2011年03月30日
皆様、こんにちは。
今日から35になり、四捨五入して40歳になっちまいました。
少年老い易く、学成り難し!
肝に銘じて精進してまいります。
さて、先日完成した私の自宅です。
実はこの写真、完成前ですが19日に引っ越しをして今はもうここに住んでおります。

写真だと切れてますが、この右側にビルトインの車庫があります。
ケント・ハウスという会社の家です。
参考URLは
http://www.kent-inc.co.jp/
子供がいてなかなか片付けが進みませんが、何とか大きいものは終えて、今は細々したものの整理をしています。
お近くの方、落ち着いたら遊びに来てくださいね。
いつ落ち着くのかわかりませんがw
画像をオマケでもう一枚!

これは大工さんの車ね!
雪が解けたら、外構工事の残りと庭木を植える予定です。
毎日借金返すために頑張ります!
Posted at 2011/03/30 10:39:25 | |
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家ネタ | 日記
2011年03月29日
皆様、こんにちは。
雪解けを待ちつつ、とある事で毎日忙しくて更新が滞っております。
さて、先日仕事帰りにぴろぴろりさんの職場にお邪魔しました。
その際、あれ???
今朝は確かかなり雪降ったけど....
見間違いかな???

夏タイヤに見える希ガス.....
まさかね......
よーく見ると.......ほら!勘違い!.....じゃなくってマジで夏タイヤじゃん.......

