先週2日から今週6日まで、東京在住の叔父が危篤との連絡を受け、オカンを連れ、東京に潜伏しておりました
ざっくり概要を・・・・・・
2日(水曜日)
9時半頃、オカンと同居してる叔母から電話が入りました
6月に面会に行った叔父の内縁の奥さんから危篤状態になったと連絡があったそうで、オカンを送り込みたいが、一人で出すのは色々と危険なんで一緒に行ってくれないか??って内容
断る理由も無く、チケット手配やら何やらの補助を期待されているのは承知しているので、急ではありますが承諾
連休直前ではありますが、何とかチケットを取り、オカンを連れ一路東京へ
結果として、ウチが来て正解でした
内縁の奥さんって人が入院中ってのを、こっちに来て初めて知りました(ーー#
叔父がいつ入院していたのかの情報が一切分からなかったとか、生保を受給以降、福祉課の人とどんなやり取りをしていたのか、没後の片付けの流れとか、一切内縁の方からの情報が来ていなかったのが全てつながりました
明日、オカンが病院に詰めている間、叔父のアパートに行き家探し確定
通帳やら各種支払い関連の書類やらその他諸々の必要なモノを纏めるミッション発生です
どうやら、区の福祉課の担当者から、行きているうちに住んでいる所の片付けを済ませれば、費用は区で持つ・・・・・って話になっていたらしい(ーー#
更には、没後の遺骨の処理なんかも、結局は内縁の方の側で持て余すのは確実
こっちに来てから色々とハッキリした事が多過ぎてオカン、ガチギレ(ーー;;;;
なだめつつ、明日以降のミッションを完遂する所存です
しかしまぁ、18で高校を中退して、炭鉱夫になるのが嫌で(赤平の炭鉱末期)、逃げるように東京に出てきて63歳の今日まで、その人生の殆どを一人で東京で過ごしてきた叔父
何を考えてここで過ごしてきたんだろうなぁ・・・・・
死後、連絡を取って欲しいような人もいないみたいだし・・・・・
なんて考えたらちょっと泣けてきた
実子はおらず、前妻さんが亡くなった後、連れ子を育てたはいいけど、一人は死別(職場で過労でクモ膜下出血で死んでいるトコロを発見された)
もう一人はグレてそのまま消息不明
ソレ以降は殆ど一人で過ごしてきたみたい
現内縁さんとはここ4~5年くらいみたいだけど、結局は今回のようなオチになっちゃった
恐らく、骨になったら北海道に連れて帰ってくる事になると思うんだけど(確実にそうなる)何とも切ない気持ちにしかならんのだよ
色々と考えてたら、ちょっと泣けそうになってきたんで、先ずは、叔父をきちんと送るミッションを完遂してから色々と考える事にします
3日(木曜日)
流石にこの日はちょっぴり濃厚でした
チェックアウト後に病院に移動、そんでもって、オカンは病室に詰めてる間に、日中叔父宅に行き色々と片付け
生保関連必要書類やら病院の領収関連、不動産契約書類等々を発掘
生きている口座から引き出せる額を全額引き出し
※コレ、本当に重要です。死んじゃったら口座凍結されますからね(´ω`)b
最期の一年、叔父はこの部屋で何を考えながら暮らしていたんだろう?

