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2020年12月15日 イイね!

メンタルの壊し方

この記事は学生フォーミュラの現役学生、OB、審査委員などの関係者によって12/1から25日まで一日一記事ずつリレーしていくアドベントカレンダーです。

前回の記事は情弱サスボッチさんの「誰のためにもならないモタスポの話」でした。リンクはこちら

1.はじめに

こんにちは。むとさんです。一昨日が誕生日で、27歳になりました~

...という書き出しで去年の12/15に記事を書いていたのですね(^^;)今年もこの話を頂いた時に丁度12/15が空いていたので、ゲンを担いで(?)この日に公開することにしました。

今年はコロナで色々ありましたし、現在進行形でまだまだ良くない状況が進んでいますけど、人類って困難な状況に陥っても何だかんだ言って前に進んでいくんだな~って思いました。そんな大変な2020年をみんな頑張って乗り越えた1年間だったな~ってしみじみ感じております。

我々の身の回りでも生活様式が一変し、「おうち時間」や「リモート飲み会」といった新しい文化のような物が生まれた一方、「コロナうつ」なる言葉も生まれ、以前に比べるとメンタルヘルスに対する注目が高まっているようにも感じます。



このような経験したことのない世の中において、人間がストレスを感じるのは自然なことですが、同じストレスを受けてもメンタルを壊す人と壊さない人の違いとは何なのか。とふと疑問に思ったので、今回はどのようにしたらメンタルを壊すのかをテーマに色々思っていることを書いてみたいと思います。

2.メンタルの壊し方

色々なメンタルの壊し方があるかと思いますが、「意識と無意識の乖離」によってメンタルを壊すんじゃないかな~と私は考えています。

何やらスピリチュアルな話に聞こえますが、ここでいう意識と無意識はオーストリアの精神科医ジークムント・フロイトによって創設された精神分析学の中で定義されるものを指します。

よく真面目な人が突然メンタルを壊したり、燃え尽き症候群になってしまいます。
そういう人は、この程度で躓いていたらダメだ!とか、責任を持って最後まで頑張らなければ!みたいな感じで突き進んでいきますが、そうそう物事が思った通りに進むことは現実世界では無い訳ですから、少しずつ心の中に焦りや不安を溜め込み、ピリピリした雰囲気が周りの人を寄せ付けなくなって孤立し、ある日の朝に布団から出られなくなる。みたいなことが起きたりします。



つまり、無意識で焦燥感や不安感、孤独感といった感情を抱え、肉体的にも精神的にも疲弊しきっているにも関わらず、そういったサインをあえて意識しないとか抑圧、無視をしてしまった為、だんだん辛さが増していってどうしようもなくなった。というのがメンタルを壊す原因の一つと推測しています。

3.メンタルを壊す人と壊さない人の違い

同じ状況に遭遇した時でも人によって反応が異なるように、メンタルを壊す人と壊さない人に分かれますが、その違いとは何でしょうか。
それは、コップに半分水が入っているのを見た時に「まだ半分も水がある」と思う人はメンタルを壊しにくく、「あと半分しか水がない」と思う人はメンタルを壊しやすいと考えています。

すなわち、目の前で起きている事実は同じでも、それをどう解釈するかでその後のメンタルの状態が大きく変わるものです。



では、同じ出来事に直面したのに、人によってその捉え方が異なるのはなぜか。
それは、幼少期の頃の自分の振る舞いに親がどのような反応を示していたかが鍵になります。

子供の頃を思い出して、以下の例1~例3のような場面で、親からAとBどちらの言葉をかけられていたかを思い出してみてください。

例1 子供の頃、誤ってお皿を落として割ってしまった時、次のどちらの言葉を親からかけられたでしょうか?

A:「大丈夫?びっくりしたね~。ケガはない?」
B:「あーもう!何やってるの!いい加減にしてよ!」

例2 子供の頃、80点のテストの答案を見せた時、次のどちらの言葉を親からかけられたでしょうか?

