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コロナ侍のブログ一覧

2011年04月21日 イイね!

【近場もいい!】関東甲信越 バカの旅2011 4月号 第二旅【帰りは温泉】

どうも・・・
l||l_| ̄|○l||l

さて・・・
またも懲りずに「バカの旅」をしてきました。
今回は早番勤務(15時半過ぎには終わっちゃう!)のあと、そのまま行ってきました。

今回は近場の旅・・・でも、遠いところばかりが旅じゃあない!ってなわけで、行ってきたのは埼玉県秩父郡皆野町方面。
今回のルートは
職場(県内のどこか)~皆野町・町立日野沢小学校跡~満願の湯~自宅(県内のあの辺り)
というもの。

実はこの「満願の湯」っていう温泉(大衆浴場)は、この早番勤務終了後にちょくちょく足を延ばしてるところなんですよ、これがまた。
で、今回はこの温泉に行く前にちょっと旅を・・・という感じで・・・。

職場を出て(中略)国道140号をひたすら秩父方面へ。
いい加減いって長瀞を過ぎてから県道へと外れていきます。そしてだんだん山合いになってくる道を奥へ奥へと・・・。

途中、満願の湯を素通りして更に奥へ向かって行く。


満願の湯を過ぎていくと、こんな感じの鄙びた集落へ・・・
この道は「秩父華厳の滝」へ向かうルートでもあるが、今回は滝には行かない。


写真の場所は実はバス停。画面左手に小さな店があり(営業してるのかは不明)、そこの自販機でちょっと缶コーヒーを買って一息。
この先、いよいよ目的の場・・・日野沢小学校跡へと・・・

暫く狭い山間の道を進むと、やがて右手に木造校舎が見えてくる。
ここが皆野町立日野沢小学校の跡である。



日野沢小学校前にて。

日野沢小学校についてはネット上でも結構訪問レポが上がっているので、詳しいことやら”廃な専門知識”はその手の記事にお任せしよう。
この学校は明治時代に開校し、平成14年3月を以って閉校となったそうだ。

ここに限った話ではないのだが・・・日本は本当に学校整備が行き届いている国だと思う。このような山合をはじめ「え?こんなところに?」と思うような奥地にまで学校がある(閉校したものも含めて)。
これは大変素晴らしいことで、海外に向かっても誇れる事柄の一つではないかと思っている。

では早速この学校にお邪魔してみよう。



今も残る門標。



子供たちが去って久しい校舎。もう遊ぶ児童も居ないのであろうブランコ・・・
全体として草などが刈られている印象があったのだが、あるいは地元の人が整備しているのであろうか?
花壇にはチューリップなどの花々がひっそりと咲いていた・・・




閉校記念の碑
平成14年3月31日の文字が見て取れる。
この学校の始まりは遠く遡ること・・・明治22年だそうだ。
現在残る木造校舎は昭和30年に作られたものということで、この校舎自体は明治時代のものではないようだ。
だがそれでもやはり歴史を感じる建物であることには変わりない。




校地に沿って石塀(ブロック塀?)がある。
単なる塀ではなく、ちょっと変わった造りになっている。




卒業生が記念に残した緯度・経度などを示した標柱。
ここは海抜226mとのこと。
このほか、東経、北緯も書かれている。
こうした記念物は木製なのでやがて朽ちてしまうのではないかと心配になる。
出来れば何等かの形で再建設して末永く残して欲しいものだと思う。
こういうことには、税金をどんどん使っていいのではないだろうか?
学校全体を含めて、これは地域が歩んできた歴史なのである!




