諸葛亮が見出した大いなる才能は、漢朝復興を果たせず、季漢の最期を看取った。
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〔姜維伝〕
姜維は字を伯約といい、天水郡冀県の人である。(中略)
建興六年(西暦228年)、(中略)諸葛亮は西県を陥して千余軒の住民を連れ出し、姜維らを率いて帰還した。(中略)諸葛亮は(中略)ショウエンに手紙を送って、「姜伯約は与えられたその時の仕事を忠実に勤め、思慮精密であり、彼の持っている才能を考えると、永南(李邵)・季常(馬良)らの諸君も及ばないものがある。この男は涼州における最高の人物である」と述べた。(中略)
景耀六年(西暦263年)、姜維は後主に上表して、「聞きますれば、〔魏の〕鍾会は関中で出動の準備をととのえ、進攻の計画を練っているとか。張翼・廖化の二人に諸軍を指揮させ、(中略)危険に対して未然に処置なさいますように」と述べた。黄皓(後主が重用した宦官)は鬼神や巫の言葉を信用し、敵は絶対にやってこないと考え、後主にその進言をとりあげないように言上したが、群臣は何も知らなかった。(中略)鍾会(中略)鄧艾が(中略)侵入しようというときになってはじめて、(中略)救援態勢をとらせることにした。(中略)そろって引き退き剣閣にたてこもって鍾会に対抗した。(中略)姜維は(中略)軍営をつらね要害を固めた。鍾会は抜くことができず、(中略)帰還の相談をしようと考えた。(中略)
ところが鄧艾は陰平から景谷道を通って〔剣閣の〕脇から侵入し、かくて緜竹において諸葛瞻(諸葛亮の子)を撃破した。後主が鄧艾に降伏を願い出たため、鄧艾は進軍して成都(蜀の都)を占領した。姜維らが諸葛瞻の敗北を聞いた当初、(中略)いろいろの情報が流れた。そこで軍を引いて、(中略)その真偽を確認しようとした。ついで後主の勅令を受けたので、武器を投げ出しよろいをぬいで、鍾会のもとに出頭し、(中略)陣営の前まで赴いた。将兵はみな怒りのあまり、刀を抜いて石をたたき切った。(中略)
〔注〕干宝の『晋紀』にいう。鍾会が姜維に向かって、「どうして来るのが遅かったのだ」といった。姜維はきりっとした表情になり、涙を流して、「今日ここでお会いしたのは早すぎると思っています」と答えた。鍾会は彼をひじょうに立派だと思った。
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鍾会は、朗らかに笑いつつ語りかけた。
「伯約殿、わしはおぬしを友とも思うておるのに、どうしてここに来るのが今にまでなったのだ」
姜維は、血走らせた目をあげ、声を震わせ言った。
「拙者が今…ここに居るのは…わが君の詔あってのこと。貴殿とは…貴殿がむくろとなるか拙者がむくろとなってから会うべきであって、今日ここで会ったのは…早すぎたのだ―――」
「ふむ…その義心、感心である。して伯約殿、益州の統治には当面この地の人材を手懐けておきたいのだが、それにはおぬしの助力が不可欠なのだ。協力してくれるな」
「拙者はもはや降った身、どうして否やと言えましょう。……魏は今後いかなる処置をもって蜀を治めるおつもりか」
「蜀主劉禅は、先に成都に入った鄧艾により驃騎将軍に任命されたとのことだが……」
勝者の余裕に溢れていた鍾会は、にわかに表情を曇らせた。
「……鄧艾には専行の気配があるゆえ、彼が軍を解かずに蜀主を擁するうちは、わしは国許へ還れまい―――」
「……(もしやこの者―――漢はまだ滅びぬ…!)」
姜維の眼に、計略の光が宿った。
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〔姜維伝〕(続き)
鍾会は姜維らを手厚くもてなし、(中略)鄧艾を罪に陥れ、鄧艾が護送車で召還されたのち、そのまま姜維らを率いて成都に至り、(中略)反旗をひるがえした。姜維に兵士五万人を授け、先鋒をつとめさせるつもりだったが、魏の将兵は憤激して、鍾会と姜維を殺害した。姜維の妻子もみな処刑された。
〔注〕『晋漢春秋』にいう。鍾会はひそかに反逆の意図を抱いていた。姜維は会見して彼の本心を見抜き、騒乱状態を作り出すことによって蜀復興の道が開けると考えた。(中略)
〔注〕『華陽国志』にいう。鍾会をそそのかして、北方(魏)から来た諸将を誅殺させ、彼らが死んだあと、おもむろに鍾会を殺し、魏の兵士をことごとく生き埋めにし、蜀朝を復興させるつもりだった。後主に密書を送って次のように述べた、「願わくば陛下には数日の屈辱をお忍びくださらんことを。臣は危機に瀕した社稷をふたたび安んじ、光を失った日月をふたたび明るくするつもりです」
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【浮野推薦図書】
・正史 三国志 1~8巻 / ちくま学芸文庫
陳寿 著
裴松之 注釈
今鷹真・井波律子・小南一郎 訳
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実は、私の三国志の入りは横山光輝の漫画でした。
あれを読んでいれば自然と蜀贔屓になるのですが、長年色々と見るうちに、呉も好きになり 魏も好きになり、結局 一周まわって蜀が愛おしくなるという。
特に蜀書を読み込むと、陳寿の 劉備や諸葛亮、蜀に対する敬慕と哀惜がひしひしと伝わってきます。
で、その横山光輝の三国志は、諸葛亮の死後がかなり駆け足で、呉を討っての統一ではなく蜀滅亡をもって終わっていました。
なので、剣を石に叩きつけて降伏した姜維のその後、その最期は衝撃でした。
蜀の最後の傑物であった姜維。降伏して武装解除された後でも なお諦めない執念に、凄みを感じます。
ちなみに、『世語』によると 姜維の死後 腹を裂くと、その肝は一升枡ほどもあった、とのこと。趙雲もビックリですね。
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浮野推薦図書 | 日記
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2019/10/04 22:36:55