A:「頑張ったね!あと少しで100点だったね!次もまた頑張ろうね!」
B:「なんで100点じゃないの?遊びすぎじゃないの?次100点じゃなかったらご飯抜き!」

例3 子供の頃、同級生から仲間外れにされて親に泣き言を言った時、次のどちらの言葉を親からかけられたでしょうか?
A:「どうしたの?そう、つらかったんだね...大丈夫だよ」
B:「もう!面倒なことを起こして!お前が悪いんだよ!」

Aの言葉を掛けられていた方が多かった人は「まだ半分も水がある」と解釈しやすく、Bの言葉を掛けられていた方が多かった人は「あと半分しか水が無い」と解釈しやすいのではないでしょうか。

上記のAの言葉の中にはまず、子供の感情を受け止めた上で、子供を安心させたり元気づける言葉が含まれている一方、Bの言葉の中には子供の振る舞いに対して親からの一方的な目線で断罪する言葉のみが含まれています。

Bの言葉を浴びせられ続けた子供の心にはどのような影響を及ぼすのでしょう。

まず、例1を見てみると、お皿を落とした時に子供心に「やってしまった..」と罪悪感や申し訳なさを感じ、大きな音がして驚いた。という心の動きがある中で、親から苛立ちや怒りに満ちた罵声を聞かされるとどうなるでしょうか。子供の心の中に湧いた罪悪感や驚きに拍車をかけるだけです。

次に、例2を見てみると、子供は親にテスト頑張ったよ!と言ってもらいたいものですが、「遊びすぎじゃないの?」の一言のように子供の頑張りを端から否定したうえで、「次100点じゃなかったらご飯抜き」と脅すことで恐怖感を植え付けられています。

最後に、例3を見てみると、仲間外れにされて嫌な気持ちになったのを親に慰めてほしかったり、受け止めてほしかったりするものですが、子供にとって一大事な事を「面倒な事」と親のものさしで矮小化した上で「お前が悪い」と断罪する事で途方もない絶望感で満たされてしまいます。

このように辛い感情体験を幼少期に繰り返し経験すると、穴の開いたコップに水をいくら注いでも満たされないように、どんなに嬉しい事や恵まれた事に巡り合えたとしても心が満たされなくなってしまうのです。



ここで、どちらかというとBに近い言葉を親から聞かされてきた人の中で、自分は真面目なタイプの人間だという自覚のある人、昔から完璧主義の傾向がある人、子供の頃によく「いい子だね」とか「優秀だね」と周りの大人から言われていた人は、胸に手を当てて幼少期の頃の家庭での体験を思い出してみてください。

例えば、兄弟げんかをした時、いつも決まって兄の方が「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい!」と親から言われていつも弟に譲歩させられていたとか、親が同級生や兄を褒め称えた上で「それに比べてあんたは出来損ないだね」とダメ出しされてたとか、「言うことを聞かないなら家から出ていけ!」「誰のお陰で飯が食えてると思ってるんだ!」としょっちゅう怒鳴られたり...等々、そういった思い出したくない嫌な経験がありませんでしたか?親とのやり取りで内面から沸き上がった怒りや憎しみ、恐怖といった感情はすっきりと洗い流せていますか?



おそらく今も、のどに小骨が刺さったままのように無意識のどこかで怒りや憎しみ、恐怖といった感情が多かれ少なかれ残っているのではないでしょうか。

そういった感情から目を背ける為に、あなたは懸命に真面目に振舞って、親から愛情を向けて欲しかったのではありませんか?
その一方で、親から浴びせられた酷い言葉で心が傷つき、憎しみで心がいっぱいではありませんか?

親から愛情を与えられなかった事で幼児的願望が満たされず、愛情飢餓感が強化された一方で、親の仕打ちを憎むという矛盾が心理的な葛藤を生み出し、無意識の領域に内在化するのです。

すなわち、いくら意識の領域で規範意識を強く持ち、真面目に成長欲求を満たそうと行動しても、無意識の領域で愛情飢餓感に由来する退行欲求が満たされていない場合、いつまでたっても「あと半分しか水が無い」としか解釈できず、心の底から幸せを実感することはできないのだと思います。

また、このような事を頭で分かっていても、「あと半分しか水が無い」と嘆いている方が心理的には楽なので、嘆いたり自分を憐れむことを中々辞める事が出来ません。悩みたく無くても悩まずにはいられないのは、無意識の中にある怒りや憎しみのエネルギーが途方もなく大きいから。幼少期に親との関係でつらい思いを何度も味わった人は、この心の葛藤と一生付き合っていく事になります。茨の道の人生になるでしょう。子供は親を選べないとは言え、運命とは残酷なものです。

