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ワテのブログ一覧

2012年04月09日 イイね!

【鉄】平成24年3月旅行記① JR東海 371系 「あさぎり」「ホームライナー」乗車記

【鉄】平成24年3月旅行記① JR東海 371系 「あさぎり」「ホームライナー」乗車記3月5日
「あさぎり7号」で新宿(小田急)~沼津(JR東海)間を乗車。
沼津到着後は「ホームライナー浜松5号」に変身する為、車内整備で誰もが一旦下車させられる。



ヘッドマークは「あさぎり」。

371系に限らず、JR東海の特急型車両の非貫通型先頭車はヘッドマークが小さくて見難い。もっとも近年のJR特急型はヘッドマーク自体を廃している形式が多くなった。

反対ホームに回って撮る。

ヘッドマークは「ホームライナー浜松」に変わっている。
小田急線内で見慣れてる371系がJR(国鉄)っぽいホームに停車している姿はワテ的に些か変わった光景に見える。

沼津を20時00分に発車し、浜松には21時37分に到着。
ワテは1号車の二列目に座席を確保。
いい疾走ぶりを披露する列車で、結構な乗車時間であります。
静岡を境に運転士が交代。女性運転士だったので、覗き込む嫌な類のマニアがへばりついていて気の毒。
それにも関係なく最前席に座るサラリーマンの座り位置に平気で立ちふさがるマニアにいい加減頭に来たのでしょう。嫌な類のマニアにサラリーマンが膝で小突いてささやかに怒ってました。
ワテもそんな状況が嫌になり、車掌に申し出て2号車の空いてる席に移動。

浜松に到着。







浜松から折り返し「ホームライナー静岡8号」となる。

JR東海のホームライナーは座席定員制ではなく、座席指定制をとっているが、実際はあまり関係なく座ってる人が多いように見えました。

371系と新宿から長い時間付き合った。
なかなか楽しい時間を過ごせましたが、もうこのような過ごし方で接する事ができる371系ではなくなってしまいます。

今後371系は団体臨時列車などの波動用車両に生まれ変わります。
改造後はどのような出で立ちとなるのか?
今後の処遇に注目が集まっています。

この日と翌日6日は清水駅至近のビジネスホテルに宿泊。
2009年06月11日 イイね!

《テ》平成17年4月1日廃止の600V線区…②

《テ》平成17年4月1日廃止の600V線区…②「《テ》平成17年4月1日廃止の600V線区…①」では岐阜市内線・揖斐線をお伝えした。
ここでは田神線・美濃町線についてのレポブログ。
(鉄ネタ注意)

岐阜市内線・揖斐線とは徹明町(てつめいちょう)でしっかり線路が繋がっており、岐阜市内線・揖斐線の車両の車庫も田神線の市ノ坪であるが、車両運用は完全に分断されていた事が特徴だ。

田神線・美濃町線(競輪場前~関)はほぼ名鉄岐阜からの直通電車が運行されており、それに使用されるのは1500V区間の各務原線(かがみがはらせん)の名鉄岐阜~田神のたった一駅を走行するために複電圧車モ600形・モ870形・モ880形・モ800形が使用されていた。
それ以外の美濃町線徹明町~競輪場前の運行車両は晩年モ590形のみとなっていた。

徹明町電停に客扱停車中のモ590形。名鉄の併用軌道区間の電停は他社局の路面電車のように安全地帯ないしホームというのが存在せず、写真のように「グリーンベルト」である部分で乗客を乗降させていた。他所者が傍から見れば、路上に人が並んでいたり突っ立ってる光景は奇妙且つ危険なものであった。《撮影:ワテ 平成17年》

徹明町~野一色(のいしき)・日野橋は「続行運転」という運行体系をとっていたのも特徴。
名鉄岐阜を発車した関または新関ゆき電車が競輪場前に来る時刻にあわせて徹明町を発車した野一色または日野橋ゆき電車が競輪場前に到着。岐阜発は徹明町発の前を行き、信号が変わると徹明町発が続行して来る。言わば競輪場前~野一色・日野橋間は併合列車的な感覚で運転される。

名鉄岐阜駅の美濃町線ホームに停車中のモ600形。各務原線ホームに隣接し、駅を出て直ぐ各務原線の線路に接続する。名鉄岐阜~田神間は本線列車との離合も見られ、車格の違う電車が同じ線路を行くのは何ともユーモラスであった。《撮影:ワテ 平成17年》

モ600形は車番によって台車が異なっていたが、形態はほぼ同じかな...
大正~戦後間もない頃までは基礎的な設計であるイコライザー式の板バネ台車(リーフスプリング)。
なもので、愛らしいスタイルに相反して乗れば激しい轟音とギクシャクドタバタした乗り味だった。
屋根上にあるのは冷房装置ではなく、床下に艤装できない1500V区間の架線電圧用抵抗器である。
600形は最後まで非冷房車のまま活躍した。

