私は日産、特にスカイラインのファンです(でした)。幼い頃にケンメリに憧れ、就職した時にR32GT-Rに衝撃を受け、いつかはスカイラインGT-Rに乗ることを夢見ていました。
そして、実際に所有したR33。世間的な評判はさておき、私にとっては最高に気持ちのいいクルマでした。もう一生、スカイラインを乗り継いで行こうとまで思いました。
しかし、その後、日産の経営は徐々に傾き、スカイラインの販売台数も激減。
そんな時にルノーからやって来たゴーン前会長、以来、日産の経営状況は改善されました。
ゴーン氏は日産の経営の建て直しを請け負って来たわけですから、その意味では完璧にミッションを果たした優秀な経営者と言えるでしょう。
しかし、同時に彼は日産が守り続けてきたものを、いとも簡単に捨ててしまいました。
私が愛してやまなかったスカイラインを…。
彼の就任直後に発売されたV35型を日産のディーラーで見たときの落胆は、今でも忘れられません。
なぜこのクルマがスカイラインなのか?何かの間違いでは??
しかし、テールエンドにはハッキリと「SKYLINE」の文字が…。
頭が真っ白になりました。元々、このクルマはスカイラインという名前で発売される予定ではなかったと、数々の記事で呼んだ記憶があります。
おそらく、ゴーン氏はスカイラインという名前が日産のイメージリーダー的なクルマであることを知って、丁度R34型スカイラインの後継車の開発が凍結されていたことに目をつけ、このクルマに「スカイライン」という名前を与えたのでしょう。
もし、このクルマがローレル、もしくはセフィーロと名づけられていたのなら、私はすんなりと受け容れられたと思います。
(2車のファンの方、ゴメンなさい)
しかし、スカイラインという名前は、特別な存在なのです。
愛されるクルマには、愛される名前があります。長い時を経れば経るほど、そのクルマは名前とともに愛されていきます。
特に日本車は、ドイツ御三家のように英数字のみで表される車名ではなく、それぞれの車名に開発者たちの思いが込められているものばかりです。
その中でも、スカイラインという車名には、そうした思いが最も詰まっているのだと思います。
青空をバックに山並みの稜線を疾走するクルマ、CMでよく見る光景ですが、その光景を車名として冠せられた、まさにクルマの中のクルマといえる存在、それがスカイラインなのです。
そんな思いが詰まった名前を、ちょっと出来のいいクルマが仕上がったからといって、あとから名前だけをすげかえるというのは、どうしても納得いきませんでした。
ただ、ゴーン氏はGT-Rには思い入れがあったようで、GT-Rコンセプトを見た時には
「あぁ、やっとスカイラインが帰ってくる。ゴーンさんもスカイラインの伝統を捨ててはいなかった」と思ったものでした。
しかし、実際に発売されたのは「日産GT-R」。スカイラインの名前はどこにもありませんでした。かつて、コロナ・マークⅡがマークⅡになったり、サバンナRX-7がRX-7になったりと、派生車種が独立して正式な車名となる例はありますが、30年以上に亘りスカイラインのトップに君臨し続けたGT-Rが、スカイラインらしさを色濃く残したフォルムをまとっているにもかかわらず、スカイラインとは別のクルマになってしまったと知った時、V35型を初めて見たときと同じく、いや、それ以上に深く落胆しました。
もうスカイラインは永久に帰ってこないと…。
案の定、それ以降のスカイラインは名前だけがスカイラインであり、中身は欧米向けに開発された乗用車でしかありませんでした。今のスカイラインに至っては、日産のマークまで捨ててしまいました。
もちろん、現行型はそれなりにカッコいいし、走りもいいし、クルマとして見れば良いクルマだと思います。ただし、スカイラインではありません。
今回、ゴーン容疑者逮捕のニュースを聞き、真っ先に思ったのは、けしからんとか、彼がどんな罪を犯したのか、ではなく、彼が日産を去ることにより、もう一回、伝統が復活するのではないか、といった淡い淡い期待でした。
もちろん、そんなことが簡単に起こるわけがないとは頭ではわかっていても、丸型2灯テールランプをまとったスポーツセダンが復活するのではないかと、夢に見てしまいます。
R33を、家庭の事情により泣く泣く手放した時、ディーラーの方に形見のように頂いた赤バッジは、今も私の宝物です。
スカイラインが帰ってくる日を夢見て…。
Posted at 2018/11/29 19:15:01 | |
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