しかし、悲観する事は無いと思います。人生の最初の時期に辛い思いを抱えながら、途中で社会的、肉体的に死んでいてもおかしくなかったのに、何とか今日まで生きてこられたのです。その事だけでも大きな事業を成し遂げたようなものだと思って差し支えないでしょう。これからメンタルを良い状態で保ち、なるべく幸せをたくさん感じて生きていくにはどうすれば良いでしょうか。



それは、無意識の領域にある本当の感情を意識化する事。もっと言えば、無意識の中にある見たくない感情を直視する事。
(※注意点として、幼少期に味わった恐怖や憎しみ、怒りを直視する時には、カウンセラーの元で直視する事です。これらの感情は大抵トラウマとして心に刻み込まれているものなので、一人で直視するのは避けましょう。フラッシュバックして日常生活に支障が出ます。)

人の心が認識できる意識の領域は、氷山の一角。水面下にある膨大な無意識が自分の認知や行動、考え方に多大な影響を与えるのみならず、対人関係においても人は相手の意識ではなく無意識に反応するのです。

無意識にある直視したくない感情がある事を含め、自分を受け入れられるようになれば、目の前の世界が変わるはずです。僕もそう信じています。

4.おわりに

大体いつもむとさんの頭の中で渦巻いている思いや考えを言語化して記事にしてみましたが、いかがだったでしょうか。
この記事を生理的に受け付けられない人も多いかと思いますが、共感してくれる人にはしっかり刺さるよう頭をひねりながら頑張って書いてみました。

最後にちょっとだけ自分語りをさせてください。

社会人3年目にもなって周りと自分の境遇を比較して、苦悩していたのがここ最近の悩みです。
例えば、あいつは俺が心からやりたい仕事をすごく楽しそうにしていて羨ましい!とか、周りの同期が結婚とか彼女が出来て楽しそうなのに自分には彼女が全然できなくて辛い!寂しい!とか...

挙げたらしょーもなくてキリがないのですが、周りと自分を比較して落ち込むのは辛いだけだと分かっているのに、比較せずにはいられないのは何でだろうと考えてみました。
元々結構な負けず嫌いだったかと言われると、あんまりピンと来ないのでたぶん違う...と思って、いつから周りと比較する癖がついたのかを思い出してみました。

すると、小学校の頃にスポーツ少年団でサッカーをしていた頃に、親が同じチームの同級生や、他チームのメンバーとしょっちゅう比較され、お前のプレーはなってないとメンバーの前で貶された事が何度もあった事はあれど、プレーを褒められた事は一度も無かったな~。と思い出し、ハラワタが煮えくり返りました。このハラワタが煮えくり返るエネルギーが自分と周りを比較せずにはいられない原因の一つではないかと推測しています。

そもそも何でそんなに親が私と同級生を比較したのか考えてみた所、推測ですが親にも深刻な心の葛藤があって、親自身が他の人と比較して苦悩に直面するのを避ける為に、息子である私と同級生を比較することで親自身の心の葛藤から目を背けていたのではないかと思います。

今、私も年齢が当時の親の年齢に近くなりましたが、この位の年になっても親は心に葛藤を抱えて苦悩してたんだな。と、生まれて初めて親の気持ちが分かった気もします。

こんな事は今まで考えられませんでしたが、こうやって年を重ねていくごとに人の心は段々変わっていくものなのかな。とか、過去に遭ったどんなに辛い事も全部含めて自分を許せば何かが変わるかもしれないな。なんてことを27にもなってようやく気付きました。

という訳で、何かこの記事の一部でも読者の皆さんの役に立てたら幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

明日はもりシィの「学生フォーミュラと4輪/2輪関連企業への就職」です。お楽しみに!

Student Formula Advent Calendar 2020

#FSAEJAdvent20
Posted at 2020/12/15 21:19:50 | トラックバック(0) | 学生フォーミュラ | その他
2019年12月15日 イイね!

老害になる人の心理と対策 ~あの老害をどう交わすか、自分が老害にならない為には~

この記事はは学生フォーミュラの現役学生、OB、審査委員などの関係者によって12/1から25日まで一日一記事づつリレーしていくアドベントカレンダーです。リンクはこちら

前回の記事は福田S太郎さんの「パワートレインの作り方」でした。
福田S太郎さんの記事はこちら

1. はじめに

こんにちは。むとさんです。一昨日が誕生日で、26歳になりました~

社会人2年目で、ゆる~く学生フォーミュラ界隈をOBの立場から眺めていたら執筆のお誘いを頂きました。
現在は完成車メーカーでエンジニアをしており、日々クルマ作りに励んでいます。大好きなクルマが仕事になって、今でも不思議な気分です。

突然ですが、「カーライフ」という言葉を聞いて、どんな光景を思い浮かべるでしょうか。
マイカーで買い物に出かける光景、サーキットを走る光景、自分好みにカスタマイズする光景、仲間と夜の駐車場に集まってお喋りに花を咲かす光景、大切な人とドライブに出かける光景...