校地の端にある歩道橋。下には小さな川が流れているのだ。
この端の先にはかつての校庭(運動場)がある。運動場には道路側からも入ることが出来るのではあるけれど。
いずれにしても、かつてはこの橋を渡って、元気な児童が運動場に向かったのであろうと思う。
尚、運動場は地域のグラウンドとして今も使われている模様がうかがえたが、どうなんだろうかと思う(詳細は不明)。


さて・・・ここまでは校舎周囲を散策?しながら思うままに撮影をしてきた。
校舎横に回ってみたところ、ガラス戸から廊下の様子が見えたので、ちょっと撮影をさせてもらうことにした。



かつて卒業記念として作った行事カレンダーが今も残る。



ガラス戸から中を・・・
手前左の教室は「講堂」だったことが分かる。
きっといろいろな学校行事に使われたのであろう。


さて、こうして小さな学校(跡)をテキトーに撮影しながら散策しているうちに、日がだんだん傾いてきた。
また、これ以上ここに居てはいけない気もしてきた。
あくまでも自分は「非公式の来訪者・闖入者」なのである。地元に暮らす人々から見たら「興味本位で見るんじゃねぇ!」なんて思われているかもしれない・・・

いずれにせよ、ここにはこうして間違いなく小さな小さな学校があり、そしてたくさんの児童たちがここで学び、遊び、そして巣立っていったのである。
時には子供のけんかもあったかもしれない。
また、時には幼い恋心を抱いた子供たちも居たかもしれない・・・
そしてこの山合の里からそれぞれの道を歩いていったのであろう・・・
そんなことを勝手に想像しつつ、この学校跡を去ることにした。



そろそろここを去ることにします・・・

あとは、ここで車を反転させて、先程通り過ぎた「満願の湯」へ立ち寄り、ゆっくりと温泉につかってから自宅へと帰りましたとさ!

そいじゃまた!

l||l_| ̄|○l||l<近場だって旅・・・だよね?ダメ?


.
Posted at 2011/04/21 12:57:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2011年04月19日 イイね!

【懲りずに】 関東甲信越 バカの旅2011 4月号 第一旅 後編 【復活!】

さてさて・・・

広瀬ダムを出発したオイラ・・・
R140をひたすら進む。
途中、おそらくこの雁坂トンネル開通に合わせて道路改良したのだろうと思われる痕跡が随所に残っていた。

そんなうちに「道の駅 まきおか」に到着!
ここで簡単な食事と休憩を取る。
ここは建物裏手に山(丘)を開いた小さな公園もあり、富士山も遠く望むことが出来る。
また敷地内にはかつてこの地に建設された学校の建物(室伏学校)が移築保存されている。


「道の駅・まきおか」にて。
平日昼間にも関わらず客はまあまあ居るようだった。
実はこの撮影をするために、他の車が去るのを暫く待ったほどだ。
店内はお土産コーナー、観光案内、そして軽食スタンド(うどん、そば、カレーなど)がある。
トイレはこの建物の向かって右手奥方向に別棟としてしっかりしたものが建てられている。内部も綺麗であった。



敷地内に移築されている「室伏学校」の建物。
明治8年の建築物だが、今見てもなかなかオシャレ!
こういうものは末永く保存していただきたいと思う。



オマケ!
こんな車が来ていました。地域の安全のために・・・頭が下がります。


休憩の後、R140を「まきおか」目前の信号で外れ、一般道へと進む。
この先、一般道を経て「広域農道:フルーツライン」を走る。周囲は広大な農村地帯。
更にここからR411へと進路を変えて行く。R411は「青梅街道」である。今回はここから柳沢峠を越えて、奥多摩へ回って帰ることにした。


フルーツラインの標識看板を発見!
青い空、行き交う車も少ない農園地帯を更に進む・・・


やがてR411へ入り、ひたすら進む。このルートは途中から大菩薩峠方面へもアクセスしていく道である。オイラはただただR411で柳沢峠を目指す。

柳沢峠にかかる道を走り、ある程度山を登ってきたところで「おや?」と感じた。
過ぎていく景色の中、変な位置にガードレールがあったり、廃道と思しき道が見え隠れしてるのだ。
実はこの山の中は、ルートの大幅変更が行なわれたところである。
かつてはウネウネと山を登っていたであろうルートは現在の道に付け替えられ、そして深い谷は大きな橋で一気にまたぎ、新しいトンネルで一気に突き抜ける。
その合間の景色の中、今はもう役目を終えたかつての街道が見え隠れしている。

