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Danny Wongのブログ一覧

2026年03月20日 イイね!

理想の旅バイクとは?(を知るために旅に出ます)

理想の旅バイクとは?(を知るために旅に出ます)二輪免許を取ろうと決めたとき、バイクに乗ってあなたが一番したかったことって何?





と聞かれたら、「旅」と答える人はすごく多いと思う。

一方で、満足な頻度で(たとえば2ヵ月に1回くらいのペースで)1泊以上のロングツーリングに出られている人の数は、それよりぐっと減るんじゃないだろうか。仕事もあるし家族にも気を使うし、1年の中で雨に降られるリスクの少ない快適シーズンも限られるので、そういうことが気兼ねなくできるライフステージ(つまり子育てが終わり仕事でも自由の効く立場)に到達しないと、ロンツーの計画を立てるのもなかなかままならない。私もこれまでのライダー歴の中で、泊りがけの旅行など両手で数えられるほどしかできていない。

ああ、旅がしたいね。

そんなことを思って、ドゥカティのムルティストラーダという荷物がいっぱい乗りそうなツアラーバイクを買い、それから半年あまり経った。が、まだ旅に出ることは叶っていない。

そんなわけで今日は、理想の旅バイクってどんなのだろうというテーマについて考えてみる。ひととおり考え終わったら、行き先を決めて荷物をまとめて2泊3日のひとり旅に出かけるのだ。

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ーーー

最初のロングツーリングは、免許を取って1年目くらいに友人と出かけた北海道だったと思う。すでに社会人になっていて、夏休みとして許された有給休暇の1週間ほどをそれに費やした。相棒はヤマハのFZ400。どんなルートを通ったのかうっすらとしか覚えてないけど、東京から北へ自走し仙台かどこかからフェリーに乗って函館あたりに上陸し、いわゆるライダーズハウスみたいなところに泊まりながら宗谷岬まで足を伸ばしたように記憶する(ライダーズハウスでは、他のバイク乗りグループに出会うよりも、真っ黒に日焼けして農場で夏バイトしてる自分探しの旅中の若者と枕を並べることのほうが多かったけど)。

夢が叶ったはじめての北海道バイクツーリング。それはそれは、まさに夢のように楽しい時間だった。

FZ400というマシンは旅バイクとしてなかなか優秀で、当時はツアラーといえばレプリカより若干マイルド仕上げのフルカウル・セパハンモデルが主流だったように思うが、FZのアップライトなネイキッド姿勢としっかりしたウインドスクリーン、400ccにしては安定感のある大きめ車体と扱いやすい4気筒エンジンという組み合わせはロングツーリングにうってつけだったと思う。初めて買ったバイクなので他車種との比較はできなかったけど。

ただし、サイドパニアもトップケースもないので、荷物はツーリングバッグに入れてピリオンシートに括り付けるしかない。昨今ではどんな車種にも気軽に社外パニアが付けられるが、当時はフルパニアなんて一部の本格大型ツアラーにしか付いてないような装備だったから、荷物運搬可能な状態を作るのは泊りがけツーリングのときだけだったし、逆にそれがワクワクした。荷物を括り付けると自分のバイクが旅モードに切り替わったみたいな気分になるのだ。

それに、限られたスペースに工夫して荷物を詰め込むのも楽しかった。キャンプガチ勢の皆さんなどには遠く及ばないけれど、少ない容量をいかにマネジメントするか、というのはバイクの旅の醍醐味のひとつだと思う。ただパニアが付いてればよいとか積載力が大きければよいという話でもなくて、荷物を載せるという行為にワクワクさせてくれて、旅のムードを盛り上げてくれるというのが大事な気がする。ということで旅バイクのひとつめの条件は、荷物を載せた姿がサマになること。旅行中はバイクの入った風景写真いっぱい撮るしね。

FZ400のあと、しばらくはSS/レーサーレプリカ系ばかり乗っていたため、あまり長旅というほどの旅に出た記憶がない。何度かどこかに遠出した記憶はあるが、どっちかというと長時間ライディングの苦痛のほうばかりを覚えている。

その後、20年近くのブランクを経てバイクにリターンし、ハーレーのファットボブという車種で2度ほど泊りがけのソロツーリングに出かけた。それらはどっちかというとバイクの旅を楽しむためというより、たまたま泊りがけの用事があってその足にバイクを選んだ、というところだったけど、久しぶりのロンツーにはやはり心躍った。

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さすがにハーレーだけあって、高速道路主体の旅は非常に心地よい。どっしり安定しているし、フロントスクリーン無しでも意外と風に疲れないし、アクアラインを通って千葉に向かったときの海ほたるから木更津にいたる海上区間なんて最高に気持ちよかった。ありがちな表現だけど、エンジンの鼓動を感じながら一定速度でまっすぐ走り続けているとだんだんトランス状態みたいになってくる(運転中に本当にハイになったらやばいけど)。スポーツバイク好きとしてはコーナリングこそバイクの喜びのようについつい考えてしまうが、直線道路を走り続けることの気持ちよさもまた捨てがたい。ただひたすらまっすぐ走ることに退屈させない、それが旅バイクのふたつめの条件だ。

