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2026年04月22日 イイね!

史跡巡り~飛鳥編~ もうすぐ世界遺産 其の弐

史跡巡り~飛鳥編~ もうすぐ世界遺産 其の弐特別史跡石舞台古墳
蘇我馬子の墓説が有力とのことですが、研究が進んで明確になる日が来るといいと思います。
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こちらは有名なのでやたら案内板が多いです。
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復元石棺
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盛り土が失われていますが当時は方墳だったとのことで、周囲が堀のようになっており城跡に見えなくもないですね。
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戦利品
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酒船石遺跡
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亀形石造物
こちらは平成12年の発掘調査で発見された比較的新しい遺跡です。
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亀形石造物はもちろんこの敷石も当時のものだそうです。
ちなみに周辺の石積みのように見えるのは残念ながら土嚢です(笑)
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ここで失敗💦 丘の上にある酒船石を見逃しましたので借物写真でm(__)m
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これは手塚治虫作「三つ目がとおる」にも登場していたのを思い出しました。
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すぐ隣の
万葉文化館・飛鳥池工房遺跡
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このすぐ裏手にある
飛鳥寺
588年蘇我馬子が建立した日本最初の寺とのことです。
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飛鳥大仏
日本最古(609年)の仏像(銅像
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飛鳥寺の裏門から出た住宅地の間にポツンと・・・

蘇我入鹿首塚
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乙巳の変で中大兄皇子と中臣鎌足らにより討たれた首が600mも飛んでここに落ちたと言われています。
私の時代の教科書ではこのクーデターも含め大化の改新とされていましたが・・・
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今回最後になりましたが本来ここで最初に全体像を予習してからの方がいいかもしれません。

飛鳥資料館
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その敷地内に今日見たもの含め飛鳥にある数々の石造物の複製があります。
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建物内でも
石人像
ちなみにこれは本物です。
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今更ですがなぜ「飛鳥」=「アスカ」と読むのか初めて知りました。
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須弥山石
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猿石
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このすぐ近くにあり数年前に攻城した日本三大山城、高取城の二ノ門外、城下町に下る大手筋と岡口門への分岐点にこれと似たものがあります。
転用石?結界石?諸説あるそうですが飛鳥時代なのは間違いないようです。
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富本銭
私の時代の教科書では「和同開珎」が日本最古の通貨でしたが・・・
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㊗飛鳥池遺跡出土品国宝認定🎉
7月から展示されるそうなのでまた楽しみです。
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好物のジオラマ
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現地滞在時間:6時間
歩数:約11,000歩


日本のはじまりの地を満喫しました。
平日ということもありランチのレストラン以外は混み合うことはありませんでした。
世界遺産登録決定は7月だそうなので決定後にまだ訪問していない藤原宮など含め再訪問したいと思います。



Posted at 2026/04/26 19:36:22 | コメント(2) | トラックバック(0) | 史跡 | 旅行/地域
2026年04月22日 イイね!

史跡巡り~飛鳥編~ もうすぐ世界遺産 其の壱

史跡巡り~飛鳥編~ もうすぐ世界遺産 其の壱3月にTV放映された下記の番組を何気なくみてたら・・・
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日本のはじまりの地「飛鳥・藤原の宮都」
そういや今までいったことなかったな、近くなのでいつかは行こうと思っていたのでこれを機に行ってきました。
まずは近鉄飛鳥駅前の道の駅飛鳥内の「飛鳥びとの館」(下記マップ中央㊧)で情報入手です。
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案内所の方にマップで行く順序と駐車場の有無をこんな感じで確認しました。
マップの一番下に距離の物差しがありますが各史跡間は2-4kmくらいなのでレンタサイクルも考えましたがほとんど無料駐車場もあるのでクルマ移動にしました。
十分一日でまわれそうです。
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案内所で見つけたパスポート(120円)
割引券がついており、訪問予定に有料施設、有料駐車場もあるので2つ利用すれば元がとれるので購入です。
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まずは飛鳥の説明から
日本の歴史の時代一覧は以下の通りです。
旧石器時代 - 約3万8000年前〜約1万6500年前
縄文時代 - 約1万3000年前〜約2300年前
弥生時代 - 約2300年前〜250年
古墳時代 - 250年〜592年
飛鳥時代 - 592年〜710年
奈良時代 - 710年〜794年
平安時代 - 794年〜1185年
鎌倉時代 - 1185年〜1333年
室町時代 - 1336年〜1573年
安土桃山時代 - 1573年〜1603年
江戸時代 - 1603年〜1868年
明治時代 - 1868年〜1912年
大正時代 - 1912年〜1926年
昭和時代 - 1926年〜1989年
平成時代 - 1989年〜2019年
令和時代 - 2019年〜現在

