• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

TT-romanのブログ一覧

2025年12月20日 イイね!

ミシュランクロスクライメート 3スポーツ 製品インプレッション

ミシュランクロスクライメート 3スポーツ 製品インプレッションモニターキャンペーンで当選したのでそのインプレッションです。
とはいえ現時点では兵庫県では積雪しているところは北部のみなので、取り急ぎドライ路面でのインプレッションとします。

12月6日☀
🏯城巡りと連動させようと思いましたが天気もいいので六甲山を超えて海を見にドライブしました。
alt

いつもの明石海峡大橋と淡路島を望む撮影スポットで
alt

タイヤの比較は直前まで履いていた夏タイヤ
ミシュランパイロットスポーツ5
そして8JTTの前に乗っていた8NTTの時にはいていたスタッドレス
ミシュランX-ICE
です。

まずは高速道路、一般道、そしてすこしだけですがワインディング
合計100kmほど走りました。
・乗り心地は夏タイヤとの違いは感じませんでした。
・ロードノイズは感じませんでした。
alt

・ハンドリングも違いはありません。
alt

・硬さも柔らかいとは感じませんでした。
・「ぐにゃっ」という横ブレも感じませんでした。


・Vシェイプトレッドパターンとサイドウォールデザインはスタッドレスのようにごつごつ感なく好みです。

alt
alt


・燃費 パイロットスポーツ5と比較して遜色ありません。
alt

2024年春にリニューアルオープンした神戸ポートタワーも久しぶりに見ました。
alt

alt

帰り道は六甲山のワインディングテストも

12月13日☀ 最低気温0度
滋賀県湖西地方へドライブ
往復200kmほどの高速道路と一般道のドライ路面走行

こちらも上記と同じくパイロットスポーツ5装着時とまったく遜色はありませんでした。
alt

残念ながら年内は当地周辺は⛄降雪は望めないようです。
年明けてからチャンスがあれば再度インプレッション報告します。






Posted at 2025/12/20 15:26:55 | コメント(6) | トラックバック(0) | モニターキャンペーン | タイアップ企画用
2025年12月13日 イイね!

🏯城攻略〜近江国 竹生島〜 秀吉大坂城唯一の遺構 

🏯城攻略〜近江国 竹生島〜 秀吉大坂城唯一の遺構 竹生島
琵琶湖の北、対岸から6km沖合にある周囲約2kmの島です。
私たちは今津港からクルーズ船に乗りました。
人気のパワースポットですが昼の部は乗船者数は3割程度でした。
我々の目的は大坂城絡みなのでタイトルは城攻城としましたが圧倒的多数はパワースポットとしての観光地です。
今回の中では一番人が多かったです。(人混みが嫌いなので・・・)
alt
alt
alt
alt
alt
alt

祈りの石段
165段、祈りを捧げながら石段を登るそうです。
段が高いので太ももがぱんぱんに「もう少し段数少なくしてください」と祈りました。
alt

宝巌寺本堂(弁財天堂)
alt
alt
*本堂写真なぜか取り忘れて借物写真(夏仕様💦)

五重石塔
alt
alt

三重塔
alt
alt
alt

みんな結構足腰にきているので転げ落ちないようにと祈りました。
alt

唐門(国宝)・観音堂(重文)
alt
alt

今回一番見たかったものがこれです。
秀吉大坂城の唯一現存する遺構、極楽橋を移築したものです。
見事な唐破風ですね。
alt

6ヵ年の継続事業として、『唐門』『観音堂』『舟廊下(渡廊)』の檜皮屋根の全面葺き替え、彩色・漆塗りの塗り直し、及び飾り金具の鍍金メッキ仕上げを主な内容とした修理保存事業を行い、令和2年3月に完成しました。
alt
alt

渡廊下(船廊下)(重文)
alt
alt

都久夫須麻神社本殿(国宝)
alt
alt
alt

龍神拝所
鳥居に向かってかわらけ投げをして間を通ると願いが叶うらしいです。
alt

渡廊下の床下は足代を組んだ舞台造りとなっています。
alt

現地上陸時間75分間ですが我々には持て余し気味で売店でコーヒーしました。
帰路改めてみると竹生島は花崗岩からできているのがわかりますね。
alt
alt

駐車場で勢ぞろい
alt

この後は地元の菓子屋さんで饅頭を食べて解散です。

帰路途中だったのでアクアファンさんが未攻城の坂本城へお供しました。
alt

今回道の駅でゲットしたお城観光ガイドブック
数年前にも似たようなものをゲットしたので、滋賀県はほんと城を観光資源として重要視しているのでありがたいです。
alt

滋賀県内には現在確認されている城郭の数は1,300か所以上と言われています。
ガイドブックに掲載されているのもほんの一部
一応今回分を含めていったところを青マークしてみましたがまだまだたくさんありますね。
alt

