3月の米坂線探訪の際に購入したJRの企画きっぷ「青春18きっぷ」がまだ3日(3回)分未使用だったので、使い果たしの旅へと4月8・9・10日とそれぞれ3日に分けて3行程行って来ました。今回は天気に恵まれましたが、当初構想していた新潟・長野巡りは行程上無理(一旦帰宅してまた翌日出発を繰り返す)であった。やはり出先で宿泊しないと無理なんだわね^^;
要するに「寝坊」で新潟往来は実現できませんでした。
結果、関東近県(新潟長野もそうではあるが…)をグルッと回ってくるような行程でした。
4月9日(木)は
前日の行程の逆を一部辿る形で出かけた。
ワテ地元→新宿→高尾→甲府→小淵沢→小諸→軽井沢→高崎→熊谷→ワテ地元(高崎線・湘南新宿ライン→中央線快速→中央本線→小海線→しなの鉄道→長野新幹線→上越新幹線→高崎線)という行程(駅名は下車して乗り換えた駅)。
地元から乗る高崎線、特別快速小田原
行の普通車は日中であるのもかかわらずいい混雑振り。迷わずグリーン車に乗って新宿まで。
新宿からは代表的な「通勤路線」であり、同区間は特急の追随を許さない中央線の中央特快・高尾
行に乗車。ワテは未だに中央線と言うと201系を脳内に描かれるが、来たのは新鋭E233系。もう201系との世代交代はほぼ終わり、一部が予備車確保の理由で僅かな201系が活躍中。実際に途中どこかで朱色の車体が「ギャーーー」と轟音立ててすれ違ってました。
まぁE233系に関しては旅情とかそういった感情は湧かないです。しかし現に東京~大月・河口湖の比較的長距離運用にもかかわらずE233系にはトイレが無い。ドア半自動機能だけでなく、せめて狭い和式便所でいいからトイレ設置改造してやんなよJ東…
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実質一般的に呼ばれる「中央線」の終点・高尾駅(東京都)の駅舎。
昭和2年に竣工された(この年に移築との事)。高尾山の玄関口を象徴する社寺風の建築だが、実際の玄関口は当駅から一駅乗った京王高尾線の終点・高尾山口(たかおさんぐち)だ。高尾は中央線と京王高尾線が接続。昭和36年までは「浅川」という駅名であったため、古い101系の方向幕にはこの駅名表示が残っているものが晩年まで見られた。
この高尾を境に中央本線の運用はくっきりと分別される。
暖かい春の陽射しに誘いを受けた観光客たちで賑わっている。この時は桜満開。
4月1日から全面禁煙化したJR東日本。高尾までがエリアなので(八王子まででいいじゃん…)、ワテは甲府
行に乗るまでの数分間は駅の外に出て吸える場所見つけて一服。昭和末期頃までは115系であれば高尾から先は車内で吸えました。
ホームに戻り、来ているはずの高尾折り返しの甲府
行が来ていない。どうやら四方津かどこかで抜く特急に遅れがあったようだ。そんな中ミュージックホーンを「♪ペーポーパーペーポーッポーペ~」と叫びながら高速疾走で特急「かいじ」が通過して行った。ただでさえ狭い高尾駅ホームをあまりにも速いスピードで通過したので、おばあちゃんが勢い良くビビっていた^^;
甲府行は発車時刻になってようやく到着した。信州色の115系6両編成。
乗り込んでみると座席のモケットの色から僅か数年前まで上野口で活躍していた編成である事がすぐにわかった。
禁煙マークの下に貼られたまま残る古い禁煙区間の「上野~小山・熊谷間禁煙」が薄っすら透けて見えている。
甲府
行普通列車は定刻より3分遅延で発車(でも回復して大月には定時)。

ヨモギ色のデコラ(内張り)と角張った座席背ずりが国鉄時代の記憶を現代に伝える115系車内。とは言うものの乗っている115系は1000番台で、比較的製造が新しい区分である。3月に新潟で乗った115系とはちょっぴり雰囲気が異なる中央本線の115系。
東京都と神奈川県の県境を貫く小仏隧道(トンネル)を国鉄サウンド(MT54D主電動機のモーターノイズ)を「メ"ェーーーーー」と喚き散らし、トンネルに響く小気味良いジョイントをたてて快走する115系の健脚振りは相変わらずのようだ。一駅手前までのハイテク電車から乗り換えた格差が、ワテにとってはとても心地良い「時間」を堪能していた。
列車は山間部曲線と上り急勾配に挑みながら西へと進む。
途中の四方津(しおつ・山梨県)までは比較的立ち客が多く、首都圏近郊路線の一面もしっかり垣間見られる。
@モハ115-1000番台 車内

