
DVDを借りて映画を観ました。
タイトルは「峠 最後のサムライ」と言う、司馬遼太郎の長編時代小説「峠」を原作にした邦画。
2022年に劇場公開されました。
イントロダクション:関連サイトより
幕末の動乱期を描いた司馬遼太郎の長編時代小説「峠」を、「雨あがる」「蜩ノ記」の小泉堯史監督のメガホン、役所広司、松たか子、田中泯、香川京子、佐々木蔵之介、仲代達矢ら日本映画界を代表する豪華キャストの共演で映画化。「蜩ノ記」に続いて小泉監督作に主演する役所が主人公となる継之助に扮し、継之助を支え続ける妻おすがを松が演じる。
ストーリー:公式サイトより(キャストを加筆)
幕末の動乱期、百年先の世界を見据えた
敵軍50,000人に、たった690人で挑んだ“最後のサムライ”
慶応3年(1867年)、大政奉還。260年余りに及んだ徳川幕府は終焉を迎え、諸藩は東軍と西軍に二分していく。慶応4年、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が勃発した。越後の小藩、長岡藩の家老・河井継之助(役所広司)は、東軍・西軍いずれにも属さない、武装中立を目指す。戦うことが当たり前となっていた武士の時代、民の暮らしを守るために、戦争を避けようとしたのだ。だが、和平を願って臨んだ談判は決裂。継之助は徳川譜代の大名として義を貫き、西軍と砲火を交えるという決断を下す。
妻(松たか子)を愛し、国を想い、戦の無い世を願った継之助の、最後の戦いが始まった……。
ストーリー補足&私見:
慶応3年に徳川慶喜が「政権を朝廷へ返上」と宣言。
その大政奉還で260年余りに及んだ徳川幕府は終焉を迎えますが、薩摩藩と長州藩は徳川家の完全消滅させる為に王政復古の大号令を発布し、明治新政府の樹立を宣言します。
政権の掌握に成功した西軍は鳥羽伏見の戦いの後に、慶応4年、戊辰戦争へ…。
長岡藩主牧野雪堂(仲代達矢)の下で家老の河井継之助(役所広司)は、東軍西軍いずれにも属さずに近代兵器を備えてスイスの様な武装中立を目指していた。
河井継之助は小千谷の慈眼寺を訪ね、新政府軍監の土佐藩の岩村精一郎(吉岡秀隆)と会談し、和平の為の嘆願書を差し出しますが、拒否されてしまいます。
河井継之助は徳川譜代大名として義を貫き西軍と戦をする決断をします。
5月に長岡藩は長岡城を奪われますが、奇策を講じて7月に長岡城を奪還しました。
しかし、同盟藩だった新発田藩の寝返り等で息を吹き返した西軍に、長岡城はその4日後に再び奪われてしまいました。
その戦で河井継之助は左足を鉄砲で撃たれ重傷を負います。
河井継之助は担がれながら会津若松を目指しますが怪我の容態が芳しくなく、会津塩沢で歩みを止めました。
河井継之助は自分の死期を悟り、松蔵(永山絢斗)に火葬の支度をさせます。
離れ離れになっている河井継之助の妻のおすが(松たか子)が継之助の句を読んでいます。
「形こそ 深山がくれの 朽木なれ 心は花に なさばなりなん」
映画タイトル「峠 最後のサムライ」の「峠」は北越戊辰戦争で長岡藩の戦いが始まった「榎峠」の事だと思います。
「最後のサムライ」は主人公の「河井継之助」。
その河井継之助の辞世の句を調べてみると「八十里 腰抜け武士の 越す峠」とあり、その意味は「越後から落ち延び、この八十里峠を越えるとは、なんという腰抜け武士よ」だそうで、越後長岡から会津に落ち延びる自分を自嘲したのだとか。
だとすると「峠」とは?「八十里峠」である可能性もありますね!?
心に残ったのは、開始1時間35分過ぎに河井継之助の実母で、おすがの姑のお貞(香川京子)が、遠くにいる夫の継之助を想うおすがに「愛すると言う事は、お互いに相手を見合う事ではなく、一緒に同じ方向を見る事」と言っていた場面です。
Posted at 2023/10/11 09:58:23 | |
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