
三重津海軍所跡まで足を伸ばしました
さつまラーメンから車で15分の所にある
三重津海軍所跡歴史館に行ってきました
目と鼻の先
橋の手前は大川で向こうが佐賀県
筑後川にかかる大川橋
有明海沿岸道路の延長工事みたい
三重津海軍所跡歴史館
佐野記念公園でもある
佐野常民の石像
そう言えば、三重津海軍所の監督だったね
顔が二つあって、手が5mくらいあればセルフ撮影してましたw
三重津海軍所の碑
歴史館
駐車場は3台分しかないので、早い者勝ち
かと思いきや、本館前のこの駐車場以外にも
来る途中の近くにも大駐車場があったみたい
でも、全くスルーしたw
僕が出るときも、この駐車場に停めようと別の車が来ていたので、
もっと分かりやすく表示したほうがよいと思う
500円取られる
入口
展示室入口の自動改札
チケット表面のQRコードをピッと当てると扉が開きます
ちなみにチケットは当日券なので、当日なら何度も出入りは可能
海軍所の説明
ドライドッグ
最大6mもの干満差を利用し、ドッグ入りさせてから水を抜く
特徴的な造成土、土嚢によりドッグを作成
遺跡は埋め戻されましたw
修理場
稽古場
長崎海軍伝習所OBが教官となり、航海、造船、機関、測量を
生徒に伝える
船屋
三重津海軍所の概要
佐賀城に近く、有明海を通って長崎にも行きやすく、
蒸気船の出し入れ可能な大きな川沿いにあるこの地が
佐賀藩籍の蒸気船のドッグや車庫に、海軍所にと最適だった
三重津海軍所の歴史
遺跡の説明
これが例の造成土
ドライドッグを再現
遺跡の発掘時の様子
まずは、洋式船の研究から
蒸気船の雛形の模型
蒸気機関の研究のためにも、雛形を作り試行錯誤
蒸気船製造の設計メモ
並行して洋式船の入手とメンテナンス施設の整備
鍋島直正公から佐賀藩士徳永傳之助宛の手紙
内容は、絶対にオランダの蒸気船を買い付けろ
それと幕府に買い付けの許可をもらわないといけないが、
拒絶されても、さらに許可をお願いしろという強引なものw
鍋島直正蘭船乗込図
殿自ら商談のサポートw
ついに入手!
オランダから輸入された大型蒸気船の電流丸
この電流丸のボイラーを組み立てたり、銅板を張り替えたりして、
メンテナンスのノウハウを学んだ
洋式船の銅板張り替え
発掘された遺物
銅の鋳造施設
洋式船のボイラー組み立て
発掘されたリベット
鉄の鋳造施設
炉の内壁や外壁
ついに、国産初の蒸気船である凌風丸完成
凌風丸
佐賀藩保有の洋式船12隻
これらのいくつかは、明治維新後に明治政府に譲り渡され
大日本帝国海軍の軍艦として、台湾出兵にも参加しています
並行して行っていた長崎での海軍伝習
オランダ人からのアドバイスにより、まずは長崎伝習所で学び、
長崎海軍伝習所で学んだ生徒が佐賀に戻り、三重津海軍所に集まる
この頃に長崎海軍伝習所→三重津海軍所→大日本帝国海軍のルートを
辿ったのが、調べてみると有名な中牟田倉之介でした
海軍黎明期に海軍士官を育てたことで有名な方です
残念ながら海軍の主導権争いでは薩摩に負けて、
あまり出世された方はいません
東京築地にまだ海軍兵学寮があった時代の校長で、
教え子には日本海軍の父である山本権兵衛もいます
ちょっと脱線しますが、当時海軍兵学寮があった場所は、
東京築地にある今の国立がん研究センター
ちなみに銀座のみゆき通りとは、御幸(みゆき)の名の通り
明治大帝が近衛師団のためにあった
日比谷練兵場(今の日比谷公園)から
東京築地の海軍兵学寮(今の国立がん研究センター)までを
辿った通りとして名付けられています
三重津に引き継がれた海軍伝習
船が揃い、乗組員の訓練も終われば、今度は洋式船の運用
そして、海軍技師の訓練も終われば、洋式船のメンテナンス
ちょっと小休止
佐賀の陶磁器の出土遺物
唐津城にも展示品があったけど、どうしても紹介したいんだね
続けます
三重津海軍所の価値
ここは、私見を述べたいと思います
一つの藩で、蒸気船の調達、乗組員や技師の訓練、
メンテナンスのためにオリジナルのドッグを作ったり
反射炉を作ったりとトータルソリューションなのが凄い
逆に一つの藩で統率力のあるリーダーがいたからこそ
なし得たのではないか?
