
近くの日系スーパーの特売に釣られて、刺身を買いだめしてきました。ウニ、イカソウメン、鱸(すずき)、カンパチ、はまち、マグロ、明太子。怖くてレシートちゃんとチェックしてません(笑)。
ちびちびと、ガレージに眠るS2Kを肴に、カナダ産スーパードライと刺身を味う幸せ。
生まれた頃はテレビも白黒で、電話も黒くて、海外旅行はお金持ちの道楽でした。
何の拍子か、気が付いたらアップル本社の近所で、かわいい子供たちとよめさん(形容詞は略)と暮らしている自分がいます。自分でも不思議です。
車は物心ついた時から、この世に存在していました。でも永遠に存在するわけではありません。親の世代が蒸気機関の栄枯衰勢を見てきたように、そう遠くない将来、我々もしくは子、孫の世代には、化石燃料を利用した内燃機関は既に歴史と化しているでしょう。その時、車は自分にとってどのような意味を持つものだったのか。新たな移動手段に単に取って代わられてしまっただけのモノなのか、同じ時間を共有したかけがえの無いモノだったのか。
人の作りしモノには、想いが込められています。何百年も前に作られた曲が、何故いまだに多くの人々の魂を揺さぶるのか。単に歴史あるだけの乗り物に、なぜこうまでも魅せられるのか。
モノに込められた思い。想い。
打倒フェラーリに燃えたフェルッチョおじさんとジャンパオロ・ダラーラの想い。
ル・マンでフェラーリ打倒に燃えた、ディアボーンのフォードと歴戦のレーサーたちの執念。コブラやGT40が、いまだにキットカー・レプリカ市場を席巻しているのは、その当時に青春時代を過ごし、ル・マンでの1-2-3フィニッシュを目の当たりにした人たちが顧客層の核だからでもあり、またそれらの車たちに込められた想いの強さの証明でもあります。
モノに込められた思い。想い。
亡き息子の名前を冠した、ディーノ246GT。
会社をフィアットに身売りしてまで、F1で勝つことに執念を燃やしたエンツォおじさん。最後の希望だったジル・ビルニューブを失い、それでも死ぬまでF1にこだわったエンツォおじさん。あごの活躍を、天国で喜んでいた事でしょう。
無冠の帝王と呼ばれた男。
ロニー・ピーターソン。コーリン・チャップマンの最高傑作、ロータス79でマリオ・アンドレッティと78年のF1を席巻するも、Tカーのロータス78で炎上、奥さんと幼い娘さんを残して帰らぬ人に。数年前、ラグナ・セカのパドックでロータス79を見た時。その個体がカーナンバー5だと分かっていても、涙が止まりませんでした。たとえ北米に住んでいても、私にとって9月11日は、テロの日ではなく、彼の命日です。
世界一の男。
本田宗一郎。町工場の時代に、世界一になれ、世界一にならないと日本一になれねぇと言い放ち、二輪車で本当に世界制覇してしまった男。4輪では、いち早く北米に進出し、CVCCで確たる足場を築いた男。そして、これ以上無く引き際を弁えた男。私如きが名前を挙げるのもおこがましいですが。
そのホンダも、既に日本ではミニバン屋さんとなり、北米ではTypeRもなかなか出してくれない普通の会社になってしまいました。F20Cは現存する最後のホンダイズムの体現なのかもしれません。次期NSXに密かに期待しつつ。
と、ガレージのF20Cを眺めつつ、ビールも切れた事だし。駄文もこれくらいに。
Posted at 2007/08/21 14:12:35 | |
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北米生活 | 日記