大切な人とのドライブデートの写真はありませんでした。。。別れる前に撮っておけばよかったー(TT)

イメージしやすい光景だと、こんなところですかね。
いずれも共通しているのは、クルマを通じ何らかの歓びを得て、人生を満たそうとしている事です。「クルマを通じて」ですから、クルマを作って何らかの歓びを得ようとする学生フォーミュラは、カーライフの一つではないでしょうか。というのが私の主張です。

学生フォーミュラ活動を通じてエンジニアとしての成長のみならず、かけがえのない経験と仲間を作る事は、「クルマを通じて歓びを得る」事ではないでしょうか。

しかしながら、学生フォーミュラ活動を進める上で何らかのトラブルが発生し、歓びどころか苦悩ばかりの学生フォーミュラ活動になってしまう方もいらっしゃるかと思います。(私の同期の学F経験者もその1人です)

その苦悩を紐解いていくとよく表れてくるのが、OBやFAといった圧倒的に強い立場にいる人たちと、圧倒的に弱い立場に置かれる学生との間で生じる対人関係の問題です。

立場の違いにモノを言わせて論理的に破綻した命令を下したり、正論や理屈で精神的に追い詰めたり、言うことを聞かなければ脅したり怒り狂ったり...といった老害の行動や言動がチームに悪影響を与えてしまいます。俗に言うハラスメントというやつですね。



これは、学生フォーミュラに限らず社会の様々な共同体で発生しています。学校や家庭、研究室、企業などなど、発生する場所によって「いじめ」や「虐待」「DV」「モラハラ」「アカハラ」「パワハラ」などと言葉を変えますが、強者が弱者を追い詰めるという構図は全て同じです。

では、人が集まって「縦の関係」が構築されると、なぜハラスメントが起きてしまうのか。ここではハラスメントを起してしまう人の事を「老害」と呼ぶことにして,学生フォーミュラに限らず色々な人を間近で観察して得られた考察をこの記事で書かせて頂きます。

2. 老害の見分け方

老害を見分けるポイントは、「心理的な支配と干渉」があるか無いか。この1点に尽きます。これが頻繁にある場合は間違いなく老害です。具体的な言動で言うと

①従わなければ罪悪感を与える言動

例:いつでも相談してねって言ったのに何でこうなる前に相談しなかったの?

②従わなければ恐怖感を与える言動

例:〇〇しなければ次の走行会のFA引き受けないから

③権力で威圧し恐怖感を与える言動

例:誰のお陰でこの活動が出来てると思ってるんだ!

④指摘に人格攻撃を含む

例:そんな事も出来ないようではお先真っ暗だわ

⑤侮辱的・差別的な言動

例:××××××××××××××!(自主規制)



挙げたらキリがないのでこの位にしましょう()
接した直後にどっと疲れが出てきたり、無用な緊張感を強いられる人、忖度を非言語メッセージで強いる人、感情に振り回され癇癪を起す人、敵意を隠して接する人。などなど。自分の心の中を土足で入られたような嫌~な感じがします。

では、なぜ老害がこのような言動や振る舞いをするのでしょうか?

3. 老害の心理

老害の心の中は次の感情に強く突き動かされていると私は考えています。

その1 不安
その2 孤独
その3 怒り

あれ?と思った方が多いのではないでしょうか。これは被害者の感情ではないかと。
1つづつ詳しくお話します。

*不安*

老害になる人は対等な目線での対話ができないといった特徴を持っています。心の中をさらけ出す事が不安で、他人との間に上下関係を作らなければまともにコミュニケーションが取れません。上の人には腰を低く、下の人には威張り散らすといった具合にです。自身がダメ出しされる事への不安から、自身に従順な後輩を従えて、周りをイエスマンで固めておけば当面の不安からは逃れられるように見えます。ですが、老害もイエスマンも本心は不安で、お互い疑心暗鬼になってますます不安になってるのではないでしょうか。

