の日本人は、ホントすごい!それと、「乗合自動車」が現在の「バス事業」になるのかな?と・・・。
ざっくりまとめて感じた今日この頃です。

と・言う事で今回は、国産初製造の「車(蒸気自動車)」についてまとめてみました。

最後まで閲覧頂き有難うございました。
次回も「興味が有りましたら」お楽しみに~♪(^-^)/

でわでわm(__)m


Posted at 2013/09/16 15:27:06 | トラックバック(0) | クルマ

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