
私の地域では快晴続きのおだやかな正月だけど、年末にちょっとした怪我をしたせいでバイクも車も乗れず、仕方ないのでずっと家で本を読んだり映画を観たりしながら、その合間にYoutubeのライテク動画を漁っている。
働いている力学が直感的にわかりやすく、乗り方の「正解」へのコンセンサスがある程度とれている四輪(スポーツドライビング)の座学と比べて、二輪(スポーツライディング)の座学というのはその物理特性の複雑さゆえか人によって言ってることが全然違ってたりして、複数のチャンネルをハシゴしてるとだんだん混乱してくるけど、そこがまた面白い。
四輪の理論とは、突き詰めていけば4本のタイヤのグリップを最大限引き出すためにハンドルと2つのペダルという限られたインターフェイスに何をどう入力するのか、ということに尽きるんだけど、二輪にはそういった「入力系」の操作と同時に、自分自身がバイクのマス=運動体の一部となって運動力学に直接関与するという「荷重系」の操作も存在するから、そのぶん話が複雑なのだ。
バイクの傾け方一つとってもそうだ。ある人は「ハンドルをこじらず体重移動で自然に傾けて生じるセルフステアを活かせ」と言う。別の人は「体重移動だけでは曲がらないんだから逆ハンを意識しろ」と言う。最後まで動画を見ると、たいていは「でもまあどっちも必要よ」みたいな結論にはなるのだけど、そのどちらをより意識するかのスタンスは人によってけっこうきっぱり分かれる(いくつかの動画を観た印象だと、自然リーン派はモータージャーナリスト系の人が多く、逆ハン積極活用派はプロレーサー系の人が多い気がする)。そしてその背後には、それぞれを信奉する我々一般ライダーがたくさんいるはずだ。
四輪だと、はっきりと意見が分かれる(つまり、論争ネタになりうる)トピックって「コーナリング中にクリッピングポイントまでブレーキを引っ張る」か「直線でブレーキングを終わらせて早めに脱出体制を作る」かみたいなことくらいしかぱっと思い浮かばないから、やっぱりバイクは奥が深いなあと思う。
で、そんなふうに異なるライディングセオリーを信奉する複数の流派が生まれる理由って、一体どこにあるんだろう。
たとえば、それはバイクに乗り始めた時代の違いなのかもしれない。
我々リターンライダーの多くは、若い頃に読み漁った数十年前のライテク本や雑誌がそのライディング理論の基礎になっていることと思う。
そんな本を書架の奥から引っ張り出してあらためて読んでみると(トップ画像参照)、最近のライテク動画とは真逆のこと言ってるなー、みたいな記述もちらほらある。当然のことながら、20年、30年の間に車体もタイヤも進化して、前提条件となる運動特性が変わってしまっている。また、当時は一般に信じられていたけど実は間違いでした、みたいに、歪められたまま独り歩きしてたセオリーも結構あると思う。
たとえば昔はハングオフといえば、頭はバイクの鉛直線上に残し、弓を引っ張るように腰をイン側に入れて体幹をしならせる、みたいなのが定説で、当時のタイヤ性能ではそのくらいが限界だった。だから今でも、頭をトップブリッジ上から外さないよう意識して乗っている人もけっこういるんじゃなかろうか。
また、私が免許をとった頃の教習所では、背筋を伸ばして「逆反りぎみ(胸を張る)」にして乗るよう教えてた記憶があるが、一方で今手元にある30年前のライテク本を見ると、上体の姿勢は「猫背」を推奨している。現代では昔の教習所寄りの、背筋を伸ばしたまま骨盤ごと前傾するというのが一般的なように思う。昔の本の「猫背」理論が当時として一般的だったのかあるいはその本の著者の独自のスタンスだったのかはわからないが、おそらくこの30年の間にサスが進化したおかげで、上体をしならせて路面ショックを吸収する必要性が薄れたのだろう。
リターンライダーの我々がバイクから離れていた間、ライディングセオリーも変化してきたはずなので、何がまだ通じて何がもう古いのか、ひとつひとつ確認しながら知識をアップデートしていくのはけっこう骨が折れる。
それからもちろん、想定している場面の違いというのもある。多くのプロレーサー系ユーチューバーは「公道もサーキットも基本はいっしょです」なんてことを言うが、旋回姿勢を取る時間の長さが全然違うので、コーナーでやることの優先順位は変わってくると思う。サーキットでは深く長くバンクを維持して旋回能力を最大限引き出したいけど、不確定要素だらけの公道では大きな姿勢変化を避け、なるべく短時間のうちに浅いバンクで旋回を終わらせたほうがいいんじゃないか、と私は思う。