某城サイトの集計ではまだ20%💦
山城も結構あるので足腰の鍛錬が必要です💦
登録数 攻城数 制覇率
129城  26城  20.2%

年内は休みと天気があえばもう一回攻城の旅に出たいと思いますがどうなるか?
まあオールシーズンタイヤ装着したので冬場も活動範囲、期間が広がり、健康寿命を考えるとありがたいです。


Posted at 2025/12/17 21:28:04 | コメント(4) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2025年12月13日 イイね!

🏯城攻略〜近江国 宇佐山城、大溝城他〜 「城の国」へ

🏯城攻略〜近江国 宇佐山城、大溝城他〜 「城の国」へ今回は関西で日帰り攻城です。
久しぶりに城とも3人(はらぺこ星人さん、アクアファンさん)がそれぞれの愛車で集合です。
集合は8時半だったのですがいつものように早く目が覚めたので集合時間まで単独で寄り道です。

瀬田城
築城年 正長2年(1429)
築城者 山岡景房
主な城主 山岡氏
alt
alt
alt

瀬田川東側に軍事上の目的で築城された城。瀬田川は琵琶湖から流れ出る唯一の川であり、瀬田川に架かる瀬田橋は「急がば回れ」の語源ともなった橋で、戦国時代は交通・軍事上の重要戦略拠点であった。その瀬田橋のたもとにあった瀬田城も重要な位置を占めていた。
永享年間(1429〜1441年)の山岡資広(すけひろ)から始まり代々山岡氏が城主で、織田信長政権下の山岡景隆は、瀬田橋を守る城主として活躍、織田信長からの信頼が厚く織田信長は上洛のたびに瀬田城を宿所としていた。
天正10年(1582年)本能寺の変で織田信長を討った明智光秀は、安土城を占拠するため瀬田橋に軍を進めた。架橋を任されていた山岡景隆は織田信長への忠義を守り瀬田橋を焼き落とし明智光秀の軍を阻んだ。これにより明智光秀はいったん兵を引かざるを得なくなり、天下の趨勢に大きな影響を与えた。
今は、瀬田唐橋の東側高層マンションの下の県道前にひっそりと城跡石碑が立っている。
*滋賀・琵琶湖観光情報より

こちらは歴史的には大きな意味合いのある城ですが残念ながら遺構は残っていません。
むしろこちらの方が有名です。

瀬田唐橋(日本三大名橋)
日本三名橋の一つで近江八景「瀬田の夕照」で名高い名橋。古くは、瀬田橋・瀬田の長橋とも呼ばれ、日本書紀にも登場する。現在の状態は、織田信長により現在の状況(大橋・小橋)に整備された。
「唐橋を制するものは天下を制す」とまでいわれるほど、京都へ通じる軍事・交通の要衝であることから幾度となく戦乱の舞台となった。現在の橋は昭和54年に架け替えられたが、緩やかな反りや旧橋の擬宝珠など往時の姿をとどめている。
「いそがばまわれ」の語源となったエピソードでも有名。
alt

そしてこの逸話も・・・

瀬田の唐橋 俵藤太秀郷むかで退治
alt

豪傑の誉れ高き秀郷は、誰もが恐れていて近寄りもできなかった瀬田橋に横たわる六十六メートルもの大蛇の背をやすやすと踏み越えた。すると、大蛇は爺さんに姿を変えて秀郷の前に現れた。何事かと話を聞けば、三上山に7回り半も巻き付いた大ムカデが夜な夜な琵琶湖の魚を食いつくしてしまい、人々が大変困っているという話。しかしあまりにも凶暴な大ムカデを恐れて誰も退治できずにいる。そこで爺さんは大蛇に姿を変えて勇気のある豪傑を待っていたと言う。秀郷は、こころよく大ムカデ退治を引き受けた。秀郷の射た矢が見事に大ムカデの眉間を射貫き、大ムカデは消え失せた。この秀郷の武勇をたたえて爺さんが招待したところが瀬田橋の下、竜宮であった。琵琶湖に暮らす人々を守るべく一千年余昔から瀬田橋に住むという。漁民の暮らしや、豊かな実りある近江国をこの竜宮から見守ってきたという。秀郷は一生食べきれないほどの米俵を土産に竜宮を後にした。そこから「俵藤太」の名が付けられたとされている。