やがて柳沢峠に到着。
峠には茶店があるが、そこには立ち寄らずに裏手にある公営の駐車場(トイレあり)に車を置き、しばし休憩。
除雪で捨てられたのか、元々積もったのかは知らないが、雪がまだ残っていた。


柳沢峠の公営駐車場にて。日陰にはまだ雪が残っている。

トイレ休憩の後、再びR411を進む。ここからはほぼ下り坂。そしてこの峠から東京多摩寄りが東京都の水源林となる。峠を境にしてこの水源林が綺麗に整備されているのが一見して分かる。後で分かったが、この水源林は散策可能なのだそうだ。

あとは自然に包まれた山の中をひたすら走るのみである。景色を眺めながらノンビリ走るのには良いルートだと思うが、途中でトンネル工事をしているところに出くわす。トンネルができたら、この自然の景観を見ることもなくなるのだろう。
便利さと引き換えに自然が見せる美しさを失うのである・・・。
やがて丹波山村を過ぎて、東京の領土wへ!
そう、奥多摩湖である。

ここではあのあまりにも有名な廃線跡に立ち寄った。
「水根貨物線」などと称されているあの貨物線の廃止跡である。
この地に奥多摩湖(小河内ダム)の建設をするにあたり、現在の青梅線から更に先へと敷設された建設資材運搬用の鉄路である。


廃線跡の鉄道橋が今も残る。この地を日々通過している人には馴染みの風景だろう。


貨物線廃線跡へは徒歩で上がることが出来る。
但し路盤は決して良好な状態ではない。廃線跡に関心の無い人は下から見るだけでいいだろうと思う。



トンネルの中から奥多摩湖方面を望む。
残された鉄路は、ダム建設にまつわる数々の悲劇を語ることは無い・・・
そしてここに再び列車が走ることも、おそらく永遠に無いのだろう・・・




廃線跡からR411を見下ろす。
あれ?あんなところでコロナ・プレミオ様が待ちくたびれてますよ!w



かつてこのダムのために土地を安く買い叩かれ、そして補償問題が進まぬなどの問題から生活を翻弄され、貧しさのきわみまで追い込まれた村人たちが居たこと・・・
そんな追い込まれた村人たちが、行政の冷たい態度に激怒して「筵旗(むしろばた)」を立てて陳情の進軍をし、そして警官隊と激しい衝突をしたこと・・・
建設開始後、資材運搬列車横転・転落事故で鉄道員たちの尊い命が失われていったこと・・・などなど・・・

いろいろなことを思いながら、この廃線跡を撮影して、帰途に就くこととした。

このあとは青梅~飯能へと抜けて、無事に埼玉のどこかにある我が家へと帰着。
およそ230キロのバカの旅はこうして終了しましたとさ!

<<おしまい!>>

l||l_| ̄|○l||l<次回は未定・・・

<再度この記事をお読みになった方へ>
小河内ダムの件について、記事の編集ミスから誤認識を与える部分があることに気付きました。
つきましては該当部分削除の上、編集をしなおしています。

尚、小河内のダムにまつわる悲劇については「日陰の村」(石川達三)に詳しく残されています。




.

Posted at 2011/04/19 14:37:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2011年04月14日 イイね!

【懲りずに】 関東甲信越 バカの旅2011 4月号 第一旅 前編 【復活!】

どうも・・・
l||l_| ̄|○l||l

さて、前のブログで書いた通り「関東甲信越 バカの旅」復活しました。
その復活第一旅は、4/12。例によって夜勤明けで、職場からそのまま出発ですのだ。

今回は、日頃から行っている秩父路を経て山梨県へ、そして後は行った先で考えるという、相変わらずのテキトーな旅。

12日(火)、無事に"明け業務"を終えて、そのまま職場から出発。国道140号をひたすら秩父へと・・・
このルートは何度も走ってるルートなんで詳細は略。まあ焦ることも無くひたすら秩父路を走る。
いい加減行った所でR140を外れ秩父鉄道・三峰口駅に立ち寄る。