モ606が履いている台車。全くもって大正時代に造られた旧態依然な日本車輌製造製D12型台車の近撮。600形は近代的な車体と大正時代の足回りであり、乗り心地は大正生まれのゴツイ揺さ振り。《撮影:ワテ 名鉄岐阜にて》

名鉄岐阜~市ノ坪までは鉄道に分類される路線。市ノ坪~競輪場前間に鉄軌道分界点が設けてあり、一旦停車後に道路信号に従って併用軌道へと電車が乗り入れる。

北一色~野一色間の併用軌道を行くモ600形。美濃町線は梅林から先は単線だ。モ600の影で続行のモ590形は見えていないが、しっかり後からやって来ていた。《撮影:ワテ 平成17年》

モ600形は美濃町線の新岐阜駅(現:名鉄岐阜)乗り入れに伴い、昭和45年に旧型車両の台車・モーターを流用し、600/1500V複電圧機能を搭載した電車で、本線の急行車に倣った転換クロスシートを装備して大正期の電車ばかりの美濃町線近代化に華を添えた名車。昭和46年に鉄道友の会からローレル賞を受賞している。
同線廃止後は先に廃止された美濃(みの)駅跡にモ601が静態保存されている。
写真のモ606はワンマン化改造されていたためモ601~605が廃車後も予備車として活躍。しかし廃止後に残念ながら市ノ坪にある岐阜工場構内にて惜しまれつつも解体されてしまった。


上の写真の位置からこちらにモ600形が近づいて来、併用軌道から専用軌道に乗り入れる美濃町線。《撮影:ワテ 平成17年》

ちょうど上の写真の地点(北一色~野一色間の軌道・道路境界地点)にある架線柱には名鉄社員(美濃町線の乗務員か?)が製作したものであろう「啓発」標識があった。
↓がそうだ。

名鉄社員特製注意喚起看板「命」。続行運転のモ590形そっちのけで撮った(笑)《撮影:ワテ 平成17年》

この看板を優先して撮ったため、続行運転のモ590形は「現役美濃町線とこの標識」であるアピール写真となってしまった^^
従ってこの場所でのモ590形の撮影は下のような構図になった。
美濃町線は何も片寄って敷設された併用軌道(道路上)・新設軌道(道路脇)ばかりが魅力ではなく、こうした専用軌道(電車専用の新設軌道)における民家と民家の間をぬってゆく所にもしっかりとした風情がある。
 
上のモ600形関ゆきに続行して来た日野橋行きモ590形が併用軌道から専用軌道に進入して追った写真。《撮影:ワテ 平成17年》

モ590形は昭和32年に登場。元は岐阜市内線に使われたが、後に美濃町線用に小改造して長らく使われた。同線廃止後は591・592が土佐電気鉄道に名鉄色のまま譲渡され、旧塗装になった非冷房車の593は旧美濃駅で車体のみ保存されている(台車は岐阜市内線570形のものに振り替えた)。

野一色で関方面から来る電車を待つモ590形。関方面からの電車が反対線路に到着し、それが発車すると徹明町行きとして発車する。関方面帝位の発条ポイントなのでこのホームからの進入進出は切替不要で入線または発車が出来た。《撮影:ワテ 平成17年》

美濃町線は併用軌道・専用軌道・新設軌道(道路と併走して脇に専用線路を設ける方式)の三種類の線路を行く珍しい路線でもあった。
野一色駅は関方面ホームが市道と一体になっている珍しい光景であった。

野一色駅は関方面ホームが市道と一体になっている珍しい光景。《撮影:ワテ 平成17年》

美濃町線に新風を吹き込んだ異端児・モ870形は遥々札幌市電からやって来たどさん子電車(製造は横浜の東急車輛だが…)。近代的且つ欧州スタイルが好感持てるが、足回りは吊掛式である。そのモーターサウンドは心地良いくらい轟音を奏でた。
名鉄が導入したのは昭和51年。何ゆえこんな比較的新しい電車を名鉄に譲渡したという経緯は当時札幌市電は路線縮小でA830形は輸送力過剰となり、新しい電車をむざむざ解体するのは惜しいという札幌側と、美濃町線の輸送効率向上と大正~昭和初期の電車の老朽化で一挙に車輌を交換したい名鉄側の利害が一致したからとの事だ。
名鉄入りの際固定窓だった側窓を開閉タイプに改造を行った。
870形は札幌時代昭和41年にローレル賞を受賞しているが、奇遇にもモ600形も後年受賞しており、美濃町線には結果ローレル賞の受賞車が二種類となった。


元は札幌市交通局A830形のモ870形が新関の構内で休む。ヨーロピアンスタイルが魅力的。札幌では昭和40年に登場。製造は東急車輛《撮影:ワテ 平成17年》

以来870形は美濃町線の花形として活躍してきたが非冷房のまま長く使われた。夏季は厳しい暑さに見舞われる岐阜。平成に入ってようやく冷房改造された。平成12年には待望の新岐阜乗り入れのため複電圧車改造が実施された。ただし1500V区間では冷房装置が使用できない。

名鉄岐阜の美濃町線ホームに佇むモ870形。生粋の名鉄車よりも床面が低い為、グリーンベルト(電停)での乗降は比較的楽なものであった。《撮影:ワテ 平成17年》

LRT(低床式電車)による軌道線新構想が全国的に持ち上げられている昨今、この870形のような車種が比較検討に持ち入れられてはいたものの、当の870形は特殊な連接構造に加え吊掛式モーター・高車齢とあってか美濃町線廃止後はどこの社局からも譲渡オファーは現れず、残念ながら旧美濃駅に先頭部だけのカットボディー保存を除き全車解体された。ワテは一編成くらい札幌へ里帰りするものかと思っていた...