ファットボブに一つ難点があったとすれば、ハーレーはわりかし駐車に気を使う、という点かもしれない。ファットボブは比較的地味なバイクだったけど、一般的にハーレーはデカいし重いし目立つし盗まれる。いや、ハーレーばかりが盗まれるというのはもう昔の話かもしれないけど、デカくて目立って高価なバイクは駐車場所に何かと気を使うのはたしかだ。それに、猫っ可愛がりしてしまうような「愛でる系」のバイクだと、知らない土地で屋外駐車場に一晩駐車しておくのも気が気じゃなかったりする。ということで旅バイクの3つめの条件は、目の届かないところに駐車しても、多少傷ついても気にならないような、消耗品たる道具として割り切れるバイクであること。

そんなファットボブは、サイズ感とフィーリングとデザイン面でより私好みだったトライアンフ・スピードマスターに乗り換えた。スピードマスターは1700cc超のファットボブのような怒涛のトルクも腹の底に響くような大音量もなかったけれど(つまりファットボブよりもっと地味だったけど)、そのかわり私の体格にぴったりな等身大の心地よさがあったし、エンジンはハーレーよりも牧歌的で、まっすぐ走ることがハーレーよりもさらに気持ちよかった。そしてハーレーよりもずっと自然に曲がるバイクだった。

そのかわり、ちょっと曲がった道に入るとすぐにステップを擦った。自然に寝てはくれるものの、最大バンク角がそれを許容してくれない感じだ。屈曲率の高いコーナーが続く峠ではとても神経を使う。そんなわけで、クルーザーはもう卒業でいいかな、ツーリングの目的地や道中のワインディングでも気持ちよく走れるバイクがいいな、と思ったのがムルティストラーダを手に入れたきっかけになった。ときには立ち寄りたい場所が狭い林道の先にあることだってある。だからいろんな走り方への対応力・走破力があって、走れる道を選ばないこと、それが旅バイクの条件の4つめだ。

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とはいえ、峠はともかく丘陵地帯のような緩やかなカーブではスピードマスターは実に気持ちいい旅バイクだった。去年の5月、ふと思い立って休みを取り、ソロ一泊二日で長野県のビーナスラインをこいつで走ったけど、それはそれは最高の体験で、そして最高のバイクチョイスだった。なまじコーナリング性能が高くない分、逆にライダーを急かさず、ゆっくり走って景色を楽しもうという気に自然とさせてくれるという意味で、スピードマスターはやっぱりとてもいい旅バイクだ。5つ目の条件はこれにしよう。ショートツーリングのようにワインディングの走りを楽しむ「アドレナリン系」のマインドから、のんびり走ることを味わう「セロトニン系(いわゆる幸せホルモンというやつ)」のマインドに切り替えることが、きっとロングツーリングのコツだ。

そしてもうひとつ、ビーナスラインを走って気づいたスピードマスターならではの魅力がある。こいつは250kgもあるとは思えないほど取り回しがラクなうえ、乗り降りが抜群にラクなのだ。

全長数十キロに及ぶビーナスラインのようなツーリングの名所を走っていると、ところどころで道路脇の絶景スポットに出会うことになる。そんなとき、シート高が低ければとても気軽に、道路脇に見つけたすべての景観ポイントに立ち寄ってバイクを止め景色を眺めることができるのだ(なんせスピードマスターはシート高が700mmほどしかない)。せわしなく先を急ぐより、どうせなら気軽に立ち止まりながら道中をゆっくり楽しみたい。乗り降りや取り回しへの心理的抵抗が少ないことが旅バイク6つめの条件だ。

こうやって理想の旅バイクの基準を言葉にしてみると、意外とムルティストラーダには当てはまってない項目が多くてちょっと困っちゃったけど、この子がどこまで期待に応えてくれるのかを確かめに、ちょっくら旅に出てきます!
Posted at 2026/03/20 22:12:41 | コメント(2) | トラックバック(0) | バイクでお出かけ | 日記
2026年03月07日 イイね!

