お久しぶりです。10月以来のみんカラブログ、クルマ話題でなくてすみません。
平成24年3月4日(日)、ワテは明番。
いよいよフィナーレを迎える小田急電鉄5000形・10000形HiSE・20000形RSE・JR東海371系を追いかけて撮ってみようと小田急線に乗りました。
5000形に関しては運行情報が公式に無いので行き当たりバッタリ。結果まともに5000形は撮れませんでした。
今回は仕事が終ってそのまま小田急入りしたので三脚は持っていません。
手持ち撮影で見苦しい映像が多く、…テヘへです。
昔は小田急や東急が大好きで、暇さえあれば理由は何にしろ小田急線によく乗りました。
しかし社会人になり、職パスが自社以外使えなくなると本当に小田急が疎遠となってしまいました。
住んでいる場所柄、「小田原・熱海・沼津に行く」というとJR湘南新宿ラインのグリーン車利用が主になってしまいました。乗換無しで小田原行くなら当然の事でしょう。
その小田急疎遠になってしまった間には数々の名車が引退。
3100形NSE・2600形・4000形(旧)・9000形・現存以外の5000形…
今回撮影に回った時と同じファイトがあれば記録に遺せたものを蔑ろにしてしまった反省で、今回は是非とも記録に遺すべく動き回りました。
何にせよ小田急線の映像・音声記録は20数年ぶり。
皮肉にも前回小田急目当てで奔走したのが平成3年3月16日ダイヤ改正で引退直前の3000形SSE「あさぎり」 を同年3月13日に新宿~御殿場間を車内録音して以来の事。
今回の撮影とは別に、371系「あさぎり」→「ホームライナー浜松」乗車もしています。
今回5000形が引退すると、昭和57年(1982)にFM系(2200形~2320形)淘汰目的でデビューした8000形が小田急通勤型最古参となります。
8000形は現場ウケが良いのか、大部分の編成がVVVFインバータ+全電気指令式ブレーキに更新改造されています。界磁チョッパで残る編成は少なくなりました。
で実際に乗ってみた8000形VVVF車は徹底的にリニューアルが施され、インバータ素子がIGBTのため、GTOサイリスタ素子を使っている後継の1000形よりも斬新感が感じられます。言わば8000形更新車は本当の主力である3000形以降の電車よりも新宿~小田原の「10連急行」に最抜擢される主力車と思えました。この日何本も見ましたし。
8000形を見て「ホッとする」のですが、それは旧来の外部塗装のおかげでしょうか?
所謂「小田急顔」の5000形が居なくなった後も、塗装変更が無い限り「小田急アイボリー+小田急ロイヤルブルー帯」は不滅ですね。
今回撮影の主役。
10000形HiSE。
小田原線町田にて。
昭和62年(1987)、小田急電鉄開業60周年を記念してデビューを飾った当時のロマンスカーのフラッグシップ。
当時日本はバブル期を迎え、観光需要もそれなりに好調。特に増備する必要性があったのかは疑問が残るが、7000形LSEの製造から4年が経過しており、主要機器はLSEと同一とするも時代にあった車体・車内設備へとグレードアップ。先頭展望席以外はハイデッカー構造とした。
主電動機については7000形LSE同様出力140kWの直流直巻電動機を採用し、各電動台車に2台ずつ装架。東洋電機製造のTDK-8420-A形・三菱電機のMB-3262-A形を併用しており、いずれも平坦線均衡速度145km/hという高速性能と箱根登山鉄道線内の40‰勾配を走行可能な登坂性能という二つの条件を満たす主電動機である。
鉄道友の会より昭和63年度ブルーリボン賞受賞。
バリアフリー法施行によりハイデッカー構造が災いし、50000形VSE登場の余剰で平成17年(2005)に二編成が長野電鉄に譲渡された。譲渡車は長電入りの前に愛知県豊川の日本車両へ運び込まれ編成短縮化改造(11連節→4連接化)を受け、翌年18年に同社入り。
現在は特急専用車「ゆけむり」として人気を博し、旧JR東日本253系の2100系「スノーモンキー」と共に愛用されてる。
今回引退の編成は小田急に留まり、歴代ロマンスカーと共に保存されるものと思われる。
20000形RSE。
小田原線栢山~富水 間にて。
平成3年(1991)、連絡急行「あさぎり」に使用されていた3000形SSEの34年に亘る永年使用による老朽化を機に「あさぎり」特急格上による新鋭車両を小田急・JR東海両社で各々設計する事になった。
両社は協定により極力仕様を合わせた車両を設計。小田急は20000形を登場させ、JR東海は371系を登場させた。基本的なメカは7000・10000形の電装品のままである。
