2009年09月03日
ラーメンの歴史
ラーメン。実はこれ、中華料理ではないことをご存じの方、いらっしゃいます?うすうす感じている人は結構おありだと思います。ところが、このラーメンの歴史について知っている人は余りいらっしゃらない。というより、実際のところよく解っていないのです。よく解らないが、いつの間にか普及しちゃった、というような感じなのですね。
まずラーメンの語源ですが、中国の麺類の一種である拉麺(手で引き延ばして作る麺)であるといわれていますが、いやそうで無いという人もいます。もう既に、この時点で詳細不明となっています。恐るべし、ラーメン・・・。
では、ラーメンがいつ頃から登場したのか。1665年、水戸黄門こと徳川光圀が、中国より招いた儒学者・朱舜水の作った「汁そば」を食べたといいます。これをラーメンだ!と言う人もいますし、違うという人もいます。残念ながら、今の日本のラーメンでは無いでしょう。前述のように、ラーメンは中国に存在しないのですから(でも、中国にもある!と反論する人もいるんだろうなぁ)。それに、これは普及しませんでした。私の予想では、黄門様のお口に合わなかったか、彼が食に興味がなかったかどちらじゃ無いかと思うのですが・・。
それで、今のラーメンが登場するのが1884年・・かもしれないらしい。当時の函館新聞によると、函館の「養和軒」という店が、広告欄に「南京そば」発売かなんとか宣伝してあった。南京とは、中国の南京からきていますね。でも、これが今のラーメンかどうかは解らないようです。広告だけじゃ判断できませんよねえ。
しかし、確実に解るのは明治中期頃から横浜で次々と「南京そば」の屋台が開業した頃からのようです。屋台で気軽に食べられる中国風そばと言ったところだったのでしょうね。そして1910年、浅草の「来来軒」が、店舗の中でラーメンを発売しました。当時は人気だったけど、今はないとのこと。それから、札幌ラーメンは1923年、「竹家食堂」の創業で始まります。ただし、これは味噌ラーメンではなく、醤油ラーメンがメインだったとか。この竹家食堂は、神戸市で「竹家」として続いているとか。のれん分けですかね。なぜ神戸市に移転しているのかは私は解らない。
また、1925年には喜多方で「源来軒」が(これが喜多方ラーメンの最初)、そして1937年には九州で「南京千両」が開店。こちらは屋台で、しかも今も屋台で続いているとか。南京千両、すなわち南京占領とかけた名前ですね。1937年ですし。で、この頃から戦中・戦後すぐにかけて京都や高山や和歌山、尾道でラーメン店が次々と開業。いずれも有名なラーメンどころですね。
そして、これは有名な話ですが、1955年に札幌の「味の三平」で、大宮守人氏が味噌ラーメンを開発し、これが今の札幌ラーメンにつながります。開発エピソードがよくテレビで特集されますね。
また、同じ年に、中野「大勝軒」にて、山岸一雄氏がつけ麺を開発します。その後、東池袋大勝軒で「もりそば」と言う名で大ヒットし、その後数十年にも渡って行列を維持しているとか。と、所長に言ったところ、先日食べに行ったとか。小さな古い店で、年輩の人が作っているそうです。所長、10時30分に並んで、席につけたのが1時頃。行列の長さもさることながら、席数が少ないのも原因だそうです。して、気になるお味は・・?「いや、つけ麺は食べていないんだ。普通のラーメンを食べただけ。よく味がチャーシューと麺に染みていて、美味であった。ただし、そんなに行列作るほどでは・・・。そんなことより、店のおっさんが言葉遣い悪くてムカついた。客を客と思っておらん!プンプン。」
所長は、言葉遣いに敏感ですからねぇ。なお、行列並ぶと、店のおっさんに「つけ麺か、ラーメンか」と問われるので、直ぐに応えてあげましょう。怒られるそうです。場所はサンシャインシティ劇場の一本道をへだてた所にあります。迷ったら直ぐに道行く人に聞きましょう。たいてい解るようです。というか、所長(と友人)は大塚まで歩いたらしいよ。道が解らなくて。さて、雑談はこのぐらいにして・・。
で、1953年に初のインスタントラーメン「日清チキンラーメン」が発売されます。日清食品会長の安藤百福氏による開発です。革命的!お湯を入れたら2分。また、今まで、「支那そば」とか「中華そば」と言われていたラーメンですが、この時に「ラーメン」という呼称が全国的に広まった。では、なんで「日清」はラーメンという名称を使ったのだろう?
