
「《テ》平成17年4月1日廃止の600V線区…①」では岐阜市内線・揖斐線をお伝えした。
ここでは田神線・美濃町線についてのレポブログ。
(鉄ネタ注意)
岐阜市内線・揖斐線とは徹明町
(てつめいちょう)でしっかり線路が繋がっており、岐阜市内線・揖斐線の車両の車庫も田神線の市ノ坪であるが、車両運用は完全に分断されていた事が特徴だ。
田神線・美濃町線(競輪場前~関)はほぼ名鉄岐阜からの直通電車が運行されており、それに使用されるのは1500V区間の各務原線
(かがみがはらせん)の名鉄岐阜~田神のたった一駅を走行するために複電圧車モ600形・モ870形・モ880形・モ800形が使用されていた。
それ以外の美濃町線徹明町~競輪場前の運行車両は晩年モ590形のみとなっていた。
徹明町~野一色
(のいしき)・日野橋は「続行運転」という運行体系をとっていたのも特徴。
名鉄岐阜を発車した関または新関ゆき電車が競輪場前に来る時刻にあわせて徹明町を発車した野一色または日野橋ゆき電車が競輪場前に到着。岐阜発は徹明町発の前を行き、信号が変わると徹明町発が続行して来る。言わば競輪場前~野一色・日野橋間は併合列車的な感覚で運転される。
モ600形は車番によって台車が異なっていたが、形態はほぼ同じかな...
大正~戦後間もない頃までは基礎的な設計であるイコライザー式の板バネ台車(リーフスプリング)。
なもので、愛らしいスタイルに相反して乗れば激しい轟音とギクシャクドタバタした乗り味だった。
屋根上にあるのは冷房装置ではなく、床下に艤装できない1500V区間の架線電圧用抵抗器である。
600形は最後まで非冷房車のまま活躍した。
名鉄岐阜~市ノ坪までは鉄道に分類される路線。市ノ坪~競輪場前間に鉄軌道分界点が設けてあり、一旦停車後に道路信号に従って併用軌道へと電車が乗り入れる。
モ600形は美濃町線の新岐阜駅(現:名鉄岐阜)乗り入れに伴い、昭和45年に旧型車両の台車・モーターを流用し、600/1500V複電圧機能を搭載した電車で、本線の急行車に倣った転換クロスシートを装備して大正期の電車ばかりの美濃町線近代化に華を添えた名車。昭和46年に鉄道友の会からローレル賞を受賞している。
同線廃止後は先に廃止された美濃(みの)駅跡にモ601が静態保存されている。
写真のモ606はワンマン化改造されていたためモ601~605が廃車後も予備車として活躍。しかし廃止後に残念ながら市ノ坪にある岐阜工場構内にて惜しまれつつも解体されてしまった。
ちょうど上の写真の地点(北一色~野一色間の軌道・道路境界地点)にある架線柱には名鉄社員(美濃町線の乗務員か?)が製作したものであろう「啓発」標識があった。
↓がそうだ。
この看板を優先して撮ったため、続行運転のモ590形は「現役美濃町線とこの標識」であるアピール写真となってしまった^^
従ってこの場所でのモ590形の撮影は下のような構図になった。
美濃町線は何も片寄って敷設された併用軌道(道路上)・新設軌道(道路脇)ばかりが魅力ではなく、こうした専用軌道(電車専用の新設軌道)における民家と民家の間をぬってゆく所にもしっかりとした風情がある。
モ590形は昭和32年に登場。元は岐阜市内線に使われたが、後に美濃町線用に小改造して長らく使われた。同線廃止後は591・592が土佐電気鉄道に名鉄色のまま譲渡され、旧塗装になった非冷房車の593は旧美濃駅で車体のみ保存されている(台車は岐阜市内線570形のものに振り替えた)。
美濃町線は併用軌道・専用軌道・新設軌道(道路と併走して脇に専用線路を設ける方式)の三種類の線路を行く珍しい路線でもあった。
野一色駅は関方面ホームが市道と一体になっている珍しい光景であった。
美濃町線に新風を吹き込んだ異端児・モ870形は遥々札幌市電からやって来たどさん子電車(製造は横浜の東急車輛だが…)。近代的且つ欧州スタイルが好感持てるが、足回りは吊掛式である。そのモーターサウンドは心地良いくらい轟音を奏でた。