デカールおじさんのドヤ顔

デカールおじさんのドヤ顔山の路面温度も上がり、ついにドライで凍結レスで融雪剤レスな季節が到来です。

ついでに花粉祭りも到来です。バイクに乗ろうにも車に乗ろうにも、ミノフスキー粒子を散布されてるかのごとく運転感覚が狂いまくりじゃ。

そんな移りゆく季節の中、ニダボに乗って箱根に行ってきました。



午前中にレッドバロンに寄って初回点検とオイル交換を済ませ(バロンは近所なうえに予約無しですぐやってくれるし、国産小排気量車は工賃も部品代もお手頃なので、外車の遠方ディーラーに慣れてる身としては感動的なまでに気楽なのがよい)、慣らし終了後の高回転域を試すべく、その足で出撃です。

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いつもの大観山。



あれ、こんなコーン前からあったっけ?
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ドリフト禁止の注意書きでした。箱根じゃドリフト族なんて見たことねえぜ。いや、ひょっとして夜になると湧いてくるのか?そういやこないだ逮捕された連中がいたな。なんだっけ、そうそう、「日本マジキテル連合」だ。マジかよその名前。基本こういった人たちはレッカー代を持ってなさそうなので、人力じゃ回収不能になる山道でドリドリしてるイメージがあまりない。



それはともかく、このニダボ。あらためて見ると、サイドカウルの狭間には誇らしげに”THROTTLE-BY-WIRE”の文字が。すろっとる・ばい・わいやー。
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メーター横でもご丁寧に"3 Riding Modes"と謳う。3らいでぃんぐ・もーどね。うん、知ってる。
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そういえば前にレンタルで乗ったYZF-R125にも、リアカウルに”A&S CLUTCH”=あしすと・あんど・すりっぱー・くらっち、と書いてあったな。
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なんぞこれ。考えてみれば、変なデカールじゃね?え、そこ推すの?みたいな。

小排気量バイクの傾向なのだろうか。スロットル・バイ・ワイヤーもアシスト・スリッパー・クラッチも、付いてりゃそりゃありがたい装備だけど、そこまで誇らしげにアピールするほどのことでもなくね?

あるいはこれは、ある種のメーカー特有の傾向なのだろうか。もちろんこれらは大型バイクなら当たり前の装備なのでYZF-R1とかCBR1000RRRとかにわざわざ書いてあるとは思わないけど(未確認)、ほかの何かが書いてあってもおかしくないような気はする。INLINE-4とか、SUPERCHARGERとか、なんとかかんとか。

これらをスペックデカール、とでも呼びましょうか。メーカー名と車名以外の、スペックや装備品をあえてアピールしてるデコレーション類。

GSX-R125にも”ABS”というステッカーが付いてたけど、これはあんまり違和感ない。なぜだろう。ブレーキのそばにあるからただの説明サインに見えるゆえだろうか。それとも原付2種特有の「君たちはどんどん自己主張したまえ!」感ゆえだろうか。
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思い返してみれば、80年代くらいまでの自動車にもこういうのよく付いてたよね。TURBOとか、DOHCとか、16-VALVEとか。うん、たしかに80年代っぽい。こういう車名やグレード名ではない仕様表示エンブレム、90年代あたりを境にすっかり見なくなったな。

あれはつまり、自動車技術が発展途上だったからこその、「俺の愛車、ターボがついてるんだぜ、すげーだろ」「このエンジンな、DOHCなんやで、どや」という、新型装備がそれだけで自慢になった旧き良き時代を反映していたのだろう。さっき勢いで「スペックデカール」って名付けちゃったけど、「ドヤ顔エンブレム」と呼んだほうが合ってるかもしれない。

並グレードに対するスポーツグレードの凄みを演出するための、ささやかな差別化。

車に詳しくない人でも読めば伝わる、最先端のアピール。

ニダボやYZF-R125のスペックデカールも、そんな時代の演出手法の名残りを無自覚のまま引っ張ってるような気がする。

そこ行くと最近のスポーツバージョンは、エンブレムはグレード名だけで済ませ、言葉には頼らずダイレクトにエアスクープとか大径ホイールなど見た目の派手さで訴えてくる。グレード名見て分かるのは車に詳しい人だけだし、アグレッシブてんこ盛りエクステリアは「なんか変なのがおる!」って言って一般人にはむしろ引かれかねない世相なので、アピールの方向性としては昔よりかなり変態じみてると言えるかもしれない。



これね、なんでこういうデカールが採用されてしまうのか(こういうの好きな人には「されてしまう」という言い方しちゃって申し訳ないっすけど)、二通りの仮説があると思う。

ひとつは、デザイナーが最初のラフスケッチの段階で、ともすれば似たようになってしまうデザインに、もっともらしさを出すために手癖で入れてしまっているという可能性。だいたい日本人ときたら、なんでもかんでもデザインアクセントとして英語フレーズを入れときゃカッコよくなると思ってんだから。

実際のところ、「同クラスの他社製品に先駆けて電スロを採用したことをアピールしています」みたいに言語化しやすいデザインコンセプトを含めておくとプレゼンで受けやすいってのは、ある。そして最初の段階で試しに入れてみたら、誰も異を唱えないまま最終製品まで進んでしまった、という。

もうひとつの仮説は、80年代ドヤ顔エンブレムが刷り込まれてしまっている世代の取締役あたりが最終承認段階でゴリ押ししている、という可能性。

「キミ、せっかくコストをかけて電スロ採用したんだから、デカール貼ってちゃんとアピールしときなさいよ」とか言い出して、下っ端のデザイナーとマーケターたちが内心「えー勘弁してくれよ」とか思いつつもしぶしぶデカール付け足してるのかもしれない。どこの組織にもそういう思いつきで喋るタイプの上司がいて、「80年代じゃあるまいしそんなのダサいですよ」なんて反論すると面倒だってことはみんな嫌というほど経験しているのだ。

