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2026年10月17日 イイね!

🏯城攻略〜河内・摂津国 私部城、三箇城、野崎城、榎並城、葱生城〜  

🏯城攻略〜河内・摂津国 私部城、三箇城、野崎城、榎並城、葱生城〜  10月17日のブログです。
快晴☀の天気だったので近場を攻城です。
生まれ育ち、人生の前半を過ごした大阪府ですが意外と有名な城が少なく、また平野部が多いので宅地化されている遺構が残っている城も多くありません。
なのでますます興味のない方には面白味のない内容ですが私にとっては重要なライフワークなのでご了承願います。

大阪府下の交野市(地図右上)、大東市(中央右)、大阪市(中央左)で5か所(赤丸箇所)を巡ります。
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まずは府下では珍しい戦国の平城からですがその前に予習です。

歴史民俗資料展示室
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国登録有形文化財
昭和4年(1929)交野無尽金融株式会社(現:関西みらい銀行のルーツのひとつ)の社屋として建てられ、その後交野町の庁舎などを経て現在に至ります。

古墳時代には現在の大阪市内は上町台地以外はほとんど海と湖であったため交野市付近は水際でした。
なので古墳などの遺跡がたくさんあります。
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交野の王墓と鉄器生産
★主人公(関連する中心人物)  肩野物部氏(鉄の王)
★ストーリー(物語) ~天から天磐樟船で降臨した鉄の王の物語~
古墳時代には、鉄器生産跡が残る森遺跡群など「交野の王」の墓が数多く造られました。
これらの古墳の最深部、奈良県との境に磐船神社あります。ご神体は物部氏の祖・饒速日命(にぎはやひのみこと)が哮(たける/いかる)が峰に天降ったと伝承される天磐樟船(巨磐)が鎮座しています。
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そして南北朝時代に築城されたのが私部城です。
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私部城のパンフレットは配布されたものは無くなっていたのですが係りの方に探していただいて入手できました。
貴重なものなので添付します。
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では現地に行きます。

私部城(きさべ)(交野城)
所在地 河内国(大阪府交野市)
築城年 文和元年/正平7年(1352)
築城者 安見清儀
主な城主 安見氏
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本郭
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本郭切岸・空堀
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本郭(反対側から)
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案内板によると織田信長もこの城で休息したようです。

続いては大東市に移動します。

三箇城(さんが)
所在地 摂津国(大阪府大東市)
築城年 文明年間(1470年)ごろ
築城者  畠山義就か?
主な城主 三箇頼照、三箇頼連、白井氏
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畠山義就と畠山政長が北河内を舞台にして争った1470年前後と考えられる。文明3年(1471年)7月には、義就方の遊佐五郎が三箇に立て篭った記録がある。当初は野崎城の、飯盛山城築城後は飯盛山城の支城であった。

三箇氏は大和国宇智郡の出自で畠山政長に従ってこの地に移動してきたものと思われるが、記録で明らかになるのは三箇頼照(洗礼名:サンチョ)の代からである。長慶の配下で三箇領主であった永禄5年(1562年)に頼照は飯盛山城でロレンソ了斎の説教を聞いて改宗を決意し、夏に妻や一族、家臣の多くと共に洗礼を受けた。

頼照は、永禄7年(1564年)に三好長慶が死ぬと三好義継に従い、天正元年(1573年)義継が敗れると織田信長に降った。信長と石山本願寺の関係が悪化すると、大和川を遡上してたびたび本願寺勢が三箇に攻め寄せたが援軍の助けもあって全てこれを防いでいる。天正5年(1577年)多羅尾綱知によって「毛利氏と内通している」との讒言を受け閉居を命じられた。翌年許されたが、この時に家督を子の三箇頼連(洗礼名:マンショ)に譲った。

天正10年(1582年)、本能寺の変の際には明智光秀についたが山崎の戦いで光秀が敗れたため、三箇親子は領地を捨てて逃亡し、三箇城とその城下は焼き討ちにあった。

三箇氏の後にはキリシタン武将である結城如安(ジョアン)が城主となった。如安は天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いで戦死し、この頃に三箇城は廃城になったとみられる。(Wikiより)

