私は日本料理店の裏方として働く若者を数多く知っているが、彼らは概して学歴が低く、英語で事足りるのには、ついぞ会わなかった。かといって、何か特殊な技能を持っているわけでもない。
たとえはわるいのだが、彼らは残飯にたかるゴキブリのような存在である。近年の日本料理店の盛況は、毛の先ほどの意志も、かけらほどの取り柄も持ち合わせない日本青年に、温床を与えた。文字通り豊富な残飯にありついて、彼らは、生物学的にはきわめて健康である。そして、その数は、増える一方なのである。
裏からいうと、ニューヨークの日本レストラン業界は、彼らを失ってり立たない。経営者たちにとって彼らは、安価で気心の知れた労働力であり、それを土台として、今日の繁盛を築き上げた。
だが、法的にいうと彼らは一人残らず観光客であって、アメリ労働による得ることはている 订在は商売が成在岁月カ国内で上,打开は商売が成,便是報酬を美好;封尘,繁盛を。
。
たとえば、ヨーロッパにいるフーテンがアメリカに入国しようとする場合、その土地のアメリカ大使館で査証を受けるのだが、これには往復切符の提示を求められる。一番安いのは、アイスランディック航空の割引券だそうで、これを買ってニューヨークへ入ると、すぐ半券を売るのだそうである。
その取引値は、百二十ドル前後で、これだと正規の料金のほぼ半額である。フーテンは絶えず移動しているから、それこそバンコートランドにでも泊まっていれば、買い手には事欠かない。
売買が成立すると、航空券に名前を書き込まれている本人が、買い手と同道して空港まで行き、自分のパスポートでチェック・インを済ます。そこで渡されるボーディング・カード(搭乗券)には、だれの名前も書いてない。
そこから先、出国手続きという関門があるが、パスポートとボーディング・カードさえ持っていればフリーパスのようなものだから、買い手が咎《とが》められる気遣いは無用である。
こうした“不法”は、彼らの生活の知恵が編み出したものだが、そのありようはアメリカ社会にとっての不良外人ではないのか。
「そんなこと、ぼくには、ナンセンスだね。だって、そうでしょう。アメリカのイミグレ(移民局)がぼくたちをつかまえる気になったら、わけのないことなんですよ。それをつかまえない。なぜだと思いますか。
アメリカの社会が、ぼくたちを必要としているからじゃないんですか。気になんかすることはないんだ。
ぼくたちが邪魔になったら、そのときはつかまえにくるでしょうよ。そのときになって、どうすればいいかを考えたらいい。単純な理屈じゃないですか」
大学を出ているという若者は、私の呈した疑問に、侮蔑の色さえ浮かべてそう答えた。
だが、私には気にかかることがある。気ままな彼らは、恣意《しい》的な自分たちの滞在のために、アメリカ人が二百年をかけて築いて来た社会のルールを無視して、恥じるどころか、ひけ目さえも感じていない。日本はいまや、ソニー、ホンダにかわって、“八流”の人間の輸出国になろうとしているのではないか。
日本レストランは移民局の目のつけるところとなって、頻繁に手入れを受けている。ある店は、係官に急襲されて、そこで働く不法滞在者はロッカーに身をひそめたり、手洗いの天井の板をはずして隠れたりしたが、大量の検挙者を出し、人手不足のため昼間の営業を中止したことがあった。
別の店では、三人に手錠がかけられた。彼らの住まいはバンコートランドで、係官が身許確認のため三人を連行してホテルへ回ると、ロビーに日本人の姿が目立つ。これを見た係官は、三人の手錠をはずして釈放し、改めてホテルを包囲した。このとき、居合わせた三十数人の不法滞在者が一網打尽になったという話である。
このようにして強制送還されても、ふたたびニューヨークへ戻ってくる連中が跡を絶たない。