そしてわたくしが想像するに、そういうのをやたら貼りたがるデカールおじさんたちというのはおそらく、「リアルタイプ・ガンプラ」世代でもある気がするのですよ。車体番号とか装置名とかのミリタリー調デカールがいっぱい付いてきたガンプラ、昔あったよね。あのセンスと、スペックデカールはどことなく地続きになっている気がする。ミリタリーならカッコいいけど、民生品で盛りすぎるとちょっとうるさい気がする。

あ、あと、ポルシェとかアバルトのサイドのドア下部を走る 「||Il PORSCHE」とか「||Il ABARTH」というデカールラインも実は個人的にはちょっと小っ恥ずかしく感じて、私の乗ってたアバルト595ツーリズモからは剥がして乗ってたよ。私のなかであれの気恥ずかしさがどこから来てるのかは、ちょっとじっくり考えておきたい。「言われなくても知ってるよ!見りゃ分かるよ!」という主張のしつこさなのだろうか。あるいは、ブランドアピールが過ぎると帽子やジャンパーまでアパレル全部をポルシェやアバルトで揃えてそうな人に見えてしまうところだろうか。

このまま書き続けると多くのクルマ好きをディスることになりそうなので、今日はこのへんにしときます(笑)
Posted at 2026/03/07 17:51:57 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日常 | 日記
2026年03月03日 イイね!

僕らのクルマのディストピア

僕らのクルマのディストピア今の20代、30代の若いクルマ好きたちが、趣味の対象としてのクルマの未来をどう考え、どんな夢を抱いているのかを私は知らない。彼らと話す機会があんまりないから。

しかしガソリンエンジンの黄金時代、スポーツカーが輝いていた成長時代を見てきた40代、50代、60代のあなたは、クルマを取り巻く環境がどんどんつまらない方向に進んでいると感じているし、欲しいクルマはどんどんなくなっているし、ワクワクする要素なんてあんまりないよ、とぼやいてることでしょう。違いますかね?(70代以上の方々は、むしろ自動運転のおかげでドライバー寿命が伸びてうれしい、という面もありそうですけど。)

僕ら中年、つまり第2次ベビーブーマー±10歳くらいの年代にとって、クルマ趣味とは常に自分の可処分所得の上昇線とクルマの楽しさの下降線との間の追いかけっこだった。欲しいクルマが買える余裕ができた頃には、本当に憧れていたクルマはもう市場から消えている。

まあそれでもね、環境対応のために刺激が薄れてしまったエンジンも、衝突安全のためにデブってしまったボディデザインも、貧富の差の拡大のために縮小してしまった大衆スポーツカー市場も「まあ時代の変化だから仕方がないね」と思って現実に折り合いをつけながら、今の社会で許される範囲でそこそこ楽しんでいる。

だけど2020年代も後半に入ったここからは、もっと根深いレベルでクルマ好きにとってのディストピアが本格的に始まりそうな気がしてならない。背景にあるのはAIと通信技術の発達、そして自動車の完全な家電化・コモディティ化。80年代ならいざ知らず、今やクルマそのものが好きで運転を楽しんでる人は全ドライバー人口の中でも圧倒的少数派なんじゃなかろうか。

クルマ好きにとってのディストピア。それってどんなものだと思いますか?

たとえばGPSと連動して、走ってる道の制限速度をオーバーしそうになると自動で速度リミッターがかかるクルマ。

さらに、制限速度をオーバーすると車載のケータイ通信で自動的に警察に通報しちゃうクルマ。

それはいやだ。

道を走る自動車のドラレコがすべてネットに繋がっていて、ほかの誰かの違反行為を見かけたらボタンひとつで警察に証拠動画とともに通報できちゃう社会。最初は煽り運転と危険運転の対策として始まるけど、そのうちみんな、気に食わない運転をしている周りのドライバーを些細なことで通報しまくるようになる。

今だって既にそうじゃないか。誰かの危険運転からうっかりミスに至るまで、あらゆる違反をショート動画サイトにアップして言いつけたがる正義マンがたくさんいるじゃないか(危ない運転されてモヤる気持ちはわかるけど)。

もっと怖いのは、すべての自動車のドラレコ映像や街中の監視カメラ映像が自動で収集され、AIが分析してあらゆる違反運転を漏れなく摘発する社会。

それはいやだ。そんな社会いやだ。

「え?だったら違反しなけりゃいいだけのことじゃん。法を守ってる一般市民には関係ないじゃん。」と言う人がけっこういそうで怖い。

そういう問題じゃない。そういう問題じゃないんだよ。

日本の道路の制限速度が、通常の交通事情において最初から守られないことを前提とした非現実的な設定になっていることはひとまず置いておくとしよう。仮に、日本の制限速度が英国並みに緩かったとしても、だ。