まぁ、市内しか走らないのであれば、有りかもしれませんが....札樽通勤の私にはまだ無理ですね。
いや、実際市内を走る車たちもまだ交換していないけど.....
しかも、その時にぴろぴろりさんは、10日くらい前に交換しちゃいましたwww
いやいや、3月中旬じゃん!
ホントーーーーーーーーにヘムタイですねwww
話は変わって.....とある事で忙しいというのは....
人生で一番高い買い物の話で、家を建てました。
ということで、今引っ越しの荷物を毎日解く作業に大忙し(大汗)
その途中に子供が邪魔する邪魔するw
毎日テンテコマイでヘトヘトです。
そのうち詳細UPしますね。
Posted at 2011/03/29 11:03:22 | |
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ホイール&タイヤ | クルマ
2011年03月24日
この記事は、ヤクザの災害支援活動、海外メディアが報道について書いています。
う~ん。複雑。
反社会組織ですからね。
行動力も認めるし、任侠道ってのも理解できるけど.....人の道を極める方々はパワフルなんですね。
まぁ、行動を起こすのが物凄く遅い政治家さんたちよりはずっと素晴らしいですけどね。
被災した方々からすれば、どんな形であれ、有り難いだろうけど、もはやここまでくると生き方だからなぁ。私がとやかく言う次元じゃないですね。
江頭2:50が同じことやったことに関しては、心から評価ですがね。
自分に何ができるのか考えたうえで、私も何かやります。
募金でしょうけどね。
Posted at 2011/03/24 15:07:30 | |
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天災 | 日記
2011年03月23日
皆様、こんにちは。
震災の影響で自粛していたわけではなく、ただ単に忙しくて更新できずにいました。
昨日の出来事.....
朝、通勤途中に私の電話が鳴りました。
嫌な予感がして出ると、嫁さんでした。
嫁:「ごめ~ん。また事故っちゃいました。」
私:「はぁ????子供は乗ってたのか?」
嫁:「う....うん。保育園に行く途中だったからね。」
私:「ばか!!!何回事故れば気が済むんだ!!!」
嫁:「ごめ~ん。」
私:「怪我は???」
嫁「無いよ。相手の人も多分大丈夫。」
私:「相手もいるのか?(イライライライラ)どうやってぶつかった?」
嫁:「ツルツルで滑って止まれなくて、リアバンパーにゴッツンしました。」
私:「10:0じゃん!(終わったな.....ハハハハ)連絡先聞いて、ちゃんと謝っておけよ。後で保険屋に電話させるから警察呼んで事故処理してもらえ。」
嫁:「はい、ごめんなさい。」
はい!うちの嫁!!
この冬3度目の事故です。
一冬に3回も事故られたら私も想像以上で冷静に対処できずにキレました(反省)
あ~。がっかり。
今お金無いのになぁ.......
その理由は後日公開予定です。
今はその後片付けで毎日大忙し。
早く落ち着きたい(汗)
Posted at 2011/03/23 13:11:24 | |
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交通事故 | 日記
2011年03月18日
March 14, 2011
被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ~僕の浅はかな経験談~
阪神大震災が起きたとき、僕は高校3年生で、しかもセンター試験の翌日だった。
遠くから沢山のトラックが走ってくるような、不気味な音が夢うつつに聞こえ、気がつくと家全体が揺れていた。父親にたたき起こされて玄関を開け、ガスを閉めてTVをつけると、阪神高速が崩壊していた。家が揺れた恐怖と、テレビの実感の無さと、街中の静けさが記憶に残っている。
その日は登校してセンター試験の自己採点を行い、二次試験のための面談をしなければならなかった。僕は迷ったが、結局自転車で出発した。大阪城の堀から水が溢れ出していた。
学校に着くと全てがいつもどおりで、来ていない生徒もいたが、先生は特に何も言わなかった。粛々と自己採点し、粛々と面談が行われた。僕達の仲間で三宮と西宮に住んでいる友人がいたのだが、さすがに登校はしていなかった。昼休みに仲間3人で、二次試験が終わったらボランティアに行こうと話をしていた。
下校時刻になって、担任の物理教師がおもむろに話しだした。
「今回の震災で我校の教師や生徒も被災者となり、登校できない人がいます。センター試験が終わり、受験生としての役目を終えた人もいると思います。あなた方の中には、正義感や義侠心に駆られて現地に乗り込む人もいるでしょう。それは間違ったことではありませんが、正直に言えば、あなた方が役に立つことはありません。それでも何かの役に立ちたいという人は、これから言う事をよく聞いてください。
まず食料は持って行き、無くなったら帰ってくること。被災地の食料に手を出してはいけません。
寝袋・テントを持っていくこと。乾いた床は被災者のものです。あなたがたが寝てはいけません。
作業員として登録したら、仕事の内容がどうであれ拒否してはいけません。集団作業において途中離脱ほど邪魔なものはないからです。
以上の事が守れるのであれば、君たちはなんの技術もありませんが、若く、優秀で力があります。少しでも役に立つことがあるかもしれない。
ただ私としては、今は現地に行かず受験に集中し、大学で専門的な知識や技術を身につけて、10年後20年後の災害を防ぐ人材になって欲しいと思っています。」
言葉の端々は忘れてしまったが、教師が言いたかったことは今でもはっきり憶えている。
結局僕たちは、物理教師の言ったとおり、なんの役にも立たなかった。
配給のパンを配って回ったり、お年寄りの移動に付き添ったり、避難所の周りを掃除したり、雑用をさせてもらったが、持っていった食料は5日で尽きた。風呂には入らなかったが、寝るところは防犯上困ると言われて避難所の中で寝た。生活のインフラ整備や瓦礫除去作業は、消防や自衛隊があ然とするくらい力強く、迅速に問題を解決していった。僕達の存在は宙に浮き、遊び半分で来たボランティアごっこのガキ扱いをされていた。実際手ぶらで現地に入って、汚い仕事を嫌がるような若者はたくさんいたし、そういうグループと僕達が、能力的に大きな差があったかというと、とてもそうとは言えなかった。
僕達が現地で強く学んだことは、「何かして欲しい人」がいて「何かしてあげたい人」がいても、事態は何も前進しないということだった。人が動くためには、「人を動かす人」が必ず必要になる。社会人なら常識として知っている事さえ、僕たちは知らなかった。
僕達は現実に打ちひしがれて現地を離れ、浪人を経て京都の大学生になった。そして被災地への情熱も無くなっていった。結果的に僕達の正義感は、ハリボテだったのだ。正直に告白し、反省する。僕たちは、神戸への気持ちを、たった一年間も持続させる事さえできなかった。
今回の震災で、被災した人の役に立ちたい、被災地のために何かをしたい、と感じている若い人達がたくさんいると思う。でも慌てないで欲しい。今、あなた方が現地で出来ることは、何一つ無い。現地に存在すること自体が邪魔なのだ。今は、募金と献血くらいしか無いだろう。それでも立派な貢献だ。胸を張って活動して欲しい。
そして、是非その気持を、一年間、持ち続けて欲しい。もしも一年経って、あなたにまだその情熱が残っているなら、活躍できるチャンスが見えてくるはずだ。仮設住宅でのケアや被災者の心の病、生活の手助けなど、震災直後よりも深刻な問題がたくさん出てくる。そういった問題を解決するために、NPOなどが立ち上がるだろう。その時に初めて、被災地は「何も出来ないけど何かの役に立ちたいと思っている、心優しいあなた」を必要とするのだ。もしかするとそれが、あなたの一生を変える大きなきっかけになるかもしれない。
結局僕は紆余曲折を経てGISの技術者になり、専門分野は違っても、多少なりとも防災の分野に寄与できる立場に辿り着いた。あの頃よりも、少しは人の役に立てるようになったんじゃないかなと考えている。
関連情報URLより抜粋
問題があればすぐに削除します。
Posted at 2011/03/18 15:08:15 | |
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天災 | 日記