
三番目…ちゃぁら です。
え~まだいるの? じゃあ四番、五番と・・・
いいえこれが最後です!これ以上ムリ!打ち止め!確変終了デス!
常々、猫屋敷か猫のいる家の境界線は三匹である・・・と勝手に思っております。
猫屋敷がどうこう言うつもりはまったくありませんが、
ネコ特有のあの臭いはいくらネコ好きな私でもちょっと苦手です。
我が家は室内飼いなので三匹もいると多少は臭うのですが、
ペット用の空気清浄機を二台フル稼働と掃除をまめにすることで対処しております。
本名は茶々丸ですが、ネコの場合名前によっては呼び方が変わってくるもののようです。
ちゃちゃまる が ちゃちゃ に、そして ちゃぁら へと変わりました。
私は幼い頃よりペットを飼った経験が無く、動物と暮らしたことがありませんでした。
こいつら?と暮らし始めてから色々と、小さな驚きや悲しみを教えてもらった気がします。
まず、彼らは一人(匹)一人が違った性格だということです。
まあ当たり前なことなのですが、一緒に暮らし出してから、それが実感されました。
そして人間と同じ様にバカ?ほどかわいいものです。
写真のように何かに頭をのせておかないと、落着かないやつです。
犬のように、物を投げるとそれをとりに行き、咥えて私の前にもって来る子でした。
そのかえってくる姿が非常にかわいく、ほのぼのとさせられました。
家族の中では、たぶん一番愛された子でしょう。
この文章の中でわかるように、それらは過去形になってしまいました。
そう、 ちゃぁら はもう家にはいません。今年の早春でしょうか、逝ってしまいました・・・・・・
もうその頃には「ウチのネコ」から「うちの子」になっており、
悲しく、切なく、大変悔しい思いをしました。
これから ちょっと悲しく、切ない話になります。 きらいな方はパスしてください。
様子がおかしいと思って行きつけの動物病院につれて行ったときは、まだこうなるとは思ってませんでした。
2、3日預かってもらうこととし、おいて帰った次の日、病院から電話があり、
状態悪化とのこと、すぐさま病院へ向かいました。
そして、そういった状態悪化と回復を数回くりかえしたある日のことでした。
家に電話がかかってきた時、予感がありました。もう連れ合いは涙目になっており
その時私は ちゃぁら よりも連れ合いの方が心配でした。
彼女もおそらく同じ思いをしていたのだと思います。
なんど、何度祈ったでしようか、そしてその時が来てしまいました。
それからは断片的なことしか覚えておらず、いつの間にか日にちだけが経っていました。
後で、ふと思い出して、感じるのです。
逝く前の日、病院でゲージを開けるとすぐに膝に乗ってあまえましたね・・・・お別れするつもりだったのでしょうか。
病院でチューブを口に入れられ、苦しんでいる姿・・・・まともに見れませんでした。
君が最後ののびをしたであろうその時・・・・その場にいることができませんでした。
ダンボールに入れられ兄弟との別れのとき・・・・みんな来てくれましたね。
祭祀場での手続きのとき・・・・あまりにも事務的すぎて書類が見えなくなりました。
係りの人に君を手渡すとき・・・・おねがいしますの一言が言葉になりませんでした。
そして 最後に伝えたかった気持ち・・・・ちゃぁらへ とーちゃんは君にあえてよかったよ。
それは ちゃぁら が逝ってから数日たったある日のことです。
私はウイークデイの日課である山間部のツーリングコースにいました。
その日、山間部では遅咲きの桜が散りつつあり、そのなかをビートで流していたときのことです。
ゆるやかなコーナーを曲がると、ある 風景が目にとびこんで来ました
目にとびこんだと言うより、心の中に入り込んだと言うべきでしょうか
その風景とは、山間の畑が広がる所で、畑の畔に一本の木蓮の木が植えてある場所
普段はなんの変哲も無い所でしょうが、その時期、木蓮は純白な花を咲かせていました。
それを見た時なぜか彼を感じたのです。
なぜ桜ではなく、白い木蓮だったのでしょうか、
「とーしゃん・・・」って呼ばれた感じがしたのです。
私は普段、霊感とゆうものや、そういった世界を信じる者ではありませんが、その時は確かに感じたのです。
そのことは私の体のどこかに今もあって、日常の中で不意に切ない気持ちにさせられます。
この春は何度その場所に行ったでことでしょうか。
又、来年も誰にも言わず、一人であの場所に行くことでしょう。
彼に会う為ではなく、感じるために・・・・・
最近になってのことです。家族は次の子猫を物色しているみたいです。
つらいことも有りますが、又、近々家族が増えそうです。