
真夏の昼下がり。風鈴の音すら途切れるほど酷暑の街で、男は商店街の角にある純喫茶「ルマン」の扉を押した。
カランコロンと涼やかな鈴の音が響く。店内には深煎り珈琲の香ばしい匂いと、低いジャズの音色が満ちていた。男は一番奥の革張りボックス席に腰を下ろすと、冷たいおしぼりで顔を拭い、窓の外に目をやった。
店の前に停めた愛車—ホワイトツートンのソアラが、夏の陽射しを反射して眩しく輝いている。洗練された直線的なフォルムと、先進的なデジタルメーター。あの運転席でハンドルを握っている時間だけが、日常のしがらみを忘れさせてくれる唯一の贅沢だった。
「いらっしゃい。お冷やです」
カウンターの奥から現れたマスターが、水滴のつくグラスを置く。
「マスター、アイスコーヒー。それと……何か『ひまつぶし』になるものはあるかい?」
マスターは窓の外のソアラにちらりと視線を送り、少しだけ目元を緩めた。
「ひまつぶし、ですか。あのように素晴らしいお車でお越しなら、どこまでもドライブされるのが一番のひまつぶしかと思っておりましたが」
「ハハ、まあね。でも今日は、エンジンを休ませて僕自身もボーッと時間を潰したい気分なんだ」
「なるほど」
マスターは頷くと、奥から注文のアイスコーヒーを運んできた。グラスの中でカランと大きな角氷が鳴る。
「では、当店特製の『ひまつぶし』をお付けしておきます」
マスターが差し出したのは、小さな透明なガラス瓶だった。中には色鮮やかなガラス玉と、細かな白い砂が入っている。
「ただの砂時計です。中の砂が落ちきるのにちょうど一時間。落ちる砂の重みで、底のガラス玉が押し上げられ、一時間に一度だけ、綺麗にカランと音が鳴ります」
「一時間、か。ハイテクな車に乗っておいてなんだが、こういうアナログな時間も悪くないな」
男は苦笑しながらテーブルの上にガラス瓶を立てた。細い首を通って、白い砂粒がひとつ、またひとつと落ちていく。
アイスコーヒーを味わいながら、ガラス越しにソアラのシルエットを眺める。デジタル時計が刻む正確な数字とは違う、砂粒が流れるゆったりとした時間。流れるジャズの旋律に耳を傾けていると、日頃の忙しさが少しずつ解けていくのを感じた。
やがて、瓶の底に白い砂の山が完成したその瞬間。
——カラン。
涼やかな音が小さく店内に響いた。
「……いい『ひまつぶし』だったよ、マスター」
男が伝票を持って立ち上がると、マスターは柔らかく微笑んだ。
「それはよかったです。またいつでも、愛車と一緒にお休みにお越しください」
店を出ると、相変わらずの熱気が男を包んだ。キーを差し込み、静かにツインカムエンジンを始動させる。滑らかな回転音を聞きながら、男は再びゆっくりとソアラを走らせ始めた。
Posted at 2026/08/20 09:24:55 | |
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