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こちらは残念ながら遺構は残っていません。城跡碑は三箇菅原神社の道向かいにあります。

続いては野崎城に向かいますが、その前に大東市歴史民俗資料館で予習です。
年表の赤枠部分が今回関連するところです。
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野崎観音・慈眼寺
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野崎観音は、福聚山慈眼寺といい禅宗のお寺です。
今から1300年ほど前、天平勝宝年間(749〜757年)に大仏開眼のため来朝した婆羅門僧正が「野崎の地は釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(ハラナ)によく似ている」と行基様に申されました。感動された行基様は、観音様のお姿(十一面観音)を彫みこの地に安置されましたのがこのお寺のはじまりです。

幾多の戦乱のため荒れはて、1565年(永禄8年)三好・松永の兵によって全焼し、本尊の観音様だけが残りました。長い間、小さいお堂のままでおまつりしてありましたが、元和2年(1616年)青厳和尚がこのお寺を復興され、元禄宝永ごろに「のざきまいり」が盛んになると共に、お寺も栄え、現在に到っています。(HPより)

その本堂の脇から山を少し登ります。(赤枠部分です)
前述にありましたがここは飯盛山城の支城なので飯盛山城までハイキングコースになっています。
野崎城はそのコースの最初の部分にあります。
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石造九重層塔
永仁2年(1294)造立
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曲輪
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慈眼寺からは5分ほどの登りなのでノンストップで
本郭
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戦利品
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続いてランチ後、大阪市まで移動して

榎並城
所在地 摂津国(大阪市)
築城年 天文2年(1533)
築城者 三好政長
主な城主 三好政長、三好政勝
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三好政長(1508年–1549年)は、細川晴元政権を支えた戦国武将で、三好氏一族の一人として畿内政治に大きな影響を与え、天文18年6月24日の江口の戦いで三好長慶に敗れて討死しました。(Wikiより)

城跡は現在、榎並小学校となっており正門横に城跡碑があります。
同時に榎並猿楽発祥の地ともなっています。
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すぐ近くに
野江水神社
三好政長が榎並城築城の際に水害を被ったので水火除難のために創建したと伝わっています。
豊臣秀吉も大坂城築城時に同様に守護神として社殿修復しています。
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最後は

葱生城(なぎ)
所在地 摂津国(大阪市)
築城年 16世紀後期
築城者 顕如
主な城主 本願寺衆
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織田信長と本願寺との石山合戦(下記「石山合戦配陣図」)の際に本願寺により築城された51の出城のうちのひとつです。
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*イメージしやすく図面の北を上に回転させています。

推定地とされる常宣寺の創建は応永4年(1397)に遡り、室町時代中期には蓮如(本願寺第8世)が立ち寄り近郷に教化伝道したと伝えられることから、同地が石山合戦以前から本願寺と強い結びつきを持っていたことが窺われるとのことです。

今回5城攻城で累計攻城数500城を突破しました。
ちなみに500城目は野崎城でした。
下記SNSのグラフでは合計488城ですが、そのSNSに登録されていない城も攻城しているのでイメージだけで。
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夏には楽勝で達成できると思っていましたが、猛暑と腰痛発症などで伸び伸びとなりました。
もちろん皆さんがご存じのような天守や堀などの遺構がある城ばかりではなく、今回のように城跡碑しかないところも多々ありますが、日本にはかつて約3万ともいわれる城があり、私が会員となっている城サイトの登録城数でも4,500以上ありますのでまだまだ楽しめそうです。

Posted at 2026/10/21 12:30:12 | コメント(4) | トラックバック(0) | 城 | 旅行/地域
2026年10月07日 イイね!

