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浮野のブログ一覧

2019年10月20日 イイね!

三国志断片 / 劉エンと胡氏

三国志断片 / 劉エンと胡氏
 蜀の高官・劉エンは、無言で草履を握り締め、力を込めてその手を妻に振り下ろした。

 自らの災厄となって跳ね返ることになるとは知らず、何度も、何度も。


――――――――――――――――――――――――――――――
〔劉エン伝〕
 劉エンは字を威碩といい、魯国の人である。先主が豫州にいたころ、召し出して従事としたが、同族の姓であることと、みやびごころがあり、談論を愛好したために、親愛され厚遇を受けた。(中略)後主が即位すると、(中略)車騎将軍に昇進した。しかしながら、国政には参与せず、ただ兵一千あまりを部下にもち、丞相諸葛亮に随行して批評や建議をするだけであった。車馬・衣服・飲食は奢侈をうたわれ(中略)〔た。〕(中略)建興十年(西暦232年)、前軍師の魏延と不仲になり、でまかせの言葉を吐いたので、諸葛亮が詰問した。劉エンは諸葛亮に文書を送って陳謝した(中略)結果、諸葛亮は劉エンを成都に帰還させ、官位はもとどおりにすえおいた。

――――――――――――――――――――――――――――――


 成都の宮殿の近く、豪勢な屋敷に、主・劉エンのわめき声が響きわたっていた。

 「ええい、この●女が! よくもひと月も陛下と ‰$↑#ж;㊥~(聞くに堪えない罵詈雑言)」

 「ああ貴方、申しわけございませぬ。太后陛下がずいぶんと…」

 「ええい、言い訳など聞きとうない! 馮よ、この雌狐を鞭うてい!」

 「そ、そんな御無体な…!」



 劉エンは吏卒を呼び、長らく家を空けていた妻・胡氏を鞭うたせた。

 「ヒィー、堪忍…堪忍して……ヒィッ!」

 鞭が振り下ろされるたびに胡氏の悲鳴があがった。



 劉エンはそれに飽き足らず、その手に草履を握り締め、妻の頬桁を殴りつけた。

   ブンッ!  ブンッ!  ブンッ!  ブンッ!  ……

 「ぶべらっ…ぶべ(おのれ! おのれ! おのれ…! おのれ……ッ!)」



 もはや自力で体を起こすこともできなくなった胡氏の殺意は、すでに広大な屋敷を覆いつくすほどに膨らんでいた。人ひとり殺すことなど容易いほどに―――。


――――――――――――――――――――――――――――――
〔劉エン伝〕(続き)
 劉エンは希望を失ってぼんやりとしていた。十二年(西暦234年)正月、劉エンの妻の胡氏が太后(先主の穆皇后)に年賀のため参内した。太后は命令して特別に胡氏を留めおいたので、ひと月たってやっと退出した。胡氏は美人であったので、劉エンは彼女が後主と私通したのではないかと疑い、吏卒を呼んで胡氏を鞭うたせ、とどのつまり草履で顔をなぐったあと離縁した。胡氏が事こまかに劉エンを告訴したため、劉エンはそのかどで投獄された。担当官吏は「吏卒は妻を鞭うつべき者ではないし、顔は草履をうける地ではない」と意見具申し、劉エンはついに市場で処刑された。これより以後、大官の妻や母が、朝賀に参内する風習は絶えたのである。

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【浮野推薦図書】
・正史 三国志 1~8巻 / ちくま学芸文庫
 陳寿 著
 裴松之 注釈
 今鷹真・井波律子・小南一郎 訳
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 なんだか蜀には劉備がつれてきた客分というか、実務のできない話相手専用の士大夫というか、そういうのが何人かいて、そのうち一番アカン人物です。
 劉エンのエンは「王」に「炎」と書くのですが、この手の字は いつも書き留めているWindowsの「メモ帳」に保存できない「Unicode形式」なので、カタカナ表記しているわけです。
 これまでの三国志断片5編は、実は10年前に書いて(描いて)いたものです。
 イラストはもう無いけれど、話のネタはまだいくつかあるし、これから読み込むほどに増えるでしょう。
 ちなみに、あわれな胡氏が「おのれ!」…と殺意を膨らますところは、「寄生獣」の草野さんの同志(女)へのオマージュです。
 草野ー、後ろー!!
Posted at 2019/10/20 02:33:59 | 浮野推薦図書 | 日記
2019年10月20日 イイね!