ということでコラボ撮影だけして次へ
alt

膳所城
徳川家康の天下普請の城の一つです。
縄張りは築城名人藤堂高虎です。
alt
alt

こちらは2022年08月29日攻城済み(🏯城攻略〜近江国 大津城、膳所城〜琵琶湖の浮城巡り 其の二

なのでコラボ撮影だけ
alt

そして集合場所へ
いつものことですが3人とも定刻より早めの集合となって攻城開始です。

宇佐山城
築城年 元亀元年(1570)
築城者 森可成
主な城主 森可成、明智光秀
alt

お目当ての城ですが標高336 m、比高250 mもあります。
麓から歩いたのでは体力的にたどりつけませんので、まずは近江神宮駐車場に停めて、そこから宇佐八幡宮までは狭い悪路(写真よりはるかに凸凹)となるのでローダウン車のTT二人はあきらめてアクアファンさんの愛車に便乗させていただきました。
これで1キロほどの山道をカットできました。
感謝<m(__)m>

alt
alt

宇佐八幡宮
alt
alt

ここからはもちろん歩きですがこの城も単独パンフレットがありません。
かつこの時点では縄張り図もありませんのでこの小学生が作成した案内板が頼りです。
alt

「苦労の先には・・・」ってやはり結構登るのね?
alt

あまり整備されていないので案内板がなければ道もよくわかりません。
alt

ここでやっと地図が・・・
alt

石垣がモチベーションをあげます👍
alt

先に本丸、二の丸へ向かいます。
alt

本丸
現在本丸にはよくあるパターンですがテレビ局のアンテナが設置されています。
alt
alt

虎口
alt

二の丸
alt

本丸下の石垣
alt
alt

堀切(おそらく)
alt

三の丸
alt

宇佐山テラスとして眺望が楽しめます。
大津・瀬田方面
alt

琵琶湖大橋・近江八幡方面
安土城が見えているかどうか議論しましたがブログ作成時に地図を見ると八幡山城くらいで安土城は見えていないと思われます。
alt

帰り路で頑張ってよじ登って撮ったこれがベストショットでした。
alt

往復1時間15分ほどかかりました。
駐車場まで戻って少しだけ参拝

近江神宮
近江神宮は第38代天智天皇をお祀りし、天智天皇の古都・近江大津宮跡に鎮座しています。全国16社の勅祭社の1社
alt
alt
alt

戦利品
alt

これにて某城サイトの明智光秀ゆかりの城9城を制覇しました。
alt
alt

続いては湖西を北へひた走り、高島市まで。

大溝城
築城年 天正6年(1578)
築城者 津田(織田)信澄
主な城主 津田信澄、丹羽長秀、加藤光泰、生駒親正、京極高次、分部光信
alt

こちらは織田信長の近江、湖上ネットワークの城のひとつです。
下記のような順で重臣、一族に湖岸に城を築城させました。
1570年 坂本城(明智光秀)
1573年 長浜城(羽柴秀吉)
1576年 安土城(織田信長)
1578年 大溝城(織田信澄)
いかに近江国が水陸ともに交通の重要拠点であったかがわかります。
alt

こちらは現在高島市民病院の敷地内となっています。
本丸に天守台の石垣が残っています。
この城も明智光秀の縄張り(設計)ということです。 
alt
alt
alt

あとで訪問した大溝陣屋総門でのビデオではこんな感じの水城だったようです。
alt

天守台
alt
alt
alt

病院建物の手前が二の丸推定地です。
写真は撮っていませんが病院駐車場あたりが三の丸とのことです。
alt

天守台の石垣はかなりの巨石が使用されています。
alt
alt
alt

大溝城は本能寺の変後、天正13年(1585)に廃城となり、その部材は甲賀郡の水口岡山城に移されてと伝えられています。
その後、江戸時代に大溝城の三の丸付近に大溝藩の陣屋が設けられました。

大溝陣屋総門
築城年 元和5年(1619年)
築城者 分部(わけべ)光信
主な城主 分部氏
alt
alt

内部は資料館と案内所になっています。
alt
alt
alt

このビデオの内容は大溝城のものでよくできていました。
alt
alt

古式水道
この辺りは山水と湧き水両方で水道システムが出来上がっていました。
試飲させていただきましたがなんとも柔らかい感じでした。
alt
alt

戦利品
城カードは御城印購入すると無料で付いてきました。
ありがたや。
alt
 
今回はらぺこ星人さんの最近のカスタムを実際まじまじと拝見しました。
フロントリップはさすが純正品、ボディとの隙間もなく同系色に仕上げられているので全く違和感なくかっこいいの一言です。
ブレーキ周りも純正なので同様で見事です。


さて次は今回のメインイベント、かの秀吉大坂城の遺構が移築されたところへ行きます。










Posted at 2025/12/17 17:53:20 | コメント(3) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2025年11月19日 イイね!

