ここ最近スーパーカーに代表される高額高性能車の売れ行きが絶好調のようです。
皆さんは、何故それほど迄に好調なのかお考えになられたことはおありでしょうか。
世界中がかつてのバブル期以上に好景気だからでしょうか。
拙のようなごく一般庶民には不景気感こそあれ、世の中にお金がジャブついているようには感じません。
では、貧富の格差が拡大しているのでしょうか。
確かに「一億総中流社会」と言われたかつての頃からは間違いなく格差は広がっているように感じます。
では、何故富裕層がスーパーカー等を買い求めるのでしょうか。
昨昼、車関連サイトで「スーパーカーがファッションアイテム化し始めたからだ」との論調を目にしました。
スーパーカー等の高額高性能車をファッションとして購入し乗り回せる方を羨ましくも思いますが、それが売れ行き好調の主だった要因とは思えないのでした。
古くからフェラーリなどは、高性能だけでなく多少の荷物積載や快適性、豪華さをも密かな売りとしてそのアイデンティティを確固たるものにしてきました。
しかし、それらをもってしても過去の多くの富裕層にとって、スーパーカーに代表される高性能車を所有するには敷居の高さがあったものと推察するのです。
では、その敷居の高さを解消したのは何だったのでしょうか。
色々な要因があるとは思いますが、拙はスーパーカー達のAT化が大きなウエイトを占めているのではないかと推察するのです。
往時のスーパーカー達はその殆どがMT。
ましてやクラッチやミッションの扱いにはそれなりの技術が求められていました。
それは結果的にテクニカルな運転技術を持つ(或いは持とうとする)一部のマニアックなドライバーのみに門戸を開いていたとは言えないでしょうか。
スーパーカーや高性能車がAT化することは、運転技術に長けている方だけでなく、「マニュアルは嫌だけどスーパーカーには乗りたい」と言う思いを具現化させスーパーカーの敷居をとても低くすることに成功しました。
敷居が下がれば、購買意欲層は増える事になります。
スーパーカーメーカーは、このようなマーケティング、ターゲティングを戦略的にしっかり行い、販路を広げることに成功したのだと思うのです。
こうして高性能車は一部のマニアの為の車ではなくなり、誰でも(購入資金を工面出来れば)気軽に所有し乗り回せる乗り物になったのだと思うのです。
とすれば、先に辛口を言わせて頂いた「スーパーカーをファッションとして乗る」は原因論ではなく結果論なのではないでしょうか。
拙も、「いつかはスーパーカーに…」などと実現可能性の低い妄想を抱きつつ、スーパーカーに代表される高性能車のステアリングを握られる方は、真の車好きでじゃじゃ馬をなだめながら上手く乗りこなせる技術をお持ちの方であって欲しいと願うのでした。
尤も、拙にとっては我が家のNAが何物にも替え難いスーパーな愛車なのですが。
と、最後はノロケて締めさせて頂きます。
【追伸】
10月の広島イベントまで、あちこちで30周年イベントが催されるようです。
拙もミーティング系イベントには大変不馴れながら、余暇と天候に恵まれればその幾つかに参加出来ればと思っております。
もし、お会いする機会に恵まれましたら、その折は何卒宜しくお願い致します。
(画像はWeb上から拝借しました。画像の車は本文とは関係ありません。)
Posted at 2019/08/28 18:27:00 | |
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