デミオXDの 不意送風続報

デミオXDの 不意送風続報
 走行時に、
 エアコンOFFにもかかわらず、
 いきなり最大級の送風が

   ボオォォーーー

 …と始まる事案
―――の続報です。



 正直、反響がまるで無くて、チョッピリさびしいです。
 (自分に拡散する影響力が無いのは、既に知っていたけれど



 いいの、いいの。
 いいネが欲しいわけじゃない。(本当はちょっと欲しい)
 のちの誰かが見てくれて参考に教訓にしてくれるかもしれない。
 みんカラは、そんな 経験の集積の場であれば良いのです。


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 「デミオ 突然 送風」で検索かけたら、価格.comのデミオ2014年モデルの掲示板がかかりました。

 掲示板の本題は「A/Cが勝手にOFFになる」ですが、質問の下から2行目

 >関連があるのか分かりませんが、短時間送風が最強になることがあります。

 …が、私の事案と共通するかもしれません。
 私の場合は、むしろ最初からエアコンOFFですが。
 (補足:すべてのケースで、送風もOFFです)



 ここ数週間で5~6回は同じ現象がありました。

 一昨日は、エンジンをかけてから数十秒も送風が続きました。

 そして昨晩は、エンジン始動後に9秒、200m程走ったあとにもう一度2秒、さらに1km程先で三度目3秒の送風がありました。
 その後の下り基調の区間でエアコンをつけ、以後はエアコンを消した後も送風は起こりませんでした。

 一度の走行で複数回の発生は初めてですし、頻度が上がっている気がします。


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 これから、エンジン始動から数十秒、動画撮影を試みようと思います。(すっごい忘れそうですけど)

 もう一つ試したいのは、送風が起こってすぐにエアコンをON → OFF すると、送風はキャンセルされるのか?―――ということ。



 もし動画に収めることができたら、ディーラーに堂々と相談しまーす。
Posted at 2019/10/20 01:57:47 | ねんがんのデミオXD | 日記
2019年10月17日 イイね!

三国志断片 / 劉禅後日譚

三国志断片 / 劉禅後日譚
 かつて趙子龍が命を賭して救い出した皇子は、半世紀余りのち、蜀漢百万の民を戦禍から救った。


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〔先主伝〕
 先主は姓を劉、諱を備、字を玄徳といい、タク郡タク県の人で、漢の景帝の子、中山靖王劉勝の後裔である。

〔趙雲伝〕
 趙雲は字を子龍といい、常山郡真定県の人である。(中略)先主が曹公によって当陽県の長阪まで追撃され、妻子を棄てて南方へ逃走したとき、趙雲は身に幼子を抱いた。すなわち後主である。甘夫人を保護した。すなわち後主の母である。〔おかげで〕どちらも危難を免れることができた。

〔後主伝〕
 後主は諱を禅、字を公嗣といい、先主の子である。(中略)
 景耀六年(西暦263年)夏、魏は大いに軍勢をおこし、征西将軍鄧艾、鎮西将軍鍾会(中略)に命じて、数街道から同時に進行させた。(中略)冬、鄧艾は緜竹県において衛将軍の諸葛瞻を撃破した。〔後主は〕(中略)ショウ周の策をもちいて、鄧艾に降伏し(中略)〔た。〕
 この日、北地王劉諶が国の滅亡を傷んで、まず妻子を殺し、次いで自殺した。(中略)鄧艾が城郭の北までやってくると、後主は背中に柩を負って体を縛り、軍の砦の門のところまで出向いた。鄧艾は縄をとき柩を焼き棄て、招き入れて会見した。そこで専断権を発揮して、後主を驃騎将軍に任命した。諸陣営の守備兵たちは、後主の勅命を受けてからのち、降伏した。(中略)まだ出発しないでいるうち、翌年の春正月、鄧艾は逮捕された。鍾会がフから成都にやってきて反乱をおこした。鍾会が死んだのち、蜀中の軍兵は略奪を行い、死者が出て混乱し、数日してやっと平穏にもどった。
〔注〕王隠の『蜀記』にいう。(中略)劉禅は(中略)官民の戸籍簿を送らせた。〔これによると〕戸数二十八万、男女の人口九十四万、武装した将兵十万二千、官吏四万(中略)〔であった。〕