*孤独*

先に述べた通り対等な目線での会話ができないという事は、その他の身近なコミュニティ(職場や家庭、交友関係など)におけるコミュニケーションが円滑に進まず、孤立しがちです。そこで、頼らざるを得ない学生に相談や技術の引継ぎ名目で依存させ、老害は孤独を解消するために依存するという、共依存の関係になります。共依存の例として、機能不全家族において子供が衣食住の面で親に依存する一方、親が愛情の名目で子供を支配・干渉・虐待をするといった手段に依存し、親自身の葛藤の解消しようとする。といった構図が挙げられます。

*怒り*

大きく分けて2つの要因から怒りにつながると考えます。1つ目は、老害と比べて恵まれた環境下でのびのびと活動している学生に対する嫉妬に由来するもの、2つ目は自身の考えや世界観との相違を受け入れられない事に由来するものです。

現在あるいは過去の不遇な老害の状況に対し,のびのびと楽しそうに自由な発想で活動に取り組む学生に嫉妬し,老害自身の無力さややるせなさが外部への怒りへと変化します。

また、未だに老害を中心に世界が回っていると信じて疑わず、老害の思いや考え以外は一切受け入れる事が出来ない為、そのような状況に遭遇すると怒りを表明する事でしか内面を表現できないのではないかと、私は考えています。

4. 老害が与える影響

まずはチーム・学生側が受ける影響です。
老害と直接関わった学生は言わずもがな、チーム全体のモチベーションが低下し,組織力の減少につながります。老害から与えられた罪悪感、恐怖感、絶望感、無力感が個人のメンタル的なエネルギーを浪費し、チームとして取り組むべきタスクをこなす時には精神的なガス欠状態となってしまう為です。
また、チームのリソース(活動予算、設備、スポンサー、チームメンバー)や活動方針に老害が干渉すると、学生フォーミュラの体をなした老害フォーミュラに変わり果ててしまう事となります。老害フォーミュラになり果てた挙句、結果に対する責任を老害が取る訳もなく学生が後始末といった目も当てられない状況になりかねません。
更には、老害の周りを固めたYESマンが次の後輩にハラスメントをはたらくことで老害に昇格し、そのYESマンが...(以下無限ループ)となり、老害が世代を超えて連鎖するチームの体質となってしまいます。

次に、老害自身が受ける影響です。
一時的に学生を振り回すことで支配欲求や虚無感、幼児的願望を満たす事は出来ますが、すぐに欠乏状態となり再び学生を振り回す事となります。自身が学生を振り回した時に支配欲求や虚無感、幼幼児的願望が満たされる一方で、傷つく学生を目の前で見る事になりますから、罪悪感も一緒に無意識の領域で蓄積されます。(※このように人が傷ついても何の感情も湧かない人を俗にサイコパスと呼ぶのはよく知られていますね)
支配欲求や虚無感、幼児的願望は放っておいても勝手に消えるわけではないので、学生を振り回すといった不適切な手段に依存しがちです。いつの間にか学生を振り回す(=他人を傷つける)事をせずにはいられない人になってしまいます。


5. 老害の対策

過去に素晴らしい成績を残した人や今現在優秀な人であったとしても、ハラスメントを起こす事で個人や組織にダメージを与えてしまうような人は、幼児的願望が満たされておらず精神的に成熟していない人だと私は解釈しています。チームにとっては害でしかなく、だから老害と呼ばれるのです。そのような人に振り回されてあなたの夢や希望に到達できなかったら本当にもったいないと思います。また、誰かの足を引っ張る事でしか自身を満たせないような惨めな人生も、これまた本当にもったいないと思います。

ここでは、今現在進行形で老害から被害を受けている方に向けた対策を「学生編」に、もしかして、私って、老害?と思われた方に向けた対策を「老害編」にまとめました。

*学生編*

基本的には信頼できる人に打ち明けましょう。(メンバー、家族、友人、パートナー、カウンセラーなど)ここで大事なのは、不快な感情をぶちまけて終わり!ではなく、不快な感情を受け止めて今後どうしたいか、シナリオをきちんと描いてから打ち明ける事です。そうすれば不快な感情が再び湧いた時に今後のシナリオに沿って動きやすいです。例えば、ボスにハラスメントを受けた時に、ただ不快な感情をぶちまけにカウンセリングを受けるのと、「不快なのでボスを変えたい」という考えを持ってカウンセリングを受けるのでは、当然後者の方が合理的ですよね。

