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本宮さくらのブログ一覧

2013年04月28日 イイね!

ホンダコレクションホールに行ってきた(´ω`)9

ちょっと間が空きましたがコレクションホールのネタの続き

MotoGPコーナーの横に展示されていたオフ車のコーナー

1981年に全日本を走った実験車両のRC125M

もうね、このゴツいフロントサスに(;´Д`)ハァハァ(笑

実験機と言えば、’91のRC250MAも忘れちゃいけねぇ


雑誌RACERSにも詳しく紹介されたATのモトクロッサー
実験機でチャンプを獲っちゃうってのも凄い話だよね
ATのレイアウト上、キックペダルの位置が特殊で前キックになっているのが見た目上分かり易い特徴かな??
当時は8bitのECUで制御MAPを作るのが大変だったそうで・・・・・・


続いては、皆様おなじみのパリダカに登場したNXR750’89


砂漠を激走するにあたって、遭難の心配を少しでも減らす為、燃料タンクは59リッターの大容量
エンジンもトラクション効率を重視してか、V型狭角2気筒が搭載されております



パリダカからン年、ラリーレイドにホンダは実験機を投入します
’95、ホンダは当時斜陽の道を一直線に辿る2ストに可能性を見出そうと投入したのがコレ
EXP-2
2スト400cc(402cc)の実験機、今で言うトコロのリーンバーン(AR燃焼)を2ストロークに投入したのがこの車両です。
この技術、市販のCRM250なんかにも投入されました

ラリーレイドの先輩、NXRと並んで(´ω`)


コイツの横にアフリカツイン(市販車)が並んでいれば完璧だったんだけどなw

さてさて、コレクションホールのラスト

ホンダ4ストGPマシンと言えば、やっぱしコレでしょう


NR500'79モデル
2ストに対抗するために4ストのホンダの威信をかけて作り上げたのがコレ、楕円ピストン(当時はUFOピストンとか呼ばれていた)なんですよね
この初期型NR、色々な意味でホンダらしい設計でして(^^;;
まずは車体はモノコック・・・・・整備性はロクなモンじゃ無かったんですよね
’60年代F-1での経験が全く生かされていませんw←当時の整備性を無視したF-1マシンは色々な意味で伝説になっておりますよねw
試行錯誤を重ね、’82まで走らせたNR、結局は全日本での1勝のみでしたが、ホンダの無駄な技術力の高さを証明したモデルでもありました
パワーだけなら2ストに対抗できたんですよ
問題は重量でww


こんな変なモノでもある程度のトコロまで意地で走らせるホンダ、やっぱ、嫌いになれないんだよねw
純粋に楽しませてくれる素晴らしい会社です


コレクショホール、また行きたいなぁ(´ω`)


そして、今回コレクションホールを見学して改めて思ったのが




















ウチ、やっぱし4輪より2輪の方が好きなんだ























ってコトです
身体を壊して一時期2輪から離れてましたが、やっぱし自分の乗り物好きの原点は2輪にあるんだと再確認できました


これからも2輪と上手に付き合って行ければ・・・・と改めて思った次第です
2013年04月25日 イイね!

ホンダコレクションホールに行ってきた(´ω`)8

耐久の系譜・・・・続き

翌’92、ガードナーは再び8耐で優勝、通算4度の優勝を果たし、その年限りでGP&2輪レースから引退してしまいました・・・・・・

その翌年、同じく引退していたエディ・ローソンが突如としてホンダから8耐に参戦
パートナーは辻本さんで、優勝候補に上げられておりました


(エディ)ローソンがライバルのampmのマシンに乗るなんて散々ネタにされましたねw
途中、エディが2コーナーでオイルに乗り転倒、優勝戦線からは脱落しましたが、見事表彰台をゲット
改めてエディの強さを見せ付けられたレースとなりました