ただ、そういった時代だとか想定状況といった違いとは別に、複数のチャンネルのそれぞれのライディングセオリーを聞いていて感じたのは、これらってただの人それぞれの言語化の仕方の違いでしかなくて、けっきょくのところ同じことを言ってるんじゃなかろうか、ということだ。
リーンのときに、ある人はハンドルを操作する腕の方により意識が向いていて、別の人は体重移動する腰や足のほうに意識が向いていて、でもやってる一連の流れには本質的な差はないのかもしれない。
とくにYouTubeだと「こっちが間違いでこっちが正しい!」みたいな断定的なナラティブのほうがビューを稼ぎやすいし、短い時間の中で言葉で結論を示さなきゃいけないからよけい混乱を招きやすいんだろうけど、YouTubeだろうと対面だろうと、そもそも身体感覚を客観的に言語化すること自体が本来はほとんどムリな話なんじゃなかろうか。
個人的には、これまでやってきた身体感覚系スポーツで、コーチに言われたり技術教本で読んだことで「なるほど!」と腑に落ちて身につけられた経験なんてほとんどない(わずかにはあるけど)。だいたい私はレッスンみたいなので人に教わるのがひどく苦手なのだ。アドバイスをもらえばもらうほど混乱するタチで、たいていはレッスンが始まったときより終わる頃のほうが下手になっている気がする。
まあこう書くと、教える側じゃなくて教わる側の問題のような気もしてくるけど、私みたいに「身体をこう動かしなさい」みたいな教わり方をしてもピンと来ないししっくり来ないという人というのはそれなりにいるはずだ。
そんな我々にいちばん合っている上達方法はたぶん、「ステップを踏め」とか「内ハンドルを押せ」とかいった操作方法を習いそれを頭に叩き込んですぐ実践してみることじゃなくて、「バイクはなぜ曲がるのか」みたいないちばん根っこにある運動力学を理解し、かつそれをいったん頭の奥底にしまいこんで数ヶ月から数年熟成させることなんじゃないかと思う。
私が若い頃に読んだライテク本に書いてあったセオリーって、読んだときは正直なんのことかさっぱりわからなかった。そしてわからないまま言われたとおりやってみて、それが実際にバイクの挙動に狙った効果が出てるのかは関係なく「言われたとおりにできているかどうか」を目的化していた。
でも20年近くのブランクの間にそんなセオリーの細かいところなんて忘れてしまい(だってバイクなんか二度と乗ることはないと思ったんだから)、でも運動力学の大事なエッセンスみたいな部分はなんとなくイメージとして心の片隅に残っていたように思う。
そのおかげか、20年後に再びバイクに乗ってしばらく乗っていたら、不思議なことに昔よりはるかに自然に、はるかに落ち着いてバイクを操れていることに気づいたのだ。その間にライテク本も動画も何も観ていないにも関わらずである。それはつまり、「考えながら乗る」ことを無意識のうちにやめていた、ということなんだと思う。セオリーの部分を意識しすぎると、身体より思考が優勢になってぎこちなくなる。セオリーなんてものは誰かが無意識にやっていることを無理やり言語化したものに過ぎない。
じゃあ何を持って「正しく乗れているか」をチェックするかと言うと、それはもうタイヤと車体と自分自身の状態をその瞬間ごとに感じ取るメタ認知能力を高めるしかない。それぞれの関係性が自然でどこにも無理がかかってないように感じたのなら、つまり「乗りやすいなあ」という心地よさを感じたのなら、それはきっと自分にとっての正しい乗り方なのだ。
だからさ、いろんなライテク動画やライテク本やスクールの投げかけてくる大量のセオリーを貪り頭を悩ませながらバイクに乗る必要なんて全然なくて、座学は座学として「ふーん」と聞いて頭の片隅に追いやっておけばいいんですよ。
今さら誰かに教わった理想フォームをなぞるよりも自分の直感を信じるほうが(特に経験値と反比例して人に教わる力が弱くなっている中高年ライダーにとっては)役に立つし、ブルース・リーじゃないけど「考えるな、感じろ」、ジェダイじゃないけど「今この瞬間の生きたフォースに集中しろ」なのである。
Posted at 2026/01/04 23:53:26 | |
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運転 | 日記