
今日11/22(日)の昼過ぎに那珂川町の東洋エレメント工業から程近い「唐の御所」へバイクで行ってみました。
事前に那珂川町の方々に訊いても名前と場所は知っているが行った事のある人、詳細を知る人が意外に少ないマイナースポットです。
コロナ禍の現在に誰も行かない場所へ自分だけ行ってしまったと言う優越感に浸りたい為に世間遺産巡り第5弾として決行してみました。
唐の御所は国道293号線を常陸大宮市方面からさくら市へ向かう途中に案内板があり、そこを右折して進行するとやがて左手に「国指定史跡 唐の御所横穴墓」と看板の設置された高台に駐車場があります。
駐車場には車10台程度のスペースはありますが、いつも車が停まっているのを見た試しはありません。
駐車場の利用は無料で、唐の御所の拝観料も無料です。
国指定史跡ですから林道の下刈り等の整地はされていますが、誰がいつどの様に行っているかは?不明です。
日本国民の税金で賄っている事は間違いないと思いますが・・・。
ところで、地元の私が唐の御所を良く知っていなかったのですから、みんカラの皆さんも知る由もないですよね!?
駐車場にあった「唐の御所伝説」説明板によれば「唐の御所は今から約1300年前の横穴墓群で国指定史跡になっています。唐の御所の名称は平将門に因むもので、平安時代に新皇を名乗り関東地方に独立国家を作ろうとした平将門は天慶3年に同じ平氏一門の貞盛と百足退治で有名な俵藤太こと藤原秀郷によって討ち取られ、関東独立王国の夢は露と消えます。その際、三島城主であった小高出雲守将良は一族を伴い和見地区に逃れ、黄泉寺を建立し出家しました。まもなく将門の女は将良を慕い髪を下ろし女蔵比企尼を名乗ります。この時、女蔵比企尼は身籠っており、古墳の中で出産しました。この事を隠す為、唐士帝王の妃が讒言(ざんげん)によって配流されて来たと言い触らした事から唐の御所と呼ばれる様になった」とありました。
その看板の隣にあった「唐の御所案内図」を見ると「唐の御所」の他、「遠見穴」「姫穴」「厩穴(うまやあな)」「水穴」がある様でした。
早速、その看板脇の階段を上り、公民館程の大きさの無料休憩所を横にして整備された山道をトレッキングします。
5分程も上ると左手に東屋がありますが、正面には厩穴があります。
厩穴は凝灰岩の丘陵を削って作られた様です。
生憎、「崩落の危険あり、立入禁止」の看板があり、厩穴を近くで見る事は叶いませんでした。
遠巻きに見ても、地震でもあって崩れたら一溜まりもないだろうと思いました。
次に向かったのは姫穴ですが、入口には木の柵が設けられていて中には入れない様になっています。
もし入れたとしても、薄気味悪くて入らないけどね!
次に行ったのは唐の御所で姫穴にも増して厳重な木柵が巡らされていました。
その次に行った遠見穴には柵はありませんが、洞穴の奥を照らす為の照明もないので真っ暗、中へ入ろうとする人は懐中電灯が必要です。
遠見穴が駐車場から一番離れた墓穴の様で後は山を下るだけ。
そこで思いだしたのですが、まだ水穴を見ていません。
スマホで撮った案内図を見て確認しましたが、それらしい場所には何もありませんでした。
どう言う事?と中途半端感の思いはありましたが、約30分の山歩きで納得して、これも人生の旅の途中と割り切って帰りました。
↓「唐の御所伝説」の看板(タイトル画像は「国指定史跡 唐の御所横穴墓」看板)
↓「唐の御所案内図」の看板
↓「厩穴(うまやあな)」
↓「姫穴」
↓「唐の御所」
↓「遠見穴」

Posted at 2020/11/22 17:43:53 | |
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