このなかで飛鳥時代は、592年から710年までの日本の歴史時代で、天皇中心の国家体制が形成され、仏教文化が広まった時代です。
主な出来事としては

592年(崇峻天皇5年) - 崇峻天皇が暗殺される。推古天皇即位。
593年(推古天皇元年)- 厩戸皇子(聖徳太子)が皇太子に立てられ、摂政となる。
600年(推古天皇8年) - 『隋書』によれば、倭国より遣使。
603年(推古天皇11年) 冠位十二階を制定する
604年(推古天皇12年) - 十七条憲法制定。
607年(推古天皇15年) -『日本書紀』によれば、初の遣隋使(大唐国と記載)。『隋書』では2回目と記載。
608年(推古天皇16年) -裴世清が答礼使として来日。
628年(推古天皇36年) - 推古天皇没する。遺詔を巡って群臣争う。
629年(舒明天皇元年) - 田村皇子即位し、舒明天皇となる。
645年(皇極天皇4年) - 中大兄皇子・中臣鎌足ら、蘇我入鹿を宮中で殺害する。蘇我蝦夷自殺する(乙巳の変)。軽皇子が即位。孝徳天皇となる。
646年(大化2年) - 改新の詔を宣する。(大化の改新)
654年(白雉5年) - 10月、孝徳天皇難波宮で没する。
655年(斉明天皇元年) - 1月、皇極天皇重祚し、斉明天皇となる。
663年(天智天皇2年) - 白村江の戦いで大敗する。
670年(天智天皇9年) - 全国的に戸籍を作る(庚午年籍)。
672年(弘文天皇元年・天武天皇元年) - 天智天皇没する。壬申の乱。飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)に遷る。
681年(天武天皇10年) - 飛鳥浄御原令の編纂を開始する。
690年(持統天皇4年) - 戸令により、庚寅年籍を作る。
694年(持統天皇8年) - 藤原京に都を移す。
697年(文武天皇元年) - 持統天皇譲位し、文武天皇即位する。
701年(大宝元年) - 大宝律令の撰定完成する。
707年(慶雲4年) - 文武天皇(25)没し、元明天皇即位する。
708年(和銅元年) - 武蔵国から銅を献上する。改元する。和同開珎を発行する。
710年(和銅3年) - 平城京に遷都する。

改めて見てみると冒頭の「日本のはじまり」感満載です。

またあとでいろんな歴史紹介はありますがとりあえずスタートです。

特別史跡キトラ古墳
壁画は国宝です。
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四神の館
ガイダンス施設でお勉強です。
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では外観を拝見です。
上記施設での説明にもありましたが古墳時代の古墳とは規模が格段に小さいものですね。
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続いては

特別史跡高松塚古墳
こちらも壁画は国宝です。
昭和47年発見なのでニュースや記念切手を見た記憶があります。
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高松塚壁画館
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「壁画模写は、前田青邨氏のご指導により、昭和49年に平山郁夫 東京芸術大学教授(当時)を監修に、守屋多々志 愛知芸術大学教授(当時)を中心に、20名の方々に制作をお引き受けいただき、約2年の歳月を経て完成しました。」高松塚壁画館運営HPより
テレビ番組でも復元状況の映像と説明がありました。

では外観です。
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戦利品
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文武天皇陵
高松塚古墳のすぐ隣にあります。
大宝律令制定(701年)した天皇ですが説明板も整備してほしいものです。
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続いて少し移動して

亀石
現在は南西を向いているが、当麻の方角にあたる西を向いた時、大和国一円は泥の海と化すというこわ~い伝説があるとのことです。
カメ🐢というよりカエル🐸に見えるとの説もありますが・・・
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どんなところにあるのかと思いましたがなんと住宅地の中、隣は民家です。
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橘寺
厩戸皇子(聖徳太子)生誕(572年)の地とされ、太子建立七ヶ寺の一つです。
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本堂(太子殿)
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聖徳太子ゆかりのものもありますね。
梵字の「ア」を形どったとのことですが・・・
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飛鳥の地に多いユニークな人面石像
風貌からペルシャ・インドに求める説もあるそうです。

二面石
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善面
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悪面
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石舞台古墳を眺めながら食事できる明日香の夢市2階の夢市茶屋(農村レストラン)でランチです。
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(借り物写真)

古代米カレー
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長くなりそうなのでここらで一旦終了して後半へ続きます。





Posted at 2026/04/26 17:22:06 | コメント(5) | トラックバック(0) | 史跡 | 旅行/地域
2026年03月25日 イイね!