870形の導入は名鉄にとっても今後の美濃町線用車両への影響は大きいものだったはずだ。
昭和55年に600V線区初のTDカルダン駆動による高性能車が登場。モ880形である。従来モ600形が専業していた複電圧新岐阜乗り入れに、この形式も対応して登場した。年々下降気味の利用客へのサービス向上が叶った。ただし当時の世情でこの時点では非冷房車で登場。冷房化は平成に入ってからと、やや遅め。
パノラマカー7000系にも通じる独特の東洋電機TDカルダンモーターサウンドは軽快だ。
美濃町線廃止後は全車が名鉄傍系の福井鉄道へ譲渡され、同社の880形として元揖斐線770形と共に活躍している。


新関に到着したモ880形。美濃町線のサービス改善に貢献した新世代車であった。新関駅は廃止時まで美濃町線唯一の有人駅。《撮影:ワテ 平成17年》

美濃町線名物の片寄せ併用軌道。上芥見の駅舎は線路とは反対側の対面にある。数台の自転車が置けるスペースと簡易な待合所があるのみで、ホームは対面の道の端に一段高くなって存在していた。
先行廃止区間である関~美濃間はこのようなヘロヘロした軌道が延々続いていた。都市部での軌道線は全国数あれど、このような郊外の閑散部で併用軌道というのは四国の土佐電鉄くらいのものか?

上芥見駅駅舎(と言っても屋根付き待合所ベンチのみの電停)から片寄せの併用軌道の関方面を望む。「電車道」はとてもヘロヘロ状態でどこが線路かパッと見では電車が来ないとわかりづらい…《撮影:ワテ 平成17年》

様々な顔を持ち合わせる美濃町線。やがて最新鋭電車3両が導入された。

赤一色時代のモ600形。《撮影:ワテ 平成8年 北一色にて》

美濃町線の更なる近代化を構想して、LRTの要素などの試験的な意味合いを兼ねたモ800形が製造されたのは平成12年。部分廃止後の事である。
IGBT-VVVFインバータ制御、シングルアーム式パンタグラフ、回生ブレーキを装備など新機軸を満載。傍系の福井鉄道に貸し出されるなど意欲満々な電車であった。
平成13年に鉄道友の会ローレル賞を受賞している。


名鉄岐阜に停車中のモ800形。前面窓下には今までの愛顧に感謝する惜別文ステッカーが綴られている。名鉄での活躍はあまりにも短く生涯を終えてしまった。《撮影:ワテ 平成17年》

こんな最新鋭を登場させておきながら、平成17年3月31日をもって名鉄600V線区である美濃町線・田神線・岐阜市内線・揖斐線は全線に渡って廃止されてしまった。
たったの5年間の短い名鉄生涯であった。
廃止後800形は傍系の豊橋鉄道に801、福井鉄道に802・803が譲渡されて活躍している。


廃止前は普段乗り入れる事がない揖斐線にも600形や800形が運転され、反対にモ510形が美濃町線で運転されるなど珍しい光景が目に出来たが(実際にワテは見るはずも無く…)、それは今でも存在していてそんなイベント運転があって欲しかった…
丸窓電車のモ510形はワテが行った時に不動状態だったのは、単純に沿線の集客混乱を回避する為に稼動しなかった事を聞き、非常に残念な思いをしました。

ワテの廃止され行く鉄道追いかけは決して終わる事が無い・・・
2009年06月11日 イイね!

《テ》平成17年4月1日廃止の600V線区…①

《テ》平成17年4月1日廃止の600V線区…①前ブログの間接的なブログです。
相変わらずクルマネタが一切無いので、非鉄さまはスルーして下さい^^;

新規開業・延伸開業・相互直通開始・新駅開業…
昨年(平成20年)は東京メトロ副都心線(渋谷~小竹向原・和光市)と東京都交通局日暮里・舎人線「日暮里舎人ライナー」(・・・もっといい名前無かったん?)が開業。関東はこの程度で、他はJRの新駅開業があった程度。
それに比べ近年の関西(近畿圏)は都市部での新線開業ラッシュだったね。
近鉄けいはんな線「ゆめはんな」
JR西日本おおさか東線
阪神なんば線
京阪中之島線・・・など