名所探訪~銭形砂絵と天空の鳥居

名所探訪~銭形砂絵と天空の鳥居城巡りも日本100名城、続日本100名城は沖縄を残すのみとなり一段落しました。
もちろんそれ以外にも全国にはたくさんの名城がありますので今後もライフワークとして継続して🏯攻城を続けていきます。
それに加えてせっかく城巡りのためいろんな土地にいくので観光、グルメも盛り込んでいきたいと思います。
今回は香川県でかねてより行きたかった場所へ
つい最近みん友、ATSUP_HARDさんも訪問、ブログアップされていたところです。


銭形砂絵「寛永通宝」
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観音寺市の一番人気観光スポットです。
一説には、江戸時代寛永の頃藩主を歓迎するために一夜にして造られたと言われており、この砂絵を見れば健康で長生きし、お金に不自由しないと言われています。
夜にはライトアップもあります。
砂絵は東西122m、南北90m、周囲345mもあるので琴弾山山頂展望台からみるように作られています。
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若人がやっていた構図で
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せっかくなので地上からも見てみました。
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砂ぞろえは毎年春と秋に行われ、市民が砂絵の輪郭を整える保全作業です。
ちなみに2026年は10月31日(土)午前9時~11時頃、受付は8時30分開始)とのことです。

続いてはすぐ近くの
天空の鳥居(高屋神社本宮)
まずはクルマで山麓の高宮神社下宮まで行きます。
ただしそんなに広くないので土日祝などは通行規制されています。詳しくは下記をご覧下さい。
天空の鳥居(高屋神社本宮)へのアクセスについて
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ただどちらにせよここはまだ山麓の下宮です。
ここから本宮、標高404m天空の鳥居まで1,500mひたすら坂道を登ります。
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最初少しは舗装路でしたがすぐに山道です。
徒歩での登山は標高差約290メートル、距離約1.4kmで、急坂や岩肌むき出しの道が続くため、軽装では危険です
途中に中宮を経由してさらに最後に270段の石段を登る必要があります

こんな感じの岩山です。
登山口で下山してきた若者のグループに山頂までどれくらいかかるのか尋ねると登り50分くらいとのこと💦
杖は絶対利用した方がいいとのことでこれがお勧めとのことで杖を託されました。
普段の山城攻城時は利用しないのですが今回は使って正解でした。
山城でも普通途中で平坦もしくは緩斜面がありますが、今回はずっとこんな感じでひたすら上り坂です💦
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最後の270段の石段(上からみたところ)
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途中10回くらい小休止をしてやっと到着、40分かかり汗だく、太ももはパンパンです💦
先に本宮でお参りしてから
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天空の鳥居
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ちなみに私が最初に計画した際にはクルマで山頂駐車場までいくつもりだったのですが勘違いして下宮のほうへ行ってしまい過酷な山登りとなってしましました。
ただ山頂駐車場ヘは林道となっているので運転は要注意みたいですが・・・
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見る限りはほとんどの方が下宮からの山登りみたいでした。
映えスポットなので若者も多く、私と同年代の方も多く汗かいて登ってました。
私が下山した時間(4:30)からまだ登る方もかなりいたので山頂で夕陽を見るつもりなのでしょうが半袖、半パンで当然道中は灯もないので大丈夫なのでしょうか?
他人事ながら心配です。

まあ勘違いして苦労しましたがこれからのシーズンの山城攻城にはちょうどいい足慣らしにはなり、マップにも50分かかると記載のところ40分で行けたので自信にもなりました。(途中で何度か心折れそうになりましたが)
まだまだいけるぜ👍(たぶん)

帰り道は途中で暗くなりましたがなんとか淡路島まできてから夕食は軽めに淡路島南SAでたまねぎラーメン🍜です。
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観音寺から自宅まで4時間
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走行距離 501.7km
歩数 18,192歩


10月はもう一回、今度は一泊二日で遠征予定していますが天気次第では延期もしくは日帰りに変更です。
毎日週間、2週間天気予報とにらめっこの日々です。



Posted at 2026/10/15 16:42:23 | コメント(5) | トラックバック(0) | 観光 | 旅行/地域
2026年10月07日 イイね!

