
1995年1月17日5時46分 社会人1年目の冬を迎えた時は兵庫県西宮市の会社の寮に住んでいた。。。
これまでに経験したことのないぐらいの大きな揺れでベッドから落ちた時は『夢でも見ているのか?』と思った。 思わず大声を出す。。。
何分続いただろう。。。揺れがおさまって少し落ち着く。。。テレビ。。。 つかない。。。 どうやら停電みたいだ。。。 水は。。。出ない 水道管が破裂か? ガスは。。。漏れていないのか?
たまたま所有していたハンディラジオのスイッチを入れると震度7強の大きな地震が発生したことを確認。
『電車は動いているのか? 幹線道路の状況は?』 情報は錯綜し続けている。。。
電車が動いていないとの情報が分かり、同僚と車で勤務地のある神戸市元町に向かう。。。
6時半出発で到着は既に正午過ぎであった。
元町に到着するまでの光景は、これまでに見たこともない悲惨なものであった。
それはさながら歴史の教科書で習った戦争のような。。。
線路は飴のように曲がり。。。 高速道路は崩れ。。。 そして民家からは火柱が。。。
勤務地の事務所の中も停電で懐中電灯片手に手探りで確認。。。 幸い電話は使えるみたいだ。
上司からの指示により、社員の安否を確認するが大半は電話がつながらない。 益々不安が頭の中をよぎる。。。
そうこうしているうちに事務所の外から『助けてくれ!』の声が。。。 隣の民家のガレキの中に老夫婦が埋まっているとの情報。。。 当然警察も救急車も出動していない。。。
周りの人と協力してガレキをどかす作業に入る。。。 『助かってて欲しい。。。』それだけを想い、必死に。。。必死にガレキを撤去する。。。
30分ぐらい経過したであろうか。。。ガレキの下からは。。。息絶えた老人の姿が。。。 怖いとか気持悪いの話ではない。。。
もう少し早くガレキが撤去できれば。。。 悔しさと無念だけがそこには残っていた。。。
その後3日間一睡も出来ない生活。。。 食事は1日一食のパンだけの生活が3日続いた。。。
コンビニのガラスは破られ。。。 倒壊した薬局からあふれ出た薬を我先に奪い取る人。。。。
1本5,000円でソーセージを販売する不徳な大人。。。
何もかもが地獄絵図のような光景だった。。。
『がんばろう神戸』
そんな言葉が生まれたのは震災からかなりの月日が経った後だった。
故郷ではないが学生時代と合わせて8年間生活した第二の故郷 神戸。。。
震災の爪跡がまだ消えない1998年に東京に異動した。 あれから何回か神戸を訪れる機会があるが、その度にあの時を思い出す。 忘れたい。。。いや、忘れてはいけないあの頃の日々。。。 街はすっかり復興している。 しかし6000人以上の犠牲者やその関係者の傷は一生消えるものではない。
今、自分が平凡な日常を過ごすことが出来ること、そして愛車を通じて余暇を楽しむことが出来ることにもっと感謝しなくてはならない。
震災後の3年間ではあるが、公共性の高い今の仕事を通じて少しでも神戸の復興に貢献出来たことを誇りに思い、そして二度とあのような災害がおこらないことを願いながら犠牲者の方々のご冥福をお祈りしたい。
Posted at 2011/01/18 00:23:14 | |
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真面目な囁き | 日記