その経験は明治初期に遺憾なく影響を与えたと信じる
また、江藤新平、大隈重信と政変で失脚するなど
要領が良くないところも佐賀人?九州人?らしくて好感が持てるw
三重津の終焉
廃藩置県により佐賀藩が解体されたため
佐賀藩の三重津海軍所も解体
佐賀商船学校への引き継ぎ
佐賀商船学校
この佐賀商船学校も昭和8年に閉鎖され、生徒は鹿児島商船学校に
移ったようです
当時の蒸気船の模型
佐賀藩の近代化事業
トリガーとなったのが、1808年のフェートン号事件
圧倒的な外国船の戦力の前に為す術がなかった長崎と佐賀藩
長崎警備の任を与えられていた佐賀藩も、家老は切腹
直正公の父9代藩主斉直も自宅謹慎となった事件
そこからオランダ人の協力の元で日本のトップランナーとして
近代化を進めることとなる
長崎警備と佐賀藩
鍋島直正公
改めて、直正公ステキ♪と思ってしまったw
長崎の台場の整備
カノン砲
両島台場
鍋島直正公が江川太郎左衛門に宛てた書状のレプリカ
始め英龍って誰と思ったけど、太郎左衛門なら納得
幕末を学んでいる人なら知ってると思うけど、
当時の砲術の第一人者です
日本初の築地反射炉
築地反射炉の遺物
多布施反射炉
多布施反射炉の遺物
精錬方
佐野常民が中心となって開いた理化学研究所
精錬方の文書の貸出記録
精錬方が会社化して作ったガラス製品
後は、佐野常民の資料館になっていたが、赤十字活動中心で
あまり興味もないので割愛
撮影はしてあるので、リクエストでもあれば写真を載せます
最後に、歴史館制作のドキュメントアニメが上演されてたので
それを載せます
お金かけてるねw
実際の遺跡跡
奥の川は筑後川の支流の早津江川
この前に日田で見た三隅川は筑後川の上流で、
ここは筑後川の下流で河口近く
それだけ筑後川が長いということですね
世界遺産への登録を目指しているようです
ただ、発掘された遺跡は風化防止のために埋め戻されている
そうなると、実際の今の姿はただの寂れた公園でしかないので、
何らかの見せ方の工夫が必要になるでしょうね
個人的には世界遺産への登録を応援しています
何もない
本当に何もない
この遺跡は、訪問者からのがっかりコメントが多いようですw
歴史館の裏側から
いただいたパンフレット
三重津海軍所跡
フロアマップ
フロアガイド
アクセス
本館玄関前の駐車場以外にも駐車場あったのね?
知らなんだ
めちゃめちゃ見応えありますよ
500円の価値はある
展示品は多いし、映像も放映してるし、
頼めばガイドもいるようです
このブログで豆知識は用意できると思うので、
興味のある方は是非お越しくださいw
小学生連れの家族が二家族一緒に来ていた
子供は楽しそうだった
おらが町の自慢を小さい子供に伝えるって、
いいことだと思う
その子供が、また自分の子供にも伝えるだろうし
自分の故郷を自慢に思うのは、凄くよい
おしまい
Posted at 2022/07/09 18:28:03 | |
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