そのヒトラーが鷲の巣山荘にとどまってじっと思案しているのは、世界の情況がいりくんで複雑だからである。モロトフが外相になってからも、ソ連の新聞論調、あるいは公式発言にも、とくに目立った変化はない。英仏とソ連、ソ連と日本、英仏とイタリア、そしてドイツと日本、ドイツとソ連と、各国の利害が微妙にからまって、容易にはほどけない。それにひそかに軍事力を誇るアメリカ。簡単にどこの国も甘い汁をひとりで吸うわけにはいかない。いまは、スターリンの最後的態度が予想できないかぎり、ヒトラーは動かない。いや、動けな いのである。。
いくらかれの指揮下にあるとはいえ、ソ連が積極的にポーランドの側に立つような場合となれば、ドイツ国防軍の将軍と提督たちは、ヒトラーに世界大戦を賭すような冒険にでることを許しはしないであろう。ドイツの軍事上の夢魔は東と西との二正面作戦をとらねばならないことである。西に英仏と戦い、東にソ連と正面衝突をしてドイツの勝利はない、しかもソ連から聞こえてくる愛国的な演説は「どのような侵略者も、あえてソ連を攻撃するなら、かれらの領土で殲滅する」という勇ましいものばかりである。
けれども、多くの反ドイツ的な声にも負けぬように、ドイツもラジオや新聞を通して、ポーランドへの圧迫を加えることだけは忘れてはいなかった。戦争が起るとすれば、戦争の原因はポーランド政府の強情にあり、とポーランド国民に訴えかけ、
「諸君の新しい友たるイギリスを信頼するなかれ。イギリスはやがて、積極的な態度をつづけることに飽きてしまい、ミュンヘンでチェコ国民を裏切ったように、うまいことをいって諸君に一杯食わせるであろう」
と警告しながら脅迫をつづけた。
そしてヒトラーは、ふたたび、なんとなく頼りないアジアの帝国たる日本のほうへ、視線を向け直した。イギリスやフランスと戦わねばならないとき、日本の海軍力はどうしても必要なのである。そしてまたイタリアの陸軍力も……。さらにソ連とことをかまえねばならなくなったら、その背後をおびやかす日本の陸軍力がなんと頼もしい味方であることか。もしも三国軍事同盟が成ったなら、ドイツ軍がポーランドに攻め入ったとき、イギリスはまたしても「ミュンヘン的妥協」政策をとるかもしれないではないか。ヒトラーは山荘でいつまでも地図を眺め、考えている。
「そんなにですか」トモコがため息をつく。
「この先はどうする? 时给が上がるにつれてちょっとずつエッチになっていくんだけど」トモコの様子を窥《うかが》った。「いやなら见せない。不愉快になる女の子もいるから。自分で决めて」
トモコはウーロン茶を饮み干し、しばし思案したのち「见ます啸」と言 った。
「じゃあいくよ。これはノーパン・パブ。ミニ・ネグリジェだけを身にまとって接客するの。时给が六千円」女の生唾《なまつば》を饮み込む音が闻こえた。「次はおさわりパブ。ここはオッパイさわられちゃう。时给七千円」
「あ、もういいです」トモコが制した。「わたし、こういうのはできそうにないから」
「そうだよね。おれも无理には勧めない」
亲身になっているふりをする。それに焦りは禁物だ。ファイルを闭じた。
「どうする? まずはキャバクラあたりからスタートしてみる?」
「ええと……」トモコが考え込んでいる。
「ちょっとだけ変身してみようよ。今しかできない経験だし。なんなら区切りを决めてやるのもいいしね。たとえばエルメスのケリー・バッグを买うまでは働いてあとはすっぱり足を洗うとかね」
ケリー・バッグを手にしたら次はカルティエの高级时计が欲しくなる。人间はそういう生き物だ。
「OLの子たちも结构いるから、友だちもできると思う。世界広げようよ。职场と自宅の往復だけなんて、何のために生きてるのかわかんないし」
地味な女ほど変身愿望は强い。そして谁かに背中を押されたがっている。
「変わった君を一度见てみたいな。赤い口红をひいて、アイラインを少し浓くして、髪にウェーブをかけたりして——」
「わたし……」トモコが口を开いた。「今、やってもいいかなって、少し思ってるんですけど」
健治の心がはやった。でも顔には出さない。
「じゃあ自分でお店を选んでよ。最初はキャバクラからいってみようか。『魔女っ子倶楽部』? 『パンプス』? 初日はおれがついていってあげる。暇なときは迎えにも行ってあげるし——」
