

人馬一体と思えるような車との邂逅は
得難いものだ。
私の場合、マカンターボとの出会いは、
そう言い得るかもしれない。
北海道へはフェリーで苫小牧から入った。
フェリーは八戸からで、東京から東北自動車道で
平泉等何か所か廻りながらの道行きだった。
苫小牧から雪の義経神社に立ち寄り、平取を経て、
敢えて凍った雪道の日勝峠を越えて帯広へ。
翌朝、帯広から糠平湖へ向かう。
マカンターボには、家内と私の冬山装備一式が積まれている。
だから、どんな吹雪も寒さもなんとかなる。また
マカンターボは、路面の凍結度合等を確実に伝えてくれる。
だからアクセルワーク、ブレーキング、ハンドル操作を確実に行えば、
走行に不安はない。
私たちは氷結した糠平湖の上を勝手に歩いて、雪に埋もれた
タウシュベツ川橋梁を目指した。
このあたりにあるいくつかの廃墟の橋梁には、廃墟ならではの
佇まいがある。
糠平湖からは阿寒湖へは夕方の凍結の進んだ吹雪の道を急いだ。
翌朝の外気温はマイナス20度だったが5W-50のエンジンオイルは
3604CCのエンジンを1発で始動させる。
雄阿寒岳の脇から241号線を弟子屈へ向かう。殆ど他のクルマは
いないが、この凍結した峠道を、地元のトラックがかなりの
スピードで走るのには感心させられた。
私がマカンターボで抜き去った後、猛然と気合を入れ直して
ついて来ようとする車さえあった。
乗用車やSUVではそんな車はないにもかかわらず。
弟子屈からは摩周湖に向かった。冬季は第一駐車場までしか
行けないが、不凍湖と言われる摩周湖がほぼ結氷し、水面は
凝固して氷の波紋を見せていた。
すさまじいばかりの美しさを湛えた摩周湖を後に、私たちは
野付半島へ向かった。
細く海老のしっぽのように海に伸びる野付半島の道は左も右も
海である。
左は野付水道の向こうに、喪われた?北方領土、国後島が白く
輝いている。まさに指呼の間。
右は野付湾、トドワラの潟。氷結した白い平原の間近を
蝦夷鹿の群れが歩いている。
トドワラの雪原の先端まで自由に道筋をとって気ままに歩く。
海水に浸されて立ち枯れた樹木には寂寥感が漂う。
振り返るとトドワラの茫漠とした白い平原の向こうに
国後島の爺爺岳の姿があった。
野付半島から知床へ。知床のオホーツクの海には流氷が
押し寄せていた。流氷と羅臼岳の間の白い空間を、何かを
索めるがごとくオジロワシを追うがごとく彷徨する。
ヒグマは冬眠中の筈である。
糠平湖もトドワラも知床も、自然との邂逅は一対一の
自己責任が基本。厳冬期なら尚更だろう。自然に対する
敬意と畏れを忘れたくはないものだ。それは、もしかすると
ドライビングにも相通ずるものがあるかもしれない。
知床から網走へ向かう途中、家内の希望で、流氷の
オホーツク海に沿った釧網本線を2両編成の列車が
走るのを眺めた。
網走から大雪山へ。北見の渋滞を抜けた後は
ひたすらマカンターボを大雪山へと疾走させる。
長い直線では遅い車を数台まとめて追い越す事もある。日暮れ前に
凍結した石北峠を抜けておきたいからだ。
夕闇の石北峠を行く車は2台の観光バス以外殆ど無かった。
なお層雲峡手前の長いトンネルは柱状節理の岩峰群への視界を
奪っており残念に思う。
これは北海道全体に対する危惧になるが、
安易な観光開発と中国人団体客誘致の為のイベント流行りは
残念である。道路も観光バスが走りやすければ良いのだろうか?
素晴らしい自然には、便利さよりも、敢えてハードルの高さを
残して、敬意をもって接する姿勢で臨んでほしいものだと思う。
安易な世界遺産化、ガイドツァーに既得権を与える管理観光化
の流れは自然を枯渇させる。
翌朝、大雪山を回り込んで旭日岳温泉に向かった。
旭岳では遭難者があって、自衛隊が出動していた。
完全冬山装備の私をスキーの人たちは捜索隊と思ったらしく、
「ご苦労様です」と挨拶された。
視界は、地平をホワイトアウトに封ぜられて天も地も無い。また
旭岳のパウダースノーはワカンでは膝上まで雪に埋まる。
登頂はあきらめて早々に撤退した。
旭川では北鎮記念館で旧第七師団の歴史をご説明いただき、
また旧旭川偕行社等の史跡を訪ねる一方、アイヌの方から、
江戸時代以降のアイヌの歴史を詳しく伺う事ができた。
市内は雪の轍が深い道が多く、一般の日本車よりトレッドの広いマカンでは
運転しづらいところもあった。
旭川から札幌へはただ雪の高速道路を走るだけだった。
札幌は南20条あたりになると、藻岩山が西に迫り、東には豊平川が
接近する。雪の藻岩山、雪の豊平川には、札幌の原風景がある。
一方、やたらピカピカに復元された豊平館はとても欧米人の鑑賞に
耐えられる代物ではなく、札幌市のスタンス・見識が疑われる。
こういうものは静かに日本人の記憶の底に置いておけば良いのである。
札幌からは支笏湖経由で苫小牧へ。苫小牧からフェリーに乗船。
支笏湖から見る樽前山の雪の溶岩ドームの姿は印象的だった。
翌日午後、大洗着。鹿島神宮経由で帰京。
雨にけぶる大樹の森の奥深く、鹿島神宮奥宮は
まさに神宿る佇まいであった。
マカンターボにトラブルは無かったが、唯一のアクシデントと言えば、
ウィンドウォッシャー液が出なくなった事だろう。この症状は何度か起こった。
ボンネットに取り付けられたノズルが凍り付いた為で、
ガソリンスタンドで、湯で温めてもらい回復した。
私たちは2240㎞を走破した。
マカンターボは長距離を走っても疲労感が少なく、
また凍結した峠では、路面状況の変化をドライバーが的確に把握でき、
遅い車をパスしながらの人馬一体の疾走が可能であった。
(冬タイヤは夏の21インチP-ZEROを19インチDM-V2に変えて使用。
タイヤハウスに厚く付着した氷は、タイヤとの干渉を避けるべく、随時
ピッケルで落としながら走行した)
マカンターボならではの戦闘力が、私たちに厳寒の北海道における
素晴らしい旅をプレゼントしてくれた事は、間違いないように思う。
早く走れる事と命をあずけて走れる事が通底するとすれば、マカンの凄さとは、
その戦闘力の恩恵を、より広いシチュエーションにおいて、ドライバーに受け取らせる
ところにこそある、のだと思う。
(なお10日に亘る旅程の間、2~3日に1度は宿泊地近くのガソリンスタンドで
下回り主体の洗車を励行した)