その一方で
近年に限らず、必ずどこかの一路線は毎年のように廃止になる路線や区間がある。

度々廃止私鉄をブログ…ん、鹿島鉄道くらいか?・・・を取り上げているが、今回は岐阜に存在していた大手私鉄の路線についてブログにした。

冒頭のサムネイルは廃止になった名鉄美濃町線880形の車内。鍵穴のような貫通路と座席シート形状が独特だ。

今回は名古屋鉄道(以下「名鉄」)が運営していた「名鉄600V線区全線廃止」について書く。

忠節の専用軌道から併用軌道に出入りする名鉄770形。 岐阜市内線 早田~忠節《撮影:ワテ 平成17年3月》

「600V」というのは電車線(架線-がせん-)電圧が600Vである意味だ。他の名鉄線は1500Vである。
この600V線区は
岐阜市内線-ぎふしないせん- 岐阜駅前~忠節(ぎふえきまえ~ちゅうせつ)
揖斐線-いびせん- 忠節~黒野(ちゅうせつ~くろの)
美濃町線-みのまちせん- 徹明町~関(てつめいちょう~せき)
田神線-たがみせん- 田神~競輪場前(たがみ~けいりんじょうまえ)
以上の区間であった(2005年4月1日廃止時点)。

厳密に言えば田神線は田神~市ノ坪(いちのつぼ)の駅間に600V⇔1500Vの電圧切替があるため全線600Vではないが、運行上は美濃町線扱い(逆に鉄道線用車両は入線不可能)と言う事で600V線区に一括りする。

新岐阜駅前(当時)を行く名鉄550形。 岐阜市内線 新岐阜駅前(当時)付近《撮影:ワテ 平成8年》

岐阜市内線は元々はJR岐阜駅前の「岐阜駅前」からの路線だが、日中は電車が乗り入れずに単に折り返し線的な存在だった感がある。平成15年に岐阜駅前再開発の為営業休止されていた。その整備計画にはあたかも廃止前提の計画であったのか、岐阜市内線のスペースなんか考慮されていないレイアウトだったのがワテ的にも気に入らなかった。

夜の帰宅ラッシュ輸送の出番となり静かに発車を待つ名鉄モ570形。570形はほぼ同時期に製造されていた東京都電6000形の設計意匠が共通の兄弟車。 岐阜市内線 忠節《撮影:ワテ 平成8年》

新岐阜駅前(名鉄岐阜)~忠節の市内線運用を主体としていたモ550形とモ570形は古〈いにしえ〉の路面電車スタイルで好感が持てた。ただ実際にこれらを目当てに乗るには朝夕ラッシュ時間帯くらいしか稼動していなかったため、早起きが必要だった。概ね10時代には忠節の留置線や市ノ坪の岐阜検車区へ回送されてしまい本線上を走るシーンの撮影は限定的だった。

朝間ラッシュ輸送を終えて田神線市ノ坪へ回送の為に引上線にて待機する名鉄モ570形。 岐阜市内線 忠節《撮影:ワテ 平成17年》

忠節駅では軌道(路面電車の運転)と鉄道(鉄道の運転)を分界しているので、法規上運転方式や保安方式の取扱がガラリと変わる(広島電鉄の広電西広島駅や福井鉄道の鉄軌道分界点などで同様の取扱がある。近年は名古屋ガイドウェイバス「ゆとりーとライン」の軌道(新交通区間)⇔道路(一般乗合バス)分界点も同様の取扱ですね。江ノ電は路面区間・専用区間含め全線が「鉄道」扱いという例外もあるが…)。
忠節を境に運用を分けていたのは揖斐線区間運転限定のモ700形及びモ750形やク2320形といった元々は鉄道線の戦前製花形電車が活躍していた。これらも日中は忠節~黒野での運用は無かったと記憶している。主に末端区間である揖斐線黒野~本揖斐・谷汲線黒野~谷汲で活躍していた。
この存在は70年を超える車齢で、沿線のロケーションと相まって特に人気があった。
ク2320形主体の写真が無いのが残念。。。

忠節以西の夕方ラッシュ輸送を控えるモ700形+ク2320形。ク2320形は大正15年製で、名鉄のルーツ・愛知電気鉄道の電7型の最晩年スタイルである。 揖斐線 忠節《撮影:ワテ 平成8年》

揖斐線の末端と谷汲線は非常に閑散で朗らかな沿線風景と大正~昭和一ケタ生まれの電車がのんびり往来するローカル線。もはや現代に同じようなロケーションで残る路線はあるものなのか?

本来の揖斐線の終点・本揖斐駅で折り返し時刻までのんびりした空気と時間を過ごして佇むモ750形。 揖斐線 本揖斐《撮影:ワテ 平成8年》

ワテは大正15年生まれの旧美濃電気軌道時代に登場した名物電車・モ510形に乗って楽しむ事はできなかった。モ510形は岐阜市内線と揖斐線の直通列車の花形であった。…割には何で当たらなかったのだろうか…
一度で良いから揖斐線内急行運転での「大正電車による70㎞/h運転」を体験してみたかった...