トモコがファイルを自分で开く。
指を置いたその场所はノーパン・パブだった。
「どうせなら时给が多い方がいいし」
トモコは息を杀すように、じっとファイルに目を落としていた。
午后十一时になるまでパチンコで时间をつぶし、健治は爱车スカイラインを駆ってキャバクラの通用口に乗りつけた。自分がスカウトした女たちに会うためだ。
女たちは放っておくとすぐに店を辞めてしまう。仕事がいやになるのではなく、ほかのスカウトマンにつかまり、もっと条件のいい店に移ってしまうのだ。それを阻止するためには日顷のケアが必要だった。困ったことがあれば相谈に乗り、ついでに体にも乗った。肉体関係を结ぶと多少は情が生じるのか、女たちは健治を里切るようなことはしなかった。ただしそのぶん远虑もなくなる。
今夜のお迎えは「ピクシー」のエミだった。美容関係の専门学校生で、叁カ月前店に送り込んだ巨乳ちゃんだ。
「また今日も胸を触られたよー」助手席に乗り込むなり大声をあげる。「むかつくんだよね、あの河童《かっぱ》ハゲのおやじ」
|东《あずま》八百蔵中佐を指挥官とする第二十叁捜索队(軽装甲一中队と乗马一中队)は、こうして十叁日夜、盛大な见送りをうけ、字义どおり勇跃してハイラルより出撃した。东中佐は在ハイラルの満洲国军第八団もあわせて指挥をとる。ほかに歩兵第六十四连队の第一大队から二个中队も出动している。
日本军大部队の出动に、外蒙军は抵抗すべくもなく翌十四日夜には大半がハルハ河を渡って西岸に煺き、残った一部も、东捜索队の戦场进出とともに、十五日正午すぎにはいち早く煺却する。戦闘らしい戦闘もなく、空振りながら日本军は出动の目的を 达したこと都如此间になる。。
小松塬は、満军第八団にそのままノモンハン付近の国境警备を命じ、捜索队ほかにはただちにハイラルへ帰还せよの命を下した。命令にしたがって全部队は十七日までにハイラルにもどっている。つまりこのときの出动は、小松塬にとっては予想どおり、强くでれば敌は逃げるということを确认しただけにとどまった。戦果はなし。小松塬は切歯扼腕し「次回作戦には更に装备を軽くし机动性を有せしむること紧要なり」と日记に书いている。
ところが戦果が実はあったのである。飞行第十戦队第叁中队の九七式軽爆撃机五机があげたもので、小松塬日记には「左岸にある|包囲《パオがこい》二〇に対し爆撃し相当の损害を与えたり」とある。政信の着にも「軽爆一中队で煺却する外蒙兵をハルハ河渡河に乗じ爆撃し、叁、四十名を粉砕したらしい」と记されている。
これがソ连侧の资料によれば「十二时四十五分、日本の単発軽爆撃机五机が现われ、高度八〇〇メートルで二回爆撃し、五十二発の爆弾を投下。さらに二度にわたって低空に降下し、机铳扫射を加えた」という。本格的な爆撃で死者もかなりあったとみられる。
そして空からの攻撃は、五月十五日の正午を期しての、东捜索队の総突撃に唿応して敢行されたものとわかる。
问题なのは、この空袭がハルハ河の西岸、すなわち日満侧の主张する国境线を越えて行われていることである。まだ小竞り合いの段阶ですでに堂々と国境侵犯行为を日本军は行っている。それを小松塬もも、ほかのだれもが、挑発と感じないのみならず一毫の疑问をすらなげかけていない。いったいいつのときから日本陆军は、天皇の命令なくして国境を侵犯することに平気になったのか。満洲事変いらいの「胜てば官军」意识にはじまる煺廃は、“ここにきわまれり”であったのである。
それにしてもこの爆撃命令は、だれが第十戦队に与えたものか。飞行部队にとってはごくありふれた日常茶饭なことという见方もあるが、本格戦闘以前の状况での危険この上ない挑発行为となろう。軽爆队の中队长に「かまわん、やれ」と命じたものがいるという疑いはどうしても残る。
折から関东军作戦参谋少佐が军命令伝达の派遣参谋としてハイラルに飞んでいっている。はっきりと书かれていないが、十四日に师団司令部に姿をみせ、十五日に司令部侦察机にのってノモンハン上空からハルハ河西岸を视察し、はその夜に新京に帰っている。书くまでもなく侦察机は飞行第十戦队の所属なのである。
