青森ストーブ列車の旅 その2
ストーブ列車 その1はこちら
そういえば、五所川原の佞武多館の前に弘前市内で給油しました。

弘前市内の道の駅で約4時間 アイドリング状態での仮眠を含め、給油量は36.6L 実燃費18.4km/Lはまぁまぁでしょう!
津軽中里駅から五所川原駅まで上りのストーブ列車に乗った僕等は、復路に五所川原駅からまた同じストーブ列車にのり金木駅で途中下車しました。
目的は金木駅近くにある
斜陽館(太宰治記念館)

太宰治の生家 今は斜陽館(太宰治記念館)となっています
外観からは想像できない程中は広く、その造りも含め当時の津島家の財力を垣間見ることが出来ました^^;
僕の第一印象は
「太宰治って超ボンボンだったんだ!」^^;
しかし、当時の調度品や手紙の数々はとても貴重な資料でもあり、ゆっくりと見て回っておよそ40分・・・
金木駅との往復も含めるとちょうど次の金木駅発津軽中里行の列車に乗れる
というとても良く考えられた見学コースになっています(#^.^#)

津軽中里駅の写真はこれしかなかった・・・^^;
母はストーブ列車に乗れたことと斜陽館を見れたことに満足だったのでしょう!
84歳でこのポーズ・・・ たぶん僕よりも長生きするだろう というのが周囲の見解です^^;

この
「車内検察の切符」と「硬券」 いやぁ、もうね、懐かしくて母と盛り上がっちゃいました^^;
津軽鉄道では切符の
自動券売機はありません。 窓口で行先を告げて切符(硬券)を受け取り、改札口でその
硬券にハサミを入れるという
昭和の時代にタイムスリップすることができます(^O^)/
もちろんSUICAが使えないのは言うまでもありません^^;
あっ! 通勤(メインは通学)定期券は存在するらしいのですが、たぶんこれも昔の「紙のタイプ」で定期券入れに入れて改札で見せる 運用と思われます。
だって、「自動改札」が存在しないのですから・・・
※金木駅から津軽中里駅までは普通列車に乗ったのですが、まわりは帰宅する高校生(定期券通学)が多くいました。
その後宿にチェックイン→お風呂に入って食事して、母と今日の旅を振り返り、昔話などで盛り上がりながらいつの間にか就寝・・・

翌朝、出発前に宿の前での一枚
夜中に少し降雪があったようで、うっすら積もっていました。
せっかくならもう少し積もってくれてても良かったのに・・・と思った僕・・・^^;

五所川原から津軽道→東北道と乗り継ぎ、途中のSAでお土産を買って平泉に来ました。
中尊寺はお互い過去に来たことがあるので今回はその少し南にある
毛越寺に来ました。
ここも世界遺産だそうです(^O^)
池の周りをお堂が囲むようになっていて、一周することで拝観出来ます(^O^)
印象的だったのは池が決して大きい&深い訳ではない(むしろ浅い)のに澄んでいて綺麗だったなぁ☆
次の目的地は太平洋岸 陸前高田の少し東にある「碁石岬」
ここはハイドラの「岬ポイント」です^^;
ちょうどその岬に「お食事処 岬」というお店があり海鮮丼等が食べられるというのでそこを目指します

「お食事処 岬」に到着寸前にDPF再生開始^^;
ここでウロウロ走り回るのもヤボなので今回は
強制終了(エンジン停止)します(^^ゞ
ちなみに、今回の旅で2回目のDPF再生ですが、過去初の2回連続500km達成 でした(^^)v

