
土日は放射線も抗がん剤も治療がお休みなので外出許可を貰って家に戻りました。
たった数日ぶりですけど、やっぱり我が家は最高ですわ。
水曜日からスタートした放射線と抗がん剤の併用療法ですが、体調はかなり良く、ずっと病室のある6階から1階までエレベーターを使わずに約150段の階段で昇降していました。
水曜日は2往復、木曜日は2.5往復、そして金曜日は3往復といった感じです。
病に勝つにはやはり体力!
現状食欲はかなりあるので、体力作りを意識して鍛えようと考えた訳です!笑
ところが、日曜日くらいから突然ダルくなって来ました…
熱を測ると37.2度と少し微熱があり、背中や肩の辺りが少し痛いようにも感じます。
初の抗がん剤投与から4日目、もしかしたらこれが副作用ってヤツか?
さすがに初の外出許可の最中いう事で、嫁もかなり心配しており、食欲はあるので嫁に作って貰ったパスタを食したあと、大事を取って早めに病院に戻ることにしました。
なんか病院に戻ると一気に寂しくなり、すぐにベッドに潜ってとっとと寝ようとしましたが、咳でなかなか寝れなくてそこからがまた長い長い…
もう少し熟睡出来れば体調はだいぶ楽になるんだけどなぁ…
今朝も多少ダルいけど、とりあえずノルマとしている階段の昇降は2往復こなしました。
やはり先週よりしんどくて、登りは一気に上がれません。
5階辺りで休憩し、2往復ともなんとか登りきる事はできました。
昨日とっとと寝てしまったので、昼食後にシャワーを浴びたのですが、浴びてる最中に突然鼻血が溢れて来てビビリました!
一応看護師さんには伝えましたが、これも副作用なのかな?
さて…
そもそもなんでこんな事になってしまったのだろう…
毎年毎年健康診断は受けていたのに…
そう思って、健診結果を遡ってみたところ、色々とタイミングが悪かった事がこの週末で判明しました。
実は6年前の大阪時代に胸部エックス線検査で要再検査のD判定が出ていたんです…
ただ、その時は名古屋に戻れるという話がちょうど出ていて、戻る前に数ヶ月間だけの約束で仙台のあるプロジェクトの立ち上げを頼まれており、そのあと名古屋に戻れるという流れになっていたんですよね。
短期間に大阪→仙台→名古屋→という動きでバタバタするなか、すっかり再検査の事なんか失念しちゃっていたという訳です。
その後、約束通り名古屋に戻り、翌年も普通に健診を受けてはいるのですが、前年の大阪で受けた要再検査から打って変わってC12の経過観察判定!
要再検査のD判定から一段判定が下がった事でこちらとしてはホッとした事を覚えてます。
そしてその後、昨年の健診までの数年間、判定はずっとC12の経過観察が続いています。
「来年も必ず健診を受けましょう」って書いてあったので、その言葉どおり毎年しっかり受けて来たのにも関わらず結局この有様ですわ…涙
経過観察指定をする程度とは言え、異常が何年も引き続き見受けられたのなら、なんで健診は再検査を勧めてくれなかったんだろう…
もし、名古屋に戻ってからの5年間に一度でも要再検査判定を出してくれていたら、精密検査で早期発見となり、ステージも軽く済んで、もしかしたら手術により完治していたかも知れないのに…
本当に悔しいです!
今となっては後の祭りですが、自分自身としても、もっと自分の身体に対してしっかりと向き合っていなかった事が悔やまれます…
ただ、名古屋に戻ってからは戻ってからで、親父の体調不良からの入退院や老人ホーム入居、そこから早かった最期迄のバタバタや、同時期にお袋がクモ膜下で倒れ、そこからほぼ植物人間状態の障がい者になったりで、自分の身体の事なんて後回しにせざるを得ないほどに年老いた両親の状況に日々振り回されていた事も事実…
ただ今思うのは、やはり健康はなにより大切だから、多忙を理由に後回しにするのではなく、些細でも心配があればすぐに検査はするべきだったという事。
ゲームのようにもう一個残機があれば、そこをしっかり肝に銘じてやり直したいけれど、俺の命には残念ながら残機は無い…苦笑
死んでしまえば呪文でも教会でも生き返れないので、残りのHPがどれくらいあるのかは分かりませんが、周りの皆んなには「早めの検査の重要さ」ってヤツを訴えて行きたいと思います!
残念ながら私の周りは、自分の身体に無頓着な昭和のオッサンばかりなので…苦笑
細々と続けるつもり
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Posted at
2025/03/10 15:07:20