
さいたまクリテリウムから掌編小説
黄金の風が吹き抜ける街
さいたま新都心のビル群が、秋の柔らかな光を反射して輝いている。 大学生の拓海は、駅近くの「西大通交差点」の柵際で、その時を待っていた。
かつてテレビの中でしか見られなかった、ツール・ド・フランスの英雄たち。マイヨ・ジョーヌ(個人総合優勝者)の黄色いジャージが、今この日本の、見慣れたアスファルトの上を走るのだ。
「もうすぐ来るぞ!」
誰かの叫び声を合図に、遠くからヘリコプターの爆音と、地鳴りのような歓声が近づいてきた。
拓海には忘れられない光景がある。2019年、日本人選手の新城幸也がこの地で初優勝を飾ったときのことだ。 「世界は遠くない」 新聞の片隅に躍ったその言葉に、部活を辞めて目標を失っていた当時の拓海は救われた。それ以来、この大会は彼にとって単なるレースではなく、一年に一度、自分をリセットするための「聖地巡礼」になっていた。
パシュッ、という乾いた音が響く。 先導のパトカーが通り過ぎると、一団となったプロ集団が、時速50キロを超える猛烈なスピードで目の前を駆け抜けた。
「速い……!」
風が。いや、熱気だ。 2023年にタデイ・ポガチャルが見せたあのデッドヒートの記憶が、目の前の光景とオーバーラップする。選手たちがアリーナの闇へ吸い込まれ、再び光の中へと飛び出していく。その一瞬一瞬が、路面に刻まれた歴史の続きに見えた。
拓海は、記事に書いてあった「フラムルージュ(残り1kmゲート)」の方向を見つめた。 ホテルブリランテ付近の折り返し地点を過ぎれば、いよいよフィニッシュへのスプリントが始まる。
かつてマルセル・キッテルやマーク・カヴェンディッシュが、魂を削るような加速を見せたストレート。 拓海はスマホをポケットにしまい、精一杯の声を張り上げた。
「アレー(行け)!」
その声は、選手たちのホイールが立てるラチェット音にかき消されたが、拓海の胸の中には確かな熱が灯っていた。
レースが終われば、また日常が始まる。 けれど、この街を吹き抜けた「黄金の風」の感触があれば、明日からの通学路も、少しだけ違った景色に見えるはずだ。
拓海は、サイクルフェスタの香ばしい匂いが漂うコクーンひろばへと、ゆっくりと歩き出した。
~終わり~
Posted at 2026/01/08 00:17:50 | |
トラックバック(0) |
自転車 | 趣味