
ここしばらく投稿してない気がしますが、それは長雨続きの9月でバイクに乗れてないからではなく(それもなくはないけど)、書く仕事が立て込んでてプライベートでまで書きたくねえよ!と思ってるからでもなく(それもなくはないけど)、これまでスルーしてたくせに今さら観始めた『魔法少女まどか☆マギカ』にドはまりしてるせいでもない(それもなくはないけど!)。
じゃあなにかっていうと、久しぶりに欲しがりモード発動中なんすよ(どのくらいのインターバルがあれば「久しぶり」と呼べるのか知らないけど)。
実はそろそろ旧いクルマ(4輪)に行こうと思ってまして。クラシックカー探しは面白すぎていろいろ書きたいこともあったんですが、旧車という狭い世界での行動を書くといちいち身バレしそうで、書くのに気がひけてたんす。
なんで今、旧車なのか。
なんで今さら旧車なのか。
もはや、現代のスポーツカーに求めたいものが何もなくなってしまったからです。
ツーリングやワインディングを駆け抜ける楽しみはバイクで満足しちゃってるし、サーキットは中途半端にナンバー付車両で行くよりもちゃんとしたレーシングカーで走ってるほうがはるかに楽しくてはるかに理にかなってるし、公道で乗るスポーツカーにはもはや高性能を求めていない自分に気づいてしまった。現代ターボエンジンの怒涛のトルクも、緻密に設計された精度の高い足回りも、公道で楽しむには想定速度域が高すぎて、私にはもう要らない。
それよりも、20世紀機械文明の最後の思い出として旧い車を手元に置きたい。ボンネットの下で何が起こっているのか直観的に想像がつくような、そんなアナログな機械を。もしかしたらそこに心が宿っているんじゃないかと思わせるような、温もりのある無機質体を。そして何より、マーケット・インではなくプロダクト・アウトでモノが作られていた時代の、エンジニアやデザイナーたちの魂の結晶を。
とはいえ、実を言えば私は職業立場的に頻繁に旧い車に触れたり乗ったりする機会があるので、これまではそれで満足してきた。しかし、それはなんというか一種の美味しいとこ取りであって、やりたいのはそういうことじゃない。自分自身がそれを所有し、その健康状態を自分の責任において管理し、自分一人でそいつと向き合い付き合っていくことが大事なんだ。だから自分のための1台を選ぶことにした。
旧い、というのは、だいたい60年代から70年代、場合によっては80年代前半まで。かんたんに言ってしまえばキャブ時代、ということになる。
客観的には排ガス規制前後とか電子化前後で時代を区切ることはできるだろうが、機械的構造は本質的な問題ではなくて、大事なのはもっと情緒的なもの。どの時代からクラシックカーと呼んでいい、という絶対的なラインがあるわけでもない(クラシックカーイベントの年代規定も昔よりずっと緩くなっているし)。
その情緒的ラインの正体というのは思うに「自分が免許を取ってからの車」と「自分が免許を取る以前の車」との間に引かれていると思う。人によって、年齢によって、そしてその人の辿ってきた車歴によって、そのラインの所在はたぶん違う。
私にとっての「旧車」の本質とは、自分自身の記憶にダイレクトにつながった懐かしさというより、自分自身がリアルタイムで見た世界よりもひとつ古い時代への憧憬、といえるかもしれない。
私が免許を取って車を欲しがり始めたのは1990年代前半。その時代において80年代後半以降の車というのは、当時の市場や路上に現実的に存在し、あるいは目の前で発売され、新車として雑誌記事にさんざん登場する、同時代性を伴う存在だった。
たとえ買えないような高価格帯の車でも、その外装や内装のデザインや乗り味は、もっと手の届く価格帯の車とどこか地続きでつながっていた。1989年という同じ年に誕生した初代ロードスターとフェラーリ348は、価格帯は違えどどこか似たような時代感をまとい、どこか近しいデザイン言語でデザインされているではないか。
だから80年代後半以降の車に対しては、親しみや懐かしさこそあれ、「憧憬」というほどのものを私はそれほど感じない。むしろ自分がリアルタイムで体験していない車、つまり私が免許を取った時点ですでに旧車扱いだった70年代以前の車たちのたたずまいに対して、逆に新鮮味を感じる。たぶん人によって、その線引きが60年代だったり90年代だったりするのだろう。
車に対していちばん物欲と憧れの強かった年齢の頃、イベント会場や雑誌紙面(ティーポとかね)でさんざん見てさんざん見とれてきた「今とは違う時代の車」「ちょっと旧くて特別なスポーツカー」に対して、実際に買う資金はなくても「もし買うならどれを選ぶ?」をずっと脳内シミュレーションしてきた。そんな人は多いのではなかろうか。
あれから数十年経っておじさんになった今、あたかも死ぬまでにやっておきたいバケットリストを塗りつぶすがごとく、昔は手を出せなかった旧い車の「実は欲しかったリスト」を思い起こしながら、今度は現実的な選択肢としてあれこれ検討する。なんともワクワクするではないか。
そんなわけで、4月の幕張メッセでのオートモビル・カウンシル以降、新アルピーヌA110を売ってガレージを空けて(ちょうど生産中止になったので高く売れた)、何を買おうか、どんな選択肢がありうるのか、幅広く思索し続けている。
昔から惹かれていた車は少なからずあるけど、どうしてもこの車格、この価格帯、このスペック以上じゃなきゃ嫌、みたいな執着はない。それこそ300万のスプリジェットから8000万円のディーノ246GTまでありえる。いや普通に考えたら趣味に8000万円も遣う気はないんだけど、「ヒストリック・フェラーリはまだまだ値上がりするよ」みたいなことを言われると、「そっか、投資と考えればいいよね」と思ってしまう。所有を楽しんで、さらにお釣りが来たら最高じゃないか。そういう事例もいっぱい見てきてるし。
と流されそうになって、いやいやその発想は悪魔の囁きですよ!と思いとどまる(もちろん)。資産としての車が欲しいんじゃない(値段が残ったほうがうれしいけど)。年に数回のヒストリックカー・イベントのときだけ出撃する非日常マシンが欲しいわけでもない(高揚感も欲しいけど)。大黒や外苑で注目され称賛されるミーティングの華が欲しいわけでもない(華があるに超したことないけど!)。
維持するのに安心感があって、あるていど気軽に乗れる信頼性があって、日常をときどき彩ってくれる甘い生活感のある子がいいんですよ。大切なのは車種ではなく、その個体そのものが持つ「あ、この子がいい!」と思える説得力。もはや猫をお迎えするようなもの(笑)。
そんな子が目の前に現れたら、一期一会の出会いだと思ってフィーリングで買っちゃうと思う。だから車種候補はひとつに絞らない。旧車を買うって、たぶんそういうことだよね。
(ちなみにタイトル画は今年のオートモビル・カウンシルで衝動買いしそうになったディーノ・スパイダー。さすがに即決する勇気がないまま誰かに買われてっちゃったけど、旧車探しを始めるきっかけになりました。)
Posted at 2026/09/28 18:55:28 | |
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