市民社会のあり方として、「社会の隅々まで全部監視しちまえ」という発想は怖い。そんな発想を簡単に許容しちゃう国民性が怖い。

それはとても、とても怖いことなのよ。と少なくとも私は思う。

一瞬だけめちゃでかい主語を持ち出しますが、法律の”執行”(enforcement)に関する日本人の感覚にはときどき、(たとえば革命を経験してきたフランス人なんかの考え方に比べると)なぜか自分の自由より他人への束縛を優先するような傾向が見て取れる。かつての村社会を維持してきた相互監視文化が染み付いているわりには、なのか、それが染み付いているからこそ、なのか分からないが、法執行の力を市民自らがコントロールするのではなく簡単に「お上」に手渡してしまうようなナイーブさを、ときおり感じる(でかい主語はここまで)。

これを書いている今も、窓の外をいかにもやんちゃそうな小僧どもの爆音バイクがコール(ぶんぶん、ぶぶぶぶん、ってやつ)しながら夜の田舎町を練り走っている(家のすぐ前の交差点で律儀に信号待ちするからよけいうるさい)。近所迷惑だし、治安の面でマイナスなのは確かだし、警察はなんで取り締まらんの?と思う。毎晩やってるから張ってりゃ一網打尽だぜ?

しかしそう思う一方で、自分自身がよっぽど困ってる案件ならともかく、第三者の正義感を動機とした通報ってのはあんまりしたくない。めんどくさいからではない。彼らに対し同情的だからでもない。自分の利害に直接関わったり自分や誰かに危険を及ぼしたり、あるいは軽微な違反を超えた深刻な犯罪行為にまでつながらない限りは、なんというか、その行為をいつまでも続けるのかそのうち目を覚ましてやめるのかを彼らの良心と成長力(と、彼ら自身の周りの大人の愛情)に委ねたいのだ。やんちゃなガキは社会の安全と治安維持の面では邪魔な存在かもしれないけど、でもそんなやんちゃさを国家権力を持って100%燻蒸消毒してしまうような社会も、巡り巡って息苦しさにつながるような気がするのだ。この感覚、わかるだろうか。

仮に日本中の法律違反をすべて検知できるテクノロジーがあったとして、そんなものに頼って不適切行為を完全排除して作った100%クリーンな社会は、果たしてユートピアなのだろうか。

不良行為を行なうのかも、善行を行なうのかも、国家権力や国家宗教や国家倫理機関に一方的に決められるのではなく、個人自らの自由意思に基づいていてこそ成熟した市民社会と言えるんだと私は思うんだが、違うだろうか。

もちろん悪意を持って行われる危険な重大犯罪は絶対に取り締まらなければいけない。けど、立法にも法の執行にもあるていどのグレーゾーンは必要で、軽微な逸脱(つまり、反社会的悪意を持たない一般市民でも犯しうる、取り返しのつくレベルの違反)まですべて機械的に摘んでしまうと、人間社会において個人が自由な良心を持つことの意味がなくなってしまう。

交通違反の話に戻せば、とある道路をあなたが時速40km/h以下で走るのは、制限速度でそう規定されているから以前に、そこを40km/h以上で走ることは危険だとあなたが自分自身で判断したから、であるべきなのだ。違法駐車も一時停止も同じで、交通標識は盲目的・機械的・自動的に従うためのものではなく、そこに危険があることを自分で予測するための判断材料であるべきなのだ(標識を無視していい、という意味では決してないですよ!)。

そして「法律だから」「機械がそう判断したから」「違反すると自動的に通報されて反則金を取られるから」という理由でルール遵守するのではなく、安全運転かどうかを自分自身で判断する感覚を磨き続けないかぎり、僕らの優良ドライバーとしての勘どころはどんどん衰えていく。先に書いたとおり、それは人間の尊厳と自由意思の敗北だ。

さて、真面目な話が過ぎたので、ディストピアの話に戻しますが、皆さんにとっての「将来のクルマがこうなったら嫌だ!」とか、すでに始まっている兆候はなんですか?ぼくは、ふるいくるまの自動車税がいまよりもっと高くなっちゃったり車検がとおらなくなっちゃったらすごくいやなので、やめてくださいおねがいします。
Posted at 2026/03/03 20:06:55 | コメント(3) | トラックバック(0) | 運転 | 日記
2026年02月28日 イイね!