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 「どうじゃな、蜀が恋しいと思いませぬかな」

 「いやいや、ここは楽しい。蜀が恋しいとは思いませぬ」

 柩を背負って敵将のもとに叩頭したときは、これが民を救う道なのだという、己なりの確信があった。一旦は鄧艾に助命されたものの、鍾会の乱で再び死を覚悟した。宮殿の隅で頭を抱えながらも、蜀の民のため平穏を願った。蜀から関中を通るときは、後ろ髪を引かれる思いだった。
 函谷関を越えたとき、羽根が生えたように体が軽くなった。しがらみは消えた。そんな重荷は、西の山奥に置き棄ててきたのだ。
 何らの責務も緊張もない、夢のような日々。弛緩し切った日々。今やこの生活が現実であり、重苦しかった過去の現実が夢だったのでは、と錯覚する。
 先帝、諸葛丞相、建国の功臣たち……蜀のために命をささげた五桁を超える将兵たちと、それに数倍する遺族……彼らに想いを馳せることも、もう無い―――。

 「ははは、楽しいのう。泰平に乾杯!」


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〔後主伝〕(続き)
 後主は一家をあげて東方に移った。洛陽に到着したのち、〔魏帝は〕彼に任命書を与えた、「これ景元五年(西暦264年)三月丁亥(二十七日)、(中略)劉禅を安楽県公に任命する(中略)」領地は一万戸、絹一万匹、奴婢百人を賜り、(中略)泰始七年(西暦271年)、洛陽において逝去した。
〔注〕『晋漢春秋』にいう。司馬文王(司馬昭)は劉禅と宴会を催し、かれのために昔の蜀の音楽を演奏させたところ、そばにいた人々はみなこのためにいたましい思いにかられたが、劉禅は機嫌よく笑い平然としていた。司馬文王は(中略)「人間の無感動さもここまでくるとは。諸葛亮が生きていたとしても、この人を補佐していつまでも安泰にしておくことは不可能だったであろう(中略)」といった。(中略)他日、司馬文王は劉禅に、「少しは蜀を思い出されますかな」とたずねたところ、劉禅は、「この地は楽しく蜀を思い出すことはありません」といった。郤正がこれを聞いて、(中略)「もし王が今後おたずねになりましたならば、どうか涙を流しつつ『先祖の墳墓が隴・蜀にありますゆえ、西を向いては心悲しく、一日として思い出さないことはありません』とお答えになり、目を閉じられますように」といった。たまたま司馬文王がふたたび質問したので、教えられたとおり答えたところ、王は、「なんとまあ郤正の言葉とそっくりなことよ」といった。劉禅は驚いて目をみはり、「まことにおっしゃるとおりです」といったので、側にいた者はみな笑った。
 〔陳寿の〕評にいう。後主は賢明な宰相に政治をまかせているときは、道理に従う君主であったが、宦官に惑わされてからは暗愚な君主であった。伝に、「白糸はどうにでも変わるものであり、ただ染められるままになる」とあるのは、なるほどもっともである。

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【浮野推薦図書】
・正史 三国志 1~8巻 / ちくま学芸文庫
 陳寿 著
 裴松之 注釈
 今鷹真・井波律子・小南一郎 訳
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 みんなあんまり好きになれない劉禅の蜀滅亡その後です。
 横山光輝の漫画でも、劉諶一家の自害、姜維の怒り(剣で岩を切る)に続き、最終盤の印象的なシーンですね。(セリフもまんまパクリです)
 実際の劉禅は、降伏に際して、パフォーマンス(様式美)もあったにせよ死を覚悟して敵将のもとに出頭しました。
 自分が生きながらえるためでもありましょうが、「道理に従う君主」でもあった凡才なら「民を思い遣る気持ち」も多少は残っていただろう、と思います。
 それにしても蜀の戸籍は、人口94万人に対して将兵10万人・官吏4万人と多く、民衆の軍役負担・租税負担が大きい社会だったんじゃないかなぁ…と想像します。
Posted at 2019/10/17 02:02:27 | 浮野推薦図書 | 日記
2019年10月16日 イイね!