ここでトイレ休憩(駅脇にトイレあり)。
それともう一つ・・・
こちら方面に来たときには必ず駅前の自販機で「缶入りのカプチーノ」を買うことにしている(カプチーノが好きだというだけのことだが)。


三峰口駅構内に鎮座してた”旧:京浜東北カラー”の101系。
これまでにも”旧:山手線カラー”なんかに塗られたこともある。
地方の中小私鉄ならではの楽しい演出は好感が持てる。
撮影直後、出発のために写真奥手のプラットホームへと移動を始めた。



同じく三峰口駅構内にて。
天候に恵まれ、桜も綺麗・・・ここでコロナ・プレミオ様のお姿も一枚!


三峰口駅を出て再び国道140号へ。あとはひたすら走るのみ・・・
途中、滝沢ダム方面と、秩父湖(二瀬ダム)方面に道が分かれるが、オイラは秩父湖方面経由で行くことにした。
丁字路の信号を左折して程なく、サルが道路わきの崖のフェンスをよじ登ってこちらを見下ろしているのを発見したが、面倒なので撮影は無し。

秩父湖脇の「中で分岐してるトンネル(信号タイマーのあるトンネル)」に入り、直進。後続車は左折していったようだ。左折すると三峰神社方面に行く。
オイラは神社に用は無いので直進。
トンネルを抜けたら、更に道が分岐・・・。
左(湖畔)は旧来からの道。オイラは右へ。これが旧R140のルート。
このルートを行くと、かつての関所跡なんかを通過。


栃本関所跡手前にて。
ここまででも充分楽しいドライブであったが、まだ先があるのだ。
ここには公衆トイレがある。


やがてこの旧R140は、先刻丁字路で分かれ滝沢ダムを回ってきた新しいR140と合流。
とにかくその後もひたすら走るのみ。

いい加減、標高が高いところへあがってくると、いよいよ雁坂トンネル。
興味のある方は、下記サイトを見て欲しい。
http://www.fruits.jp/~karisaka/index.html
特に道路敷設からトンネル構想、そして開通へといたる長い道のりは改めて驚かされる。
また、R140の前身となった「県道甲府秩父線」が大正時代の認可であったことも興味深いところである。

雁坂トンネルは有料道路で、普通車は710円。
あの難所を開いたトンネル・・・工事も本当に大変だっただろう。それを思うとこの通行料金は安すぎないか?と感じる。

トンネルを通過して山梨県側へ入り、広瀬ダム付近にて小休止。
実は昨年晩秋、ここまでは来ているのである。しかしそのときは寒さに加えて霙が降ってきたりしたため、ここで断念して引き返したのだった。
だが本日は穏やかな晴天。
ここから先は、まさに前回行くことを断念した道である。

広瀬ダム湖畔では、道端に展示されているトロッコを撮影。
この地域と塩山駅を結んでいた森林軌道で用いられたものである。


道端に展示されてる(というか、放置されてる?)トロッコ。
かつては2両置いてあったらしいが・・・
こんなトロッコで丸太などを運んだそうだ。実際にはこの道路側ではなく、広瀬ダムをはさんだ対岸に鉄路があったとのこと。



ブレーキ部分の様子。
手前の金棒(レバー)を引くことで制御している。
この軌道・・・実は開通からかなり後年まで人力・馬力での運用であった。
後に機関車を導入するも山奥へは機関車の入線が困難であり、山奥側は最後まで人力と馬力に頼らざるを得なかったそうだ。



湖畔の地域センターみたいなところにて・・・
実はここ・・・今は使われていない模様。
建物内には貴重な民具などの展示がそのままになっているほか、建物外には農業機械らしきものや大変古い時代の大型金庫などが、館内展示されること無くほったらかしになってる(もったいない・・・)。


こうして、前回引き返したこの地点から先へ、新たな旅の始まりとなったのである。

(後半へ続く)

.



Posted at 2011/04/14 00:55:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2011年04月13日 イイね!

