こちらはJR高知駅です。
路面電車の前に小ちゃくワタシのクルマ(笑)
予想以上の晴天に恵まれた高知の旅2日目です。
晴天ではあるものの、ひとつ心配は、昨日の雨が川を濁らせているのではないかということでした。
が、しかし、この青空の下、そんな贅沢すぎる心配なぞ、次第にどこかへ吹っ飛んでいったのでした。
昨日は駅チカのホテルに泊まったので高知駅は外せません。
坂本龍馬と中岡慎太郎
あと一人は誰だか分かりますか?
駅前の大通り。平日の9時半だというのに交通量が少ない。
ちなみに、四国で人口が100万を超えるのは愛媛県だけです。
高知県は47都道府県中45位。
それ以下は、我が愛する島根県と鳥取県がくる。
さぁ、車に戻って出発です🚙
向かうのは、旧池川町(仁淀川町)です。
奥に見えるのは「はりまや橋」
日本三大がっかり橋といえど、上手く撮れないと尚更ガッカリ(笑)
初めて見る仁淀川。
この輝く風景に、只々来てよかったと思う。
ため息にも似た長い吐息が何度も出た。
名越屋(なごや)沈下橋
狭く見えますが、実際はrav4でも余裕です。
ただ、決して渡りませんけどw
こうして写真を撮っていても後続車は一向に来ない。
天気が昨日と逆でなくて良かったとあらためて思う。
さて、これまでは四万十川でも経験する範疇と思いますが、ここからが違います。
旧池川町(仁淀川町)到着🚙
道の駅的な、いけがわ439交流館に車を駐めるが、まったく人の気配がない。
それでは、この旅の二つ目のテーマである「美しい川沿いの家並み」を見ようと思います。
この風景が見たかったんです!今日という日に感謝🙏
橋を渡ってみます。
橋の途中であらためて家並みを眺める。
この川は仁淀川の上流で、土居川と言います。
この辺りの子供は、小学生になったら否応なしに川に落とされるらしい(地元民談)
反対側の景色。
橋を渡り切り、川の反対側の家並みです。
昔は、土佐と伊予を結ぶ宿場町として栄えたとのこと。
渡った橋を振り返る。
池川茶、この辺りはお茶を作る産地でもあるのです。
また、この池川地区は合併して仁淀川町になる前は、高知県で一番人口の少ない町だったそうな。
さぁこれからどうしよう?
なんの下調べもしていない。
観光協会に電話した(笑)
おすすめされたのは、安居渓谷と中津渓谷だった。
来る際に安居渓谷の案内板を見たので安居渓谷に決めた🚙
国道からすれ違い困難な狭い道に入ること6.5キロ。
ビビりながらここまで来ました(⌒-⌒; )
もうやめようかと思って看板を見ると、仁淀ブルーの原点まであと1.2キロ。
気を取り直して再出発🚙💦
駐車場🅿️は、高知ナンバーの車がチラホラ。
安居渓谷を歩きます。
さらに進むと水晶淵。
ブルーではありませんが、かなりのものです。
さらに奥の滝を見てUターン。
このあと、ビックリすることを聞くことに…
なんと、この川のグリーン自体、綺麗なときに比べて3割も濁っているとのこと😦にわかには信じがたい。
そう教えてくれたのは、このお方。
食堂と宿泊施設の社長さんです。
一番きれいな時期は、梅雨が明けてから雨が降らない日が一週間続いた7月下旬とのこと。
グリーンの3割は見ないとどうしようもない。
だが、本当の仁淀ブルーは雑誌を見せてくれた。
話しかけたのは私からだったが、知らないうちに意気投合?w
しまいには、ここで働く気はないかと、名刺をいただいた。
自分は引退してやりたい事があるから、次の社長を探しているとのこと。
冗談でも嬉しいですよね。
軽く食事をしている最中、池川茶を使ったスイーツのお店を紹介してもらった。
「じゃあこれで」と、帰り際にスイーツの場所を聞くと、分かりづらいので案内してくれるという。
ちょうど運転初心者🔰の車が帰り道は怖いというので国道までの7キロを先導するらしい。
そこについて行けるなら、こちらも渡りに船である(笑)
もちろん二つ返事でお願いした。
徒歩で渡った橋を今度は車で渡って、
しばらく行って左折、そんな分かりづらくはなかったけど、その優しさに感謝です🙏
着いたのがコチラのお店。
聞くと、今日の仕事はこれで終わりらしい。
しかも自宅がこの近所なんだとか。
ホッとした(笑)
お礼にプリンをご馳走するも、
そのあと、プリンとお茶のティラミスをご馳走になったw
話は盛り上がり、あっという間に時間が過ぎてゆく。
社長さん曰く、
四万十川を「最後の清流」と紹介したのはNHKらしい。
「じゃあ、そのあとに紹介する仁淀川をなんと紹介するんだろう?」と思ったという。
そこでNHKが考えたのが「奇跡の清流」です。
四万十川に負けず劣らずのキャッチフレーズ。
とても気に入っているらしく、嬉しそうな笑顔が印象的だった。
トイレに行ってる間に、今度はお茶が出ていた👀笑
社長さんは、とにかく熱い!
仁淀川のこと
ご自身のこと
いっぱい語っていただいた。
気づいたら、最初に出会ってから4時間が経とうとしていた。
お名残惜しい中、挨拶を交わし仁淀川町を後にする。
帰り際に、手提げ袋いっぱいのお土産をいただいた。
何から何まで、本当にありがとうございました。
忘れない風景。
忘れたくない風景。
僕にとっては、この出会いこそが奇跡だった。
Posted at 2024/04/23 13:17:57 | |
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