大型二輪免許って不要?必要?みたいな話

大型二輪免許って不要?必要?みたいな話ムルティストラーダを引っ張り出して箱根へ向かう。

これでようやく、3台とも今年の初乗りは済ませた。ちょっとした療養をしてたので、しばらく乗れなかったのよ(病み上がりなので、全部近場の箱根行きでした)。

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少し前に雨が降って、富士山は雪化粧。しばらく暖かかったので、路肩の雪も消えて路面はもう完全ドライだし、融雪剤ももう新たに撒かれることもなく雨で流され消えている様子。

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いつもどおりまずは大観山に寄ったあと、芦ノ湖スカイライン方面に戻る。ムルティは腰をずらしてしゃかりきに飛ばすのでも、どかっと座ってのんびり流すのでもなく、バイクが走りたいスピード、バイクが倒れたがる自然なバンク角で「馬なり」に走ってあげるのがいちばん気持ちいい。

今持ってるバイク3台の中だと、こいつが一番の重量級。といってもガソリン抜きの装備重量でほぼ200kgなので実は「びっくりするくらい軽い」のだが、気持ちの上では今まで乗ったどのバイクよりも重たく感じる。こないだまで乗ってた約260kgのトライアンフ・スピードマスターはおろか、300kg超えのハーレーよりもムルティのほうが重く感じるしはるかに体力を使う。

なんせ引き起こしが重い。クルーザーに比べて高い重心がこんなに取り回しに影響するなんて、スペックだけでは分からないことだ。足つきは実はそんなに悪くないのだけれど(日本仕様は最初からローサスが入っているのでシート高が790mmまで下げられている)、少しでも左に傾いているところに停車すると、バイクを立てるのに「どっこいしょ」どころか「せーの、おりゃあ!」という感じで、年頃のおっさん(体力下り坂)には優しくない。私より年配でアドベンチャー系のデカいバイクに乗っているおじさま方にはもう尊敬しかない。

そして困ったことに……跨ろうとしても脚が上がんねえ(笑)。療養の間に明らかに身体がなまってやがる。しかたがないので左ステップに乗っかってから跨ぐスタイルに変更だ。ステップとサイドスタンドに全体重がかかるので、メーカーは推奨してないらしいけど、仕方ねえ。

そんなわけで久々に大きなバイクでちょいとばかり難儀したわけだけど、もちろんバイクが悪いわけじゃない。自分の体力と柔軟性の低下のせいだ。

そこで、思った。

大型バイクの醍醐味って、排気量よりも車体の大きさそのもののほうにあるんじゃね?って。

そこで今回は、あちこちでよく語られる命題「大型自動二輪免許は不要?必要?」について考えてみる。

個人的な結論から言うと、私にとっては大型免許は絶対的に必要なものです。

だって、なんだかんだ言って外車好きなんだもん。大型免許がないと、選択肢が圧倒的に限られてしまうではないか。

私が大型免許を取った頃にはまだ250cc2ストのアプリリアRS250という所有満足度最高のバイクが残っていたし、ドゥカティも日本向けの400ccモデルを出していたりはしたけど、基本的に海外メーカーが日本の免許事情のことを考えて製品企画してくれるのは稀である。かっこよくて美しい海外のスポーツバイクに乗ろうとすると、必然的に大型免許が必要になる。だから中型免許を取って3年後くらいに、大型免許を取りに教習所へ行った。

大型バイク(あるいは、たとえばハーレーのような特定の車種)に対する漠然とした憧れのある人はいるかもしれないけど、僕らの多くは本当は「大型バイクだから」って理由でそのバイクを買いたいわけでも、「大型バイクに乗りたい」と思って大型免許取りたいわけでもない。ただ選択肢を広げておきたいだけだ。

大型免許が必要か不要かの議論ってだいたい「400cc以下のバイクでも充分楽しめるよ。大型のパワーなんて公道では無用の長物っしょ」か「いや、トルクに余裕があることが大事なんだよ。大型のゆとりを一度知るともう戻れないよ」のどちらかの結論に落ち着く。

でもそれって暗に「大型=完全版」「中型=制約版」というのが前提になっていて、不要派と必要派どちらにしても、そんなヒエラルキー意識が根底にあるのではないか。もしかしたら昔の限定解除の頃の「大型乗りはスゴイ」という刷り込みもいまだに残っているのかもしれない。要するに、中型に乗るという選択にはどうしても「中型で我慢する」という妥協のニュアンスがついて回るのだ。

先に車趣味から始めた人間から見ると、そういった排気量差別には正直言って違和感がある。ロータスやアバルトなどライトウェイトスポーツカーに憧れて20代を迎えた私などにとっては、軽さこそ正義であり、パワーウェイトレシオこそが性能なのだ。

その違和感の正体ってのはたぶん、中型バイク・大型バイクの定義が免許制度上の排気量によって一義的に決まってしまい、僕らがそれを受け入れてしまっているという点にある。

クルマ趣味を語るとき、大きな車が好き、というのと小さなクルマが好き、というのとでは方向性が全然違う。小さなロータス26Rを好きな人が「でも本当はV8のカマロにステップアップしたいんだ」なんてことはあまり思わない。それぞれ全く別のジャンルだからだ。「今はミライースに乗っているけどいつかはSクラスに乗りたい」みたいなのはあるかもしれないけど、それは直接的なサイズが問題なんじゃなくて高級度合いの話だ。