忠節橋を望む上り勾配を控えめな速度で登って来たモ770形による揖斐線直通列車。 岐阜市内線 早田~忠節《撮影:ワテ 平成17年》

旧型車淘汰と揖斐線近代化の嚆矢として昭和62年に登場したモ770形の影響で510形は全車取替えには至っていないものの廃車が発生。普段の(特に厳寒時や真夏)運用はこれら770形によって賄うようになった。

小柄な連接車体で伊自良川(いじらがわ)の鉄橋を、意外にも高速疾走するモ770形。 揖斐線 旦ノ島~尻毛(だんのしま~しっけ《撮影:ワテ 平成17年》

美濃町線用モ880形を基本に制御装置などの電装品や車体構造に変更を加えている。揖斐線初の冷房車でもある。
名鉄600V線区廃止後の現在は名鉄傍系である福井鉄道に譲渡され、今日も福武線で同じ「770形」を名乗り、同時に譲渡された美濃町線880形と共に主力として活躍中だ。

北陸鉄道金沢市内線モハ2000形として昭和25年に登場し、昭和42年に同線廃止後名鉄入りを果たしたモ550形もモ780形による世代交代と路面区間減便により平成9年に引退 岐阜市内線 忠節《撮影:ワテ 平成9年》

岐阜市内線での機動性・揖斐線の更なる近代化の象徴・モ780形の登場。600V線区初のVVVFインバータ車でもあった。スタイルは770形の単行スタイルであるが、連結運転も当然可能(770形同士に限り、その際はツーマン運転)。
780形は880・770形の福井鉄道入りとは異なり、同じ名鉄傍系であるが豊橋鉄道に譲渡されて東田本線(市内電車)で全車が活躍している。

伊自良川の鉄橋を単行で駆けるモ780形 揖斐線 旦ノ島~尻毛《撮影:ワテ 平成17年》

名鉄600V線区の利用状況は決して芳しいものではなかったが、ワテはガラガラな市内線直通列車に乗った事なんかなかったぞ?いつも美濃町線共々混み込みだった記憶の方が多い。
名鉄はちゃんとした実態調査はしていたのか??
そのような実態があったから780形や800形を導入したのではないのか?
「利用客はバスに持ってかれて・・・」・・・どこの事業者も同じ言い訳。
岡山電気軌道(両備グループ、和歌山電鐡の経営主体)から経営移譲受託のオファーが来たのも断るなんて…非常に何つうか...
 
東洋電機製造のVVVFインバータを搭載するモ780形が回生ブレーキの変調ノイズを奏でて尻毛駅場内に進入する。 揖斐線 尻毛(しっけ)《撮影:ワテ 平成17年》
東洋電機製造のVVVFインバータを搭載するモ780形が回生ブレーキの変調ノイズを奏でて尻毛駅場内に進入する。 揖斐線 尻毛(しっけ)《撮影:ワテ 平成17年》

揖斐線自体架線柱や路盤、駅構築、施設、踏切道を見てもとても古めかしいままであった。名鉄岐阜~名古屋~豊橋・中部国際空港の都市間特急が走る本線系以外の名鉄は概ね同じように設備が古いまま今も残っている。
廃止から4年を経過したが、今なお揖斐線の廃線跡は色濃く残っている所が多いという。
…いや、廃止せずに素直に岡電に売れば良かったんだよ(和歌山に成功例があるんだから…先行きは不安でしょうけれど)...


<…②へ続く>
2009年06月05日 イイね!

《テ》富士Qグループの13年前って昭和30年代車両の終焉

《テ》富士Qグループの13年前って昭和30年代車両の終焉2007年08月28日ブログ「いいかげんな遊び…① 富岳南麓「岳南」」と
2007年08月28日ブログ「Highland Railway…富士山麓」を統合編集して掲載したものです。


サムネイルはかつて岳南鉄道で活躍していた5000系。
在来旧型車の置換えを目的に東急から昭和56年に2両編成×4本=8両が譲渡。以後主力で活躍していたが平成8年に現役を引退。サムネのデハ5001+クハ5101は平成18年まで車籍を有していたが、車体腐食が著しくなり平成20年夏に解体されたという。引退後に長年留置していたなんて、富士市内のどこかに保存するつもりでとっておいたのだろうか?

