さてさて・・・
広瀬ダムを出発したオイラ・・・
R140をひたすら進む。
途中、おそらくこの雁坂トンネル開通に合わせて道路改良したのだろうと思われる痕跡が随所に残っていた。
そんなうちに「道の駅 まきおか」に到着!
ここで簡単な食事と休憩を取る。
ここは建物裏手に山(丘)を開いた小さな公園もあり、富士山も遠く望むことが出来る。
また敷地内にはかつてこの地に建設された学校の建物(室伏学校)が移築保存されている。
「道の駅・まきおか」にて。
平日昼間にも関わらず客はまあまあ居るようだった。
実はこの撮影をするために、他の車が去るのを暫く待ったほどだ。
店内はお土産コーナー、観光案内、そして軽食スタンド(うどん、そば、カレーなど)がある。
トイレはこの建物の向かって右手奥方向に別棟としてしっかりしたものが建てられている。内部も綺麗であった。
敷地内に移築されている「室伏学校」の建物。
明治8年の建築物だが、今見てもなかなかオシャレ!
こういうものは末永く保存していただきたいと思う。
オマケ!
こんな車が来ていました。地域の安全のために・・・頭が下がります。
休憩の後、R140を「まきおか」目前の信号で外れ、一般道へと進む。
この先、一般道を経て「広域農道:フルーツライン」を走る。周囲は広大な農村地帯。
更にここからR411へと進路を変えて行く。R411は「青梅街道」である。今回はここから柳沢峠を越えて、奥多摩へ回って帰ることにした。
フルーツラインの標識看板を発見!
青い空、行き交う車も少ない農園地帯を更に進む・・・
やがてR411へ入り、ひたすら進む。このルートは途中から大菩薩峠方面へもアクセスしていく道である。オイラはただただR411で柳沢峠を目指す。
柳沢峠にかかる道を走り、ある程度山を登ってきたところで「おや?」と感じた。
過ぎていく景色の中、変な位置にガードレールがあったり、廃道と思しき道が見え隠れしてるのだ。
実はこの山の中は、ルートの大幅変更が行なわれたところである。
かつてはウネウネと山を登っていたであろうルートは現在の道に付け替えられ、そして深い谷は大きな橋で一気にまたぎ、新しいトンネルで一気に突き抜ける。
その合間の景色の中、今はもう役目を終えたかつての街道が見え隠れしている。
やがて柳沢峠に到着。
峠には茶店があるが、そこには立ち寄らずに裏手にある公営の駐車場(トイレあり)に車を置き、しばし休憩。
除雪で捨てられたのか、元々積もったのかは知らないが、雪がまだ残っていた。
柳沢峠の公営駐車場にて。日陰にはまだ雪が残っている。
トイレ休憩の後、再びR411を進む。ここからはほぼ下り坂。そしてこの峠から東京多摩寄りが東京都の水源林となる。峠を境にしてこの水源林が綺麗に整備されているのが一見して分かる。後で分かったが、この水源林は散策可能なのだそうだ。
あとは自然に包まれた山の中をひたすら走るのみである。景色を眺めながらノンビリ走るのには良いルートだと思うが、途中でトンネル工事をしているところに出くわす。トンネルができたら、この自然の景観を見ることもなくなるのだろう。
便利さと引き換えに自然が見せる美しさを失うのである・・・。
やがて丹波山村を過ぎて、東京の領土wへ!
そう、奥多摩湖である。
ここではあのあまりにも有名な廃線跡に立ち寄った。
「水根貨物線」などと称されているあの貨物線の廃止跡である。
この地に奥多摩湖(小河内ダム)の建設をするにあたり、現在の青梅線から更に先へと敷設された建設資材運搬用の鉄路である。
廃線跡の鉄道橋が今も残る。この地を日々通過している人には馴染みの風景だろう。
貨物線廃線跡へは徒歩で上がることが出来る。
但し路盤は決して良好な状態ではない。廃線跡に関心の無い人は下から見るだけでいいだろうと思う。
トンネルの中から奥多摩湖方面を望む。
残された鉄路は、ダム建設にまつわる数々の悲劇を語ることは無い・・・
そしてここに再び列車が走ることも、おそらく永遠に無いのだろう・・・
廃線跡からR411を見下ろす。
あれ?あんなところでコロナ・プレミオ様が待ちくたびれてますよ!w
かつてこのダムのために土地を安く買い叩かれ、そして補償問題が進まぬなどの問題から生活を翻弄され、貧しさのきわみまで追い込まれた村人たちが居たこと・・・
そんな追い込まれた村人たちが、行政の冷たい態度に激怒して「筵旗(むしろばた)」を立てて陳情の進軍をし、そして警官隊と激しい衝突をしたこと・・・
建設開始後、資材運搬列車横転・転落事故で鉄道員たちの尊い命が失われていったこと・・・などなど・・・
いろいろなことを思いながら、この廃線跡を撮影して、帰途に就くこととした。
このあとは青梅~飯能へと抜けて、無事に埼玉のどこかにある我が家へと帰着。
およそ230キロのバカの旅はこうして終了しましたとさ!
<<おしまい!>>
l||l_| ̄|○l||l<次回は未定・・・
<再度この記事をお読みになった方へ>
小河内ダムの件について、記事の編集ミスから誤認識を与える部分があることに気付きました。
つきましては該当部分削除の上、編集をしなおしています。
尚、小河内のダムにまつわる悲劇については「日陰の村」(石川達三)に詳しく残されています。
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Posted at
2011/04/19 14:37:31