2007年11月14日
なんと石原都知事自ら「ディーゼル(イメージアップ)キャンペーンに努める」そうだ。
石原都知事定例会見 2007年10月26日放送
http://www.youtube.com/watch?v=-GbHvzPquiA
20分あたりから
石原都知事はこの会見で、欧州の進んだクリーンディーゼルエンジンと日本の軽油のサルファフリー化より、もはやディーゼルはガソリンと同等か、それ以上のものになりつつあるとの認識を示した。もう彼はディーゼルエンジンを敵だとは見なしていないのだ。
ここで石原都知事のディーゼル規制の動きを総括してみたい。彼のペットボトルパフォーマンスのおかげで、世間のディーゼルイメージはおおいに悪化したと言われる。しかし実は、東京都の規制はディーゼル乗用車の衰退に関して何の影響も及ぼさなかったのである。
その第一の理由として、東京都の規制において乗用車は対象外であったことが挙げられる。大型SUVであっても3ナンバーであれば東京都の規制にはひっかからないのだ。
http://www2.kankyo.metro.tokyo.jp/jidousya/diesel/regulation.htm
では東京都の規制には引っかからないまでも、都知事のせいで凋落したディーゼルイメージがディーゼル乗用車を追い込んだのだろうか?
いや、実はそれも違った。まったくの誤解だった。下記の資料の61ページを見て欲しい。
http://www.meti.go.jp/report/downloadfiles/g30808d7j.pdf
この統計によれば、ディーゼル乗用車の登録比率は1990年までにほぼ同じ5%後半を維持していた。それが翌年の91年から明らかな下降を初め、石原都知事がペットボトルパフォーマンスを行った1999年には、既に1%を切っていたのである。1999年以降も下降を続けるが、特に急激な変化は見られず、91年から続いた減少率がそのまま続いた。
ではその90年に一体何がおきたのだろうか?実はこの年、ディーゼル乗用車の自動車税が改正されたのだ。それまでディーゼル乗用車の自動車税は、2L以上は一律39,500とされ、ガソリン乗用車に比べると大幅に優遇されていたのだ。
それが90年以降段階的に引き上げられ、92年に本則適用となると、ガソリン車と全く同じ税制となった。それまでのディーゼル乗用車は3Lや3.5Lといった大型SUVが中心だったから、年間にしておよそ2万~3万の負担増である。これを大きいと捉えるか小さいと捉えるかは微妙なところだが、ともかく統計を見る限り、多くのオーナーがディーゼルを見限るに十分な額だったことがうかがえる。
http://www.meti.go.jp/gather/downloadfiles/g41026b10j.pdf
他の要因としては例えばガソリンと軽油との値段差の縮小も挙げられるが、燃料価格のデータはディーゼル乗用車の登録台数の増減とほとんど連動していない。これは実際にはあまり関係なかったと言っていいだろう。
より丁寧な言い方をするならこういうことになるかもしれない。もともとディーゼルは「臭い・うるさい・走らない」の三悪を伴い、ユーザーにある種の我慢と妥協を強いるものだった。それでも一定のニーズを確保できていたのは、大排気量車における自動車税の安さと、軽油の安さのおかげであった。それが90年以降の税制改正により、ディーゼルを支えていた二本の柱のうちの一本が折れ、ユーザーはいよいよ三悪を我慢するほどのメリットは無いと判断したのだろう。
このような歴史を知れば、間違っても「石原都知事のせいで…」などとは言えなくなるだろう。むしろ彼の規制が、国を動かし、石油業界まで動かしてしまったともなれば、結果的にその後のディーゼル発展の為の基礎を作ってしまったとも言える。もちろん彼自身にそんな意図が無かったことは明白で、国と石油業界が動くことぐらいは想定していただろうが、その後クリーンエンジンとして注目されることになることまでは予想していなかったはずだ。
ともあれ、日本のディーゼル事情を象徴するような存在だった石原都知事の「イメージアップ宣言」は、日本のディーゼル史における新たな幕開けを告げるものだったに違いない。にも関わらずメディアがあまり取り上げないのは実に不思議なことである。
Posted at 2007/11/14 22:17:12 | |
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