2012年06月26日
AKBの指原スキャンダル。その年齢(15)であれば彼氏の一人もいて当然とは思うが、セックスしても当然の年齢とは私はまったく思わない。直ちに非難されるべきものではないが、おおっぴらに推奨されるべき行為でないのもまた明らかで、この辺が多くの日本国民が共有する「ライン」と言えるだろう。
しかしあそこまで生々しい報道が出てしまい、若すぎる性交渉に対して明確な否定も無いまま、まっぴるまの番組に顔をタレ流しているという事態に、今だ強い違和感を感じている。
どうも震災よりこちら、我々日本人は「責任」の二文字を忘却しているように思えてならない。原発事故の真相もはっきりしないまま、大飯原発は再稼働する運びとなった。さらに今日、日本国がかような未曾有の大借金を抱え込んだ責任の所在が依然として不明確なまま、増税法案が衆院で可決されようとしている。一体どうしてここまで「スジ」の通らない国になってしまったにだろうか。
と、ここでまた話はAKBに戻る。前田敦子が卒業を発表したのが3月25日のコンサート。秋元康によれば、その25日という日付だけは指定したけども、卒業宣言するかしないかは本人の意志に任せていたと言う。で、内心は「宣言しないだろう」と思っていたらしい。
その理由が、「どんな人でも、現状を維持しようと思うから」とのこと。今AKBのエースとして、多忙だけどもそれなりに居心地のいい居場所にいる中で、敢えて外界に出て荒波に揉まれようとは思わないだろう。秋元はそんな風に考えていたらしい。
そこで私はいきなり腑に落ちた。要するに震災以降、ショックが大きいあまり、国民は変革よりも現状維持や現状復帰を第一に考えるようになったのではないだろうか。もちろんデフレ円安もますますその傾向に拍車をかけただろうが、ともかく、国民は何とか「元の生活」を取り戻そうとあがいている。原発事故のような実際どうにも責任の取りようがないことはいっそ無かった事にして、あたかも何事も無かったかのように「元の生活」を送りたいのだ。虚構の安全の中でなんとか原発が稼働している姿も、その「元の生活」に含まれているというわけなのだろう。
消費増税だってあくまで「現状維持」だ。まさかこれで国の財政赤字も埋まると信じられているわけではなく、とりあえず急場しのぎの増税にすぎないことはみんな分かっている。それでも私達は現状を維持したい。何十年後の未来を担保する為の増税ではなく、とりあえず今日明日の現状を維持する為の増税である。国民はそこを見抜いてしまっているが故に、逆説的に反対運動が盛り上がらないのではないか。
いずれにしても秋元の読みに反して、前田は卒業を宣言した。ひょっとしたら茨の道かもしれないが、彼女は現状維持ではなく、変革を選んだ。たかだか二十歳そこそこの女の子がそれで、大の大人が現状維持でいいのか。今日明日の現状維持の為に未来をそっくり犠牲にするような真似をして、それで後世の人間に顔向けが出来るのか。
Posted at 2012/06/26 11:37:03 | |
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