デミオXDの MAZDA30

デミオXDの MAZDA30
 もうすぐ大阪モーターショー2019ですね。
 2年前の マツダ 魁 CONCEPT が、今や市販車としてカタチになっています。
 (マツダ VISION COUPE は大阪に来ませんでした(涙))
 (今回もメテオ号で行きますよ)


 MAZDA3発売時、よくコンセプトデザインをここまで残したな、と感心すると同時に、(想像通りではありましたが)後方視界の絶望的な悪さに閉口しました。
 → デミオXDの ちょっと待つんだMAZDA3!

>ただ、我が家のニーズで考えてみると、視界の悪さが酷過ぎて おそらく嫁が運転できないので、このMAZDA3の個性は なかなか受け入れられませんね…。
>視界の確保は、安全のための一丁目一番地なので。



 MAZDA3はとりわけ酷いですが、マツダが視界性能を訴える時は、ドライバーより前の視界のことしか言及していません
 → 人間特性の研究から生まれた、マツダ独自の視界性能。

>人間を中心に発想したマツダの視界性能は、
>(1)パノラマ視認性、(2)連続視認性、(3)夜間視認性、
>大きくこの3つの視認性を追求しています。



 マツダの開発者たちは前方だけを見て運転しているのでしょうか?
 いや、必ず、ミラーや目視で 後方・斜め後方を見るでしょう。
 実際の運転状況を考えて欲しいです。
 「(4)後方視認性」も加えてください。


 また、(車線変更時の後方確認目的の)後方センサー(準ミリ波レーダー)ありきのクルマづくり後方センサーの抱き合わせ販売は止めて欲しいです。
 無用な装備とは言いませんが、必須ではありません。(後方は低速時用のカメラ・ソナーで充分です)
 後方センサーが無くても問題無く走られるクルマづくりをして欲しいです。


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 冒頭からの文句たらふく、失礼しました。さて、

 夢見てクルマをつくってきたマツダが、ようやくマーケットを見てクルマをつくってくれました!

 CX-30の登場です!(発売は10月224日)



 スカイアクティブ一連の動きが始まってから、ファミリー層の斬り捨てが酷かったですから(ミニバンやめたり、車幅拡大しまくったり、狭い・載らない・視界の悪いクルマつくったり)、

 直近では、
 ○羨望されたい人
 ○美しく走りたい人
 ○内装や静粛性を重視する人
 ○音響に並みならぬこだわりを持つの人
 …のためのクルマ)をつくったり…。
 (↑ MAZDA3 ですよ)

 狙いをもってクルマをつくること自体は悪くないと思うのですが、なにぶん、シングル又はアベック専用の性格が過ぎます。
 Cセグメントど真ん中のクルマで、3人目以降を考えないようなクルマなんて…。
 もっと、日本の子育て家族のことを考えた、ファミリーのための……。


 昔、ファミリアというクルマがありました。
 公式から引用しますが、

 クルマの普及だけでなく、高速化の時代を迎える、そうした世情の中でファミリアは、1963年9月に誕生した。その車名は、イタリア語の「家族」の意味で、家族が揃ってドライブへ行くという想いをこめた命名だった。

 そう、“家族が揃ってドライブへ行く”ですよ。


 ○お父さんが気分良く走ることができて、
 (走行性能・疲れにくさ・格好良さ)

 ○お母さんも気分良く問題なく運転することができて、
 (内装・取り回し・視界の良さ)

 ○子供たちがリラックスして楽しく過ごすことができて、
 (乗り心地・後席居住性・開放感)

 ○目的地へ荷物を運んだり、おみやげを持って帰ったりできる。
 (荷室容量・積み降ろしのしやすさ)


 “家族が揃ってドライブへ行く”、
 こんな風景こそ、“美しく走る”風景ではないですか。

 そして、庶民である以上、


 ○家計にやさしい。
 (取得・維持の経済性)


 …ことも大事です。
 これらの項目を、「ファミリア資質」と呼んでみます。


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 新発売の CX-30の「ファミリア資質」はどうでしょう?
 まだ実車は見てませんが、公式ホームページで見てみました。


① 走行性能・疲れにくさ・格好良さ

 走行性能・疲れにくさは、基本 MAZDA3ゆずりでしょうね。
 デザインも、フォルム・シルエットは良いですね。

 ただ、クロスオーバーって言うのですか?(街乗り用SUV?)
 それを気取って、あの黒い樹脂
 “フォーマルなジャケットに胴長靴”みたいな、かなりの違和感があります。
 そして、経年劣化で白くなりそう。(青空駐車なので)
 アーマオールで直るのですか?(塗る面積が広過ぎ)


