
昨日の私のブログでも、返信をしていて気付いたことがあったのでブログにします。
私の祖母はアルツハイマー型認知症でした。
当時、私が小学生の頃、祖母の日課は犬の散歩でした。当時は中型犬を飼っており、いい運動を兼ねて散歩係でした。でも時間の経過と共に進行して、その犬が天寿を全うした後、家族に全員で悲しみました。
もう犬は飼わない
そう思っていた矢先、祖母は犬を探しに出かけるようになり警察に保護されることもよくありました。
そして次の犬は同じ白い犬でスピッツを飼い始めました。
その半年くらいした後、リードを離して、その子は交通事故で亡くなりました。出血した犬を抱えて帰ってきた祖母の姿は忘れられません。
私たち家族はその子を溺愛していた為、悲しさを埋めてくれるのは次の子だと知っていたのでまた新しく犬を飼い始めました。
同時に祖母は昔覚えたタバコを拾ってきてはコンロでシケモクして、火の不始末が心配になり、施設に入ることになりました。
ここまで以前のブログにも記しましたが、
自死でなく、人間は本当にピンピンコロリが理想です。
守秘義務があるので深くは言えませんが、どんなに社会的実績や名誉、地位のある人でも、認知症になってしまわれた儚さは言葉にできません。
現在は認知症を遅らせるお薬はありますが、根本から治す薬は出来ていません。
これだけ医療も発展していても、やはり脳のメカニズムはまだまだ未開のようです。
身内が認知症になった時の気持ちはとても辛いものですね。
人は「時間→場所→人」の順で記憶が低下します。
早く特効薬が出来たらいいのになぁと思います。
20年ほど前に見た映画で「レナードの朝」というパーキンソン病の映画を見たことがあります。
悲しい結末でしたが、一時的に全く動かない身体がL-ドパというお薬でダンスを踊れるようになった実話を元に制作された物語です。
ガンや心臓疾患もそうですが、私個人は認知症のお薬が出来たらなぁと深く思いました。
ご興味のある方は「レナードの朝」を見て頂けたらその儚さを認知症に置き換えることが出来ると思います。
コロナやこんな世界情勢の中ですが、人の尊厳とは何か考えた場合、やはりどう生きたか、どの様に最期を迎えたかがとても大切だと感じます。
拙いブログですがお読み下さりありがとうございますm(_ _)m
Posted at 2022/05/07 20:45:52 | |
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