2009年08月31日
1964年
昭和39年ですね。
この年は東京オリンピックが開催された年。
この年までに日本は戦後復興で急成長の発展途上。
首都高速と東京モノレールも羽田空港へ伸び、東海道新幹線が東京~新大阪間を一気に開業。
営団地下鉄は日比谷線全通と東西線高田馬場~竹橋間開業。
山手線は103系が新鋭として活躍を始めた。
都電杉並線はトップを切って前年廃止されたものの、都心にはまだまだ都電が全盛(衰退は昭和40年代に入って)。
名阪間の名神ハイウェイバスは国鉄バス(現:西日本JRバス・JR東海バス)・日本急行バス(現:名古屋観光日急)・日本高速自動車(現:名阪近鉄バス)の伝説的なデッドヒート開始。
本田技研はホンダS600を発売。二輪マーケットでは既に数あるラインナップ。
富士重工はスバル360・サンバーと二輪のラビットS301・S601・S202などがラインナップ。
東洋工業(マツダ)はファミリアやキャロル360が好評販売中で、「夢のエンジン」であったロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツ(プロトタイプ)が完成した。
クルマのパワーヒート競争が起こるのは昭和40年代に入ってからだが、プリンス自動車は各社の先陣を切り、ボンネットを無理矢理延長してグロリアスーパー6用G7型直6SOHC&ウェーバーキャブレター×3基を搭載したスカイラインGT(翌年スカイライン2000GT-Bへ進化)をホモロゲーションモデルとして少数販売されている。
近代の象徴が数多く登場した昭和39年・・・ワテにとっては憧れの時代。
行ってみたい時代である。
…しかし
クーラーの効いた場所は図書館、ボウリング場、特急列車、喫茶店、映画館、デパートくらいなものだったのだろう…
風呂桶は良くてホーローバスで、概ね木枠タライ風呂が主流(ワテがモノ心ついた頃の団地は木枠タライ風呂桶でした)。
電車は関東ではまだまだ冷房なんか夢の話。それでも巷の電車の窓を開けて夜の風を感じたい。
テレビはモノクロが当たり前で、夜も11時過ぎれば終了…
個人商店が極当たり前。コンビニが無いから夜7時8時になんかになりゃ何も買えやしないだろう…
ジュース自販機がないんだよなぁ…
あ、缶ジュースなんてモンもない時代。
つうか、焼酎がメジャーじゃない時代じゃん…ワテ、ウイスキーなどの洋酒はあまり嗜みませんの事あるよ。。。缶ビールも無いジャン(泣)
ナイトクラブはあるがスナックなんてない時代…裕次郎の映画に出てくる店を想像する…
で、何で昭和39年に関するブログ?
新三菱重工業
現在の三菱自動車工業にあたる。
この年に戦後間もない昭和21年から製造してきた二輪車シリーズ
「シルバーピジョン」
の最後のラインナップを製造販売をしたのです。
銀の鳩…鳩は平和の象徴。
ラビットスクーターを製造していた富士重工業とライバルだった三菱はシルバーピジョンのスクーターを一貫して造っていた。だが折からこの6年前にデビューしたホンダのスーパーカブ人気。二輪界では数あるメーカーが二輪撤退か倒産し、この3年前(昭和36年)はに既に平野製作所(ヒラノポップマンリーというスクーターの製造会社で、現在ある同名会社とは無関係)が倒産した後も両社は徐々に販売不振となりつつあり、スクーターのカテゴリーでは既にラビットに軍配があがり気味ではあった。
むしろスクーターよりビジネスバイクの方が売れてる時代でした。
今で言うスクーターは昭和50年代中半デビューのタクトあたりにならなければ出現しませんでした(富士重工業ラビットは昭和44年撤退)。
三菱シルバーピジョンは4サイクルエンジンで造り続けていたが、最終型のC140型(125cc)とC240型(143cc)は2サイクル2気筒。
当時はおろか現在に通じるまでスクーターによる2サイクル2気筒のエンジンってのは非常に珍しいのです。
昭和40年、三菱は二輪車の生産から撤退したのでした。
ワテより7つも年上のシルバーピジョンC140型に恋をしてしまいました。
7つ上の美人さんの知り合いもいますが、C140には敵わな・・・
/(*_ロ_) ̄θ☆≡≡≡≡≡⊂⌒~⊃_▽_)⊃ひぃー!!
