
先日、某所でDS N°8を見てきた。
新しい命名規則と新しい文法のフロントフェイス、新しい字体のエンブレム。
408やC5 X(どちらも好きな車だ)を連想させる全体的なサイズ感。
DSならではと思わせる内装の世界観。細部まで及ぶ外装のこだわり。
佇まいもドキドキさせてくれる。まさにDS。
ブランド立ち上げから僅か10年程でデザイン言語を変更していることは、このブランドが重んじているのは伝統より前衛であることの表れか。
先月、マクロン大統領はDS N°8 プレジデンシャルの納入を受けた。なんでもEVを公用車とする初めての国家元首なのだとか。
ただ、ねえ・・・
DS N°8はEVしかラインナップされない。この事実が、欲しがる気持ちにブレーキをかけることは否定できない。
EVは嫌い?とんでもない。「電気モーターのような」とは遥か前からエンジンへの賛美の言葉だった。私は合理性を重んじるフランス人の心をリスペクトする。
だいいちPSAの伝統はパワーユニットへの無頓着を暗に示している。
わがDS7クロスバックの1.6 PuretechユニットだってBMWに頼んで作ってもらったようなものだ。トランスミッションなんて日本製だし。もう少し時代を遡っても、ルノーやボルボの手を借りたり。
そもそもフランス車って不当に(?!)小さなエンジン積むのが普通だったり。DS7にしたって本国では1.2リッターのバージョンがあったくらい。フラッグシップSUVにせんにひゃくしーしー?!ちいせええええ!
「猫足」という言葉で表されるように「車の速さはエンジンのデカさじゃねえ、速度を維持できる足回りだ」とPSAは言ってる気がする。
話がそれました。
たしかにDSがEV専業ブランドになることは以前から宣言されていた。
でも時代は移った。EVへの急速な移行はユーザーが望んでいない。メルセデスだってEQブランドを店仕舞いした。
EUではEVの普及スピードが上がるにつれ政府は補助金を減らし、一旦の減速をみせた。地球のために財布を開くのは奇特な人だけだ。客は利己的だ。
PSAはメルセデスにできないことをやってやろう、それは素晴らしい意気込みではあるけど、少なくとも日本では現状としてエンジンつきの車のような利便性はEVでは得られない。
いざという時の一張羅ではなく、普段の移動から地の果てを目指す旅まで相棒となってくれる車を私は望んでる。金曜の夕方に思い立って土曜のお昼には1000マイル先、こういったことの可能な車こそDSの提案する「旅へといざなう車」ではないだろうか。
DSブランドの意味を読み解くならシトロエンの歴史に収束する。
創業者アンドレ・シトロエンによって実行に移された計画、「黄色い巡洋艦隊」と「黒い巡洋艦隊」はシトロエン好きには有名な話だ。
1922年から行われたこの冒険旅行はクルーの装備品の提供をルイ・ヴィトンから受けシトロエン(市販車ベース!)でユーラシアとアフリカを横断する過酷なものだった。
つまりDSのスピリットとは壮大な旅そのものであり、冒険小説家ジュール・ベルヌの名を冠したコレクションが先頃DSオートモビルから発表された(日本導入時期未定)こともそれを裏付ける。
え?ジュール・ベルヌを知らない?
宮崎駿の原案を元に庵野秀明が監督した「ふしぎの海のナディア」の原作とされているのがジュール・ベルヌの「海底二万マイル」なので、実質日本人はみんな間接的にジュール・ベルヌのスピリットを受け継いでいるといっても過言ではない。ちなみにその原案を宮崎駿が別で映像化したのが「天空の城ラピュタ」。
ほら、知ってるでしょ?
みんな大好きバック・トゥ・ザ・フューチャーのドクが子供の頃に愛読し、生涯の伴侶を得るきっかけのひとつとなったのもジュール・ベルヌの小説。たいへんロマンチックなことで。
つい昨年、フィアット500e&600eのエンジンつき版は「今後も検討しない」とフィアットCEOのオリビエ・フランソワ氏は明言した。だが先日600ハイブリッドは日本でも発売されたし、500ハイブリッド(なんとMTもある!)も量産試作の段階らしい。間違いを正せるのが大人というもの。
DSも(そして同じくEV専業化宣言をしているアルファロメオも)ぜひ検討してもらいたい。
EVの時代は必ず来る、しかし今はまだ私には早すぎる。
画像著作権:DSオートモビル、シトロエン、ルイ・ヴィトン
Posted at 2025/06/17 16:44:31 | |
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