② 内装・取り回し・視界の良さ

 内装は MAZDA3ゆずりです。
 全長 4,395mm、全幅 1,795mm、全高 1,540mm、ホイールベース 2,655mm、最低地上高 175mm
 全長はショートワゴンのクラスにまとめてきましたね。扱いやすい長さです。

 車幅は広いです。スカイアクティブ以来 マツダは 1.8mなら良いと考えているようで、道が広くなったわけではないのに「左右のサイドミラー両端までの幅は広がっていない」という論法を繰り出してました。(先代のアクセラでそのアピールトークを聞きたことがあります)
 本当に狭い路地は、サイドミラーを畳んですれ違う時すらあるから、そんな詐術は通用しません。
 ①で指摘した あの黒い樹脂 を削げば、それだけで 左右20mmずつ削って 1,755mmにできるでしょうに、ねえ。

 冒頭でも訴えた視界は、写真を見る限りではまともそうですね!
 後方視界については、公式ホームページ斜め後方の視界確保をサポート、クォーターウインドーを採用。とあります。
 どれだけ見通せるか怪しい小さい窓ですが、ワゴンの造りならではですね。
 サイドウィンドウの面積も狭くはなく、まともな後方視界が期待できます。
 (準ミリ波レーダーに頼らない車線変更が期待できます)


③ 乗り心地・後席居住性・開放感

 乗り心地は MAZDA3ゆずりでしょう。
 かためで跳ねますが、ドライビングポジション命ということで。

 後席居住性もまたMAZDA3ゆずりで必要最小限レベルでしょうが、視界が良い分、開放感はまともに感じることができそうです。
 (後席居住性は、インプレッサスポーツ や XV が余裕ありますね)

 後席のリクライニング機能は、近年なぜかどんどん無くなってきているのですが(浮野調べ。ミニバンは知らない)、このクルマはどうでしょうか?(シャトルはこの機能を備えています)


④ 荷室容量・積み降ろしのしやすさ

 サブトランク込みで430Lの大容量!
 サブ抜きでも、400Lというところでしょうか。
 わが家基準でも、まず合格です。
 開口部が工夫され、積み降ろしもしやすそうです。


⑤ 取得・維持の経済性

 燃費については、新モード燃費で2Lガソリンエンジン車が 15.4km/l なら優秀でしょう。
 タイヤが18インチは大き過ぎです。16インチで充分です。夏タイヤの更新費用だけでなく、冬タイヤの取得費用にも関わります。

 車両の取得費用は、一番お手頃な 20S(FF)が 2,392,500円(税込)。これに諸費用がのります。高いです。
 (インプレッサスポーツは 2,002,000円(税込)から、カローラツーリングは 2,013,000円(税込)から)





 装備内容とは見合っていると思うのですが、快適装備・先進安全装備・大径タイヤをフルでぶち込んで乗り出し価格がアップして、「やはり私のような庶民に Cセグメントは手が届かないのか…?」と少し落ち込みます。


 そして、価格アップに対するマツダの答えが「マツダスカイプラン」(残価設定型ローン)だけなら、本当に寂しいものです。

 残価設定型ローンでメリットを享受できるのは、“走行距離がほどほどで 元々3年で買い替えるサイクルをずっと続けている人”だけではないですか?

 利率が低くても利子は「総額」にかかるし、走行距離に制限があります(地方在住者の大半はこれでアウト)。
 「価値が高まったために3年後の残価が50%から55%に上がりました!」と言っても、それは5%分の負担を先送りしてるだけで、得をするのは次も同じ店で買う場合のみです。
 同じマツダ系列店で 3年毎に 同じ買い方を繰り返すことにメリットを見出させる、それが「マツダスカイプラン」。
 これこそ“新しいマツダ地獄”のように思えてなりません。

 残価設定型ローン自体はどの系列のディーラーでも広がっていますが、「価値が高まったために3年後の残価が50%から55%に上がりました!」のセリフは「正価販売を続けてきた成果」と 担当営業氏から直に言われたもので、正直なところ胡散臭いです。
 残価アップは 事実上の販売促進手法 なんでしょう?