名鉄が導入したのは昭和51年。何ゆえこんな比較的新しい電車を名鉄に譲渡したという経緯は当時札幌市電は路線縮小でA830形は輸送力過剰となり、新しい電車をむざむざ解体するのは惜しいという札幌側と、美濃町線の輸送効率向上と大正~昭和初期の電車の老朽化で一挙に車輌を交換したい名鉄側の利害が一致したからとの事だ。
名鉄入りの際固定窓だった側窓を開閉タイプに改造を行った。
870形は札幌時代昭和41年にローレル賞を受賞しているが、奇遇にもモ600形も後年受賞しており、美濃町線には結果ローレル賞の受賞車が二種類となった。
以来870形は美濃町線の花形として活躍してきたが非冷房のまま長く使われた。夏季は厳しい暑さに見舞われる岐阜。平成に入ってようやく冷房改造された。平成12年には待望の新岐阜乗り入れのため複電圧車改造が実施された。ただし1500V区間では冷房装置が使用できない。
LRT(低床式電車)による軌道線新構想が全国的に持ち上げられている昨今、この870形のような車種が比較検討に持ち入れられてはいたものの、当の870形は特殊な連接構造に加え吊掛式モーター・高車齢とあってか美濃町線廃止後はどこの社局からも譲渡オファーは現れず、残念ながら旧美濃駅に先頭部だけのカットボディー保存を除き全車解体された。ワテは一編成くらい札幌へ里帰りするものかと思っていた...
870形の導入は名鉄にとっても今後の美濃町線用車両への影響は大きいものだったはずだ。
昭和55年に600V線区初のTDカルダン駆動による高性能車が登場。モ880形である。従来モ600形が専業していた複電圧新岐阜乗り入れに、この形式も対応して登場した。年々下降気味の利用客へのサービス向上が叶った。ただし当時の世情でこの時点では非冷房車で登場。冷房化は平成に入ってからと、やや遅め。
パノラマカー7000系にも通じる独特の東洋電機TDカルダンモーターサウンドは軽快だ。
美濃町線廃止後は全車が名鉄傍系の福井鉄道へ譲渡され、同社の880形として元揖斐線770形と共に活躍している。
美濃町線名物の片寄せ併用軌道。上芥見の駅舎は線路とは反対側の対面にある。数台の自転車が置けるスペースと簡易な待合所があるのみで、ホームは対面の道の端に一段高くなって存在していた。
先行廃止区間である関~美濃間はこのようなヘロヘロした軌道が延々続いていた。都市部での軌道線は全国数あれど、このような郊外の閑散部で併用軌道というのは四国の土佐電鉄くらいのものか?
様々な顔を持ち合わせる美濃町線。やがて最新鋭電車3両が導入された。
美濃町線の更なる近代化を構想して、LRTの要素などの試験的な意味合いを兼ねたモ800形が製造されたのは平成12年。部分廃止後の事である。
IGBT-VVVFインバータ制御、シングルアーム式パンタグラフ、回生ブレーキを装備など新機軸を満載。傍系の福井鉄道に貸し出されるなど意欲満々な電車であった。
平成13年に鉄道友の会ローレル賞を受賞している。
こんな最新鋭を登場させておきながら、平成17年3月31日をもって名鉄600V線区である美濃町線・田神線・岐阜市内線・揖斐線は全線に渡って廃止されてしまった。
たったの5年間の短い名鉄生涯であった。
廃止後800形は傍系の豊橋鉄道に801、福井鉄道に802・803が譲渡されて活躍している。
廃止前は普段乗り入れる事がない揖斐線にも600形や800形が運転され、反対にモ510形が美濃町線で運転されるなど珍しい光景が目に出来たが(実際にワテは見るはずも無く…)、それは今でも存在していてそんなイベント運転があって欲しかった…
丸窓電車のモ510形はワテが行った時に不動状態だったのは、単純に沿線の集客混乱を回避する為に稼動しなかった事を聞き、非常に残念な思いをしました。
ワテの廃止され行く鉄道追いかけは決して終わる事が無い・・・
ブログ一覧 |
鉄分の想い出(レポート形式) | 趣味
Posted at
2009/06/11 20:09:24