🏯城攻略〜讃岐国 十河城、由佐城〜  

🏯城攻略〜讃岐国 十河城、由佐城〜  
十河城
所在地 讃岐国(香川県高松市)
築城年 南北朝時代
築城者 十河氏
主な城主 十河存保、十河存之、長宗我部親武
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三好長慶の弟で「鬼十河」と呼ばれた猛将、十河一存の城です。
この城で長宗我部元親とも戦いました。
現在は本丸跡が称念寺となっています。
空堀、堀切もあるようですが場所がわかりませんでした。
称念寺正面に参拝者用の無料駐車場がありますが当日は使用禁止になっていたので裏手の墓地の方に停めました。
御城印もあるのですが事前にわかっていたのですが販売先の「十河の郷 昭和おもひで館」が定休日だったので断念です。

次に同じく高松市内でもう一か所

由佐城
所在地 讃岐国(香川県高松市)
築城年 南北朝時代
築城者 由佐秀助
主な城主 由佐氏
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模擬天守
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模擬天守内は民族展示室となっており本丸内には香南歴史民族郷土館が建てられています。
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安倍晴明生誕地
由佐家と縁戚関係はないですが、かの陰陽師安倍晴明ゆかりの地となっているみたいです。
気になってWikiで調べてみると4カ所ある生誕地の候補のうちの一つとのことです。
「讃岐国香東郡井原庄(香川県高松市香南町)-『空華日用工夫略集』によれば安倍晴明は讃岐出身とされている。『讃岐国大日記』『讃陽簪筆録』によれば讃岐国香東郡井原庄、丸亀藩の公選地誌『西讃府志』によれば讃岐国香川郡由佐に安倍晴明が生まれたとされている。」(Wikiより)
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ジオラマというか模型
長宗我部元親も落とせなかった堅城とのことなので、
これはその下の絵図が基とは言え面白味がないですね。
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讃岐の戦国史
戦国時代には日本100名城となる高松城も丸亀城もまだ存在していません。
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由佐長宗我部合戦記
四国制覇を目指す長宗我部元親の大軍に攻められましたが奮戦し和議に持ち込んだとのことです。
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長宗我部元親書状
かつて元親とは戦いましたが後に臣従しました。
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敷地内に唯一の遺構である土塁もありましたが見逃しました💦

戦利品
こちらにも「安倍晴明ゆかりの城」と明記
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コラボ撮影
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今回の城巡りは以上です。
ランチはかねてより行きたかった香川の名物グルメを食べに丸亀市まで走ります。

「秘密のケンミンショー極」で紹介された香川第二の名物
骨付鳥
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その発祥である丸亀市のお店
一鶴(いっかく)
本店は駐車場がないとのことなので中府店に行きました。
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珍しいので親鳥のほうをチョイス
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紙ナプキンを巻いて
豪快に手で持ってかぶりつきました。
歯が弱い方にはちょっと噛み千切るのが難しいかもしれません。
スパイスとにんにくでパンチの効いた味付けと鶏油(チーユ)が特徴です。
付け合わせのキャベツは油につけて食べるのがいいです。
テレビ番組ではおにぎりに油をつけて食べているシーンもありました。

ご飯もののセットはおにぎりもありましたが私はとりめしをチョイス
親どり1,230円、とりめしセット587円で合計1,817円でした。

大阪にも2店舗、関東では横浜にも店舗展開していますがやはり本場で食べることに意味があると思います。

がっつり食べて満腹です。
ちなみにすぐ近くに丸亀城🏯が見えていましたが、この後は観音寺市まで移動して珍しく観光地を巡ります。












Posted at 2026/10/14 19:30:04 | コメント(6) | トラックバック(0) | 城 | 旅行/地域
2026年10月07日 イイね!

