2024年09月22日
海外からの旅行客に、日本食を振舞うリアクション動画をよく観る。
多く聞くのが、
『日本人は優しい』『他人へのリスペクトがある』
チャンネル主は、『いただきます』の意味を説明したりはするが、
上記感想の誤りを正さない、
いや、若い主達もそこにあるズレを理解していないのかもしれない。
私見であり、極論の部分もあるとは思うが。
日本人の根底にあるのは、『恥の文化』である。
その言動は、人として、日本人として恥ずべきものである、という意識。
折角、遠路遥々日本に来てくれた客に、喜んでもらいたい、
もてなさないのは恥である。
困っている人を助けないのは恥である。
『ゴミ箱が無いのに、道にゴミが落ちていないのは奇跡だ』
人の目が無いからといってポイ捨てする無作法は恥である。
『列を作って電車を待ち、割り込まない落ち着きと余裕』
人を押しのけてまで、早く乗り込もうとする卑しさは恥である。
『財布を落としても、中身も戻ってくる』
ネコババして一時の利益を得るより、その恥を一生後悔したくない。
勿論、相手への思い遣りも、持ち合わせてはいるが、
『人として』自分を律することを優先する。
一方、『人の道を外れた』『ルールを守らない』
これらは、嫌悪され『徹底的に』排除される、袋叩きにされる。
そこに『優しさ』は無い。
むしろ『非情』だ。
『優しさ』と勘違いして、『自己主張』を抱えたまま、日本に移住した外国人が
苦労したり、帰国するのは必然である。
小さな島国で、肩を寄せて生きていくため、
幼少の頃から刷り込まれる、
『他人に迷惑をかけない』という暗黙の厳格なルール。
また、海外旅行客は『安心して過ごせる』『自分らしくいられる』と言う。
不必要に他人に干渉しない、自己主張が激しいのはみっともない。
これも、日本人特有である。
但し近年、この『恥の文化』が薄れてきているように思える。
『他人への迷惑を顧みない自己主張』
昭和、近所の大人達に叱られた、大人達が毅然としていて怖かった。
現在、『昭和は終わったんだな、日本も終わりかな』と思う。
同じ日本人同士でさえ難しくなっているのに、
C国やK国などと、まともに付き合えるはずもない。
そもそも『恥』という概念がない民族。
そして、昔のように怖かった大人が、政治の世界にいない。
『いつまでも黙っていると思うな』
『黙して耐え、抜く時は斬る時』
なにか不利益を被ろうとも無かろうとも、
『誇りをもって』断絶しても良いのではないだろうか。
Posted at 2024/09/22 00:45:58 | |
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