でもバイクにおいては、中型バイクというものを大型バイクに到るまでの前座のようについつい見てしまう。

だから僕らはバイクについて語るときも、エンジン排気量とか免許区分とは別の文脈で「大型バイク」という存在を再定義するべきなんだ。

だって、この(私の元愛車)スーパースポーツSと、隣に停まっているアドベンチャーバイク(アフリカツインとGSかな)、どっちも区分上は大型バイクだけど、親子ほどサイズが違うじゃないか。
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私の乗っている中だと、ドゥカティ・スクランブラーなんかは800ccあるけど乗車感覚は完全に中型クラスのそれだ。一方でムルティストラーダはいかにも大型車って感覚がある。

それぞれの違いは単純な大きさとか重さとかトルクではなくて、バイクと人間が合わさったときのひとつの動体における人間側の存在感というか、全体の動きにおける人間の介入の仕方の違いだと私は思う。

スキー板に乗るように体全体をバイクと一体化させて「リードする」ことによって操るのが小中型バイクで、ステアリングやステップを通じて「入力する」ことで動かすのが大型バイク、っていうのが私の中でのそれぞれの違いだ。

そういった意味での中型バイクは、決して大型バイクの下位互換ではない。それぞれがバイクという乗り物の別の側面を体現した、違う乗り物なのだ。

だから、たとえばアドベンチャーバイクとSSの「どっちを手元に残そうかな」なんてことを考えてはいけない。別のカテゴリーの別の乗り物なんだから。複数バイクを所有していて「ちょっと持ち過ぎじゃない?」とか言われても、別の乗り物だから仕方がない。それはもう仕方がないことなのだよ。

最初の命題の「大型自動二輪免許は必要か不要か」に話を戻すと、もしこれからバイクの免許を一から取ろうという人がいたら、中型免許教習と大型免許教習の間に半年から1年の練習期間を取るのかあるいはすぐさま大型まで取っちゃうのかは本人の自信次第だけど、どっちにしても最終的には大型まで取得する前提で考えればいいと思う。

大型免許を取ったあと、大型バイクを買う必要は全然ない。

ただ、(上で私が定義した意味での)大型バイクに自分が乗りたいのかどうか、小中型のほうが好みなのかを判断するには、けっきょく大型免許を取っていろんな車種を体験するしかないんだ。

スポーツカーは「憧れ」で欲しかったクルマは実際に手に入れてもきっと間違いがないけど、バイクの場合は何台も何台も乗ってみてからようやく、自分がどんなバイクが好みなのかが見えてくるのだ。

だからバイクの多頭飼いは仕方がない。それはもう仕方がないことなのだよ。
Posted at 2026/02/28 17:22:39 | コメント(4) | トラックバック(0) | バイクでお出かけ | 日記
2026年02月23日 イイね!

人はなぜマフラーを交換したがるのか?

人はなぜマフラーを交換したがるのか?2月の連休の最終日。やけに暖かな日となったね。

久々にニダボを引っ張り出して向かった箱根路も予想どおり混雑していて、あまり見ないレベルで渋滞している国道1号線の下り線を横目に見ながら、大観山方面へ今日も向かったのでありました。

股下火鉢のドゥカティ乗りにとっては夏より冬のほうが快適シーズンなんだけど、今年の冬はあまりバイクに乗れなかったので、いちばんいい時期をもうすでに逃してしまったようなちょいと寂しい気分(もっとも、今の所有ドゥカ2台はそんなに熱くならないけどね)。

さて、ニダボは相変わらず小気味よく走ってくれる。前傾はきつめのはずなんだけど、ハンドルが遠すぎず乗車姿勢がコンパクトなせいか、2時間程度の山道主体ショートツーリングでは全然疲れない。そしてこのエンジンのトルクの出方は直感的にしっくりくる。大型と違ってスロットル開度の大きいところを積極的に使えるから、自分でトルクを「ぎゅーっ」って絞り出している感覚があって実に気持ちいい。

そろそろ1000kmなので初回点検に持っていく予定だけど、ついでに納車のときにつけ忘れたETCを設置してもらうつもり。最近は箱根の料金所もETCXが普及し始めているし。

そしてもうひとつ取り付けようか迷っているのが、社外サイレンサー。

なんでだろう。僕らの世代って、マフラー交換を検討するのが無意識のうちにデフォになってたりしませんか?