🏯城攻略〜讃岐国 屋嶋城〜 古代山城と源平合戦の地 

🏯城攻略〜讃岐国 屋嶋城〜 古代山城と源平合戦の地 10月7日(水)のブログです。
7月中旬に広島から香川へ攻城して以来3か月近く経過。
その間、暑さ、腰痛などで攻城活動中止しておりました。
10月に入り満を持して活動再開です。

まずは天気を見ながら日帰りで行けるところからということで

前回に続き四国は讃岐国(香川県)から
讃岐には日本100名城の高松城、丸亀城がありますが今回はそれ以外を巡ります。

朝はめっきり涼しく肌寒い感じです。
6:48出発前給油時13.5℃
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快晴☀で道も空いており、順調にドライブといいたいところですが・・・
山陽道から淡路島経由徳島へ分岐するところを見過ごし行き過ぎて次のインターで乗り換え(無料手続き済み)、そのあともトイレに行きたくなり別のインターで下車(笑)
とバタバタのドライブスタートでしたが無事いつものポイントで📷
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屋島が見えてきました。
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源平屋嶋合戦の地として有名です。
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誰もが知っている源義経
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そして那須与一までは知っていますが・・・
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後は不勉強で、興味ある方はお読みください。・・・
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下記地図左上の屋島部分を廻ってみます。
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屋島寺(四国霊場第八十四番)
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すぐ近くに
瑠璃宝の池(血の池)
えらく言われに差がありますが・・・
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ということでやっと本命に向かいます
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屋嶋城(やしまのき)
所在地 讃岐国(香川県高松市)
築城年 天智天皇6年(667)
築城者 大和朝廷
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唐と新羅の連合軍に攻め滅ぼされた百済を再興するため日本は救援軍を朝鮮半島へ派遣しましたが、西暦663年8月、白村江の戦いで両国連合軍に大敗しました。これを契機として、唐・新羅の侵攻に備えて対馬から太宰府周辺・瀬戸内海沿岸に作られた朝鮮式山城の一つが屋嶋城です。日本書紀の天智天皇6(西暦667)年11月の条に
「倭國高安城(やまとのくにたかやすのき)、讃吉國山田郡屋嶋城(さぬきのくにやまだのこおりやしまのき)、對馬國金田城(つしまのくにかなたのき)を築(つ)く」 (※倭國→現在の奈良県、對馬國→現在の長崎県対馬市)

との記載がありますが、長らくその実体はよく分かりませんでした。平成10年2月に南嶺山上部近くの西南斜面において石積みが発見されたことを契機にして、南嶺北斜面・南斜面で確認されていた土塁と関連することが分かり、東斜面でも同様の地形が確認されたことから、山上部付近の斜面に断続的ながら古代山城屋嶋城の外郭線(防御ライン)が巡っていることが判明しました。約14年におよぶ発掘調査によってその全体像が少しずつ分かりかけています。

屋島は名前のとおり、古代において島でした。屋島は瀬戸内海の中でも備讃瀬戸の東限に位置し、畿内に抜ける海上ルートにおける要所で、特に、唐・新羅の大船団を迎え撃つには非常に重要な場所だったと言えます。
 屋嶋城の城壁は山上を全長7キロメートルに渡ってめぐらしていたと考えられていますが、そのほとんどは断崖絶壁で、人工的に城壁が築かれていたのはそのうちの約1割程度です。そのため、自然地形を最大限に活用した古代山城と言えます。屋島は北嶺と南嶺と呼ばれる2つの山から構成されていますが、城壁などの遺構は南嶺のみで確認されています。また、北嶺と南嶺の間の西側には大きな谷があり、標高100メートル付近に山上の城壁とは別に城壁が築かれています。(高松市公式HPより)

城門・石塁
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城の遺構はこれだけですがなかなか迫力がありました。


せっかくなので眺望を見るために少し周辺散策
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談古嶺
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源平の古戦場「檀ノ浦」や小豆島、五剣山などが一望できる屋島三大展望台の一つ。明治30年(1897年)に村雲日栄尼(むらくもにちえいに)が屋島を登山した際、源氏の武士や平家公達を偲んで命名しました。屋島山上観光駐車場から北嶺(遊鶴亭)方面へ向かう遊歩道の途中にあります。