さらに1971年、日清食品からカップヌードル発売。これも安藤氏による開発品。すごいなあ。そして、92年には日清より「ラ王」が発売。こちらは、「生タイプ麺」という種類だそうです。
現在、ラーメンはさらに進化中。89年に袋入りの麺、すなわち家で鍋に入れて真面目に作る麺が、カップ麺に抜かれたのですが、今、そのカップ麺の味を、限りなくラーメンの達人の味に近づけようと開発競争が起こっているそうです。カップ麺というと、どうしても安物、代用品みたいな印象ですが、それが払拭される日が来るのか。21世紀、いよいよカップ麺の時代になるのでしょうか!ゴーゴー、ラーメン!
Posted at 2009/09/03 09:02:58 | |
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2009年09月03日
すごいです。
あ、よくみれば3Mですね。
自分は知りませんでしたがこんな領域までに手を出していただ何って!!!
簡単に貼って、剥がして、はがしあとも残らないタイプのマスクなんでしょうか?(爆
新型インフル防護マスクで本領発揮
新型インフルエンザが北半球に舞い戻り猛威を振るい始める中、製薬会社と並び投資家から注目を集める銘柄がある。3M(スリーエム)だ。理由は、マスクである。
同社の医療用マスクは、今春のメキシコでの新型インフルエンザ流行の際にも売れに売れた。他社の医療用マスクに比べてぴたりと装着でき、サイズもいろいろそろっているからとされる。地元で製造していたことも、売れ行き増につながったようだ。
さらに同社の「95N」型マスクは、マスクを超えて人工呼吸装置とも呼ばれる超高性能製品で、空気中の細かな塵やくしゃみの飛沫を防ぐのに効果的だとされ、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)の推薦商品のひとつになっている。
しかも価格は、10個入りで15ドル前後と安価。インフルエンザ防止にマスクがどの程度効果的なのかについては専門家の意見が分かれるところだが、不安でいてもたってもいられない消費者には、買い求めずにはいられない製品となっているようだ。
3Mは、新型インフルエンザの影響で、2009年第2四半期には健康関連製品の売り上げを2.2%伸ばして、市場予想を上回る利益と売上高をあげた。今秋は、インフルエンザの即席検査製品なども加えて、さらに売り上げを伸ばすものと見られている。同社は2009年初頭から株価が上向きに転じた数少ない企業のひとつで、アメリカ産業界復活の期待を担う存在だ。
安い材料を用いてユニークな製品をつくる。これは、3Mの歴史そのものと言ってもいいだろう。3Mでよく知られるのは、マスキング・テープと付箋紙のポスト・イットの開発話だ。
マスキング・テープは1920年代半ば、当時主力製品だった紙ヤスリの開発者が自動車修理工場を訪れたことがきっかけとなった。作業員が、車体の2色の塗り分けが難しいとぼやいていたのを聞いて、紙に粘着材を塗ったマスキング・テープを思いついたのだ。
ポストイットは1960年代末、3Mの研究者が開発した粘着性の低い糊から生まれた。だが、これがスムーズに人気製品に化けたわけではない。研究者はこの糊が何か製品に使えないものかと必死で社内を説いて回ったが、何年ものあいだ見向きもされなかった。
社員のひとり、アート・フライが賛美歌の付箋紙に使うと便利だと思いついたのは、6年後のこと。製品化されたのはさらに先の1977年だった。それでもすぐには売れなかった。あまりに発想が奇抜すぎて、見たことも使ったこともない消費者にはそれが何だか分からなかったのだろう。1年後になって3Mは田舎のアイダホ州で大型キャンペーンを展開して試供品を配って回り、これが全米人気に火をつけた。
Posted at 2009/09/03 08:56:17 | |
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