なんてコトを考えながら色々と発掘作業をしておりました
オカンと病院で雁首揃えて要らないモノを選別後、内縁さんの入院先に行き、コチラに伝わってない色々なコトを確認
間に入っている保護課の担当者が情報伝達をマトモにやっていない事が発覚(ーー#
叔父が生きているうちに、現在の住居を処分すれば、その費用は生保の適応の扱いで出す・・・・って話を内縁さんにしていたらしいが、コチラには一切来ていなかったり、その他細かいコトが色々と・・・・・・
明日、まずは病院でDr.からの説明を聞き、ケースワーカーから福祉課とのやり取りの現状を確認後、保護課担当者を捕まえて、今後の方向をどうするか&情報提供を(ry
オカン、相当にキレかかってるんで、さて、どうなるコトやら・・・・・・・(怖
午後からモルヒネ入ったんで、叔父は少し楽になったようですが、モルヒネが入った事により、心臓がちょっと弱く&呼吸が浅くなってきたんだよね
オカンとの共通の思いは、このまま楽に・・・・・なんだけど、昨日も書いたけど、叔父の若さが足を引っ張るんですよ
でも、モルヒネが入ったことで、いつそのまま(ry・・・・・になるかは分からない状況が更に1歩進みました
腹水も相当に溜まってるんで、ホント、このまま楽にさせてあげたいモンですわ
19時で病院を引き上げ、安宿にチェックイン後、速攻で着ているモノを洗濯&風呂に入って、コンビニで適当に買った夕食&ビールクズになってます(ヲイ
夜中に呼び出されるコトだけはありませんように・・・・・・(汗
4日(金曜日)
今日も今日とてお約束のバタバタさくらさんなのでした
まず、朝、病院に向かってから、叔父の現状を改めて担当Dr.から説明を受けました
まぁ、正直言っちゃえば、いつ逝ってもおかしくない状態
が、若さ故に体力があるもんで、簡単には心臓が止まらない状態・・・・・・ってイメージをしてもらえればOKかと
2日の明け方から一気に意識レベルが落ち、身体的にも相当にヤバい状態に陥ってしまった&病院側も福祉課側も、扱いに困っていたモノで(後述)我々、北海道の親族に連絡をした・・・・・・っていうのが実情だったそうな
Drからのムンテラ(説明)が終わり、その後、オカンを病院のケースワーカーのトコロに行かせて、入院から現在までの状況をチェック
帰ってきたオカンの顔は相当に怖かったです(マテ
入院当初から、頑なに北海道の親族への連絡をしないよう、口を噤んで(つぐんで)いたそうな
それが、我々親族に対して真剣に迷惑をかけたくないと思っていたのか、それとも、ただの意地なのか・・・・・
2日の夜、中途半端に覚醒した時にウチとオカンの顔を見て
「全部福祉に頼んであるのに」
と言い、そのまま轟沈
ウチとオカンの2人で「そんなモン知るか」って気分になったのは当然の流れ
そんな状態で、病院のケースワーカーも持て余していたとのコトです
入院承諾書も署名されていなかったしね(3日分でも書いたけど10月6日に入院していたそうで)
続いて、保護課の担当者に会い、家財道具の後始末をする為にお役所へと向かいました
やはりココでも、担当者から、叔父が頑なに口を開かず対処に困っていたコトを聞かされました
一瞬、素でイラっと来て
今死ななくてもワシがトドメ刺したろか・・・・と思ったのは仕方の無い流れ(乾笑
ここでは家財道具一式の処分の話をしたのですが、叔父が素直に福祉課に口を開いてくれていれば、月のアタマには全て処分が終わっていたんだけどね
恐らくは、まだ家に帰れる、まだ生きていられる・・・・って意地が強かったんだろうね
そんなこんなのうちに意識が無くなっちゃったモンだから、福祉課の人も素で対応に困っていたそうです
で・・・・・いつ逝くか分からない状況で、一番後腐れの無い家財道具を片付ける方法が、叔父が生きているうちに、我々で承諾書を書いてさっさと処分してしまうコトなんですわ
後々、我々遺族に対して承諾書を取ったり等々の連絡が手間が省けるのと、生きているうちなら生保の範囲内で費用が拠出されるので、親族にも痛みは一切無しなのです
とりあえず書類を書き、最短で対処してくれる処分業者を紹介してもらいました
ここで一旦昼休み
病院に戻った後、残りの片付けをするためにさくらさん一人で叔父宅へ向かい、電気水道ガスの解約手続きを終了
直近の入金できていなかった分を近所のコンビニで支払い後、今日の最大の山場、不動産の契約解除作業を開始したのです
基本、生保でも、保護費の範囲内であるのなら、住居はある程度は自分で選ぶ事が出来ます
自身で契約を行い、その契約を申請すれば、生保で家賃分が支給されます
もう一つは、探すの面倒だ・・・とか、自身で探せない人の為にお役所が紹介するケース
契約内容も厳しく無く、正直後腐れも少ないんです
今回の叔父の契約内容は前者だったんです
契約時の経緯は内縁さんも知らなかった・・・とのコト
契約内容が、退去は2ヶ月前に予告するコト・・・・・ってモノだったので、今手続きしても、実質の退去は1月4日・・・・・それまで家賃が発生してしまうんですよ
更には原状回復で幾らになってしまうのやら・・・・・
まぁ、この問題は相続放棄で終了にする予定なんですけどね(マテ
本人あの世にいるのになんで家賃を殆ど会っていない親族が面倒見なけりゃならんのだ
しかしまぁ、解約手続きはしないコトには始まらなんで、手続きだけはしておきました
後日、札幌に帰ってきてから片付けます
恐らく訴訟沙汰になるでしょうし
因みに、この手続の為に、叔父の入院先(最寄りの駅が東急洗足池近く)から渋谷まで行ってきましたさ
流石に疲れた
戻ってきたら戻ってきたで、不動産の経緯が気に入らんとか何とかオカンが騒ぎ出すし(ーー;;
ソレで今日のHPは限り無くゼロになりました
やっぱ、ウチが来て正解でした・・・・;;´π`)
5日は早朝から家財道具処分の立会です
一応、叔父が逝く逝かないに関わらず、月曜に帰還予定です
遺骨はこっちに送付してもらうよう算段は付けてあります
身内しか出来ない色々な片付けは済ませたんで、後の雑務は来週退院すると言う内縁さんに任せて北海道に逃げ帰ります(ヲイ
5日(土曜日)
この日は朝7時にホテルを出発、ホテル近くのすき家で朝定食を食べ、病院ヘと向かいました
到着後、オカンは叔父のトコロへ、さくらさんは叔父宅の引き払いの為、叔父のアパートへと・・・・・・・(病院から徒歩5分)