【懲りずに復活】関東甲信越 バカの旅【予告編】

【懲りずに復活】関東甲信越 バカの旅【予告編】











だうも・・・・
l||l_| ̄|○l||l

さて・・・
2月(記事は3月1日付)まで「関東甲信越 バカの旅」として、オイラがテキト~にうろついてきた旅日記?をUPしてましたが・・・

実は3月最初の旅も下書きまでできていました。
3月3日に、またまた夜勤の”明け”でそのまま職場から・・・というパターンで、湘南方面・鎌倉などに行ったのです。
そしてまだまだ冷たい風が吹く湘南の海を見て・・・
というものでした。

写真の選定とリサイズなども終わり、あとは仕上げるだけ・・・というところまで来ていたのですが、仕事が詰まったことからUPが遅れてました。

そんなうちに、あの大震災・・・

この「湘南・鎌倉の旅」は、海の写真が多数ありました。もちろん、コロナ・プレミオ様も海をバックにして撮影してきました。
ですが、あの震災報道での津波の映像を見て、この時の写真は”お蔵入り”にすることにしました。
確かに湘南の海はあの大津波のあった東北地方ではありません。ですが「海」と言うところで・・・何となく個人的に気分が乗らなくなってしまったんです。

以後、個人的に「バカの旅」を控えていました。
ガソリンパニックの大騒ぎがあったから、というのも枝葉部分での理由です。
それよりも、やはり何となく「旅にでもいくか!」という気分になれなかったのが幹の理由です。

で、4月に入って・・・そろそろ落ち着いたかなという気分になってきたので、あの「バカの旅」を復活しました。

復活第一弾は、4月12日。
やはりいつものパターンで夜勤明け後に職場からそのまま旅立ち!!!というパターンです。
今回のルートは奥秩父~雁坂トンネル~山梨~柳沢峠~丹波山・奥多摩そしてあとは自宅へ・・・と言うもの。

旅の模様は、後日、改めてUPします。

で、写真は今回の旅のものから・・・

てなわけで、暇を見て写真の選定とリサイズ・加工をぼちぼちと進行中。

そいじゃまた!


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Posted at 2011/04/13 18:08:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2011年04月11日 イイね!

選挙のこと・・・

どうも・・・
l||l_| ̄|○l||l

なんかとんでもない時間にブログ書いてます・・・

さて、統一地方選挙、取り敢えず終了ですな。
オイラの選挙区では県議会議員が無投票で決まっちゃたんで投票には行く必要がなくなってしまいましたけど。

ところで・・・・

今回の選挙で敗北した某党とか、あるいは都知事選挙の落選候補・・・
オイラ、すごくムカついてます!
何でかと言うと敗因に「震災の影響があった」と言ってる糞尿野郎が何人も居るからです!!!!

都知事選ではワタミだかハラワタだか知らないけど、どこぞの会社の親分も言っていたそうですな~!
また、某党についても同様・・・

あのさ・・・

お前ら、恥ずかしくないのか?
自分らが支持されなかったから落選したんだろ?
それをあの大震災のせいにするってどんなんよ?
あの大震災で傷つき倒れ、あるいは亡くなった方々に失礼だとは思わないのかね?
「負けたのは震災のせいだ」なんてよく言えたもんだな!!!

本当にコイツらって
人間じゃねえよ!!!!!!

まさに糞尿にも劣る連中だな!!!!!


まあ、そんな連中だから落選して当然だったんだろうけれどね!

要は「きちんと見極めている有権者」がたくさん居たってことなんだよな。

まあ、自分の落選を震災のせいにしちゃうようなゴミクズどもが政治に関わらなくて本当に良かったと思うよ俺は。

てなわけで、おしまいですっ!

.



Posted at 2011/04/11 05:24:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「@白の豚 さん
28万!
よーし、うちのコロプレ様もそのくらいまで頑張るぞー!」
何シテル?   03/10 22:12
<平成29年 4月 通年無間地獄!> 平成21年8月までコロナ・プレミオ前期型(しかも5MT)に乗ってましたが・・・まあいろいろあって廃車! 同年9月か...
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