大月駅ホーム。
特急「スーパーあずさ」通過待ちで8分程停車。なので喫煙所へ行き、そこで撮った。
左はワテが乗ってる115系甲府
行普通列車で右の電留線に停まってるのも115系。中央本線は二種類の塗装が活躍。色の違いは所属区の違いで、左は「信州色」で長野支社の長野総合車両センター(長
ナノ)所属。右は「スカ色」と呼ばれ(横須賀線由来の塗装だから「スカ」)、八王子支社の豊田車両センター(八
トタ)所属。両者で車内の路線図が全く異なっているのが面白い(前者は長野中心で後者は首都圏)。
今後は京浜東北線で用済みとなった209系が「全廃」を撤回したようなので、房総地区に大量投入で113系淘汰の序でに玉突きとなる211系を投入して右の115系を置換廃車との見通しであるらしいが真相は?(←ワテ独断なる考えなので…)。
@JR東日本 中央本線 大月(おおつき・山梨県)
さて、大月で一服して甲府に到着。お昼食べてなかったので甲府の立ち食いで軽く済ます。
今度は高尾発の後続列車の115系「スカ色」小淵沢
行普通列車に乗車。3両編成で来たのでメチャ混み^^;座れましたけれど。下校時間帯の為大勢の高校生が乗車していた。この時の高校生はマナー良かったなぁ^^

終点の小淵沢では小海線(こうみせん)に乗り換え。
小海線列車が待つホームから115系をちゃんと撮りたかったけど、地元高校の女子生徒等でいっぱいだったので断念。とりあえず側面をピロリン♪
傍らではキハ110系が発するディーゼルエンジンのアイドリングが「ジャララララ…」と
旅情心を掻き立ててくれている。小海線は非電化路線。
@JR東日本 中央本線 小淵沢(こぶちざわ・山梨県)

「JR最高標高地点」は小海線野辺山(のべやま・長野県)付近で、野辺山駅も最高標高駅でもある。その隣の駅・信濃川上(しなのかわかみ・長野県)の駅名標。信濃川上もJRでは4番目に標高の高い駅。
駅名票には日本一の高原野菜生産量を誇る「高原レタス畑」と
秩父山塊の山犬(ニホンオオカミ)たちを猟師によって飼いならされ、それらと川上村の犬をかけ合わせて純血改良したという言い伝えがある、貴重な長野県指定天然記念物「川上犬」のワンワンが写っている^^

アップ!
川上犬は見かけによらず人懐こいと言われています(らしいっす)。
《下記の「関連情報URL」》参照
姿色はまちまちのようだが、オオカミの血を受け継ぐ奥深い犬のようだ。

日が暮れた小海駅(こうみ・長野県)に停車するキハ110系。JR東日本の非電化線区ではお馴染みのディーゼルカー。高原を高らかなエンジンサウンドを奏でて走っている。
小海線はこのキハ110系のほか、世界初のハイブリットシステム気動車・E200形が使用されている(かんたんに言えばプリウスみたいな列車)。
ここでは後に1両増結の為17分ほど停車。小海まではワンマン運転であったが、ここから小諸までは3両編成となったので車掌が乗務した。
@JR東日本 小海線 小海
小海線も高原を降り、佐久の盆地部では軽快な走りっぷりを見せてくれた。
ローカルな雰囲気ばかり続く同線も、途中の佐久平(さくだいら)では長野新幹線との接続駅で、唯一近代的な高架駅だ。駅周辺は発展しており、一見では新都市機能のある街風景であった。
小諸(こもろ・長野県)まで3時間の旅。小諸から軽井沢まではかつてJR信越本線だったしなの鉄道に乗車。来たのはJRから「しなてつ」に譲渡した115系だった。
車内は小淵沢や甲府の学生とはうって変わって…
スウェット女子多勢、床にへたり込み座り込みのジュース床に置いて倒してぇのギャーギャー携帯「♪ぺjksdン#筒t恩$かkkッ毛℃決起ッ♪プップポvΘsdv㊦sfsgxbンbhszjkxsjkdbんフウフウピー…」...
近年稀に見る さイア区 な環境とマナー悪い輩で溢れる小M駅ホーム...

軽井沢からは足が無いので新幹線「あさま」で高崎まで乗車。
高崎で越後湯沢からの「Maxたにがわ」に乗り換え熊谷で下車→地元に帰途。
あらためて新幹線のフォトが無いのに気付き、とりあえずこんな併結部分の写真で。
E4系 きしょいよ(ーー;)
何か「チューレロレロ」してるみたい…
@JR東日本 上越新幹線 熊谷