ただし、精神的に限界な場合は無理をする必要はありません。真面目な人はどうしても耐えてしまいがちですが、心理的・身体的健康を損なってまで耐えようとして回復不能な状態になってしまっては元も子もありません。それだけの真面目さは素敵ですが、自分を真面目に労わる事が出来たらもう少し楽になると思います。

また、比較的精神に余裕がある場合には老害から学ぶのも有効な手段です。これまで述べたような「老害の特徴」を観察し、なぜこの人はこんな愚かな事をするんだろう。と考えて仮説を立ててみると、自ずとその人に合ったオリジナルな対処の仕方が見えてくるかと思います。老害の振る舞いで不快な気分になった時には、その不快感をじっくり味わってみるのも変化球ですがアリです。(ただし無理はしないで下さい)

ここからはハラスメントを未然に防ぐための対策です。具体的には、普段OBやFAの方とのコミュニケーションをとる機会がある時にも心がけて頂きたい事があります。設計やチームの方針、自身の考えを決めるに当たり、何を指摘されても答えられるように自分なりのシナリオやビジョンを描いてください。相談や質問をするときには何を求めているのかを簡潔に伝えられると尚良いです。

「〇〇にしたんですけど、これで合ってますか?」とか「××で問題が起きてるんですけど、どうすれば良いですか?」といった模範解答を求めるような相談はNGです。このような相談を受けてもOBやFAは模範解答を知ってる訳ではないので答えようが無いですし、最適解を持っていたとしても妥当性は保障できないためです。少し難しいですが「××について判断が難しいのでコメント頂けますか?〇〇という考えから△△にしたんですけど」みたいな具合です。回答が〇か×で答えられるクローズドクエスチョンで相談するのもありです。

OBやFAの指示だけを聞いて自分達は手を動かすだけ。という方が精神的には楽かもしれませんが、OBやFAの指示が常に正しいとは限りません。もし間違っていたとして、それが原因でチームの目標が達成できなかった時にはどんな気分になると思いますか?そうなってもOBやFAが責任をとってくれるはずもありません。途方もない無力感と空虚感だけが残ります。だんだん目が死んでいきます。そんな風に私はなって欲しくないです。

OBやFAだけでなく、学内の先輩や後輩、同期を含めて身の回りにいる関係者の方を対等なエンジニアだと思って接してみてください。時には意見がぶつかっても構いません。むしろぶつかるのは自然な流れかと思います。何度もぶつかっていく内にお互いの考え方や熱意、志の中から同じ方向を差すベクトルが見えてくるはずです。それがチームの目指す方向と重なった時に、強いチームが生まれると私は考えています。1人ひとりのベクトルを同じ方向に向かせるのではありません。それは洗脳です。あくまで自然体に、自分のベクトルがどこを向いていて、チームの方向がどこを向いているのか、そこを理解する事で自分の強みを理解できると思います。



最後に少し思い出してほしいのですが、学生フォーミュラを始めたきっかけは何でしたか?速いクルマを作りたい!レーシングカーを運転したい!何かものづくりをしたい!などでしょうか。「毎年生まれては消えていくクルマを通じて歓びを見出す」という想いはみんなが持っているはずです。

*老害編*

この項を読んでいる方でもしかして私は老害!?と思った方。ご自身の言動や振る舞いを客観的に振り返る事が出来る素晴らしい方ですね!お読み頂きありがとうございます。耳の痛い話があるかもしれませんが、最後までご覧ください。

まず、我々OBが学生フォーミュラに貢献できる事は残念ながら非常に限られていると言わざるを得ません。せいぜい学生の精神的な支えになるか、焼き肉をおごるか、モノや金を出す位だと思います。技術的な情報や知識、これまでの経験を学生にどれだけ熱心に伝えたとしても、それらを吟味し判断するのは学生自身です。明らかに我々の意見が正しいと信じて疑わないとしても、それを強引に押し通してしまったら学生の主体性を踏みにじる事になってしまいます。もしかすると、学生は無条件に自分より能力の低い人だと判断していませんか。もしそうなら、その根拠は何ですか。年齢が上の方が無条件に能力が高いものだと無意識で思い込んではいませんか。そんな事はありませんよね。まずは学生としてでなく、対等なエンジニアだと思って接してみるのが良いと思います。自身のリソースを提供する際には決して押しつけがましくならないように選択肢の一つを提示するに留め、学生が採択するかしないかに関わらず交流する事自体に楽しみを見出す位が丁度いいのではないでしょうか。ちなみに私は学生と交流する際、学生がどんなビジョンを描いているか、以前に比べてどれだけ成長したか、私自身が交流を通じて学生から学びを得られるか、の3点に注目する事を心がけています。