富士急行(ふじきゅうこう)…山梨県富士吉田市に本社を置く山梨・静岡・神奈川・東京各都県内に4.000㎞もの路線延長を保有する路線バス(分社含む)を運行し、主力の都市間中・長距離高速バス(中央高速バスなど)の運行を主体とするものの、大月~河口湖にはヘロヘロした鉄道路線(大月線・河口湖線)も有する。有名な富士急ハイランドは直系の連結子会社である。ぐりんぱ(旧:日本ランドHOWゆうえんち)とさがみ湖リゾート プレジャーフォレスト(旧:相模湖ピクニックランド)も富士急グループ。言ってみれば富士山周辺の交通・観光・レジャー・流通を大々的に統括している優良企業である。昭和36年までは富士山麓鉄道が社名だった。

「ヘロヘロ~」としたローカル私鉄ですが、朝晩はJR中央線との東京・高尾~河口湖の新鋭E233系による直通列車もあったり、普段も高尾から115系普通列車が乗り入れ、近年JRからパノラマエクスプレスアルプス用165系を購入して改装した「フジサン特急」なる看板列車や、土休日はJRの新宿や大宮から183・189系による行楽快速列車が乗り入れて来てなかなか彩り多い鉄道なのです。

そんな13年前の夏、にゅむタンも同行して富士急行の河口湖駅(山梨県南都留郡富士河口湖町-みなみつるぐんふじかわぐちこまち-)を訪れた。


河口湖駅構内の車庫。
《撮影:ワテ》
ここに写る4本の電車の内左から2番目を除き既に存在していないのですね。と言うよりこの時点では出番無き予備車でした。
特に一番右の電車(3100形)は富士急が日本車輌製造に自社発注したオリジナル(昭和31年製)って事で人気がありましたが、ワテは一回も乗らずにこの翌年に引退しちまって…(遠めで走行してるとこなら…悔)
3100形は中央本線小淵沢~信濃境 間の旧線で保存されてるので見る事は可能。


別アングルの3100形(左)と5700形二次車(右。旧小田急2320形)。
《撮影:ワテ》
5700形二次車(2320形)は小田急デビューが昭和34年で、当時ロマンスカー大人気のあおりを受け補完列車「準特急」専用の二扉セミクロスシート車だった時代の名残で窓配置がアベコベです(写真では判り難いかな?)。
5700形は小田急時代のタイプ別に一次~三次車があった。富士急入りは昭和57~59年にかけて行われた。


これは元小田急2220形の5700形三次車。上記写真の日とは別にワテ一人で撮影探訪した時の写真。
《撮影:ワテ 富士急行大月線 田野倉~禾生 間》
この日の都留市は猛暑。何か帰途後にニュースで気温38度近くまで上がったとの事…炎天下で無風。日陰もない…そんな中、田野倉(たのくら)駅から都留市(つるし)駅まで徒歩。ほんとは隣の禾生(かせい)駅へ行くつもりが間違って三駅も歩いてしまい・・・空腹感はやがて気持ち悪さに変わり、のどが渇くもなぜかジュース販売機が無く、「あった!」と思うも稼動していない古い自販機だったり…国道を行く車から滴るエアコンの水が疎ましかった(笑)
近年夏は連日熱中症に関するニュースやっていてこの時を思い出しました。ワテも御多分に漏れずに日射病(熱中症)になりかけました…都留市駅で電車が来るまでベンチで吐き気があったくせに冷えたコーラを死に物狂いで飲み死んでました_orz都留市から乗った電車がギンギンに冷えた自社発注の5000形で、冷房車のありがたみを感じました。次の撮影地で富士山をバックに5700形を待っていたら来た電車が元京王5000系の1000系...余りの猛暑でファンサービスなんて言っている場合ではなくなったのか、車両交換してしまったようです…また死にました_orz...

富士急公式HPによると、現在主力の1000系一編成が上記5700形など同じ旧塗装に塗り替えられ「リバイバルカラー列車第1弾」として運転されている。また昭和20年代の富士山麓鉄道時代にあった塗装による「第二弾」も登場との事。

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岳南鉄道(がくなんてつどう)…富士急行グループの鉄道。全線が静岡県富士市を走っている純然たるローカル私鉄。JR貨物との間で現在も貨物輸送が行われている。以前はバス事業もあったが、富士急静岡バスにグループ内で経営移管している。職員が着用する制服は富士急行と統一しているので、言わば静岡県下の富士急路線的な存在。
社名の「岳南」は富士山の南麓(に及ばないものの真近に見える)を走る鉄道の意。

今から13年前の平成8年(1996)は富士急グループの電車が一気に車種交代をした頃でもあった。いずれも京王電鉄から譲渡された電車に統一された。

この日もにゅむタンといいかげんなドライブ(目的も当ても無く彷徨うドライブ)同行で岳南鉄道の岳南江尾駅(がくなんえのお-静岡県富士市-)を訪れた。


岳南江尾駅の駅舎。無人駅である。便所が渋汚い(?)。
駅構内無断立入禁止とあるが、それでは利用客も立ち入れないのでは???=ホーム以外って事でしょうね^^
駅至近は東海道新幹線が通る。新幹線上りの左車窓からこの駅が一瞬だが見られる(付近は新幹線にとってはややきついカーブの為比較的緩い速度で通過している)。


同駅に留置中の5000系。引退後運用離脱して半年以上経過していたが、車体そのものの劣化はまだあまり感じられない。
《撮影:ワテ》


デジカメで写真を撮るにゅむタン氏。服装からすると97年の春だろうか?確かにまだ寒かった。ワテはまだこの時代はデジカメを持っていなかったので一眼レフのEOSで撮影。
《撮影:ワテ》


現在主力の7000形。
《撮影:ワテ》
京王井の頭線3000系の中間車デハ3100の両連結面に新設運転台を設置した1M電車だ。しかし新設運転台とは言いつつも「いにしえ」な面構えだ…愛称は「新赤ガエル」らしい(笑。富士急公式HPにもそう書かれてる)…ど根性ガエルもそうだけど、「新」が付くと・・・「赤湯たんぽ」でいいじゃん?
ほかにも8000形「がくちゃんかぐや富士」という朱色ではなく緑色の2両編成もある。愛称は沿線が竹取物語の発祥地だからとの事。「新赤ガエル」にちなんで「富士青ガエルかぐや姫」では良くないのか?