’93年はカワサキに優勝を攫われてしまいましたが、翌’94,’95は再び取り返しました
’94は決勝中、史上初の赤旗中断がありました。4ストは正直あまり好きでは無い方の私ですが、改めて4スト車両のオイル問題の恐ろしさを認識したレースでした
メンテ能力が低いと他者を危険に晒しまくる・・・・・と言う点で、自身のDIYに対しての戒めにもなった事件でしたね
この事故で、宇川くんが頚椎を骨折する重症
幸い、大事には至りませんでしたが関係者一同、本当に冷や汗をかいたコトでしょう

’96はヤマハの若手コンビ”ニトロノリ”こと芳賀紀行&コーリン・エドワーズのコンビに負けちゃって・・・・・

翌’97からは何に目覚めたのかは知りませんが”アホみたいに強いホンダ”が戻って参りました(^^;;
’06まで9連覇しちゃうんですもの(汗
その9連覇最初の年のマシンがコチラ
ホリプロ・ホンダのRVF


スポンサーは芸能事務所のホリプロ
私、この年、お世話になった方のチームのお手伝いで鈴鹿にいたんですよ
終わった後のHRCパーティーに参加させていただき、本当に夢のような時間を過ごさせていただきました
後に”8耐男”と呼ばれる宇川くんの記念すべき8耐1勝目でした

’98RVF
この年から、片持ちを止め、他社同様の両持ちの通常のスイングアームに変更されています

クイックリリース機構が進化したお陰で、耐久のタイヤ交換時のプロアームのメリットが薄くなってきたのも理由なんですが、ホンダ耐久=片持ちのイメージが刷り込まれている私にとっては正直寂しかったです
この年のRVFには、後に市販車に使われるCBSシステム(前後連動ブレーキシステム)のプロトタイプが組み込まれておりました


’00にはベースマシンの変更がありました
それまでのV4から、スーパーバイクで散々ドゥカティにやられまくった悔しさから作り上げたと言われているホンダ流V2エンジン搭載のVTR1000SPWです
※排気量ハンデで、当時は2気筒は1000ccまで、4気筒は750ccまでだった

加藤大治郎と宇川くんが組み、見事優勝を果たしております

そのVTRのスプリント仕様がコチラ

耐久仕様との差をお楽しみ下さいませ(マテ


RVFとVTRの比較


やっぱ、個人的にはV4の方が好きだなぁ・・・・・・・

2004年からは排気量関連のレギュレーションも変わり、4気筒は1000ccまでとなりました
ソコにホンダが投入したのがCBR1000RRでした
正直、ずっとV4が好きで応援してきた私
直4は余り好きでは無かったんですね(マテ

しかしまぁ、流石はホンダさん、投入初年度からしっかりと成績を残してくれました
’04型

’05型


変わったのはカラーリングだけ??なんて突っ込みたくなるマシンでした(^^;;;


オマケ

最初のV4レーシングマシン
RS1000RW


V4の歴史はココから始まりました・・・・・・


続く
2013年04月24日 イイね!

ホンダコレクションホールに行ってきた(´ω`)7

ちょっと間が開きましたが、コレクションホールの続き(´ω`)

今回はホンダ・耐久の系譜w

70年代のホンダはCB750ベースのRCB1000で耐久を闘っておりました(右)
※左はRS1000 ’81車

このRCB、ベースが750でギリギリまでのボアアップということもあり、最初からフルスケール1000ccで登場した後発他社に比べて戦闘力の伸びが見込めない・・・ということもあり、次期戦闘機の開発を迫られておりました
当時のホンダのラインナップとしては、最大排気量(1000cc)にCBX1000(6発)があったって事情もあり、4発を大きく出来なかった・・・・・って事情もあったようで・・・・・


当時のホンダの大型の主力販売先は北米で、新規で開発するならいっそ・・・・的な流れもあったそうです
そこで生まれたのがV4エンジン

世界耐久やTT-F1のレギュレーションの絡みもあり、750ccで行こう!という話にはなったんですが、実戦投入されたのは’83だったもので(翌’84から750cc化)750ccのエンジンをボアアップして850ccで・・・・・&V4の実戦データ取りをしようと言う目的(タテマエ)で登場したのがRS850R

’83鈴鹿8耐で1000cc勢を相手に、見事3位表彰台を獲得しています
※その年、AMAでは1000ccのV4が登場していますが、ソレは丸々腰上は別物だったそうな・・・・・・

翌’84、レギュレーションが変わり750cc化された世界耐久&TT-F1
満を持して投入したのがRS750R

前年度の経験が生かされ、無事、優勝!!
ホンダV4伝説が始まりました

翌’85からは、マシンの名称もRVFに変更されました


この年、私の敬愛するGPライダー、ワイン・ガードナーが見事8耐初優勝
ガードナーの8耐伝説も始まったワケです
’85は話題性たっぷりの耐久でしたね
TECH21から平&ケニーが出場、ラスト30分でエンジントラブル、ガードナー組が大逆転勝利・・・・・・なんて、ドラマのようなレースでした

初期のV4マシンたち

’86からはelfプロジェクトの副産物、プロアーム(片持ちスイングアーム)が導入されました
ピット作業時間を減らすための目的で採用されたこのプロアーム、その後、ホンダの市販車に採用されました
V4=片持ちのイメージが定着したのは8耐+RVFが原因ですねw

私、片持ちスイングアームは大好きです♪

まぁ、左右でハンドリングが違うとかリリース機構が進化したりで、最終的には片持ちは淘汰されましたが・・・・・(’97RVFを最後に両持ちに変更されました・・・・悲しい・・・・・・Orz)

ちょっと変わったマシンを(´ω`)b

’87フランス、ルマン24時間に異色のマシンが登場しました

その名はNR750

そう、NRですw

ホンダは楕円ピストンを諦めてはいなかったのですw
NRプロジェクトの集大成として、耐久にこのふざけたマシンを持ち込んだのですw
TT-F1レギュレーションに合致しないため、賞典外参戦となりました
ライダーは敢えて現役トップライダーを使うこと無く、ジャーナリストライダー3名を起用
楕円ピストンの扱いやすさを印象付ける為のライダー選択だったようです
そのうちの1名が、ライダースクラブ誌元編集長、根本健さんでした
日の丸の横に”KEN”のロゴが(´ω`)

’85RVFと並んで・・・・・・・

RC30と同形状のカウルです

このNR750、当時は色々な逸話がありまして

・テスト中、当時のGPマシン(NSR500)をストレートで簡単に置いて行った@ワイン・ガードナー談
・トルクが有り過ぎて、当時のタイヤだとリムとビートがスリップしてしまうのでデチューンした

とか・・・・・・どこまでホントかは分かりませんが、まぁ、ホンダの意地と執念を結晶させたマシンであったことは確かです

決勝は3時間でバルブ破損によりリタイヤしてしまいましたが(^^;;;


’91、ガードナー悲願の3度目の優勝を果たしたRVF

当時、最強コンビと言われたワインとミック(マイケル・ドゥーハン)のペアでしたが、色々な不運が重なり勝てない状況が続いておりました
’89はミックの転倒(周回遅れに接触、右手小指骨折)
’90はワインの転倒が原因による無謀な追い上げによりガス欠(笑
3度目の正直・・・・と言う言葉もアレですが、やっと、勝利を得ることができました


このRVF、ワインとミックではシフトパターンが逆なので(ワインは正チェンジ、ミックは逆)ピット作業の度にシフトロッドを上下に組み替えての対応をしていたので有名
又、この’91仕様はギヤが5速までだったそうです
V4のトルク特性を生かし、下から楽に引っ張る走りに徹するコトでシフト回数を減らしてライダーの疲労を低減しよう・・・・と言う目的だったそうです

V4畑♪(;´Д`)ハァハァ


続く
2013年04月18日 イイね!

ホンダコレクションホールに行ってきた(´ω`)6

4スト化の波・・・・

素晴らしいサウンドのGPマシンは2002年を最後に姿を消してしまいました


2002年シーズンから始まった4ストマシンは我々の前に現れたGPマシンは今までのモノとは大きく姿を変えたモノでした(2002年シーズンは2ストとの混走でした)

2002年を闘うに当たり、ホンダが出した回答がコレでした

エンジンはV型5気筒、ステアリングヘッドは従来のNSRと違い高く、全体的に縦に大柄なマシンへと変化(前後にはコンパクトになっていますが)、ライディングポジションも独特のスタイルを求められました

2ストロークと比べて圧倒的な加速力、そしてV5の点火間隔は意図したモノかは知りませんが、結果的に’92NSR同様の位相同爆となっていましたので、コーナー立ち上がりでは異次元の加速を実現したんですよね・・・・・
初年度は徹底的に2ストロークを駆逐、宇川、バレのコンビで圧倒的なシーズンを終了、4ストロークの可能性を世界中のファンにまざまざと見せつける結果になったワケです

その翌年、更に進化したRC211Vがコレ

このカラーリングは、バレが地元GPで使ったモノです
バレは毎年、地元GPではスペシャルカラーを用意してファンを楽しませてくれているんですよ
メインスポンサーのREPSOLのロゴを上手く生かしたデザインになっています
バレのマシンと言えば、必ずくっついているのが

THE DOCTOR 
そして

この”ろっしふみがんばって!”です
バレが2輪レースに足を踏み入れたのは、親父さんが元GPライダーだったから・・・・と言われていますが、それ以外にもう一つ、決定的な理由がありました
’94の開幕戦、日本GPでのノリック(故・阿部典史)の激走を見てノリックに憧れた・・・・・のが決定打になったとのこと
ノリックの本名”のりふみ”と、自分の名前”ろっし”を組み合わせて”ろっしふみ”なんてステッカーを貼るようになったそうな・・・・・

ノリックが亡くなった際のバレのインタビューの中で”僕が唯一サインをお願いしたGPライダーがノリックだった”と語るくらい、大のノリックファンだったそうです

そのバレが2003年限りでホンダを離れ、絶対的エース不在の翌2004年、サテライトから出場、第7戦で初優勝を遂げた玉田くんの乗ったマシン

この優勝から3日後、玉田くんのお母様は初優勝を見届けた後、お亡くなりになったと言う悲しいエピソードがあったりします・・・・・・・・

2006年型RC211V@ニッキー・ヘイデン車


2004年、2005年と連続してヤマハに移籍したバレにタイトルを獲られ、なんとしても個人タイトルを奪還したいホンダガ取ったのが、エースのニッキーに対してのみ先行開発型を投入、その甲斐あって、見事タイトルを奪還したのが、通称”ニュー・ジェネレーション”と呼ばれてたこの2006年型だったりします

翌年の212Vへの先行開発型でもあります

2007年から800ccに排気量が変更になったMotoGP
それに対応したのがRC212Vです
エンジンも排気量縮小によりV5のメリットが得られないと言う判断からV4に変更されています
車体とタイヤのマッチングに散々苦労したみたいで、タイトルをドゥカに奪われた解いう残念な経緯が・・・・・・
2008年はヤマハのバレに奪われて・・・と、ある意味低迷期のマシンだったりします

画像はダニ・ペドロサ車

もうね、あちこちセンサーだらけの現行4ストマシン、開発費の高騰云々で、参戦台数の減少が深刻になってきた時期でもあります
画像はタイヤ用温度センサー


歴代RC-V



続く
2013年04月18日 イイね!

ホンダコレクションホールに行ってきた(´ω`)5

’90年代、個人的に激しく応援していた宇川くんのマシンも展示されておりました

このマシンで’99のフランスGPで念願のGP初優勝をしたんです
あの優勝、棚ボタだとか何だとか、グチャグチャと言う奴もおりますが(バレがラスト数ラップでエンジントラブルでリタイヤでした)、勝ちは勝ち
それをきっかけに、その後も数戦勝利しまして、最終的にランキング2位を獲得しています

現在はホンダで市販車開発ライダーをしているそうです
また実戦に出てきてくれないかなぁ・・・・・・(´ω`)


ホンダの歴史を語る上で外せないのが2001年の鈴鹿

ホンダのホームコース、鈴鹿でホンダは念願のGP通算500勝を達成しました
http://www.honda.co.jp/WGP/spcontents2002/win500/stories/07/stories07.html

2001年開幕戦・鈴鹿

この日、鈴鹿は異様な熱気に包まれておりました

前年最終戦の時点で、ホンダはGP通算497勝を達成していたんです
もし、この鈴鹿で3クラス(125、250、500)を完全制覇できたなら、GP史上の大記録を打ち立てるコトができるワケで・・・・・・
ホンダ関係者、レース業界関係者、そして鈴鹿に詰め掛けたレースファンは固唾を飲んで見守っておりました

その先鋒が125ccの東くん@RS125

後日、雑誌のインタビューで話していましたが、相当なプレッシャーだったそうで・・・・・・
自分がコケたら関係者の期待を全て無かったコトにしてしまう・・・・何としても勝たなくちゃいけない・・・・ってね(^^;;
そんな中、きっちり優勝できた東くん、本当に素晴らしい走りでした

続いて250ccで優勝した故・加藤大治郎@NSR250

歴代日本人の中で最も優れたライダーと言われていた大ちゃん
最初に見たのは、モトチャンプ誌のVTRだったなぁ・・・・・・・

ここ、鈴鹿で独走優勝を果たしました


バレンティーノ(以下、バレ)が最も恐れた才能
2002年シーズン終盤、大ちゃんにRC211Vが与えられた際に最も抵抗したのがバレだったりするんだよね
その2年後、この鈴鹿であんな悲劇が起こってしまうなんて・・・・・・・

500cc優勝が当時のホンダのエース、バレ


圧倒的な強さで鈴鹿を独走、ホンダの悲願を達成しました
宗一郎の野望から40年、名実共に世界一のざを揺ぎ無いモノにした瞬間でした
http://www.honda.co.jp/WGP/spcontents2002/win500/contents.html
この場に宗一郎のオヤジさんがいたら何て言ったんだろうなぁ・・・・・・・
500cc2年目のこのシーズン、見事、タイトルを獲得しております

それから4年後、更に勝利数を伸ばし、見事600勝を達成しました(´ω`)~♪
http://www.honda.co.jp/WGP/spcontents2005/600win/introduction/

その日、鈴鹿を駆け抜けたマシン達
コレクション・ホールさん、なかなか粋な展示をしてくれています
当日の優勝車両を並べてくれているんですから(´ω`)

オヤジさん、貴方がいなければ、立ち上がらなければこんな素晴らしい感動を経験することはありませんでした
本当にありがとうございました(^^)

栄光の2ストローク500cc終焉がやってきたのが2002年
環境問題云々の面倒な屁理屈に負け、時代は4ストロークになってしまいました
まぁ・・・・・・結果、コストは膨大に跳ね上がり、更に台数は減ってしまったワケですが(^^;;

2ストローク・モンスター最後の姿

チーム・ポンスに貸与されていた最終型NSR500 右側の#4
事実上開発が止まっていた最終シーズン、アレッサンドロ・バロスが駆ったモデル
カウル形状の最適化、スイングアーム等々の剛性バランスの最適化、簡素化がされています

この年を以って、最高峰クラスからは2ストロークの甲高い音が消えました・・・・・・・
250は2009年まで、125は2011年まで継続されていました
※250cc最後の年、事実上開発が止まっていたマシンで日本人の青山くんがタイトルを獲得しました


続く

プロフィール

「[整備] #サンバーディアスバン 錆神様との戦いは続く・・・・マフラー交換 https://minkara.carview.co.jp/userid/327801/car/3419967/8075950/note.aspx
何シテル?   01/05 21:56
北海道で適当にあちこち徘徊したり走ったりして遊んでいます ちょっと前までヴィヴィオ(KK4)で草ジムカーナで遊んでました@2010年まで あちこちボロボ...
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