また,学生の行動や判断に怒りや不快感を覚えた時やツッコミを入れずにはいられなくなった時には,一呼吸おいてみてください。(5秒程度待つ)衝動的に言動や行動につながるとロクな事になりません。5秒待つ間に喉元まで出かかった言葉や行動を,あなたの上司に同じことをできるか一瞬考えてみてください。あるいは,自分がそうされたらどう思うかを考えてみてください。おそらく到底そんなことはできないでしょう。まずは突発的に湧いた感情を切り離して受け入れる事,次に取ろうとした言動・行動が妥当か考える事,最後に取った言動・行動の責任を引き受ける覚悟を持つ事。この3ステップで少なくとも不適切な対応は避けられるはずです。自身がどんな感情を持っているか良く分からない人は自身にかける内部対話を,厳しい言葉から労いの言葉に変えてみましょう。例えば仕事でクタクタになってコタツへ直行し,グタグタしてたらもう寝る時間です。こんな時に「ああやってしまった!グズグズせずにさっさと風呂に入っておけば良いものを!」という内部対話をしたら,嫌な気分になりますよね?ここで「クタクタになるまで仕事頑張ったもんな~」という内部対話にしたら,どうでしょうか。なんだか自分を甘やかすみたいで真面目な人には難しいかもしれません。(私も難しくて中々実践できません)ですが,嫌な感情に振り回される頻度は確実に減るはずです。

学生たちは何だかんだ言って我々OBの事をよく見ています。我々が笑顔でご機嫌でいれば,学生たちも勇気を持って活動に取り組んでくれます。学生が失敗しても,彼らは自ら反省し改善に取り組む力を持っています。本当に困ったら学生からアクションがありますし,言い方は悪いですがほったらかしでも勝手にたくましく成長します。我々が温かく見守っていれば。もう少し学生の力を信じてみませんか。

最後に少し思い出してほしいのですが、学生フォーミュラを始めたきっかけは何でしたか?速いクルマを作りたい!レーシングカーを運転したい!何かものづくりをしたい!などでしょうか。「毎年生まれては消えていくクルマを通じて歓びを見出す」という想いはみんなが持っているはずです。

4. おわりに

今回は過激なタイトルで内容的にも耳の痛い言葉がいくらか並んだ気もしますが、いかがだったでしょうか。
腫物のようなテーマを選んで記事にした理由を最後に書かせてください。

実は、私自身20年間過ごした家庭が機能不全状態で、多くのトラウマや嫌な記憶、葛藤を抱えたまま高専から大学へ3年次編入しました。もう誰も信用できない、これからは自分1人で生きていくしかないと決心した一方で、心にぽっかりと開いた穴を少しずつ埋めてくれたのが学生フォーミュラでした。私の無責任な行動で散々チームに迷惑を掛けてしまった事もありましたが、最後まで私を見捨てずにメンバーとして受け入れて頂きました。



また、院試で失敗し何とか滑り込んだ大学院でも温かく迎え入れて頂き、連覇の瞬間をメンバーと味わう事が出来ました。おかげで就活もうまく行き、趣味のクルマ作りが仕事になり、たまにつまづく事もありますが、何とか頑張れています。





そうやって人生で訪れたいくつかの困難を、心理学の本や記事を読み漁るなどして得た知識と、現実に起きている事を照らし合わせながら乗り越えたと自負しています。今でも昔の事を思い出しては苦しむ時もあるので、これからも学びと実践は続けていくつもりです。私は心理学のプロではありませんが、私なりに心理面での困難をどう乗り越えると良いか、誰かに伝えたいと思っていた所でした。そんな時にアドベントカレンダーのお話を頂き、学生フォーミュラで出会った人たちから貰った宝物のお返しをするつもりで、この記事を書きました。このような記事を書く機会を与えていただいた事を心から感謝しています。また、今日まで私を支えてくれた学生フォーミュラ関係者の皆様にも心から感謝しています。

非常に長い記事となってしまいましたが、何か一つでも皆様のお役に立てたなら幸いです。最後までご覧頂き、ありがとうございました。
Posted at 2019/12/15 00:53:29 | トラックバック(0) | 学生フォーミュラ | 日記

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