
「自由の女神」は米国のニューヨークのリバティ島にあり、自由と民主主義の象徴と言うイメージですが、元々はフランスにあったものを移設したのは有名な話です。
正式名称は「世を照らす自由」。
物心ついた頃には、世を照らす様な人間になりたいと志高く願ったものですが、何処で道を誤ったか?未だに、叶わぬ夢であります。
家庭を持った頃に思っていた事は、周りの人々より努力して給料やボーナスを貰う事でした。
100円でも、1000円でも給料が多ければ、それだけ家族に美味しい物、栄養のある物を買ってあげる事が出来ると考えていたからです。
実際、昇給も昇進も早かったですし、遊びも仕事も一所懸命がポリシーでしたから・・・。
子供の未だ寝ている時間に出社して、子供の寝付いた頃に帰宅する毎日が長い間続きました。
子供と顔を合わせて食事するのは、週末だけという状態でした。
息子が小6の頃に「父さんとキャッチボール3回位しかした事ないよね?」って言った時、自分は父親失格だと気付かされました。
自分勝手な持論ですが、家内は私の事が好きで一緒になったのだろうから、苦楽を共にするのは、ある程度は当たり前だと思います。
しかし、子供は親の勝手で生れた訳だから、親は子供を幸せにする義務はあっても、苦労を負わせてはいけないと思います。
以前に観た映画で是枝監督・脚本の「そして父になる」の福山パパに共感し、本当はリリー・フランキーパパになりたいと願うのです。
子供に対する愛情は、お金や物品では測れません。
映画の本編でも言っていましたが「親の子供に対する愛情は、どれだけ一緒に居られたかで測られる」のです。
自由の女神の台座には「疲れ果て、 貧しさにあえぎ、 自由の息吹を求める群衆を、 私に与えたまえ。人生の高波に揉まれ、拒まれ続ける哀れな人々を。戻る祖国なく、 動乱に弄ばれた人々を、 私のもとに送りたまえ。私は希望の灯を掲げて照らそう、 自由の国はここなのだと。エマ・ラザラス」(青山沙羅:意訳を引用)と表記されているのだそうです。
決して、人に後ろ指差される様な生き様を送って来た訳ではなく、何ら恥じる事のない人生だと思いますが、かと言って人に胸を張って誇れる人生かと言うとそうでもありません。
残りの人生を少しでも、誇れるものとする為に一生懸命に父として、夫として、人として頑張ろうと思います。そして、自由の女神の様に人を勇気付けられれば良いなぁ・・・。
毎年、7/4になると私が思う事です。
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Posted at
2020/07/04 13:53:12