 価格ダウンさせる方法はあります。

 CX-30は、それなりに「ファミリア資質」を備えるものの、
 クロスオーバー要素は 不要な人には不要です。
 車高を普通にして、
 黒い樹脂を剥いで全幅を1755mmに収め、
 タイヤは16インチを標準としましょう。

 この時点で SUV・クロスオーバー ではなくなるので、「CX」は名乗れません。
 「MAZDA3 WAGON」はどうですか?
 デザインを変え過ぎて「MAZDA3」は名乗れませんか?
 では、「MAZDA30」で良いでしょう。

 さらに、
 静粛性を普通程度にして、
 マツダ・ハーモニック・アコースティックスを オプション選択化、
 (斜め後方・後方をみる)準ミリ波レーダーも オプション選択化へ。

 そうすれば、215万円でいけませんか?
 少なくとも、220万円は切りそうではないですか。


 2L NAのガソリンエンジンで、「ファミリア資質」を備えた、ショートワゴン。
 「MAZDA30」、215万円~。
 メーカーオプションは360°ビューモニターだけ選んで、値引き若干、諸費用込みで、乗り出し価格250万円まででいけそうです。


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 MAZDAは ブランド化に躍起になり「高く売ること」しか考えてないように映ります。

 正価販売は結構ですが、過剰な装備 や SUV要素 を強制的に盛り込んで価格を吊り上げる…私のような庶民にはついてゆけません。

 そこらへんは、MAZDA2(デミオ)の製造・販売をいつまで続けるか…がマツダ最後の良心になるのかもしれません。(スバルはとうに Cセグメント未満(軽や1.5Lまでの車の製造)を止めましたからね)



 「MAZDA30」を体現するクルマが現れるまでは、MAZDA2(デミオ)こそが 将来にわたって私とマツダをつなぐ“よすが”となることでしょう。
Posted at 2019/10/16 11:19:25 | ねんがんのデミオXD | 日記
2019年10月04日 イイね!

三国志断片 / 姜維 最後の計

三国志断片 / 姜維 最後の計
 諸葛亮が見出した大いなる才能は、漢朝復興を果たせず、季漢の最期を看取った。


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〔姜維伝〕
 姜維は字を伯約といい、天水郡冀県の人である。(中略)
 建興六年(西暦228年)、(中略)諸葛亮は西県を陥して千余軒の住民を連れ出し、姜維らを率いて帰還した。(中略)諸葛亮は(中略)ショウエンに手紙を送って、「姜伯約は与えられたその時の仕事を忠実に勤め、思慮精密であり、彼の持っている才能を考えると、永南(李邵)・季常(馬良)らの諸君も及ばないものがある。この男は涼州における最高の人物である」と述べた。(中略)
 景耀六年(西暦263年)、姜維は後主に上表して、「聞きますれば、〔魏の〕鍾会は関中で出動の準備をととのえ、進攻の計画を練っているとか。張翼・廖化の二人に諸軍を指揮させ、(中略)危険に対して未然に処置なさいますように」と述べた。黄皓(後主が重用した宦官)は鬼神や巫の言葉を信用し、敵は絶対にやってこないと考え、後主にその進言をとりあげないように言上したが、群臣は何も知らなかった。(中略)鍾会(中略)鄧艾が(中略)侵入しようというときになってはじめて、(中略)救援態勢をとらせることにした。(中略)そろって引き退き剣閣にたてこもって鍾会に対抗した。(中略)姜維は(中略)軍営をつらね要害を固めた。鍾会は抜くことができず、(中略)帰還の相談をしようと考えた。(中略)
 ところが鄧艾は陰平から景谷道を通って〔剣閣の〕脇から侵入し、かくて緜竹において諸葛瞻(諸葛亮の子)を撃破した。後主が鄧艾に降伏を願い出たため、鄧艾は進軍して成都(蜀の都)を占領した。姜維らが諸葛瞻の敗北を聞いた当初、(中略)いろいろの情報が流れた。そこで軍を引いて、(中略)その真偽を確認しようとした。ついで後主の勅令を受けたので、武器を投げ出しよろいをぬいで、鍾会のもとに出頭し、(中略)陣営の前まで赴いた。将兵はみな怒りのあまり、刀を抜いて石をたたき切った。(中略)
〔注〕干宝の『晋紀』にいう。鍾会が姜維に向かって、「どうして来るのが遅かったのだ」といった。姜維はきりっとした表情になり、涙を流して、「今日ここでお会いしたのは早すぎると思っています」と答えた。鍾会は彼をひじょうに立派だと思った。