マフラー交換するのがデフォとまでは言わないけど、少なくとも検討するとこまでは必ずやる。検討した結果、交換不要という結論に至ることはあるけど。

たとえば、最近のドゥカティはマフラー変えてもしょうがねえや、と思う。テルミニョーニやアクラボヴィッチの純正オプションスリップオンサイレンサーは、変わるのは見た目ばかりで音なんてほとんど変わりゃしない(そのくせとんでもない値段で売っている)。おそらくでっかいキャタライザーの内部で排気音調律がほとんど終わってしまっているからだ。キャタライザーを外せば昔のドゥカのような腹に響く乾いた音がするんだろうけど、もういい大人なのでそんなことはしないし(ディーラーにも診てもらえなくなるし)、別に音をむやみにでっかくしたいわけでもない。

一方で、マフラー(というかエキゾーストシステム全体)を見直すことで全然違うエンジンに生まれ変わる車種があるのも間違いない。

というか、そういうマフラー交換の成功体験を80年代、90年代くらいから積み重ねてきた結果、僕らの世代は現代のバイクやスポーツカーに対してもついつい、刷り込みみたいに「こいつのマフラー交換したらどんな変化を見せてくれるんだろう?」という好奇心に突き動かされてしまうのだ。

私が最初に乗ったNA6CE(ユーノス・ロードスター)という車に搭載されていたファミリア由来B6エンジンの排気系は、まったくもって雑な造りだった。当時のマツダの製造技術の限界だったのか、エキゾーストパイプはバリと段差だらけで、吹け上がりは重いわブリッピングすりゃ一瞬引っかかるわで雑味しかないエンジンだったけど、社外のタコ足とマフラーに交換してあげるだけで音もフィーリングもけっこう気持ちいいエンジンに大きく生まれ変わった。

それは280馬力自主規制の時代で、ユーノスよりはるかにパワフルなターボエンジンを積んだGT-RやらGTOやらスープラやらに乗ってるガチ勢界隈では排気系チューンが定番というかもはや必須で、軒並み直径10cmくらいあるぶっといテールパイプのマフラーをぶら下げ、これまたぶっとい音を響かせて走っていたもんだ。

翻ってバイクに関しては、90年代まで遡っても、マフラーを交換したらエンジンが生まれ変わったぜ、というような記憶は実はあまりない。少なくとも車検対応マフラーではそんなに変わらない気がする。音量だけで言えば中古で買ったハーレー・ファットボブにくっついてきた可変バルブ付「ジキル&ハイド」マフラー(車検対応)はボタンひとつで劇的に派手な音になったけど(でもあの音に固定されたらたまったもんじゃない)、あれはどっちかというと純正マフラーに対するハーレーの考え方が例外的というだけの気がする(つまり「純正はとことん大人しくしとくけど、お前らどうせカスタムすんだから関係ねーよな」という)。

つまるところ、バイクの純正マフラーはなんだかんだ言ってどれもけっこう出来が良いってことなんだろう。バイクは車より趣味性が高いしエンジンの官能性能がより重視されるから(そして規制も車より緩かったから)、バイクメーカーだって手は抜かない。そして同じことは最近のスポーツカーにも言える気がして、NDロードスターなんか見てると、メーカーも昔よりはるかに排気系に神経使ってるなあ、と思う。タコ足なんかも改善の必要がないのか社外品はほとんど発売されてないっぽいし。

同時に排ガス規制や音量規制で車検対応マフラーに許される「上限」も下がってきているはずなので、昔の純正マフラーと社外合法マフラーとの間にあった、オーナーの好みによって選べる「改善の余地」ゾーンなんてものはもはやほとんど存在しないのだろう。

今の時代、ほとんどのスポーツカーとバイクは、純正マフラーで楽しめるようにできているし、もう純正マフラー以上のものを望んじゃいけないのだ。

と、長い前フリになりましたが、小排気量バイク、こと250cc以下に関してはこれが必ずしも当てはまらない気がする。純正マフラーの品質にコストカットの影響が出やすく、最適なものが付いているとは限らないからだ。あと推測だけど、趣味で乗られる大型バイクと違って若者が通勤通学で使ったりすることも多いので、官能性能より消音性能を重視してる気もする(若者にいたずらに騒音の素を与えてはいけない)。さらに根拠のない想像だけど、車検がないため政府認証を謳う社外品マフラーも多少「ゆるく」作れてしまうんじゃないか、と、あくまで想像だけど思う。

うちのニダボ。別にうるさくしたいわけじゃないんだけどさ。もちろんパワー不足なわけないんだけどさ。純正マフラーの形も音も気に入っているんだけどさ。

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↑純正も凝ったデザインで、けっこうカッコいい。


小排気量バイクはいじってナンボ、みたいな刷り込みってあるよね。

マフラー換えたら一体どんなフィーリングになるんだろう、という好奇心って否定しがたいよね。

これってなんとなく、80〜90年代のバイク文化とスポーツカー文化を生きてきた僕らに固有の感覚のような気がするんだよね。

換えるならやっぱフルエキかなあ。こういう、別にどうしても解消しなきゃならない不満があるわけでもないときにするカスタムは、失敗することもよくあるんだけどね、「さっさとやってよかった!」ってことも同じくらいあるんだよね。

さてさてどないしたらええっすかね。
Posted at 2026/02/23 22:09:24 | コメント(3) | トラックバック(0) | 欲しがり | 日記

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