僕は海鮮丼を、母はいくら丼を食べました(^O^)
お味は海鮮丼はまぁ普通(^O^) いくら丼は美味しかったなぁ☆
(ご飯はどちらも酢飯でなく普通の暖かい御飯)
それと量は多めです☆ なので母のいくら丼の半分位が強制的にこちらに回って来ました^^;
そうそう、小鉢にマグロの角煮がついて来たんだけど、これメッチャ美味しかったです(^^)
帰り際、このお店(まぁまぁ高台にある)も震災の際に津波被害にあったと伺いました。
そこから頑張って復興されて、お店の方達みんな暖かかったなぁ☆
碁石岬を後にして、少し走ったところでDPF再生開始(エンジン始動後すぐには再生開始しなかった)
→陸前高田市にある津波に耐えた
「奇跡の1本松」はその後残念ながら枯れてしまったそうでレプリカとなって道の駅高田松原の一角にありました(車窓から見学w)
→そこから宮城県南三陸町まで沿岸部を走ったり三陸道(無料区間)を走ったりして津波の痕跡や復興の街並みを見ながらやって来ました。
次が今回の旅のもう一つの目的地です
【南三陸町旧庁舎】
今は「
南三陸復興祈念公園」となっています。
この旧庁舎を見たらね・・・ 自然の怖さと共にその時に最後まで避難を呼びかけていた女性職員の方の使命感とか・・・
当時のニュース映像が頭を過って・・・
なんとも言えなくなっちゃいました・・・
この南三陸復興祈念公園も道の駅「さんさん南三陸」と併設されています。
お土産を買って帰りました(^O^)
※ハイドラの緑化ポイントは旧道の駅(震災前?)みたいで位置がズレていて
今回ゲットならず・・・^^;
さぁ、今回の旅もこれで目的地は全部終えたので、ここから三陸道→松島道路→常磐道で東京まで帰ることにします。
仙台を過ぎ常磐道に乗って福島県に入ったあたりで、「せっかくなら
福島第一原発って今どうなっているんだろう?近くまで行けるのか?」という思いがよぎり、相馬で常磐道を降りて急遽国道6号(R6)を南下して
F1(
エフ・ワンじゃないよ→フクイチですw)を目指してみることにします
相馬、南相馬と復興が一気に進んでいるのを目にしながら(5年前にプラドで通った時とは大違い!)途中双葉町の北辺りから更に海側の道を走ったりしてF1を目指しました。
が、双葉町に入ると「この先特別区域、進入禁止」のバリケードが目につくようになり、結果R6に戻されました。
R6を南下して行くと左手にF1の建物やクレーン等が見えるようになり、F1へ続く道の交差点まで来ましたが、ここを左折することは出来ず、結局そのまま常磐道方面に進路を取り、常磐道へ
福島浜通りの復興も相馬や南相馬はファミレスや家電量販店、自動車ディーラー等がR6沿いに出来ていて明るい光を灯していて復興が進んでいるのが良くわかります。
が、双葉町に来るとまだまだ「制限区域」が多く残っていて、R6もひっそりとしたところを走っていました。
双葉町が元に戻るのはいつになるのかな・・・
さて、これにて全てのスケジュールが終わりあとはホントに一路東京まで!
常磐道上りは土曜の夜でも空いていて、95km/h巡航で一気に東京に近づきます(^O^)
途中谷田部東PAで最後の休憩をして、首都高を通って実家に無事に帰りつきました。

三郷で首都高に入って少しのあたりでこの旅3回目のDPF再生開始
今回も500km と、なんと3連続活動限界値500km となりました^^;

実家帰宅時のメーター燃費がこれです。
日付が変わる少し前に無事に実家に帰着しました。

翌日、僕の単身赴任先である群馬まで、途中「残走行距離0km」になったけど^^;
そこから35km走って伊勢崎市内で給油
給油量 52L 実燃費20.1km/L でした
久しぶりの1,000km無給油 &実燃費20km/Lオーバーでした。
ということで、1泊3日の青森 ストーブ列車に乗ろう! の旅も無事終わりました(^O^)
もし次にまた母親と旅する機会があるならば、復興後の能登半島に行きたいなぁ(素)
Posted at 2024/02/04 12:29:50 | |
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