「豊臣兄弟!」生誕の地へ

「豊臣兄弟!」生誕の地へ現在放映中の大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公豊臣秀吉・秀長の生誕の地、名古屋市中村へ

中村公園(愛称:秀吉清正公園)
こちらには秀吉や同じこの地で生誕した加藤清正ゆかりの施設があります。
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まずは
豊臣ミュージアム 大河ドラマ館
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現在ここ名古屋市中村区と滋賀県長浜市、奈良県大和郡山市の3か所で開催されています。ぜひ3か所とも行ってみたいと思います。

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直(白石聖)ロスの後で正妻となる慶(吉岡里帆)登場でどのような展開になるのかも楽しみですね。
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出演者の直筆コメントなど撮影禁止のところもありましたが、正直もう少し大規模かなと思いましたがあれっもう終わりって感じでした(笑)

意外と面白かったのが・・・
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ドラマが進行していくのに合わせて展示内容も変わるようなのでそれもまた楽しみです。
ミュージアムの前には
日吉丸となかまたち
日吉丸は御存じ秀吉の幼名ですが他は特に誰というわけではないようです。
せめて小竹(秀長)は入れてほしかった。
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豊国神社
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秀吉清正記念館
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秀吉なんかは肖像画もたくさん残っていますがどれが一番本物に近いのかは興味ありますね。
一枚目はかなり美化されてるようですが他の肖像画見ても小男で猿顔だったのは間違いないでしょう。それもあって愛嬌があり、人たらしだったのではないでしょうか?
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秀長はこの肖像画がよく出てきますがこれは秀長二百回忌のものとされておりかなり美化されていると思われるとTV番組で説明されていました。
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ここには展示されていませんでしたがこちらの方が近いように私は思います。
それにしてもつり目とタレ目違いすぎますね~
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そして中村が生んだもう一人の英雄
加藤清正
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伝説や小説では非常な偉丈夫で2mや190cmとされることもありますが実際に肖像画や甲冑から想定すると159cmくらいであったとのことです。
この長烏帽子が影響していたのかもとのことです。
これかぶったら私でも2mになれます👍
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意外と知られていない清正の人生
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生誕地、ここは後で行きます。
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築城には携わっていないと思いますが娘の嫁ぎ先だったんですね。
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熊本城は再攻城したい城です。
清正が長生きして豊臣秀頼をこの城に引き取り、徳川勢と戦うという歴史も見て見たかったと想像してしまいます。
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清正の名を有名にしたのはやはり「賤ケ岳の七本槍」の舞台でしょう。
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妙行寺
先ほどの清正生誕地です。
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たまたま清正の小説を読んでいたので感慨深いものがありました。
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つづいては
常泉寺
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これにて今回の攻城の旅終了です。
早めに帰宅しました。
走行距離約500km、一泊二日ならこれくらいの距離がちょうどいいです。
愛知県はまだまだ奥が深く名城、名所が多いので何度も訪問して行きたいと思います。
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Posted at 2026/04/04 12:34:51 | コメント(1) | トラックバック(0) | 名所 | 旅行/地域
2026年03月25日 イイね!