そうこうしてると駅至近の踏切が鳴り始めた。
「あれ?時刻表通りじゃないぜ?」
遠めで何やら赤くない車体が小さく見えてきた。

「をーーーー!」
「にゅむタン!蛙だよっ!カエルっ!」

と思わず大声ではしゃいで口にしちまった。

なぜかにゅむタンは「何で?もう帰るの?」だってさ^^;


何と既に引退して運用が外れていたはずの「青ガエル」のお出まし!
《撮影:ワテ》
あまりに突然な出来事に慌てちゃって駅進入時の写真撮影を失念しちゃった。
さすがにワテ、驚愕。
何の運転で来たのか不明だった。
乗客0。試運転でも無さそう。乗務員の訓練?撮影?※
方向幕には「吉 原」の行き先が…
いずれにせよ偶然この駅に行きたくなって偶然が重なったのでした。
イベント用の復活青ガエル色のコレはおろか赤い5000系も定期運用から外れていたので本当に嬉しかった。



10分くらい停車していて、やがて「出発」の信号と同時に踏切がカンカン鳴り始めると発車ベルが鳴り、この復古「青ガエル」さんは静かなモーター音を奏でて新幹線を潜り吉原方面へユサユサ揺れながら走り去って行った。
《撮影:ワテ》

この時ばかりは何度思ったか「ホント~に来て良かったなぁ…」としみじみと。

撮影は全て岳南鉄道 岳南江尾駅にて

==========================

※・・・今思えばこの突如5000系お出ましを考えると、この時点では5000系の一部は予備車扱いで廃車になっていなかったから車両の機器状態と性能維持のための試運転であるものと思われる。同様の措置は今はイベント用で残る名鉄7000系(パノラマカー)などで見られる。

そんな5000系も平成18年に(2006)に正式廃車となり、熊本電鉄で僅かに同僚を残すのみとなった中、昨年(平成20年)夏に惜しくも全車解体処分された。

現在富士急は自社発注の5000形が一編成のみ活躍しているが、両社とも京王の中古車が主力として活躍している。ちなみに小田急の中古が走る鉄道は現在は旧ロマンスカーHiSE10000形の長野電鉄1000系「ゆけむり」のみ。私見だが東急8500系を順次譲渡している秩父鉄道あたりに8500系なんかよりもよっぽど安定した性能の小田急5000形を一部譲渡して欲しいところだ=いや、見て乗ってワテの趣向が冴えると思っての事だけど、何か言ってる事変かな? 見てみたいぞよ秩父鉄道で21年振り復活・小田急車を!!

また改めて富士急の撮影なんかしたいなぁと思う今日この頃だ。何か115系は直通が無くなりそうな気がするので…

※富士急・岳南の電車呼称で「形」「系」とアベコベだが、岳南5000系だけは「系」呼称である模様。

関連情報URL : http://www.fujikyu-railway.jp/forms/info/info.aspx?info_id=10039
2009年01月14日 イイね!

懐・津軽海峡のクイーン 《再》

懐・津軽海峡のクイーン 《再》パソコンのデータや未分類の写真プリント、ネガを整理してるといろんなフォトが出てくる。

サムネイルは旧・青函連絡船「八甲田丸」。
撮影:ワテ(旧青森桟橋の対岸遊歩道にて 平成15年8月13日)

昭和63年3月13日に運行廃止されたJR北海道の鉄道航路
旧国鉄からJR北海道に帰属した青函連絡船も一年足らずで廃止。
(S63年6月~9月に青函博と世界・食の祭典の開催に併せ、十和田丸と羊蹄丸の二隻でリバイバル運行している。)
同日開業した※海峡線「青函トンネル」(青函隧道)が現在の後継ルートとなっている。


愛称である津軽海峡線は青森~函館を指し、JR北海道・海峡線は中小国(信号所)~木古内のみを指す。青森~中小国はJR東日本・津軽線、木古内~五稜郭はJR北海道・江差線、五稜郭~函館はJR北海道・函館本線。