主電動機については7000形LSE・10000形HiSE同様出力140kWの直流直巻電動機を採用し、各電動台車に2台ずつ装架。東洋電機製造のTDK-8420-A形・三菱電機のMB-3262-A形を併用しており、いずれも平坦線均衡速度145km/hという高速性能と箱根登山鉄道線内の40‰勾配を走行可能な登坂性能という二つの条件を満たす主電動機である。また東海道本線上での120km/h運転に対応できるように増圧ブレーキ機構を付加し、25‰下り勾配において85km/hでの走行を可能とする抑速制動を機能させるため、主抵抗器は10000形HiSEの自然冷却式に対して強制通風式とした(実際には通常運転が考慮されていた東海道本線の運用は、デビュー前の試運転と平成4年に小田急~沼津~東海道線経由身延線富士宮まで運転された団体臨時列車くらいしか走行しなかった…)。
二編成のみの存在で、車体は3000形SE以来伝統の連接構造ではなく、2300形以来の普通のボギー台車となった。
鉄道友の会より平成4年度ブルーリボン賞を受賞している。
デハ20000・サハ20050(20050番台)はハイデッカー構造。この内中間車サハ20050(20150番台・20250番台)二両は二階建て車両。二階席がスーパーシートとして使用され、「あさぎり」運用時はグリーン車となる。サハ20150番台の階下席にはセミコンパートメントが3室用意されているが、371系には同様の設備が無い。
「あさぎり」特急格上を機に、運転区間を御殿場から沼津に延長。表富士の玄関口のアクセスのみならず、中伊豆・西伊豆方面への観光アクセス列車としての地位を築いた。
箱根・江ノ島特急にも使用されるため、7両編成としている。371系検査日はその「あさぎり」運用に就くが、「ホームライナー浜松・静岡」の運用には入らない。
今回の引退で「あさぎり」は60000形MSEに車種変更し、運転区間も3000形SSE時代の新宿~御殿場に短縮されてしまう。
「あさぎり」にかける期待が大きかった事が伺える内容の20000形。時代が変わった事を頷ける今改正、両社とも非常に無念であろう。
小田急引退後の動向が気になる20000形。1月に富士急行が譲渡購入に関して小田急との協議に当たっているが、その後の進捗が無いのが気になる。
仮に富士急入りしても、この塗装は維持して欲しい所だ。ワテは水戸岡鋭治氏(インダストリアルデザイナー。ドーンデザイン研究所所長。JR九州・両備グループのデザイン顧問)を尊敬しているが、RSEには氏の得意な文字だらけデザインを強調して欲しくない。
JR東海371系直流用特急型電車。
小田原線町田にて。
平成3年(1991)に同時デビューした20000形RSEのJR東海側パートナーである。
小田急線内では専ら「あさぎり」専用に運用。JR線内では他に「ホームライナー浜松」と「ホームライナー静岡」で使用されている。
定期検査の際は浜松工場ではなく名古屋工場まで自走で行く。
「あさぎり」特急格上を機に、運転区間を御殿場から沼津に延長。表富士の玄関口のアクセスのみならず、中伊豆・西伊豆方面への観光アクセス列車としての地位を築いた。
僅か一編成のみの存在で、そのスタイルから他のJRのコンセプトとは全く異にする「異端児」である。
汽笛は小田急線内ではやや異色な音色のJR東海が標準使用するホイッスル。
主要機器は311系及び211系5000番台(2両ユニット車)・213系5000番台・211系6000番台(1M車)で、台車は311系で実績があるものを採用。制御方式は20000形の主抵抗式とは異なり、回生ブレーキ使用で省エネ・省コストを考慮した国鉄205系以来安定した制御方式である界磁添加励磁制御方式を採用。
歯車比は国鉄165系を範とした4.21で、これは3000形SSE~20000形RSEの歴代ロマンスカーも同様比。
クモハ371・モハ370は2両ユニットで、クモハ371に搭載の制御装置はCS57A形で主電動機がC-MT61A(端子電圧375V 出力120kw)。モハ371は1M車で制御装置はC-CS59A形で主電動機がC-MT64A(端子電圧750V 出力120kw)を採用している。両種モーターサウンドは各々似ているが、初速~中速域力行時の加速音は音程が異なっている。
20000形RSEは4M3Tだが、371系は5M2Tとして御殿場線内の急勾配に対応している。
通商産業省(当時。現在は公益財団法人日本デザイン振興会)より平成3年度グッドデザイン賞(商品デザイン部門)を受賞している。
外部塗装は「JR東海所属」を強調し、新幹線100系を意識したもの。