失礼しましま。 。 。
そんなこんなでね、
にゅむタンのラビット再生からにゅむタン一派のシルバーピジョン ゲール10&ラビットハイスーパーが次々と…
そんなこんながワテをそういった道へと手招きしてるんでしゅ____
当然ワテはこちらにも嵌る事でしょう。
シルバーピジョンは中途モデルはマツダの三輪トラックで有名な工業デザイナー・小杉次郎(二郎?)氏によるデザインだが、C140型・C240型の銀鳩は初代デボネアをデザインした元ゼネラル・モーターズのデザイナーであるハンス・ブレッツナーというお方が考案したアメリカナイズなスタイル。
したがって尻下がりが特徴だった歴代のシルバーピジョンとは全く異なり一線を画しています。そのラビットに一見似たスタイルだが全然違う、ワテは先々週くらいから「とっても女性的な美しい近代遺産」と思う今日この頃です。
また、同時期のラビットとも勝るとも劣らない存在・・・だとは思うんですが、結局人気はさほど出ずに終わってしまったようです。
短所として始動用キックがオプションであったため、多くの個体はキックペダルが付いておらずセルダイナモのみに依存していたため、バッテリーのトラブルで対処のしようがないのが一因のような..
自動遠心クラッチを採用しているから押し掛けは体力消耗した事でしょうね。
そもそも当時から現在に至ってもタマ数は少なく、滅多に市場には出てきません。
出てきても現状で20~30万以上の値が付くでしょうか。
三菱製二輪最後を飾ったモデル。
憧れちゃうなぁ…C140。
Posted at 2009/08/31 21:07:07 | |
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ひとり言! | 日記
2009年08月31日
8月31日の夕方、ワテは何をする訳でもなく。
ただただ毎度の事の様にする事ない嫌な休日(8月現在ワテは日月公休)を過ごしていました。
「10年前はそれなりに楽しかったような気がするなぁ。」
「10年前は即決で旅行しに行っていたよなぁ...」
「10年前はよく入間まで飲みに行ったっけ、バカの一つ覚えのように…みんなどうしてるかなぁ…」
「10年半前はまさかOK川に越すなんて夢にも思わなかったんだよなぁ…」
10年以上前、ワテは今在住の市に来る前は所沢市にいました。
所沢には3年半くらいいたのかなぁ…でも今のOK川にいるくらい長く感じたんだよな。
それだけワテは歳を無駄にとったって事です。
30過ぎると、いや35過ぎてからは1年がひと月くらいにしか感じないんだよ~・・・
所沢時代はとっても狭く陽も全く当らない陰った2坪半程度の1Rマンションでした。しょぼいキッチンにはビルトイン「蚊取り線香」コンロだからカップラーメンのお湯を水から沸かすも15分…トホホ。電気のメインブレーカーは20Aだからエアコンと電子レンジ作動だけで「ッバン!」
壁が薄く、隣人は野郎連れ込んでいつも赤裸々丸聞こえでワテ悶々...
…そのくせ家賃は4.7万...何を管理してるのか3,000円の管理費を取られ月5万...
引っ越す際に不動産屋にしょっ引かれた金(現状修復費)は12万
とある相談窓口に言いつけたら半額だけで良いとなって何とかなりましたが(とは言っても6万)、経年や調理・喫煙で黄ばんだのは生活を考慮して基本的には退室時にしっかり清掃しておけば、故意による破損や汚損でなければ(本当は)取られる必要がない費用って事で、一昨年同じ市内の前家から現家に越す際は
「そんなモンいらないですよぉ^^ ワテさん新しい門出でいっぱいお金掛かるんですもん。」と不動産屋に言われました。
↑を言われると、所沢の1Rは思い出すだけで嫌になる部屋でした。
…今思えば何であんな部屋で妥協してしまったのだろうか…
そんな所沢にもたくさん思い出はあります。
今でも時折コスモで住んでいたワンルームマンションの前を通りがかります。
どんな人が住んでるのかなぁ??
所沢ワンルーム時代のワテテレビ周辺。
このテレビは今も現役です。因みに昭和61年製の東芝テレビで、ワテが中学生の頃から使ってます。
・・・それはいいとして、何か意味無いオブジェが…
現在の街へ越してきた当時も何もいい事無かったワ
今が一番いいのかな・・・
いや、別に良かないなぁ。。。
8月は今日で終わり。
またひとつ寂しさが増えちゃったよ。
また何も無く・何もしないで・何処も行かないで夏が終わっちまったよ。。。。。。。
昨日届いたCDアルバム「岡崎友紀 ベスト30」を聴きながら秋を迎えます。。。
Posted at 2009/08/31 19:30:32 | |
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