屋嶋合戦の地
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上記のHPの説明にもありますが古代は島だった屋島ですがその形状に特徴が・・・
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*借物写真
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屋根型の美しい形「メサ」
山上が屋根のように平らな形をしていることから名付けられた屋島は、北嶺が約282m、南嶺は約292mと起伏が緩やかな台地状です。この地形は「メサ」と呼ばれ、約1400万年前の火山活動で噴出した溶岩が水平に流れ出し、周囲や上部に浸食が加わって形成されました。基盤が花崗岩、中腹から上部にかけて凝灰岩が堆積し、最上部には讃岐岩質安山岩が水平にのっています。
また、南から屋島寺へ向かう遍路道沿いには、讃岐岩質安山岩が水平方向に延びた奇岩「畳石」も存在。厚さ2~5cmの板状の安山岩が積み重なったような景観で、メサとともに屋島の特徴的な地形を表しています。
1934年(昭和9年)には貴重な地形の屋島を保護しようと、国の天然記念物にも指定されました。(屋島観光情報サイトより)

ちなみに途中夜にはこんな廃墟もありました。
廃墟ファンという方もいらっしゃるかもなので掲載します。
昭和35年創業、平成14年廃業とのこと
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続いて県内でローカル城を巡ります。

Posted at 2026/10/14 12:56:23 | コメント(4) | トラックバック(0) | 城 | 旅行/地域
2026年10月03日 イイね!

⛳️ゴルフ(2026年8回目)最高の秋晴れでスコアも・・・

⛳️ゴルフ(2026年8回目)最高の秋晴れでスコアも・・・10月3日のラウンドです。

最高の秋晴れ☀、風も爽やかで最高の⛳ゴルフ日和です。
ゴルフ場到着時は16℃と肌寒い感じでした。
念のために上着とベストを準備しました。
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腰痛再発回避のために入念にストレッチとドライビングレンジで練習です。

結果から先に
前回今年のベストスコアを更新して
92点👍
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No.1
ティーショット左へひっかけラフ
セカンドでも乗らずでしたが寄せワンのパー発進👍

No.2
ティーショットはトップですぐ手前の池へ
と思いきや跳ねて飛び出てラフへ👍
なんとかダボ

こんなラッキーがあって波に乗った感じでそのあともパーをふたつ取って前半ラストへ

ティーショットはまずまずのあたりで左のセミラフ
残り90ydだったので問題なかったのですがここで最近のMyトレンドのシャンク
でクリークの向こう側のベアグランドへ
そこからの池越えをダフって池ポチャん😿
痛恨のトリプル

ランチはコンペについていたので自腹では絶対食べない🐄ビーフシチュー
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後半もいきなりワンオンのパー発進
これはいいぞ👍

淡路島が望めるホール、今日はキレイに見えていました。


その後も苦手な狭いショートもワンオンパーとクリアして、まずまずの出来でしたが

14番ティーショットは右プッシュでワンペナゾーンへ行ってトリプル

16番ロングはティーショットは久しぶりのビッグドライブ
しかしセカンド右OBを嫌がり左斜面へそこから乗らず寄らずでトリプルアゲイン

最終18番はティーショット爆裂でグリーン手前20yd
まあ距離も320ydと短く、写真のようにかなりの打ち下ろしなんですが(笑)
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前半最終のシャンクの嫌なイメージはありましたが無事オンしてパーフィニッシュ👍

とこんな内容でした。
腰痛回復後、再発防止のための筋トレが功をそうしたのでしょうか?
最近はめっきりゴルフ熱がさがっていましたが少しやる気になったラウンドでした。
締めはスィーツで
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Posted at 2026/10/05 17:42:14 | コメント(4) | トラックバック(0) | ゴルフ | スポーツ

プロフィール

「@はらペコ星人 さん、今回は京都ですか? 今日は夏日で15000歩越えはしんどいですね。ゆっくりと温泉?でお泊りですか? 疲れ癒してくださいね。」
何シテル?   10/21 18:49
TT-romanです。よろしくお願いします。 2003年、初代Audi TTクーペ(8N)の丸尻ラインに一目惚れし、新車購入して13年間10万キロのりまし...
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