
私は見ていないのですが大河の豊臣兄弟が人気なようです。諸事情により、私が盆に京都に帰省するタイミングで嫁の友達家族を京都観光にアテンドすることになり、夏なので貴船の川床にも行きましたが、どうやら豊臣兄弟の見ていて城等に興味があるようでしたので、メインは滋賀ですが、城等めぐりをすることになりました。
また、私は豊臣兄弟を見ておらず、戦国時代のことも詳しくなかったのですが、その熱量に感化されてシルバーウィークにも色々行ってきました。
これまでも単なる観光で現存天守の弘前、松本、丸岡、彦根、姫路、松山には行ったことがありましたが、城跡、石碑?、山まで行くことに。
① まずは長浜城。秀吉さんの城ですね。
信長さんが琵琶湖を支配するための4つの城の一つです。北東担当ですね。
「急がば回れ」が琵琶湖での話であることは知っていたので、昔は基本的に舟での移動が速度や運搬等の面で効率がいいのは何となく知っていましたが、琵琶湖の支配が非常に重要だということはあまり考えていませんでした。現代では車移動の妨げなので。
② 次は安土城跡。信長さんの城ですね。琵琶湖の南東担当
母親の実家が近江八幡なのでずっと前からあるのは知っているものの、石垣を見に行きたいと思ったことはなかったのですが、熱量におされて雨の中行ってきました。安土は琵琶湖からはけっこう離れていますが、確か舟での水郷めぐりが有名なので、琵琶湖から水路が確保されていたんでしょうね。

雨の中登ってみると、城跡が残っていました。そして、ここで娘が通う埼玉の学童の友達と安土城の城跡で偶然あったのですが、どうやらか埼玉から家族旅行で滋賀にいらっしゃっているようでした。豊臣兄弟の影響力はすごい。。
③ 次は大溝城跡。よく分かりませんが、信長の甥の織田信澄さんの城です。高島にあるので琵琶湖の北西担当。
観光地化はゼロで、そもそも行き方がわかりませんでした。Google Mapに従うと、高島市民病院の職員用駐車場を突っ切るように案内されます。最終的には、高島市民病院のメインの駐車場からいけることが分かりました(駐車場内の係の方もご存じありませんでした。)。かなりマイナーです。

④ 最後は、坂本城跡というか、城跡すらなく石碑?明智光秀さんの城です。坂本は琵琶湖の南西担当です。

このスイッチを押すと、鳥羽一郎さんが歌う、明智光秀ソングがが鳴り響きます。なかなかのものです。
⑤ 4つの城は終わったのですが、次は小谷城跡です。浅井長政さんの城ですね。
ちょっとハイキングでもしようかと思ったのですがクマが出たらしく入山できませんでした。

まさかの歴史資料館もお休みだったので、顔はめパネルだけやっておきました。

さすがにこれだけでは帰れないので、近くの「道の駅浅井三姉妹の郷」にも立ち寄り、顔はめパネルをおかわり。
⑥ 福井の一乗谷。城でもなく町ですが、朝倉さんの町ですね。
朝倉さんが信長さんの言う事に従わなかったので、信長さんが怒って滅ぼしてしまって、朝倉さんと仲が良かった浅井さんも信長さんの敵になった流れでしたね。
⑦ 琵琶湖の一番北にある、竹生島。
あまり戦国時代は関係ないですが、奈良の大仏で有名な行基さんが竹生島にお寺をつくられたようで、浅井さん、信長さん、秀吉さんとも縁があるようです。
以前から行ってみたかったのですが、有名なパワースポットです。あとは、バスボートが何艘かいたので、バス釣りのスポットのようです。
⑧ 信長さんに焼き討ちされた延暦寺
20年以上前に行ったことがありましたので、2回目になります。
メインの建物は長い修復期間に入っているようでした。
⑨ ひこにゃんで有名な彦根城
戦国時代の城でないので歴史的に影が薄いですが、現存天守なのと、ゆるキャラのひこにゃんで有名です。またお盆に行った時は、天守に登るのに1時間待ちでしたので諦めました。前回はそんなに混んでなかった。

ちなみに、天守の奥にある櫓が実は3階建てで、現存天守あるあるの急な階段は待ち時間0で体験できるのでお勧めです。ちなみに丸岡城が一番急らしく、丸岡城は綱引きのような紐をつたって登ります。
⑩ 賤ケ岳(しずがたけ)の戦いで有名な、琵琶湖の北の賤ケ岳
リフトで頂上近くまで上がれて、すごく景色がいいです。南東方面に小谷城や、姉川の戦い等があった平野が見え、右側に琵琶湖や竹生島が見えます。
ただ、賤ケ岳の戦いは、賤ケ岳の北側になります。

北側には、余呉湖があり、余呉湖周辺や、さらに北の地域で柴田さんの軍との戦いがありました。豊臣兄弟の影響なのか、3か所で語り部が賤ケ岳の戦いの解説をされており、かつ、聴衆もけっこういて驚きでした。

歴史に疎いので、賤ケ岳戦国ステーション(歴史館)に行って、なりきり衣装を着てきました。父親が武将で、私は一応七本槍の一人のつもりです。
⑪ 山崎の戦いで有名な天王山
天王山といえば、天王山トンネル=渋滞というイメージでしたが、本能寺の変の後に、中国地方から戻ってくる秀吉さん軍を、明智さん軍が迎え撃ったところですね。
京都は盆地で南しかあいておらず、真南は巨椋池という沼でしたし、中国地方からくるとなれば、確かにここで戦うことになるのでしょう。山崎はサントリーの山崎工場がある山崎です。

80オーバーの両親と登ったので、標準時間が45分のところ、恐らく3倍くらいかかりました。賤ケ岳と違ってリフトがないので疲れました。
⑫ 関ケ原の戦いの後に作られた丹波篠山城

行くところがなくなり、丹波篠山城へ。三木の干殺しで有名な、三木城跡に行こうとしたのですが、公園に近く、資料館も乏しいので、再建されたものとはいえ現物があるこちらへ。
ここは関ケ原の戦い以降、まだ勢力が残っていた大阪城や豊臣家、その他豊臣に近い勢力をけん制するために作られた城でした。所謂天守はなく、大きな平屋の建物でした。中の広間は、よく映画撮影に使われるようでした。二条城をはじめとして、江戸時代以降の城は、天守閣はあまりないようです。
豊臣兄弟の人気と、その人気に触発された友人の熱量におされて、最後は私も染まってしまいました。
城だけでなく、城跡まで行き、さらに天王山まで登ることになるとは思いませんでしたが、歴史を少し知ると、ただの観光地というイメージでだけでなく、ロマンを感じることができて満足できました。
Posted at 2026/09/24 01:17:59 | |
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