
昨日テレビの番組でAI黒板とか言うのが出てましたが見た方いますでしょうか。
先生が発した言葉がリアルタイムに文字になって黒板に表示され、出現頻度の高い言葉はピックアップされて右のほうに羅列される。
その授業の内容をまとめて「まとめプリント」の作成も可能と言う事でした。
は?
さぞかし凄い黒板なんだろうなと思って見てましたが、どこがAIなのかさっぱりわかりません。
音声認識と集計をPCがやっているだけですよね。
例えばあるテーマについて「今回の参加者(不確定要素)を前提にした場合、どう学習をしたら学習効果が上がるのかAIが考え、それに基づく授業を黒板が行う」くらいはしてくれないとAI使ってますとか恥ずかしくて言えないんじゃないかと思います。
最初から余談でしたが、AI技術の進化と人間の進化についてちょっと思うところがあります。
AI=artificial intelligence=人工知能
シンギュラリティとか言う言葉も一般的になりましたが、AIとは人間が知的に行っている行為を機械が代わりに行う事を総じて言っていると思います。
人間の脳は爆発的に複雑にできていて、機械的にそれを模す事は難しいとされてきましたが、技術の進化によってそれが可能になろうとしています。
人間の脳は過去の経験や学習を含めて今の処理を行っていますが、それすら可能になろうとしています。
更に言うと人間とAIの最大の違いは思考や経験の並列化ができるかできないかとその処理速度だと思うので、一人の人間が考えるよりはるかに沢山の思考や経験に基づいた判断がされるでしょう。
死なないから人間のように死んだらその人の経験はリセットされるとか過去の歴史から学び直す必要もありません。
裁判で弁護士が「判例によれば~」とか言ってるのもAIなら最初から所与の情報として扱われます。弁護士も要らなくなるでしょうね。
上の黒板の例は只の”処理”で、処理速度が速くなったからリアルタイムに見えるだけの話で、本来AIと言うのはそこから学習を経て進化していく過程が無ければ”知能”とは言えないと思うんです。
「先生の負荷を軽減させる」ことがAI黒板の目的らしいですが、本気でやったら「先生の仕事が無くなる」事になりますね。
各論は様々あると思うのでここでは割愛しますが、大きな意味で一つ懸念があります。
AI技術の進化によって「考える」と言う行為においてAIが人間を上回ったら人間は考えなくなるんじゃないかと思いませんか?
ひいては「良い頭脳」が要らなくなるのでは。
「いや~、流石に人間の感性とかまでは~」とか言ってるのは古くて、人間も結局は本人の脳の中にある情報を元に考えているだけなので
その程度の思考を超越する事は出来る事だと思います。「勘」も結局一緒です。
既にネットの進化によって情報を「覚える」と言う行為は必要性が低くなっていますよね。それに伴って覚える能力自体も衰えている気がします。
私は老化によって衰退してますが、、。
人間は他の動物と比べて唯一かつ圧倒的に優れている「考える」と言う能力を他に委ねると言う事をしても良いのだろうか。
人は日々の生活において常に何かの判断をしながら生きています。
それらの判断をAIが行いもし最適解を導いてくれたらそれに従って生きる事になるんじゃないかと思うんです。
そりゃ全部が全部とは言いませんよ。
オレンジジュースを飲むのかアップルジュースを飲むのかなんて自分で判断すればいいですが、重要な判断になればなるほどAIに頼る事になるのではないかと思うんです。
まあ導かれた解が最適解なら問題は起きないでしょうが、「最適の定義」と「人間の考える機能が退化するのではないか」の2つが大変問題な気がするのです。
みんカラらしく車に関して例えると、クルマを買おうとしている時にあなたのこれまでの経緯や今の状況、性格、今後どうなっていくかなど、およそ人間の脳では考えに及ばない範囲まで考えてどれを買ったら良いのかAIが判断するとか。
「最適の定義」については、どうしてその結論になったのか人間が知って最終的な判断は人間がすれば解決しますが、その判断根拠を人間が検証する行為自体が人間の処理能力を遥かに超える事になると思うので、結局AIの判断に従う事になっていくと思います。
余談ですが公共交通に話を絞れば対車両事故はAI化の前段階で自動化すれば相当減ると思います。
「対人事故を無くす」という点においては本当のAI化まで行けばかなり効果的だと思います。
もう一つAIと人間の違いに「個性」と言うものもあると思います。
当然人間が個性を持っているのですが、個性のもとになっているのは過去の経験や思考の蓄積が個々の個体の脳にしか無いからでしょう。
AIはそれらが並列化される前提で言えば個性は生まれないと思いますが、人間がAIの判断に頼るようになると人間の個性はどんどん薄くなるんでしょうかね。
(並列化の恩恵を放棄すれば一時的に個性のあるAIもできると思いますが、知る能力とその学習スピードの高さから結局並列化するでしょう)
考える事自体が全て無くなるとは思いません。脳は無くならないでしょうからね。
でもこうして普段の「考える」行為の例えば半分がAI任せになったら人間の能力も変わってくるんじゃないかと。
生きていて「考えるのも嫌な事」や「考えるのも面倒な事」も沢山あるのでそうした事がAI任せになるのはありがたいですし、最近のニュースのようににわかに信じがたい判断により引き起こされるアホな事件なども無くなるでしょうけど、人間の考える能力が衰えてしまうのは何だか嫌だな~と思います。
更にここまでの話は非常に短期的な過渡期の話だと思いますが、AIによる「考える」支援が当たり前になった世界に生まれた世代はそれが当たり前でしょうから、全然考えない人間になってしまっても不思議は無いような気がします。
もはやこうなったら人間は本能によって生きる「動物」でしかないのでは。
人間みたいなロボットが人間みたいにしゃべったり、アレクサが色々やってくれたり、クルマが前の車について行ってくれたり、目に見える派手な事に目が行きがちですが、こんなのはAI風イマドキの機械です。
自ら考える本来のAIが台頭する時、人間はもうちょっと付き合い方をしっかり考えないといけないと思います。
でもそうこうしているうちに今は思いもつかない別の進化を人間もしていくのかもしれませんね。
新し物好きの私にしてみればとても興味のある世界なのですが、秋の夜長に考えたちょっと心配になるAI妄想でした。
文章だけのつまらないブログでしたがご拝読ありがとうございました。