🏯城攻略〜尾張国 岩崎城、末森城、古渡城〜 織田信長の父、信秀ゆかりの地へ  

🏯城攻略〜尾張国 岩崎城、末森城、古渡城〜 織田信長の父、信秀ゆかりの地へ  2日目は三河国から尾張へ侵攻します。
ここは当時織田信長の父、信秀が支配していました。
そのゆかりの城(岩崎城、末森城、古渡城)を攻城します。
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またその後、愛知三大合戦と言われる小牧・長久手の戦いの中でキーポイントとなった岩崎城の戦いの舞台となった城から攻城します。
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ここでお忙しいところ地元県民のはらぺこ星人さんが合流してくれました。
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攻城前に歴史背景を少し勉強しますと、さすが尾張の国の城となるとその歴史の中で三英傑の名前がばんばん登場してきます。

岩崎城公式サイトによる歴史
「戦国時代初期に始まると考えられているこの城は尾張国の東端にあたり、国境付近を守る織田信秀(信長の父)の支城でした。岩崎は尾張、三河間を往来する街道の要衝地であり、城下は「市場」の地名を残すことからも交易の場として栄えたものと思われます。
 築城年代ははっきりしていませんが、織田信秀により築城され、属将・荒川頼宗が守備していたとされます。享禄二(1529)年三河国・松平清康(家康の祖父)に尾張攻略の足がかりとして攻め落とされましたが、清康は世に言う「守山崩れ」によって死去し尾張攻略が後退することとなります。
その後、岩崎城は両勢力が対立した状態のまま、天文年間から当地方の土豪であった丹羽氏清が修繕し四代(約60年間)の居城となりました。 天正十二年(1584)、羽柴(のちの豊臣)秀吉と徳川家康・織田信雄(信長の次男)の連合軍が戦った小牧・長久手の戦いでは、丹羽氏は後者に属し、犬山方面から岡崎を目指した羽柴方の行軍を阻止しようとして落城する「岩崎城の戦い」など一族を犠牲にしながらも戦功をたて、徳川氏に認められていきました。
慶長五年(1600)、関ヶ原の戦い参戦後、丹羽氏は地方の土豪階級から一万石の大名へと昇格し、城も三河国伊保(現豊田市内)へと移ります。
 これによって岩崎城は廃城となり、以降城跡は竹やぶなど雑林に覆われたため比較的その遺構を良く保つことになります。昭和六十二年地元住民の寄付により岩崎城が建設・城祉公園として整備され現在に至っています。
岩崎城は、中世城郭の特徴である土塁や空堀を良く残しており、日進市付近一帯を勢力範囲としていた土豪・丹羽氏の歴史を今に伝えるとともに日本史上重要な出来事として記憶される小牧・長久手の戦いにおいてはその勝敗を左右する戦略地点としての役割を果たしたという事績を残すなど日進市にとって大切な歴史的遺産であるといえます。」

岩崎城歴史記念館
ここに資料が展示されています。 
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小牧・長久手の戦いの時期の縄張りでしょうか?
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では攻城です。

岩崎城
築城年 15世紀前半
築城者 織田信秀
主な城主 荒川氏、松平氏、丹羽氏
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*上記案内板は北側駐車場に設置されていたものです。

模擬天守
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こちらは南側駐車場です。
当時はこちらは搦め手口(裏口)だったと思われますが門があったかどうかはわかりません。
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隅櫓跡
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井戸
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櫓台
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空堀
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馬出
二の丸庭園の案内板ですが庭園は後世のものであり本来は馬出との説明があります。
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土塁
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土橋
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すぐ近くだったので長く城主を務めた丹羽氏ゆかりの地も訪問します。
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妙仙寺
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天文6年(1537年)または天文7年(1538年)に、丹羽氏清が愛知郡本郷村から同郡岩崎村に拠点を移した時に、折戸村の萬年山 長松寺を現在地より三町北の場所に移し来鳳一覆を招いて開山し、一言高賢が二世となった。
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なぜ赤穂義士かと疑問ですが、とあるサイトによるとご住職に聞いたところ特にお寺とはゆかりがないそうでで、赤穂四十七士の物語は人気があるので、門を寄贈された方の趣味ではないか?とのことでした。

コラボ撮影
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攻城時間:1時間45分(妙仙寺含む)

戦利品
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いよいよ名古屋市内に入ります。

末森城
築城年  天文17年(1548)
築城者 織田信秀
主な城主 織田信秀、織田信行
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末森城は、東山丘陵地の末端に位置する標高43メートルの丘に、東西約180メートル、南北約150メートルの規模で築城された平山城である。地形を利用して斜面の中腹に幅10-16メートルの空堀を備えていた。そのうちの内堀北の虎口には、構造的に非常に珍しい「三日月堀」と称される半月形の丸馬出があったらしいが、現在は残っていない。(Wikiより)

現在は城山八幡宮となっています。
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空堀
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八幡宮・一の鳥居
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コラボ撮影
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戦利品
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攻城時間:30分

二の丸付近に気になる建物があったので調べてみると・・・

昭和塾堂
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昭和塾堂は、愛知県名古屋市千種区城山町の城山八幡宮境内に残る昭和戦前期の教育施設。所在地は末森城の二の丸部分に相当する
2017年まで愛知学院大学は城山八幡宮からの貸与を受けて使用していたとのことです。(Wikiより抜粋)

続いて今回城としては最後の城へ

古渡城
築城年  天文3年(1534)
築城者 織田信秀
主な城主 織田信秀
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東本願寺掛所
元禄3年(1690)尾張藩2代藩主徳川光友から寄進を受けて東本願寺掛所(真宗大谷派名古屋別院)が建立されました。
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広い境内の隅に城跡碑があります。
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コラボ撮影
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攻城時間:15分

これにて今回の攻城は終了です。

腹ごしらえします。
天気予報通り昼頃から本降りの雨になってきましたがここまでもってくれてよかったです。
名古屋に来るとこれが食べたくなります。
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最後に城ではありませんが今、大河でアツい場所へ・・・






Posted at 2026/04/03 19:05:18 | コメント(3) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2026年03月24日 イイね!

🏯城攻略〜三河国 沓掛城、七州城〜   

🏯城攻略〜三河国 沓掛城、七州城〜   まずは腹ごしらえです。
近くに飲食店もなさそうだしせっかくなので松平郷の中でいただきます。








天下茶屋
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やはり長寿のこの方にあやかって麦飯とろろをチョイス
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🌸🌸もチラホラ👍
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では次の目的地へ

沓掛城
築城年 応永年間(1394-1428)
築城者 近藤宗光
主な城主 近藤景春、簗田政綱
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この城が歴史上クローズアップされたのは桶狭間の戦いの際でしょう。
永禄3年(1560年)5月18日、今川義元は尾張侵攻のため、駿河より2万5千の大軍を率いて沓掛城に入城しました。
義元はこの城に宿泊し、義元は軍評定を開きました。
翌19日朝、義元は本隊を従え沓掛城を出発した。今川軍は本陣に向け出発しますが、その地がまさに織田信長との決戦の舞台となった運命の地「桶狭間」でした。
今川義元が最後の一夜を過ごした城となったわけです。

江戸中期の描かれたものなので今川義元が過ごした城とは違っていると思いますが・・・
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さらに現在はこんな感じになっています。
それなりに残っている感じではあります。
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現在駐車場となっているところと合わせて侍屋敷
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内堀・土塁
本丸の周りは堀と土塁でぐるりと囲まれています
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本丸
中央には井戸跡もあります。
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諏訪曲輪
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二の丸
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大手門
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慈光寺
内堀に隣接しており城域でした。
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コラボ撮影
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戦利品
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攻城時間:25分

つづいて今日最後の城へ
とその前にちょうど下道走行中に
ゾロ目番ゲット
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七州城
築城年 天明元年(1782)
築城者 内藤政苗
主な城主 内藤氏
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上州国安中城よりこの挙母の地に転封し藩主となった内藤政苗が、1756年より挙母城(桜城)の工事を行ったとされています。しかし、洪水の難を避けるため、築城半ばにして童子山に第2の挙母城(七州城)が築城されることとなりました。
現在は本丸跡が豊田市美術館の敷地と城跡公園として整備されており、櫓台の石垣が残っています。

隅櫓
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豊田市美術館
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コラボ撮影
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戦利品
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攻城時間:30分

初日歩数:13,936歩

それなりに歩きましたね。

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ひとっ風呂浴びたら出歩くのが面倒になったので隣のコンビニで弁当買って済ませました。

明日に備え早々に眠りにつきます。



Posted at 2026/03/30 19:32:06 | コメント(2) | トラックバック(0) | | 旅行/地域

プロフィール

「[整備] #TTクーペ 洗車(2026年7回目)黄色の悪魔たち降臨 https://minkara.carview.co.jp/userid/3098145/car/2719756/8617697/note.aspx
何シテル?   04/21 16:22
TT-romanです。よろしくお願いします。 2003年、初代Audi TTクーペ(8N)の丸尻ラインに一目惚れし、新車購入して13年間10万キロのりまし...
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