二階建て車両(サロハ371)の二階席はグリーン車(小田急線内は「スーパーシート」)で階下席は普通車だが、20000形RSEにあるセミコンパートメントの設備は無い。
「あさぎり」撤退後は東海社線内の団体・臨時列車用となる模様である。
7000形LSE。
箱根登山鉄道線 入生田~箱根湯本 間にて。
昭和55年(1980)に3000形SSE老朽化対策(経緯上)と輸送力確保の為に登場した。
3100形NSEの製造終了から13年が経過し、増備する場合は完全新設計である必要があった。デザインは3100形NSEを範として、時代にマッチしたシャープなものとしている。
11連接構造は継承されたが、高速化が目的ではないため低重心車体ではなく標準的な屋根の高さが特徴。台車は2200形以来通勤型で伝統のアルストム式台車を採用。
制御装置はSE・NSEから伝統の東芝製を採用。小田急ロマンスカーの制御装置は以後も東芝製を伝統的に採用している。
小田急としては初の全電気指令式ブレーキとワンハンドルマスコンを採用、駆動方式はやはり初のTD継手カルダンを採用した。
主電動機については出力140kWの直流直巻電動機を採用し、各電動台車に2台ずつ装架。東洋電機製造のTDK-8420-A形・三菱電機のMB-3262-A形を併用しており、いずれも平坦線均衡速度145km/hという高速性能と箱根登山鉄道線内の40‰勾配を走行可能な登坂性能という二つの条件を満たす主電動機である。
鉄道友の会より昭和56年度ブルーリボン賞を受賞している。
また昭和57年に国鉄へ7002Fが貸し出され、新型特急車開発の名目で性能比較試験として東海道本線を130km/h運転で走行した。 実際国鉄は連接車を製造する事は無く、実用例はJRになってE331系を試作したのみ。
写真は2007年に旧塗装へ戻された7004Fで、廃車になった3100形NSEのミュージックホーンを搭載(かつてLSEも標準搭載していた)。
LSEは4編成あったが、7002Fが2010年に廃車。
近況では現存の7000形の内1編成は廃車となり、残った編成も7004F同様に登場時の塗装へ戻される事となった。既に「紅白LSE」は運用を外れている。 旧塗装化の際は、前面窓の渕が艶消し黒になっている部分を剥離してより登場時の姿に戻るとの事。
今回の三形式引退となった3月17日以降は、7000形LSEが「小田急最古参」電車となる。
【 動 画 】
平成24年3月4日 終焉の小田急 HiSE・RSE・JR371系をどうにか撮った。
- 視 聴 上 の 注 意 -
この動画は個人趣味範囲で製作したものです。一般人物・係員・商標名称等が撮影されている場合がありますが、これ等を撮影する目的ではなく、あくまで当内容その他鉄道趣味-物件の為に撮影した事をご理解して頂いた上で視聴願います。
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「想いは、引き継がれる。 THE LAST RUNNING 2012.3.16」
3月16日の引退が迫る特急ロマンスカー10000形HiSE、20000形RSE、JR東海371系あさぎりに焦点を絞りスナップ撮影。多分期待にそぐわない映し方をしており、三脚は不使用なので映像の歪み(強い「手ブレ防止モード」使用)・ブレ等があるので酔わないで下さい(笑)。
時を同じく引退する通勤型5000形も粗末な撮り方で、少しだけあります(最初5000形が到着していた事に気付いていませんでした)。
小田原ではE233系大量投入で運用縮小しているJR東日本・東海道線211系の発車シーンと伊豆箱根鉄道大雄山線5000系が佇んでいるシーンのみで、小田急車が一切映っていません。
引退予定車以外にも、7000形LSE・30000形EXE・60000形MSE・1000形・8000形・4000形を収録しています。
50000形VSEは見ましたが、この動画には収められていません...
こうして久しぶりに小田急に乗ってみて気がついたのは、8000形VVVF更新車が10連急行運用に多用されており、5000形無き後は通勤型最古参となる8000形が小田急の-「顔・主力」に見えてしまいます。8000形の未改造オリジナル界磁チョッパ車は栢山~富水間で1000形6連を小田原方に併結して従えてるシーンを納めています。
撮影場所は町田駅(Ⅰ)・小田原駅・箱根登山鉄道線入生田(いりゅうだ)~箱根湯本間・富水(とみず)駅・栢山(かやま)~富水間・本厚木駅・町田駅(Ⅱ)。
Posted at 2012/03/13 12:16:02 | |
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