予定の8時より少し前に到着、業者を待ちます

叔父の東京での終の棲家をこんな形でウチが処分する事になるとは思いませんでした
定刻8時に業者さん到着
叔父がどうなるか分からないので、時間との勝負です(作業終了後にあの世に逝っちゃった場合は問題無いのですが、途中になると色々と・・・・・)

今回は家財道具は全て処分、形見になるようなモノは一切残さないと内縁さん&オカンとの協定に基づき、全て処分です

スタートから40分でこの状態に・・・・・・

それから更に20分後

この冷蔵庫は、他の生保の方で冷蔵庫を持っていない人に使いたい・・・・とのコトでしたので、大田区に譲渡しました
途中、業者さんと、今回のようなケースの場合の費用の話や、最近問題になっている孤独死のケースの場合の費用等々の現実を教えていただいたりして、北海道と関東との価格差を比べてみたり
また、ゴミ屋敷に業者が介入した際の、大体の汚部屋のパターンを教えてもらったり・・・・・・・
色々と有意義なお話ができました
9:10に完全撤収完了です

これで、叔父の東京生活45年は幕を閉じる事になりました・・・・・・・
午後からはガスの撤収があるので、ソレまでは近所のセブンイレブンでお掃除シートを使っての簡易清掃

メイド長モードでお掃除しておりました(マテ
素でメイド服を持って来れば良かったかも・・・・・と思ったのはネタってコトで(笑
午後、予定通りにガス業者が警報機撤去&ガス停止作業に来ました

後から壁の穴が云々なんてケチ付けられてもムカつくんで記録として写真を撮っておきました
最期にブレーカーを落とし、これで、完全撤収完了です

お部屋さん、叔父がお世話になりましたm(__)m
この日は18:30くらいまで病院で叔父の付添をしてホテルに撤収
夕食は例の如くコンビニメシで終了で、そのままビールクズになり、早々に撃沈したのでした・・・・・・・・
6日(日曜日)
流石にオカンにも疲労の色が強くなってきたため、ちょっと遅くまでダラダラして、ホテルを9:00に出て病院に向かいました
内縁さんが予定より早く退院して、叔父に面会に来るとのコトでしたので、病室でのんびりと待つ事に・・・・・・
実質、母と叔父が生きているうちに一緒にいられるのは今日が最期・・・・ってコトなんで、さくらさんは邪魔をしないよう、付近を適当に散策
因みに、病院からはスカイツリーが綺麗に見えるんですよ・・・・・・・
叔父が入院している病院、周辺には普通に買い物が出来る店は殆ど無く、一番近い商店街まで徒歩10分
病院に近い店は正面の青果店とコインランドリーと蕎麦屋のみ・・・・・・
バスは最寄りの私鉄駅には停まらず、ちょっと離れた不便な駅に行っちゃうんですよねぇ・・・・・・;;´д`)
タクシーの運ちゃん達が口を揃えて
あぁ、あの陸の孤島の病院ね(笑
なんて言うレベル;;´д`)
まぁ、ボヤいてもアレなんで、近くにある2りんかんまで、頑張って歩いてみましたよ
杖ついて ←椎間板ヘルニアが相変わらずなんで、右足~腰に過度な荷重が掛からないように杖使って歩いてます
病院を出て、ふと横を見ると・・・・・・・