🏯城攻略〜三河国 本證寺城、西尾城〜  

🏯城攻略〜三河国 本證寺城、西尾城〜  「家康三大危機」とは

三方ヶ原の戦い 元亀3年(1573)(家康31歳)
武田信玄に完敗し、こんな顔に・・・
alt

伊賀越え 天正10年(1582)(家康41歳)
本能寺の変後、少数部下で伊賀越えで三河へ帰還
alt
*NHK大河「真田丸」より

そして今回は一番最初の危機の舞台へ

三河一向一揆 永禄6年(1563)(家康22歳)
本證寺第十代・空誓が中心となって浄土真宗の本願寺門徒に檄を飛ばし、領主の家康と戦ったというものです。
alt
*NHK大河「どうする家康」より

門徒であった部下数人も敵方にまわり、「どうする家康」では側近の本多正信も一揆側につき(ここまでは史実)、その後家康を狙撃するというとんでもない裏切りをするという展開になっていましたね。その後の狙撃はさすがにフィクションでしょう。

本證寺城
築城年 建永元年(1206)頃
築城者 慶円
主な城主 慶円、空誓
国指定史跡
alt
alt

いわゆる城郭寺院です。
寺院周辺を堀(外堀、内堀)や土塁で城のように武装しています。
有名なところでは石山本願寺や根来寺などいくつかありますね。

本堂
alt
alt

鼓楼
alt

鐘楼
alt

経蔵
alt

庫裏
alt

裏門
alt

堀・土塁
現在の遺構の分布
alt

裏門のすぐ右手に庫裏の周辺に残っています。
alt
alt

土塁
本堂の裏側は現在も発掘調査されています。
新たな発見があることを祈ります。
alt
alt
alt

ここも見事に貸し切りです。
なので・・・
コラボ撮影📷
alt
alt
alt

戦利品
alt

今回最後の城は

西尾城
築城年 承久3年(1221年)頃
築城者 足利義氏
主な城主 吉良氏、酒井氏、本多氏、大給松平氏など
alt
alt

駐車場の横はすぐ二の丸です。
alt

いきなりコラボ撮影📷

二ノ丸丑寅櫓・土塀
alt
alt
alt
alt

alt


土塀沿いに行くと

天守台
alt
alt
alt
alt
alt

旧近衛邸
alt
alt
alt
alt

本丸へ向かいます
alt

本丸
alt

本丸表門
alt
alt

本丸丑寅櫓
本丸からは櫓の外観は木が邪魔で上手く撮影できませんでしたので後ほど
内部は特に展示物はありませんでした。
alt
alt
alt
alt
alt

姫丸辰巳櫓跡
alt
alt

西尾市資料館
alt
alt
alt
alt
alt

西尾城の構造
下記に天守の説明がありますが層塔型の上に望楼型を乗せた層塔望楼型という他に類を見ないものだったそうです。
ぜひ復元してほしいものです。
alt

ジオラマ
街全体を城域に取り込んだ総構えの造りとなっています。
alt
alt

姫丸門跡
alt

鍮石門(ちゅうじゃくもん)
alt
alt

本丸丑寅櫓
ここでやっと全容が確認できました。
alt

屏風折れの土塀
これがこの城の名物ですね👍
alt

最後に
コラボ撮影📷
alt

戦利品
alt

14:00ですがこれにて今回の東海攻城は終了で帰路につきます。

18:07 帰宅 軽食含め3回ほど休憩して4時間ほどかかりました。

alt

2日間合計
愛車 840.4km
ドライバー 初日 13,467歩 2日目 12,557歩


今までの攻城記録の分析(某城SNSによる)
alt
alt

地元兵庫県だけは半分クリアしていますが、愛知、岐阜などは10%にも満たず、まだまだ楽しめそうです。
はらぺこ星人さん、アクアファンさんなど地元のみん友さんの情報を生かして攻城したいと思います。

PS. ということでまずは形から入ってモチベーションをあげるべく参考書を購入しました。(11月30日)
alt












Posted at 2025/11/30 19:48:34 | コメント(2) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2025年11月19日 イイね!

