自分のブログを読み返してみたら
「あー、俺こんなこと考えてたんだ」
と思ってみたり
「おお、やっぱり俺ブレねえ男だw」
と呆れてみたり。
2017年の7月、抗がん剤投与1クール終了後にこんなこと考えてました。
タイトルは「葉隠」
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「武士道とは死ぬことと見つけたり」
アニメ「ルパン三世」に登場する

のセリフとしてご存知の方もいらっしゃると思います。
これ、正確には
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」
この言葉が書かれているのが「葉隠」です。
興味があったらググってみてください。
たくさんあります。
時代小説がお嫌いじゃなければ隆慶一郎の「死ぬことと見つけたり」おすすめです。
私には娯楽小説としても楽しめました。
こんな本を読んでるから私の死生観が生まれたのかこんな死生観を持ってるからこのテの本を楽しめるのか分かりませんけどね。
別に「武士道」を語るつもりも自分をサムライ扱いする気もありません。
私の父も母も実家は農家。
侍の血なんて一滴も流れてないと思います。
そもそも職業なんて遺伝するわけもありませんしね。
まあ「死」について書くのに枕詞として使ってみたかっただけの話です。
いつも前フリが長くて申し訳ありません。
本題、いきまーす。
「死」って誰でも考えたことはありますよね。
もちろん私だってもこれまで考えたことはあります。
それが今回の病気で少し身近になって少し真剣に考える機会が得られたわけです。
私にとっては「死」って概念的なものでしかありません。
病気やケガの苦痛ならこれまでの経験からある程度の想像はできますけれど死んだことがある人はいませんわな。
いろいろ考えてみましたが、自分の「死」は最終的に「肉体的な機能の停止」にしか行きつきません。
ほんと、しつこいようですが死にたいわけでも死んでもいいやと思ってるわけでもないんですよ。
ただただ
「考えてどうなるもんでもねーわ」
としか思えないだけの話です。
でもやっぱり考える、というのは大切なことなんですわ。
「死」を考えるということは「生きること」を考えることでもあるんですね。
当たり前ですけれど生きていなければ死ねないんですから。
死ぬとしたらそれまでどう生きようか、なんてことも考えてはいるんですが、下らないことしか思い浮かばないんですよねえ。
ホントになんなんでしょうね?
基本的にフザけた男ではありますが、これを書くために哲学してみましたw
「ヒトは、俺はなんのために生きるのか?」
・・・
・・・
・・・
知らんわ、そんなモン(笑)
生きてるもんは生きてる、それだけの話だ。
生きる目的があるならそれを達成したらもう生きる必要はないの?
次の目的を掲げるの?
じゃあ逆にその目的が絶対に達成できないことが分かったら生きる価値がない?
こりゃやっぱり「哲学」って学問として成立するわけだし哲学者ってのも大したもんだわ・・・
なんてことは1mmも思いません。
そんなことを考えてるんなら楽しく過ごしてた方がいいんじゃないの?
今日を楽しく過ごせればいいや。
そうそう毎日楽しいことがあるはずもないけれど例えばトラブルがあってもそれを楽しんじゃえばいいじゃない。
なんてとこで今日も楽しく過ごすことにしますw
あ、しつこいようですけどこれはあくまでも私という変人の考え方ですからね。
何かの目的に向かって頑張っていらっしゃるならなんの力にもなれませんけれど応援しますよ。
――――――――――――――――― コピー終わり
「死を考えるということは生きることを考えること」
カッコいいこと言ってるじゃねえか、俺。
モテるわけだ(笑)
考えた結果なにか大きく変わったわけではないんですがそれでも
「これでいいや」
と今の自分を形成する過程ではあったわけで。
おすすめするわけにはいきませんけど今になれば
「これもまた経験」
と思う事ができるようになったのは幸せなことなんでしょうね。
Posted at 2025/07/14 17:01:09 | |
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