まだこんな花が普通に咲いてるんだもんなぁ・・・・・・
北海道はもう花なんて終わってるよ・・・・・・
そして、気温が20度(汗
道民なら半袖が常識な気温です(ヲイ
ノースリーブで歩いていたら、すれ違う人からアホを見る目で見られました;;´д`)
東京的には初冬なんでしょうけど、道民に撮っては初秋くらいなんですよ・・・・・・
季節としての空気の冷たさより、世間様の目の方が冷たかったです;;´д`)
と、適当に歩きつつ、2りんかんに到着

店内を色々と物色しましたが、欲しいモノは何も見つからず・・・・・残念
帰りは環七を歩き、病院の最寄り駅付近をウロウロして戻りました
午後からは内縁さんの面会&当方で色々と片付けたモノの説明&事後承諾を済ませました
最期に、叔父の看取りだけはお願いします・・・・と挨拶をして、お別れです
恐らく、もうこの方とは会う事は無いでしょうから・・・・・・・
この日はオカンの希望で20時近くまで病院で叔父の付添
本当に、これが最期のお別れです
姉として色々と複雑な思いもあるんでしょうが、ダラダラと滞在し続けられない現実もありますから、コレばっかりは仕方無い
時計を見て腹を括り、撤収です
最期に病院のスタッフにお礼をし、ちょっと複雑な気分でホテルへと戻りました
オカンは食欲は無いんだろうけど、とりあえず食べないとね・・・なんて言うもんで、とりあえず軽いものを・・・ってコトで近くにあった「やまだうどん」(北海道に無い)で本当に適当な夕食です
ホテルに帰還後、翌日の飛行機の時間等々を確認しながら気が付いたら寝落ちしていた・・・・・って感じだったかなぁ(´ω`;
7日(月曜日)
疲れが全く取れない状態で、9時にチェックアウト
ちょっと早目に京急蒲田から羽田へ向かいます

今回の強行軍はオカンの方向音痴&頑固との戦いでもあったなぁ・・・・なんて思いつつ、満員の電車にうんざりしながら羽田到着
帰りの便は、自分自身13年ぶりくらいに乗るAirDo

まぁ、オカンを連れて成田に行く思いをしたら、ちょっと割高だけどAirDoでもいいや・・・・ってコトで
定刻通り、11:50羽田発、13:20に千歳に到着しました

前日の雪の影響で遅延とか機材繰りで欠航・・・・・って事態にならなくて本当に良かったです;;´д`)
流石にウチもオカンとこれ以上一緒に行動するのはストレスが溜まりますので・・・・・・・
千歳到着後は速攻で高速使って札幌に戻りましたともさ
そりゃもう、本当に速攻で
帰宅後も、不動産関連の書類の委任状を作らなきゃいけなかったり、相続放棄の準備をしなければいけなかったり等々、やらなければならないコトは多々ありますが、まずは一段落です
この日記を書いている時点では、まだ、叔父が亡くなったとの連絡は入っておりません
まだまだ若いもので、体力がまだまだ残っている・・・・・ってコトなんでしょうね
本音としては、長いこと苦しむコトが無いよう、早く楽にさせてあげたい・・・ってのはありますけどね
今回のこの件を通して、改めて
どんだけ突っ張ったって、一人で死んでいくってのは難しいんだ
って事を再確認しましたよ
誰にも迷惑を掛けない云々と強気で語る人が多々見受けられますが、そんなコトは無理なんです
どんな形でも、戸籍を引っ張ったり等々で連絡が来るようになってますからね・・・・・・
もし、近い親族が毒親だったりして関わりたくないと言うのでしたら、信頼できる、任せられる人との縁だけは本当に大切にして下さいね