🏯城攻略〜三河国 田原城、安祥城〜  

🏯城攻略〜三河国 田原城、安祥城〜  2日目(11月19日)は朝から50kmほど走って渥美半島へ移動、三河国の城へ向かいます。
alt

今年初めての寒波で朝はかなりの寒さだったのでパフテック(ユニクロ)を着用して攻城です。
二の丸櫓や田原市博物館は9時からの開館なのでそれまで周辺を散策です。
alt

田原城
築城年 文明12年(1480)
築城者 戸田宗光 改修 池田輝政
主な城主 戸田氏、伊木氏、三宅氏
alt

駐車場から入城します。
ちょっとした門のようになっています。
当時はこの辺りは空堀だったようですがこういう演出は雰囲気があって私は好きです。
alt
alt

虎口・四脚門(多分)
alt

二の丸櫓
中も見学できますが9時からなので後ほど
alt
alt

本丸(現巴江神社)
alt
alt
alt

一旦外に出て
桜門(大手門)
紅葉がキレイです👍
alt
alt

袖池
alt

枡池
alt
alt

田原市博物館
alt

残念ながらこちらには城に関する展示はほとんどないとのことだったので御城印だけ購入して・・・

二の丸櫓
alt

大好物ジオラマ
これを見ても桜門から二の丸、二の丸櫓、奥が本丸ですが館だけで天守はなかったとのことです。
alt
alt

城主の変遷
alt
alt
alt

現在残る曲輪の配置や石垣などは基本的には後に姫路城も大改修した池田輝政が天正18年(1590年)吉田城主になって統治したときか、江戸時代になって池田氏の後に入った戸田氏によってなされたものと考えられています。
alt
alt

再び桜門を超えて周囲を巡ってみます。
alt
alt
alt

そして平日のためか貸し切りだったので
コラボ撮影📷
alt

戦利品
alt

続いてはまた50kmほど走って
徳川家源流松平家本拠地
そして今川・徳川連合軍VS織田の安城城攻防戦の舞台です。
alt
alt

歴史博物館の中にパネル展示がありました。
alt
alt
alt
alt

安祥城
築城年 永享12年(1440)
築城者 和田親平
主な城主 和田氏、松平氏、織田氏
alt
alt
alt
alt

現在城跡は安祥城址公園となっています。
alt

土塁
alt

本丸(現大乗寺)
alt
alt
alt

本多忠高墓碑
徳川四天王本多平八郎忠勝の父ですね(みん友さんから指摘されて初めて気が付きました(笑))
alt
alt

二の丸(現八幡社)
alt
alt
alt

善恵坊碑
天文13年(1544)、安城城攻防戦でひとり敵中へ討って出て、奮戦したと伝わる安城村の法師善恵坊を供養した碑があります。
alt

切岸
alt
alt

姫塚
安城城攻防戦で亡くなった女性を葬ったと伝わる姫塚です。
alt
alt

風呂井
その昔、安城村の北西の丘陵地に良い水が出るとわかると、周辺にいくつかの井戸が掘られ、いつしか七つ井と呼ばれました。風呂井はその一つです。
alt

虎口
これはまったくわかりませんがパンフレットによるとここです(笑)
alt

隅櫓(南)
alt

コラボ撮影📷
alt

戦利品
alt

同じ市内、「徳川家康三大危機」の場所へ




Posted at 2025/11/29 13:40:23 | コメント(2) | トラックバック(0) | | 旅行/地域

プロフィール

「[整備] #TTクーペ 洗車(2025年18回目)今年最後の洗車 https://minkara.carview.co.jp/userid/3098145/car/2719756/8484747/note.aspx
何シテル?   12/27 15:52
TT-romanです。よろしくお願いします。 2003年、初代Audi TTクーペ(8N)の丸尻ラインに一目惚れし、新車購入して13年間10万キロのりまし...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2026/1 >>

    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

リンク・クリップ

[アウディ TT クーペ]COBALT 標準バンパー用 リップスポイラーFRP製 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/12/10 17:14:45
[アウディ TT クーペ]Stage21 セレブ リップライナー 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/12/10 16:59:37
TTの内装外し・グローブボックス  
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/11/12 17:37:39

愛車一覧

アウディ TT クーペ Silver Arrows (アウディ TT クーペ)
8NTTを13年のって今は8JTTにのってます。 やはりTTのこの独特なデザインが大好 ...
アウディ TT クーペ アウディ TT クーペ
大きなクルマが必要なくなったのであこがれのクーペを選択 衝撃的なデザインに一目ぼれして、 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation