朝目覚めると天気がとてもよろしい
腰は・・・・ちょっと痛いけど、まぁ、ボルタレン挿せば何とかなるだろう
気温・・・・・日中は10度台をキープできそうだ・・・・・
雨も夕方までは大丈夫だろう・・・・・・
ってぇコトで、急遽行ってきました
赤平へ
何故赤平??あんな何にも無い街・・・・・・って聞かれるのですが
以前にも何度か日記で書いている通り、さくらさんの親の出身地で、さくらさん自身も祖父があの世に逝くまでは夏冬の長期休みは必ず遊びに行っていた街だったりするのです
中学時代はイジメ問題なんかも抱えておりまして、精神的な面のストレス発散も兼ねていたんですけどね
そんでもって、さくらさん、母方祖父母にとっては初孫だったりしたモンだから超優遇されてたってのもありまして(^^;;
ウチの母は色々とあって赤平は嫌いな街なのですが、さくらさん的にはそんなに嫌いな街では無かったりするのです
今シーズン、体調のコトもありあちこち出歩けませんでしたが(まだ最悪な状況なままではありますが)行けるうちに行っておこう!ってワケで、勢いで行ってきました
9時チョイに出発、337号線→275号線をひたすら北上しました
本当は体力的なコトを考えて、337号線から江別東ICに入り、奈井江砂川ICまでワープしようと思っていたんですけど、何となく気が変わって中止
途中、札沼線が来春で廃線が噂されていたコトを思い出し、急遽275号線に入ったワケです
まず、最初に立ち寄ったのは、現在の札沼線の事実上の終点(笑
浦臼駅

当別~浦臼間(浦臼終点が5本)の1日6本の往復があるのみ

新十津川行きは朝の1本だけ・・・・・・
ま、沿線の過疎っぷりを考えたら仕方ないわなぁ;;´д`)
駅舎内は、何とか札沼線の存続価値を・・・・って考えからか、ワケわかんねぇポスターが

土佐から確かに移民は来たが、龍馬は関係無いだろうと小一時間・・・・・・
隣の滝川も何故か赤穂浪士を祀るイベントがあったりで、中空知はカオスです(笑
ここからVTR-SPを走らせるコト20分くらい、札沼線終着駅の新十津川に到着
NHKでドラマ化されたらしいですが、ソレ以外は何も無い街、新十津川町
とりあえず、駅舎前で

一応、開業85年目らしい
数年前に新潟の友人が遊びに来た時は、1日3便はあったハズ・・・・・・・・
駅舎内は、正直な本音として、もう廃線は覚悟しているんだろうなぁ・・・って雰囲気

ぶっちゃけ、朝のお情け便1本だけで、正直、何ができるんだろ?
ここからなら、バスで滝川に出た方が圧倒的に便利だもん
川渡った隣町なんだし、新十津川駅から歩いても4~50で行けちゃうからね
さっきの浦臼駅にしたって、鉄道が無いと困るのって・・・・・・・・
朝晩の高校生程度か
ただ、絶対数を考えるとバスの方が色々と楽なのが現実でしょう
因みに私、子供の頃は札沼線沿線に住んでおりましたが、実は乗ったのは1度だけ
札幌駅~月形駅までの区間のみ
最後に一度乗っておこうかなぁ??なんて思ったけど、面倒なんでそのまま終わっちゃいそうな気も・・・・・・(^^;;
ディーゼルを降りると、駅舎の入り口にはこんな看板が見えるワケです・・・・・・

けど、隣は病院、商店街まではちょっと離れているもんで、ここで降りても何をすればいいんだろう??ってのが正直なトコロです
青空が広がっていたんで、駅舎と初冬の空で1枚撮ってみました
新十津川駅から滝川に入り、そこから38号線をひたすら赤平に向かって走りました

あれ??カントリーサイン、変わった??
昔は薔薇の花だったような気が・・・・・・(^^;;
まぁ、いいやw
10年位前に、38号線のバイパスができてしまったモンで、市内の文京町付近を通る旧道の交通量が激減
その沿線にあった人形会社の社長が作った謎の城

会社が倒産してしまったらしく?その後、打ち捨てられておりました(^^;;
まぁ、元々炭鉱以外は何も無い街ですから(笑
こんなモノ作ったトコロで客なんてまともに来るワケ無いんですよ;;´д`)
正直、夕張と並ぶ典型的な炭鉱過疎の街ですからね、赤平は
どこの炭鉱街でも共通なのが、周辺の市町村と合併話が出る度、自分の立場が危うくなる田舎議員が反対するもんで全て立ち消えになってしまうってコト
夕張なんかも、隣の栗山町と合併なんて話も出たんですが、市が町に飲み込まれるなんて許せん!と、議員連中がこぞって反対したり云々があったからなんですよねぇ
そして、連中、自分たちの栄光の時代を忘れられないのか見栄なのか、地方交付金やら何やらで、無駄にデカい箱物を作りたがるんですよね
作れば人口流出を引き止められるだろう・・・・なんて浅墓な考えで
そんな建物、赤平にも幾つかありますけどね(ーー;;
さてさて、城を出て、さくらさんの母方の叔父叔母が通っていた赤平西高を撮影しようかなぁ??なんて横を見ると・・・・・・

取り壊し工事の真っ最中;;´д`)
今年の春で廃校になり、取り壊しの真っ最中なんですよ~~、と、地元のオバチャンが教えてくれました
赤平には住友の高校の他に、西と東、2つの高校があったんですが、1975年に住友の高校が終了、1989年くらいで赤平東高が廃校で西高と統合、赤平高校に校名が変更になったんですけど、その歴史も、今春で終わってしまったとのコト
なんか寂しいなぁ;;´д`)
続いて、じ~さま達が住んでいた近所へ移動
近所の個人商店も、もう廃業してかなり経つとのコトでした

じ~さま宅から個人商店へ向かう道も寂しくなりました

昔は平屋の4軒長屋だった市営住宅も、今は2階建てになっています

15年くらい前に建て替えたみたいです
この雑草だらけの坂で、長屋の人たちが畑を作って色々と物々交換していたんだよねぇ

冬にはミニスキーや米袋を使って滑って遊んでいたなぁ・・・・・
市営住宅を下から見た図

昔は街灯のトコロに段を作って出入りしてました
建物も、もうちょっと右側に建っていて、道路側に物置が建っていたんですよ
その物置を改造して風呂にしていたんですけどね(^^;;
子供の頃に遊んでいた公園も、今は工事事務所に・・・・・・

下の方にあったお店も、もう畳んでしまって15年以上経ちました
叔父、叔母達が通っていた赤間中学校

再来年くらいに廃校になり、さっきの高校跡地のところに移転になるそうです
因みに、赤平市内の中学校はそこ1校だけになるってお話でした;;´д`)
どんだけ若い世代が居なくなってるんだよ(乾笑
てか・・・・選りに選って、統合する場所がこんな赤平の西の外れなのかよ・・・・・(笑
よく、祖母と一緒に買物に来ていた店

今は店舗内を2/3程度しか使っていないとのコトでした
国道に戻り、、一番びっくりしたのがコレ
子供の頃、じ~さまに玩具やら何やらを買ってもらっていたお店が廃業していたのは知ってはいたのですが・・・・・
そこがコンビニになってました(ーー;;;

ちょっと先にあった中央バスの車庫(営業所)も車庫を取り壊して、いつの間にか別の会社が・・・・・・

もうね、本当に子供の頃の面影なんて殆ど残ってなかったです(^^;;
37年の時の流れは色々な意味で残酷です
続く