日曜日は「クルマで行くぶらり散策」という集まりで千葉県流山近辺の散策に出掛けました。
いつのまにか我がブログは
学び系ブログという事になっています。
大抵クルマ遊びはS660で行くのですが雨だとエンジンルームや底の掃除が面倒なのでゴルフⅥで出動。今回の集合場所は流山駅近くの1日400円のコインパーキングでした。
ヤマシ¥太さんのセリカとワルメーラさんのインプレッサと集合。
流山と言えば、白みりん発祥の地 そして新選組の近藤勇陣屋跡地で有名です。
と書いてますが自分は歴史に疎く連れてきてもらってから知ったのだけど。
歩いて15分くらいで陣屋跡地に到着。フムフム適当に読み流す。
どうやらこの建物がとっても貴重らしい。この時点で新選組はギザギザの袖の着物と鉢巻を頭に巻いて映画やドラマでイケメンが沢山出てくる歴史ものくらいしか理解していませんでした。
そもそも子供の頃から大河ドラマも見なかったのでチンプンカンプン。幕末の自粛警察みたいな集団というイメージだけが残ってました。オハズカシイ
とりあえずこの時点ではここまでで移動。
ここにきて分かったのは白みりんの発祥の地であるということ。白みりんとはふだん煮物などによく利用する本みりんの原型だそうです。
その歴史は明治時にさかのぼります。酒造業を営んでいた名醸造家の二代目である堀切紋次郎が開発し色がついていたみりんを透明にしたのだそうです。
詳しくはココ
現在はキッコーマンが買い上げて流山キッコーマン株式会社として、いまだにこの地でマンジョウ本みりんという商標で作っているのです。
スゴイ
みりん工場をあとにし駅に移動。東京駅まで30キロ離れていないのにこの景色。
フリーパスを購入していざ流山鉄道で街を散策しに行きます。終点の馬橋まで5駅で5キロ位しか離れていません。

始発なので車庫がすぐ見えます。なんともローカル。
途中下車して主催者(ワルメーラさん)の誘導に従い昭和41年創業のパン屋さん丸十パン店に向かいます。レトロ感満載。私と同い年だ。
石倉三郎さんが来店した時のサイン色紙。
小さく長嶋茂雄さんと握手しているのは当時の店主。でもお店に来たのではなく行ったのだとか、自分の歴史も一緒に置いてあるのが昭和のお店のあるあるです。

サランラップで包まれたパン類。創業時からありそうな、きな粉パンとピロシキを購入。
しばし店主と雑談。
開店当初の写真で前列の真ん中の女性が現在の店主で旦那さんは数年前に亡くなってしまったそうです。
雑談中、店主に質問
私「なぜ丸十パン店と名づけたのですか?」
店主「わからない。当時その名前のパン屋が東京にも沢山あった。」と
?
?
?
開店当時から居てわからないってどういう事? (笑)
速攻 検索
調べると、丸十製パンとはお店の名前ではなく製法のことを指すのであった。丸十製パンは、甲州市出身の田辺玄平が明治34年にアメリカに渡米し製パン法を習得したことから始まると書いてる。つまり田辺氏はパン食を日本に広めようとしていた人物なのです。ちなみに〇に十が田辺家の家紋だそうです。
当時塩味だったパンにラードと砂糖を混ぜて甘い食べやすいパンを学び日本に普及したのであった。パン食が日本中に根づいたのは田辺氏の影響力でもあったわけです。という事はアメリカで教わった製法を日本で丸十製法と名乗っていたという事です。しかしウィキペディアで調べると弟子がそうしたらしい。(笑)
そしてこの丸十製法を学んだものが丸十パンを名乗れたのであった。このパン屋さんの先代も学んだのかもしれない。あっ 現在は息子さんが継いでいるとの事。息子さんは私と同い年だ。オープンしてまもなく出来たお子さんだった訳です。歴史を感じますね。今でも丸十とつくパン屋さんは関東近辺に28店舗もある。
でも店主が知らなく俺がわかってどうするんだ(笑)
詳しくは
ココ
マルジュウを知る動画も
ココ
ちなみにマンジョウみりんとマルジュウの関係はありません。
そして移動します。
伊能津(いのうしん)さんが書く鉄道で働く女性キャラクターシリーズ
次に伺ったのは主催者が常連のせんべい屋さん。
おみやげ買いながらお店でも試食です。美味しいですね。
そうとう米と焼き方にこだわっているらしく今日は湿度が高いのでうまく焼けないらしく取材を断ったとか?
そこから歩いて3分のお寺、鎌倉時代からあるそうで由緒あるお寺さん。
仏の教えには興味があるがお寺にはあまり興味ない私。
そして終点、馬橋(まばし)駅前まで移動してランチタイム
茨城県人で常磐線を20年以上も利用していながら各駅停車の馬橋駅を知らなかった私。
何を頼もうかな?自分は家で作れないようなもの。酢豚定食を注文。酢豚って好きなんですよね~。おいピー
食後は馬橋から流山駅に戻ります。

関東近辺によくある富士山と書かれた見晴台の説明をワルさんに聞きながらワルさんの登頂を願う。無事2分くらいで登頂おめでとう🎉 登頂料金100円って疑問?
歩くこと10分で無事スタート地点に到着。
鏑木(かぶらき)モータースさんのヴンベが一台増えて合流し次に移動中、工藤静香を聴きながら♪盛り上がっている方もいました。
私はと言うと新選組の歴史をYou Tubeで流しながら移動。
厄除け布施弁天まで約30分。お参りでなくすぐ側にある喫茶でコーヒー&だんご。
寒い中 あーでもない こーでもない とたわいない話を外で90分 なんで外(笑)
そして 解散。お疲れ様でした‼️疲れてないけど。
高速使って妻が店番している仕事場まで30分で移動、せんべいのお土産でごまかす。2時間働いておしまい。
さて新選組の復習だ。
芹沢鴨は態度が悪く暗殺されてしまう。本当なのか?
山南敬助は脱走して子分の沖田総司に首を落とされるという悲しい話。軍隊で言えば敵前逃亡と同じでだ。敵前逃亡は厳しい処罰があります。
フムフム
今思うと154年前に流山の近藤勇陣屋跡に居た時の近藤勇&土方歳三は相当参っていたに違いない。「誠」を信じて頑張って働いてきたのに、無念の気持ちであの場所に居たのですね。泣ける
フムフム

フムフム
帰ってからも5時間位YouTubeでNHKの録画放送なども見ておさらい。
新選組が現在まで流行っているのは明治4年まで生存した元新選組の永倉新八が明治2年に新聞へ投稿した手記の功績が大きかったのは間違いない。激動の5年間を書いた記録がほぼ正確に残っている事は凄いことだとも感じました。
新選組が出来てすぐ殺された芹澤 鴨は私が住む近くの出身です。
悪く書かれているのだから永倉新八とは仲悪かったのは間違いないです。
沢山の疑問も出てきますね。
新選組はそもそも喧嘩自慢(刀自慢)の集合体なので短気な人から天狗な人までいろいろな人が集まっていた事でしょう。
YouTubeで色々なユーチューバーの解説を聞いたけれど「あれ、ここ違う」「ここ、こう変えちゃってこうなっている」など記録に無い所が作家の都合よく解釈されているのですね。
でもね歴史なんかみんなそうですけど。死人に口無しだから。
それらを承知しながら「こうだ、ああだ」と討論をするのも歴史好きの方たちの楽しみでもあるのでしょう。
新選組の物語の面白さと言っては亡くなった方には失礼ですがメインのメンバーが五人前後居て環境がくるくる変わり個性溢れるメンバーがそれぞれ状況に対応し対処していく様子は映画 ドラマ 歴史好きにはたまらないですね。
また流行りの俳優・有名人を出すことに加え歴史を知っている親が子供に説明しながら見ることも更に盛り上がりますね。授業も重なり絶好調、なるほどなるほど。
今回の散策で印象深かった事は、無知な私に新選組の活動を身近に感じられたことです。
みんカラで丸十製パンについては一番詳しくなったかもしれない。これから丸十パンの研究も奥深いかもしれない。朝ドラでも良い材料だと思う。
いつも仕事の事で悩んでいる私にこういう違う風を吹き込んでくれたワルメーラさんに感謝。