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 鍾会は、朗らかに笑いつつ語りかけた。

 「伯約殿、わしはおぬしを友とも思うておるのに、どうしてここに来るのが今にまでなったのだ」

 姜維は、血走らせた目をあげ、声を震わせ言った。

 「拙者が今…ここに居るのは…わが君の詔あってのこと。貴殿とは…貴殿がむくろとなるか拙者がむくろとなってから会うべきであって、今日ここで会ったのは…早すぎたのだ―――」

 「ふむ…その義心、感心である。して伯約殿、益州の統治には当面この地の人材を手懐けておきたいのだが、それにはおぬしの助力が不可欠なのだ。協力してくれるな」

 「拙者はもはや降った身、どうして否やと言えましょう。……魏は今後いかなる処置をもって蜀を治めるおつもりか」

 「蜀主劉禅は、先に成都に入った鄧艾により驃騎将軍に任命されたとのことだが……」

 勝者の余裕に溢れていた鍾会は、にわかに表情を曇らせた。

 「……鄧艾には専行の気配があるゆえ、彼が軍を解かずに蜀主を擁するうちは、わしは国許へ還れまい―――」

 「……(もしやこの者―――漢はまだ滅びぬ…!)」

 姜維の眼に、計略の光が宿った。


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〔姜維伝〕(続き)
 鍾会は姜維らを手厚くもてなし、(中略)鄧艾を罪に陥れ、鄧艾が護送車で召還されたのち、そのまま姜維らを率いて成都に至り、(中略)反旗をひるがえした。姜維に兵士五万人を授け、先鋒をつとめさせるつもりだったが、魏の将兵は憤激して、鍾会と姜維を殺害した。姜維の妻子もみな処刑された。
〔注〕『晋漢春秋』にいう。鍾会はひそかに反逆の意図を抱いていた。姜維は会見して彼の本心を見抜き、騒乱状態を作り出すことによって蜀復興の道が開けると考えた。(中略)
〔注〕『華陽国志』にいう。鍾会をそそのかして、北方(魏)から来た諸将を誅殺させ、彼らが死んだあと、おもむろに鍾会を殺し、魏の兵士をことごとく生き埋めにし、蜀朝を復興させるつもりだった。後主に密書を送って次のように述べた、「願わくば陛下には数日の屈辱をお忍びくださらんことを。臣は危機に瀕した社稷をふたたび安んじ、光を失った日月をふたたび明るくするつもりです」

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【浮野推薦図書】
・正史 三国志 1~8巻 / ちくま学芸文庫
 陳寿 著
 裴松之 注釈
 今鷹真・井波律子・小南一郎 訳
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 実は、私の三国志の入りは横山光輝の漫画でした。
 あれを読んでいれば自然と蜀贔屓になるのですが、長年色々と見るうちに、呉も好きになり 魏も好きになり、結局 一周まわって蜀が愛おしくなるという。
 特に蜀書を読み込むと、陳寿の 劉備や諸葛亮、蜀に対する敬慕と哀惜がひしひしと伝わってきます。
 で、その横山光輝の三国志は、諸葛亮の死後がかなり駆け足で、呉を討っての統一ではなく蜀滅亡をもって終わっていました。
 なので、剣を石に叩きつけて降伏した姜維のその後、その最期は衝撃でした。
 蜀の最後の傑物であった姜維。降伏して武装解除された後でも なお諦めない執念に、凄みを感じます。
 ちなみに、『世語』によると 姜維の死後 腹を裂くと、その肝は一升枡ほどもあった、とのこと。趙雲もビックリですね。
Posted at 2019/10/04 22:36:55 | 浮野推薦図書 | 日記

プロフィール

「加賀の従姉妹が旦那の実家への帰省中に被災してビニールハウスや小学校で過ごしていたこと、クルマで4日の晩に無事帰ってこられたことが、母経由で伝わってきた。ホッとした。

播州もいつ山崎断層が動くかと言われているので、わが家庭も備えをもっと見直さないといけない。」
何シテル?   01/08 16:46
当ページの内容の無断転載はやめてください。 主な内容は、燃費記録と おすすめスポット。 未掲載スポットが、500件超。ズーン 省燃費と航続距離に拘ってま...
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