JR青森駅の旧青森桟橋に係留され保存されている八甲田丸は「メモリアルシップ八甲田丸」として後世に連絡船の栄光を語り続けてる。

ワテは青函連絡船に何度も乗りましたが、この「八甲田丸」は高校生の頃に初渡道の際一回だけしか乗った事がありませんでしたぞぇ。

JR連絡船の廃止からもう21年かぁ…早いなぁ。

津軽海峡線を行く列車の顔触れも今ではすっかり変わってしまい(快速「海峡」→特急「スーパー白鳥」・「白鳥」)…時の流れを実感すると共にワテの年齢も…
今では将来同線を重複使用する北海道新幹線の工事も着工し始めました。


連絡船独特の三和音奏でる汽笛が懐かしい。実際に八甲田丸は一日4回時報として汽笛を吹鳴していますね。最近摩周丸も汽笛を整備して同じように吹鳴できるようになりました。


これは連絡船廃止後、旧・有川桟橋(国鉄時代に航送廃止されてた貨物専用桟橋。江差線七重浜駅から徒歩で行った)に係留中の「摩周丸」。
撮影:ワテ

この時点では既に保存が決定していたが、内装をリニューアルされていなかったのでとりあえず係留されてました。

普通の船舶には無い後部のタラップが開き、接岸時に地上側の線路とドッキングして貨車や転属及び新製の電車・気動車・客車・機関車などを搬入してました。
ちゃんと甲板奥の末端には連結器とブレーキ管・ブレーキ弁・圧力計があるんですよ。

現在は旧・函館桟橋に「青函連絡船記念館 摩周丸」として保存されており、連絡船の歴史を公開しています(こちらの方が忌まわしき戦時中の空襲沈没や「洞爺丸事故」について詳しく展示されてます…)。


廃止後、同年6月~9月に運航された「連絡船リバイバル」時の函館桟橋から出港する「羊蹄丸」。
羊蹄丸は現在東京・有明の「船の科学館」にメモリアルシップとして展示保存されております。
オープンデッキには多くの乗客の姿が見えます。
撮影:ワテ


廃止の1年前くらいから「連絡船フィーバー」が巻き起こり始めて、最盛期を思い起こす乗船人員数を数えてました。
国鉄時代の昭和50年代は最悪の赤字で運行を乗り切ってたようです。千歳空港(旧)開港や地方空港のジェット化で既に航空利用にシフトしていたのですね。


「十和田丸」の普通船室(椅子席)の内装。
「八甲田丸」「摩周丸」「大雪丸」も同様。
同時期製造の国鉄特急型車両の座席と似たシートを使っていました。前後の間隔は最悪の狭さです。他に船らしい「座席」というカーペット席もあり、グリーン自由席(フルリクライニング椅子席・ちょっとフカフカなカーペット座席)・グリーン指定席(水平角度までリクライニング)・寝台室(3時間50分の航路なのに…)も揃えてました。
食堂「海峡グリル」(海峡ラーメンとイカ刺し定食が名物)・喫茶「海峡」(メニュー高い…)・売店・シャワーも完備。


臨時便や団体輸送・貨車航送を主体に使用された貨物船改造「石狩丸」。

海霧が出てる中の遠目撮影でこんな写真しかなかった(これでも修正に修正を重ねた)。確かちゃんと撮った檜山丸の写真もあったわけなんだが…

波動用の「石狩丸」は「檜山丸」と共に元は貨物航送専用船舶であったものを函館ドックにて客貨船に大改造。乗用車搬送はこれらの方が台数が多く航送できた。
これらは普通船室のみで、グリーン船室・寝台・食堂の設備は省略されていた簡易設備。ただ椅子席は25年前の新幹線0系・200系のような2段リクライニングシートだった。
また、最後まで貨車船のまま活躍した「空知丸」も存在を忘れてはならない。
青森・函館の接岸時の曳航船達の存在は連絡船の名脇役。連絡船と曳航船が互いに奏でる「阿吽の呼吸」とも言える汽笛合図のやり取りが楽しかった「名物」でした。

…コレ書き込みしてたらこの時の事や出向時の銅鑼と「♪蛍の光」が凄く鮮明に甦って来る...

…「鉄分?船でしょ?」→船体のおなかにはレールが並ぶ貨車ヤード(車両甲板)がある鉄道連絡船なので立派な鉄道カテゴリーな船舶なのです。鉄ちゃん達に崇拝されていた船なのです。

現在、青函連絡船で廃止時まで使用していた船舶での現役船は皆無となり、一抹の寂しさがあります。特に十和田丸はバブル期のジャパニーズドリームとして活躍後はフィリピンのホテルシップとして転売された後に同ホテルが廃業転売→解体されてしまったそうです。
船の解体までに道筋って粗方見てると貿易介入による「転売」「落札」の後「解体」って非常に面倒なのですね。

保存の「八甲田丸」と「摩周丸」は経営不振で年間の赤字額は想像よりも遥かに大きくて危機的な状況下であると聞きます。
往時を偲ぶ姿をいつまでも我々の目に見させてくれる両船を一日でも長く見られるよう官民を総出させて守りましょう...

《2007年09月05日掲載ブログの再掲載。一部文章を現在に因み修正箇所あり。》

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