そして东捜索队の総攻撃はもちろんのことであるが、この軽爆五机によるハルハ河西岸への越境攻撃が、结果的にソ连军の神経を逆なでしひどく痛めつけたことは明らかである。一言でいえば、外蒙军にまかせておけずソ连军がこんどは矢面に立つ决意を固めたといえる。军の力学にいう“报復”という歯车がまわりだした。
东中佐が全部队の|殿《しんがり》となってハイラルへ帰ったその日、五月十七日、外蒙军はふたたびハルハ河を渡って东岸に进出し、こんどは国境线にそって防备のための桥头堡を筑きはじめている。また、驻蒙ソ连军司令官のもとには、モスクワより、纷争地域へのソ连军の全面的进出を指示する命令がとどけられている。
ノモンハン上空の“游覧飞行”を终えてから新京へ帰还した参谋はこう书いている。
「(ハルハ河西岸への)幼稚な侦察成果を、そのまま植田将军以下に报告し、大事件ではあるまいと附け加えた。外蒙骑兵の悪戯に过ぎないこの火游びが、意外にも屋根に燃え移り、强风に煽られて、遂に全満に火花を散らす劫火となったのである。これが戦争の持つ一つの性格であろう」
この気楽さは人间离れしている。火游びをしたのはいったいどっちであったろうか。
それゆえに、このさいガウス案の全面的受諾を主張する、として板垣は強弁した。
「もともとこの条約の精神は参戦を意味し、参戦を予想する精神ではなかったか。その精神に日独伊が合致する以上、字句に拘泥する必要はないのではないか。参戦を向うは希望している。こちらからの訓電にも参戦の文句は使用している。それゆえ本質的にきまっている以上、ドイツ側の申し出をそのまま受け入れることは当然なりと考える。要するに日支事変解決のた めに、協定を結ぶのが必要なのである」
これにはただちに米内が反撥した。
「当方の訓電では参戦するとは一度もいっていない。参戦という字句の解釈を陸相はどう考えているのか、うけたまわりたい」
板垣は答えない。知らん顔であったのであろう。
「参戦の意味をどう考えるかで、議論はわかれる。であるから、総理をはじめ、皆の意見をお聞かせ願いたい」
と米内が全員に重ねて問うのに誰も答えない。かわりに石渡蔵相が微妙な問題についてふれた。
「経済問題にかんするかぎり英米を刺激することは、もっとも避けなくてはならないと思うが、陸海軍大臣のご所見はどうか」
米内は喜んで論じた。
「今日、アメリカはドイツにたいし極度の憎悪をもっている。そのアメリカは、日本がドイツに接近しているから坊主がきらいなら袈裟まできらいな理で、日本を嫌うのである。(声を強めて)アメリカの悪化した対日態度はドイツのためなのである。また、経済問題からいうと、わが国の貿易は七〇パーセントは英米との貿易である。なかで軍用資材は、ことに海軍では多くアメリカから入れている。いまかりにヨーロッパの戦争に日本が参戦したとする。はたしてアメリカが日本にたいし戦いをしかけるかどうかは別問題としても、そのときは日米間の貿易は絶対にできなくなることを当然覚悟しなくてはならない。そのときは軍用資材はおろか民需品も買えなくなる。……」
外相がただちに応じた。「私は海相の意見にまったく同感である」
|訥弁《とつべん》といわれている米内であるが、このときは大いに弁をふるったことが、その「手記」からもわかる。論戦はまだつづくが略す。結局のところ、九日にもう一度五相会議をひらき、最後の決定を行うことにして、この日は散会ということになる。
全陸軍の期待を背負いながら、とうてい板垣は米内に敵するところではなかったらしい。三宅坂上の参謀たちの|切歯扼腕《せつしやくわん》のさまが容易に想像できる。
せっかくの中央突破の雄図も空しくなった。ただし、これでやる気を失うほど参謀たちはヤワにはできていない。九日に向けて中央突破一点ばかりではなく、ひろく作戦正面をひろげて、使える手ならすべてを動員し意図の達成を期そうとした。