かつて趙子龍が命を賭して救い出した皇子は、半世紀余りのち、蜀漢百万の民を戦禍から救った。
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〔先主伝〕
先主は姓を劉、諱を備、字を玄徳といい、タク郡タク県の人で、漢の景帝の子、中山靖王劉勝の後裔である。
〔趙雲伝〕
趙雲は字を子龍といい、常山郡真定県の人である。(中略)先主が曹公によって当陽県の長阪まで追撃され、妻子を棄てて南方へ逃走したとき、趙雲は身に幼子を抱いた。すなわち後主である。甘夫人を保護した。すなわち後主の母である。〔おかげで〕どちらも危難を免れることができた。
〔後主伝〕
後主は諱を禅、字を公嗣といい、先主の子である。(中略)
景耀六年(西暦263年)夏、魏は大いに軍勢をおこし、征西将軍鄧艾、鎮西将軍鍾会(中略)に命じて、数街道から同時に進行させた。(中略)冬、鄧艾は緜竹県において衛将軍の諸葛瞻を撃破した。〔後主は〕(中略)ショウ周の策をもちいて、鄧艾に降伏し(中略)〔た。〕
この日、北地王劉諶が国の滅亡を傷んで、まず妻子を殺し、次いで自殺した。(中略)鄧艾が城郭の北までやってくると、後主は背中に柩を負って体を縛り、軍の砦の門のところまで出向いた。鄧艾は縄をとき柩を焼き棄て、招き入れて会見した。そこで専断権を発揮して、後主を驃騎将軍に任命した。諸陣営の守備兵たちは、後主の勅命を受けてからのち、降伏した。(中略)まだ出発しないでいるうち、翌年の春正月、鄧艾は逮捕された。鍾会がフから成都にやってきて反乱をおこした。鍾会が死んだのち、蜀中の軍兵は略奪を行い、死者が出て混乱し、数日してやっと平穏にもどった。
〔注〕王隠の『蜀記』にいう。(中略)劉禅は(中略)官民の戸籍簿を送らせた。〔これによると〕戸数二十八万、男女の人口九十四万、武装した将兵十万二千、官吏四万(中略)〔であった。〕
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「どうじゃな、蜀が恋しいと思いませぬかな」
「いやいや、ここは楽しい。蜀が恋しいとは思いませぬ」
柩を背負って敵将のもとに叩頭したときは、これが民を救う道なのだという、己なりの確信があった。一旦は鄧艾に助命されたものの、鍾会の乱で再び死を覚悟した。宮殿の隅で頭を抱えながらも、蜀の民のため平穏を願った。蜀から関中を通るときは、後ろ髪を引かれる思いだった。
函谷関を越えたとき、羽根が生えたように体が軽くなった。しがらみは消えた。そんな重荷は、西の山奥に置き棄ててきたのだ。
何らの責務も緊張もない、夢のような日々。弛緩し切った日々。今やこの生活が現実であり、重苦しかった過去の現実が夢だったのでは、と錯覚する。
先帝、諸葛丞相、建国の功臣たち……蜀のために命をささげた五桁を超える将兵たちと、それに数倍する遺族……彼らに想いを馳せることも、もう無い―――。
「ははは、楽しいのう。泰平に乾杯!」
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〔後主伝〕(続き)
後主は一家をあげて東方に移った。洛陽に到着したのち、〔魏帝は〕彼に任命書を与えた、「これ景元五年(西暦264年)三月丁亥(二十七日)、(中略)劉禅を安楽県公に任命する(中略)」領地は一万戸、絹一万匹、奴婢百人を賜り、(中略)泰始七年(西暦271年)、洛陽において逝去した。
〔注〕『晋漢春秋』にいう。司馬文王(司馬昭)は劉禅と宴会を催し、かれのために昔の蜀の音楽を演奏させたところ、そばにいた人々はみなこのためにいたましい思いにかられたが、劉禅は機嫌よく笑い平然としていた。司馬文王は(中略)「人間の無感動さもここまでくるとは。諸葛亮が生きていたとしても、この人を補佐していつまでも安泰にしておくことは不可能だったであろう(中略)」といった。(中略)他日、司馬文王は劉禅に、「少しは蜀を思い出されますかな」とたずねたところ、劉禅は、「この地は楽しく蜀を思い出すことはありません」といった。郤正がこれを聞いて、(中略)「もし王が今後おたずねになりましたならば、どうか涙を流しつつ『先祖の墳墓が隴・蜀にありますゆえ、西を向いては心悲しく、一日として思い出さないことはありません』とお答えになり、目を閉じられますように」といった。たまたま司馬文王がふたたび質問したので、教えられたとおり答えたところ、王は、「なんとまあ郤正の言葉とそっくりなことよ」といった。劉禅は驚いて目をみはり、「まことにおっしゃるとおりです」といったので、側にいた者はみな笑った。
〔陳寿の〕評にいう。後主は賢明な宰相に政治をまかせているときは、道理に従う君主であったが、宦官に惑わされてからは暗愚な君主であった。伝に、「白糸はどうにでも変わるものであり、ただ染められるままになる」とあるのは、なるほどもっともである。
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【浮野推薦図書】
・正史 三国志 1~8巻 / ちくま学芸文庫
陳寿 著
裴松之 注釈
今鷹真・井波律子・小南一郎 訳
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みんなあんまり好きになれない劉禅の蜀滅亡その後です。
横山光輝の漫画でも、劉諶一家の自害、姜維の怒り(剣で岩を切る)に続き、最終盤の印象的なシーンですね。(セリフもまんまパクリです)
実際の劉禅は、降伏に際して、パフォーマンス(様式美)もあったにせよ死を覚悟して敵将のもとに出頭しました。
自分が生きながらえるためでもありましょうが、「道理に従う君主」でもあった凡才なら「民を思い遣る気持ち」も多少は残っていただろう、と思います。
それにしても蜀の戸籍は、人口94万人に対して将兵10万人・官吏4万人と多く、民衆の軍役負担・租税負担が大きい社会だったんじゃないかなぁ…と想像します。
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Posted at
2019/10/17 02:02:27